恋する名探偵は愛を知らない


 

 広い世界に数多ある国の名も無き町の一画に「ワイミーズハウス」なるカソリック系養護施設がある。とある裕福な篤志家によって設立されたその施設には、様々な国の様々な人種の子供達が引き取られ仲良く共同生活を送っている。
 しかし、外から見ればごく普通の何処にでもある養護施設でありながら、他の施設とは大いに違う点がこのワイミーズハウスにはあった。
 何を隠そう、ここはかの有名な!世界の切り札とまで呼ばれる名探偵「L」が育った施設にして、その後継者を育てる場所だったのである。
 とは言っても、街に出て「探偵Lを知ってるか?」と道行く人々に尋ねても、数年前までは十人中十人が知らないと答えただろう。正直、探偵Lは「誰それ?」な、はっきり言ってまるっきり世間一般では無名な探偵であった。あの世界を震撼させたキラ事件が起きるまでは。

 キラ事件――― それは2003年末から2004年にかけて世界中で起こった、凶悪犯罪者が次々と謎の死を遂げた連続殺人事件の事である。
 悪は許さないとばかりに、法の網を逃れた犯罪者や社会に二度と出せない終身刑の凶悪犯罪者などを中心に、心臓麻痺という死因は判っていてもその手段が全く判らない殺人方法でもって凶行を成し遂げて行った犯人、通称「キラ」。
 そのキラの殺人を世間一般は「裁き」と称し、キラ本人は「救世主」として称えた。
 もちろん「殺人は殺人」と、表向きキラの罪を非難する者達の方が圧倒的に多かったが、裏ではむしろ逆転していたかもしれない。世紀末を経て21世紀を迎えた世界はますます格差が広がり凶悪犯罪が増加、世界中に広まる傾向にあったからだ。
 平凡に生きている者にしてみれば犯罪者は不快な存在、税金を払って刑務所で養うよりとっとと死んでくれた方がホッとすると言うもの。勝手に犯罪者を始末してくれるキラという存在は非常に便利であったのだ。キラは新世紀の救世主、もしくは肥大化した社会の必要悪のように捉えられていたのかもしれない。
 結局権力者達はキラの裁きが自分達に向けられる事を恐れ、民衆の無責任なキラ賞賛に苦虫を噛み潰しながら成り行きを見守る事にした。そして、キラの事はとある存在に丸投げしたのだった。
 そのとある人物こそが探偵Lである。
 Lと名乗る探偵は年齢性別人種等一切が不明の謎の探偵である。だが、探偵としての能力は超一流で、事件が公になる事を恐れる著名人や金持ち、政治家や権力者相手に長年仕事をして来た。仕事も早いうえに彼、もしくは彼女は口が堅かった。Lもまた便利な存在だった。
 そのLがキラに宣戦布告した。2003年12月5日の事である。
 その日、多くの人間がTV越しだったがキラによる殺人を目撃した。たった今まで元気にしていた人間が苦しみながら死んでいくのを確かに見たのである。それによりネット世界の噂でしかなかったキラは実在が確認され、と同時に凄腕の探偵Lの存在も公になった。

 こうしてLは世間一般に名を知られるようになった訳だが、そのLを育て世に送り出したのは、発明家にして篤志家のキルシュ・ワイミーである。当然、ワイミーズハウスを設立したのも彼である。
 ワイミーは決して子供好きではなかったけれど、子供達の才能を育てるのは好きだった。自分の手で歴史に名を残すかもしれない人間を育てる事にある種の快感を見出していた。それ故に設立当初は普通の養護施設だったワイミーズハウスに何時しか英才教育のクラスを設け、施設に引き取られた子供達それぞれに見合った教育を付加するようになった。
 初めは単純に芸術やスポーツ教育が主だったが、そこに数学や科学文学が加わり、遂には政治経済、司法の世界へと子供達を送り出すまでになった。
 その中で特にワイミーの関心を引いたのが後にLとなった少年だった。
 少年はその生い立ち故か少々性格に問題有りだったが、頭の回転と記憶力、物事の判断力は群を抜いていた。惜しむらくはその才能が生産的な方向に向かわなかった事だろうか。
 成長するにつれ犯罪心理学に顕著な興味を持つようになった少年は、古今東西の推理小説を読み漁り、日々世間を騒がせる犯罪ニュースに夢中になった。

 ある時、連続レイプ殺人事件が起こり少年は限られた情報の中から犯人像を推理し、その推理を警察へと流した。匿名のタレこみに初めは信じなかった警察も八方塞の状態を打破するために取り敢えずそのタレこみを採用、そうして見事に犯人を逮捕した。勿論タレこみの事は公には明かされなかった。
 しかし、性格に少々難有りな少年からぶっきら棒に頼まれ匿名の手紙を代筆した担当教師はその事をワイミーに話した。彼は今までにない才能を開花させた少年に大いに興味を持ち、自ら少年を見るようになった。発明家の彼は突飛な才能が殊の外好きだったのだ。
 そうして少年は己の運命を掴んだ。転がり込んで来たと言わなくもないが、幸運もまた実力の内であり、事実少年には実力があった。
 そうしてアレヨアレヨという間に少年は探偵業に手を染めて行った。お膳立ては全てワイミーが行った。ワイミー自身も「ワタリ」と名乗り、謎の探偵Lの――― 何を思ってか彼はその路線で少年を売り出す事に決めた――― 代理人となって動き回った。
 年寄りの冷や水というか、老いてなお盛んと言うか。人生80年、はたまた老いらくの恋の如くワイミーは少年の世話焼きに努め、探偵Lが裏社会で次第に力を付けて行く様を見るのを楽しんだ。捜査依頼の報酬が年々吊り上って行くのにもホクホク顔だった。彼は道楽者であると同時に事業家だった。
 キルシュ・ワイミーにとって子供の英才教育は、ある意味趣味と実益を兼ねたビッグビジネスだったのかもしれない。

 とにかく、そうして生まれた探偵Lは初めて表へと出た事件でキラと対決した。
 その結果、キラ事件は被疑者死亡で終わりを告げた。
 探偵Lがキラに勝ったのである。
 その後Lは再び表社会から姿を消した。もう二度と表へは出ないと誓って―――

 

 

「で?毎日こんな所で油を売っていると」
「こんな所ではありません、私と彼の愛の巣です」
「舅がいるのに?」
「クッ‥‥そう思うならワタリを引き取りなさい。今ならウェディとアイバーも付けてあげます」
「いらねぇ」
「私もいりません」
「何と生意気なクソガキどもでしょう。年長者の意見を聞かないとは」
「体だけデカクても、中身がこれじゃぁなぁ」
「私もメロと同意見です。四六時中ケーキを食べている引き籠り探偵が私より賢く有能だなんて、私は絶対認めません」
「それは昔の話です。現在の私の食生活は実に規則正しいものです。こうしておやつタイムにしか大好物のスィーツを食べることはありません。謂われのない中傷は止めてもらいましょうか」
「嘘つけぇ。この前デスクの抽斗にキャンディが隠してあったって、ワタリが言ってたぞ」
「そ、それは‥‥!」
「見つけたのがワタリで良かったですね。これがあの人だったら‥‥」
「まさか、貴方達‥‥告げ口なんて事‥‥」
「ふん。そんな卑怯なまねしねぇよ。ニアじゃあるまいし」
「告げ口もまた戦略の一つですよ、どうやらメロには非情さが足りないようですね」
「非情でなくて結構!俺はお前と違って正義の探偵になるんだからな!」
「喧嘩なら他でやってください。せっかくのおやつが不味くなります」
「しねぇっての!ところで‥‥何処行ったんだ?」
「あぁ、あの人なら片付け中です」
「片付け?」
「そこの『片付けられないダメな大人』のために、足の踏み場もない仕事部屋を片付けてるんです」
「この後も仕事なのに?するだけ無駄だろ?」
「おやつと聞いて喜び勇んでこっちへ来ようとして、床に散らばった書類を踏んづけ引っくり返ったバカがいるからです」
「あぁ、そう言う訳」
「そう言う訳です」
「な、何ですか?その目は!ダメな大人で悪かったですね!こんなダメな大人でも彼は私を‥‥あ、あぁ、そうか。判りました。貴方達のその目、嫉妬ですね?つまりこの私が羨ましいと、そう言う事ですね?」
「羨ましい訳あるか!いや、ちょっとは羨ましいけど‥‥そうじゃなくて!あんな綺麗で有能で忙しい人に何やらせてんだよ!片付けぐらい自分でしろ!!」
「そうです、ダメな大人だという自覚があるのなら、少しでもそれを改善するよう努力するのが大人でしょ」
「私が片付けたらもっと悲惨な事になります」
「胸張って言うな!」
「人の振り見て我が振り直せ、反面教師‥‥」
「ニア、知ってますよ。貴方の部屋の実情も私の部屋とそう変わらないそうですね」
「ギクッ‥‥」
「俺は違うぞ!俺は綺麗好きだからな!」
「おとなしい顔をして彼に取り入って、あわよくば彼に自分の部屋の掃除をしてもらおうと思ってるんじゃ‥‥」
「ニア!てめぇ、計画的か!?」
「違います!」
「策士策に溺れる。それを知ったら彼はきっと貴方の事をだらしない子供と思う事でしょう。彼の貴方への評価はガタ落ち、いい気味です」
「だらしない大人に言われても‥‥」
「判っていませんねぇ。彼は私だから、色々と身の回りの世話を焼いてくれるのです。この私だからこそ!」
「その無意味にデカイ自信は何処から来るんだよ」
「愛!です!!」
「「うわっ!恥ずかしげもなく言ったよ、このカエル!!」」
「私と彼を繋ぐものは!!!即ち『愛』!!!!これしかありません!!!!!」
「「それが一番!!信じられん!!!!」」
「という事で、いくら彼が優しいからと言って甘えてはいけません。彼に甘えていいのは私だけです」
「「ワンマン反対!!」」

 それは見慣れた光景だった。3時のおやつタイムに手作りケーキを美味しい紅茶と一緒に頂くという、ごくごく普通の家庭の一コマ。どの家でも繰り広げられるものだろう。
 ただ敢えておかしな点を指摘するなら、おやつのチョコレートケーキがカットされた物でなくワンホール丸々だとか、それを皿ごと抱えて食べているのが可愛らしい子供や上品な貴婦人ではなく、だらしなくも裸足の両足をソファに乗っけた、どう見ても寝不足としか思えない冴えない顔色の隈取り男だという事だろうか。
 ヴィクトリアン・セティの白い花柄が可愛い布張りソファには男が零したであろうケーキのスポンジが擦り付けられていて――― どうやら紅茶で頬張ったケーキを飲み込もうとした際うっかり動いて裸足の足で磨り潰してしまったらしい――― ついでに床にもチョコクリームがポタリと落ちているのが垣間見える。そんな事にはちっとも気付かず満足そうにケーキを平らげている最中の男は、向かいに座る小憎たらしい少年二人からケーキを死守するのに夢中なようだった。
 後で絶対怒られるに違いない――― その少年二人にそんな事を思われているとは露知らず、おやつのケーキを無事食べ終えた男は少年達の前に置かれた、まかり間違っても自分の分ではないケーキにじっと視線を注いだ。それらは男が食べたチョコレートクリームを挟んだスポンジケーキよりもさらにチョコ一杯のガトーショコラと、今が季節のモンブランである。

「いらないのでしたら‥‥」
「誰がいらないと言った!今からゆっくり味わって噛みしめて食べるんだ!!」
「私だって、クリーム一舐めでもあげませんからね」
「食い意地の張ったお子様達ですね」
「「あんたにだけは言われたくない!!」」

 それから物の1分で少年二人は自分達にと用意されたおやつを腹に収めたのだった。施設のおやつタイムでも経験したことのない緊張感――― いつ他人に自分の分を横取りされるか判らない、食うか食われるかの弱肉強食の世界がここにはある――― を味わいながら、やはり施設では経験できない至福のスィートなケーキの味を堪能した。

「はぁ‥‥それにしても納得いかない」
「何が納得いかないのですか?」

 まるで皿を舐めるように綺麗にガトーショコラを完食した金髪の少年が皿とフォークをセンターテーブルに置いて溜息を漏らす。

「貴方の言いたい事は判ります、メロ。私だって全くちっとも絶対!納得できません、というか認めません!」

 それに追従したのはプラチナブロンドと言うより燻んだ灰色の髪をした、金髪のメロと呼ばれた少年より3~4歳年下の白いパジャマ姿――― 本人によればパジャマではないらしい――― の少年だった。

「こんな、推理しか能のない碌で無しの社交性ゼロ生活能力皆無な男の元に、あんな真っ当で常識人かつ仕事も家事も万能、気配り上手な超美人がお嫁に来るだなんて、認めてなるものですか!」
「嫁じゃねぇっての、ニア!秘書だ、秘書!!あぁっ、見ろ!お前が『嫁』なんて言うからLの奴、思いっきり鼻の下伸ばしてやがるじゃないか!!くたばれ、変態!!!」

 ニアは自分の失言に大きく舌打ちすると、ポケットに入れていたレゴブロックを素早く握りしめ目の前で柄にもなく頬を染めている男に思いっきり投げつけた。

「痛いっ!何をするんですか、ニア!!」
「気持ち悪い顔を晒すからです。恥を知りなさい、恥を!」
「彼はアマガエルみたいで可愛いと言ってくれました!」
「うわっ!自分でも認めてるよ、両生類顔だって!ってか、彼も思ってるんだ、カエルって!」
「俗に言う『キモ可愛い』と言う奴ですか?彼は意外にゲテモノ好きなんですね」
「いやいや、己に無いものを求めるのが人間だからな。それで行くと、美人ってのは自分とは反対の不細工な人間を好きになるって訳だ。『美女と野獣』なんて言葉もあるくらいだしな」
「意味が違うでしょ、意味が!人間、外見より中身が大事なんです」
「不細工ほどそう主張するものです。見苦しい」
「痘痕も笑窪という日本の諺を知っていますか?」
「単に本人が美人すぎて美の基準がずれてるだけでしょ」
「痘痕が両生類って、どうよ?」

 少年二人は目の前の口の周りにクリームを付けた20代後半の男を同時に見やり、それから同時にプッと吹き出した。両生類という表現がツボに入ったらしい。金髪のメロはソファの上で両足をバタつかせて大笑いし、ニアは俯き加減に唇を歪めキシシと喉の奥で笑った。
 カエル似の男の名はL。そう、かのキラ事件で一躍世間に名を馳せた正体不明の名探偵L、その人である。
 見た目は20代後半、黒髪黒眼、肌の色はコーカソイド系ともアーリア系ともつかない微妙な色合いだ。というか、不健康感の方が際立って判りにくいというのが正解だろう。かなりグローバルに血が混ざっているらしく一見しただけでその国籍は判りにくい。
 背丈は6フィート、生成りのシャツにジーンズという高価なアンティーク家具をさり気なく配置した部屋にはいささか不似合な格好だ。しかも、だらしなくおやつを食べる様は、とてもじゃないが世界の切り札とまで呼ばれる名探偵には到底見えなかったりする。
 そして相対する二人のお子様は、そのLの後継者として同じくワイミーズハウスで英才教育を受けている孤児だ。
 昨年キラ事件が解決した際『ホテル暮らしは止めて一所に定住します、と宣言したLの助手として毎日隣のハウスから通って来ている優秀なお子様達である。
 そう、現在Lが住んでいる家はワイミーズハウスの隣にあるのだ。元々はキルシュ・ワイミーが隠居処として用意したものの一つだが、私生活の全てをワタリに任せていたLに自分の家を探す甲斐性がなかったせいで手近な所で手を打ったと言うのが現状である。

「貴方達、本当に生意気なクソガキですね。ワタリに躾けし直してもらいますよ」
「躾けられるんなら彼がいいな」
「私もです」
「冗談ではありません。彼が躾けていいのは私だけです」
「うわっ!認めてるよ、こいつ。自分がダメな大人だって!」
「躾け、と言うより調教なんじゃないですか?」
「カエルの調教?カエルジャンプぐらいしか芸は仕込めないだろ」

 ゲラゲラニヤニヤ笑う甚だ失礼なお子様達を目の前にして、ポーカーフェイスを常とするLのこめかみがピクピク引き攣っている。仕事中はまだしも私生活においてかなり自由気まま自分勝手なLにしてみれば、他人とコミュニケーションを取りながらリラックスすると言う芸当はかなり高難度の技だった。
 とっとと帰れ!クソガキ!!
 頭のてっぺんからそう怒鳴りつけてやりたい衝動を必死に抑え、彼はティーカップに残っていた紅茶をグイと煽った。

「フフフ‥‥貴方達、もうここへは来なくていいです。仕事は向こうでもできるでしょ?資料だけ持ってとっとと帰りなさい」
「やだね」
「遠慮しておきます。ここの方が色々機材が揃ってますし、データベースもこちらの方が使いやすいので」
「月君は私のものです!」
「ハハハ、誰がお前のものだって?寝言は寝てから言えよ、竜崎」
「月君!」
「月!!」
「月さん!!!」

 大人げなくも今にも少年二人に得意のカポエラで襲いかかろうとしていたLは、ケーキフォークを手に高価なアンティークソファの上に立ち上がった状態のまま、キッチンに続くドアからたった今入って来た人物を振り返った。

「うふふふふ‥‥年端も行かない子供に乱暴を働くのは最低の人間がすることだって、何度言ったかな?僕」
「ララ、ラ、月君!これはですね‥‥!」
「しかも、ソファの上に立つだなんて、大人が子供の前ですることじゃないよね?電球の球を変えようとしてたなんて言い訳は通用しないぞ、竜崎」
「で、ですから、これは‥‥えぇと、しょ、食後の運動をですね‥‥」

 それから振り上げていた手を下ろし何度か深呼吸をするように動かしてから、ハタと気付いて大慌てでソファから飛び降りた。

「躾け直さなくちゃいけないのは竜崎の方かな?」
「ラ、月君‥‥?」
「昨日今日と徹夜で頑張ったから、特別にプリン・ァ・ラ・モードも追加してあげようかと思ったんだけど、そんなお行儀の悪い事するならハウスの子供達にお裾分けしちゃおうかなぁ」

 そう言って天使もかくやというような綺麗な微笑みを浮かべながら三人に近付いて来たのは、キャラメル色の髪に同じくキャラメル色の瞳をした、キャラメルマキアートのように甘いマスクの若者だった。

「月君!?」
「えぇぇつ!?そんなぁ!」
「私の真の狙いはプリンの方でしたのに!」

 Lから月と呼ばれた若者は、年の頃は二十歳前後だろうか。細身だが決して軟弱には見えないバランスの取れた体つきに人形のように整った顔立ち。一見してモデルか俳優のような優男だが、万人に好まれるだろう微笑みにはビジネスライクな媚は微塵もなく、それでいて老若男女を虜にする魅力を仄かに放っている。
 月君が本気になったらこんなものではありません。まさにイヴィルアイの如く人を惹きつけて離さないのです!――― ふふふ、チャームアイの間違いだろ?竜崎――― とは、世界の切り札こと名探偵Lの弁である。
 それをLの口から初めて聞いた時は『何とち狂った事言ってやがるんだ?この引き籠り隈探偵は』とまるっきり信じなかったお子様二人だったが、月に出会って半月後にはそれが事実だと否が応でも知ることとなった。

 人当たりの良さそうな振りをして、その実かなり変人な――― 発明家なんて皆そんなものだと周囲は密かに思っている――― ワタリことキルシュ・ワイミーも月の前ではただの好々爺と化し、養護施設の院長のくせに子供嫌いで実はコンプレックスの塊のロジャーも月と出会ってからは妙に明るく軽くなり、今では教会のシスター並みに善意の人となっている。
 ついでに言えば教職員もシスターも、ハウスに出入りしている業者も近所の小母ちゃん小父ちゃんもみんな月のファンである。当然、ハウスで暮らしている子供達は月に懐きまくっている。
 メロとニアも例外ではない。特に可愛くない子供№1の地位を入所当初から誇っているニアの変わり様はLさえ驚く――― 自身の事は棚に上げて――― 程である。まぁ、月以外の人間には以前と変わりなく生意気で辛辣で厭味の固まりな上に唯我独尊なのだが、それでもニアの対人マニュアルに『手心』という項目が加わった事は確かなようだった。
 しかも、ごく最近では『素直な良い子』の振りをする技も覚えたらしい。例えそれが演技であっても、ちょっとヒンヤリ嘘くさく肌寒くても、こちらの意思通り動いてくれるのならこんなに楽な事はない、とハウスの職員教師一同は泣いて喜んでいる。厭味が返って来ないだけでも精神的負担が非常に軽くなる、というのがその理由だ。故にロジャーを筆頭とする彼らから、月は密かに女神様と呼ばれていたりする。
 そんなニアを差してメロと月は『Lにそっくり。まるで親子みたいだ』と言い切るのだが、当のニアとLは断固としてそれを認めようとしなかった。これを俗に『同族嫌悪』と言う。

 そう言う訳で、Lがハウスの隣に彼と一緒に引っ越して来て、メロとニアがLの後継者ではなく助手として出入りするようになってから、頭の回転も記憶力も判断力もピカ一なくせに社会的動物である人間としてはどうにも癖の有り過ぎる三人の大人と子供は、仲が良いのか悪いのか第三者からはよく判らない日々を送っているのだった。
 ついでに言うなら、突然Lが連れて来た、おそらくは二代目ワタリであろう月を胡散臭く思っていた二人のお子様達は、月の探偵としての能力もサポーターとしての能力も十分買っており、それどころか月の料理の腕と月のキャラメル的甘い微笑みの虜となっていたりする。
 個性があり過ぎて、しかもかなり個人主義に教育されたせいか、本来なら共同作業など全く出来ないだろう三人が曲りなりにも一緒に同じ『依頼』をこなすことが出来るのも、緩衝材、いやいやお目付け役の月がいるお陰だという事にもちゃんと気付いている。
 共同作業もそれなりに楽しいなぁ、なんてホノボノと思える日が来るなんて思ってもいなかったお子様二人。
 こんな生活も悪くないかもしれないと、こんな日々をくれたLにチョッピリ感謝しちゃったりなんかしてもいいかなぁ、なんて思ったりしたのに―――

『人生は太く短く!が私の持論でしたが、この度それをうっちゃって、月君と二人、オシドリ夫婦で鶴亀人生を満喫する事にしました!』
『は?何じゃそりゃぁ?』
『意味が判りません』
『つまり、夫婦二人で末永く幸せに生きるという事です。Lも私と月君の二人でずっとやって行きます。因って、貴方達にLの座が回って来る事はありません。大丈夫、生活能力のない貴方達をそう言う理由で放り出すほど、私は、というか月君は無情ではありませんので安心なさい。ちゃんと貴方達が独立できるよう手助けするつもりです』
『独立だぁ!?』
『そのための修業期間です、今は』
『だから、助手、ですか‥‥』

 ある日のLの宣言に、そんなちっぽけな感謝の気持ちは木っ端微塵に吹っ飛んだのだった。
 Lになれば月とずっと一緒にいられる――― そう思ってこの1年、現Lの労働基準法まるっと無視の人使いにも、経験の差かどうしても勝てない口の悪さにも耐えて来たというのに!ささやかな少年の夢を欲望に満ち満ちた薄汚れた大人の言葉一つで打ち砕かれた純粋な(?)お子様二人は、敢然と悪に立ち向かう事を決めたのだった
 即ち、下剋上である。
 二代目Lになれないのならそれでもいい、むしろならない方が幸せだ!二代目なんて肩書き、こっちからお断りである。自分の力で自分の名で、必ずやLを超える探偵となってみせよう!
 そしてその暁には 、自分の隣にいるのは麗しのキャラメルな君、月で決まり!!

『Lに月は勿体なさすぎる!絶対俺の方が相応しい!!月に俺の凄さをアピールして必ずや俺に惚れさせてみせるぜ!!!そうすれば、自動的に月は俺のワトソン君だ!!!!』
『何を言ってるんですか、月は私の永遠の小林少年です。クククククッ‥‥Lから月を奪う‥‥略奪愛というやつですね。実に遣り甲斐のある計画です!』

 聊か純粋とは言い難い発言が無きにしも非ずだが、こうしてお子様二人の反逆は始まった。
 もちろん、月の前では絶賛良いお子様演出中、Lの前でだけ!くそ生意気なライバルと化す。
 直接暴力に訴える事はしないが――― そんな事をして何か壊したり怪我の一つもしようものなら、三人平等に月からお仕置きが言い渡される――― その分舌戦となるため、三人が一緒にいる所に月以外の人間が近づくのは非常に危険であった。
 三人の嫌味と罵声の応酬は第三者的にも非常に心臓に悪く、運悪く巻き込まれた日には再起不能の精神的ショックを受ける事ほぼ間違いないからである。半ば引退を決めて以来すっかり体力を落としたワタリには既に三人の口喧嘩を止めるだけの気力はなく、院長のロジャーは今も昔も戦力外。従って、この三人がハウス敷地内の何処かで睨み合っている現場に遭遇し、尚且つ近くに月がいない場合は何をおいても逃げろ!という生活指導が全職員、子供達一同に為されているのであった。
 大人一人と子供二人による月争奪戦。それは満たされた日常生活と知的生活、仕事環境確保のためにはぜひとも必要な事なのだ。大人は現状を維持するために、子供は己が未来のために。ただ、お約束のように本人達は忘れている。選択権が自分達にではなく、月にあるという事を。
 では、その肝心の月はどうなのかと言えば、一応Lに連れられてここへ来ただけに仕事的にはLを優先している。その点だけはメロとニアも渋々承知せざるを得ない。しょせん自分達は次期L候補であり、助手でしかないからだ。その分余計に次のLの座は絶対自分が取る!と思いつめていたとも言える。
 だからこそ、独立の話は寝耳に水、Lの横暴、独占欲の暴走だ!!と叫ぶのである。その何処に月の意志の尊重があるのかと。
 おまけにちょっとボケの入り始めたワタリまでもがLの味方と発覚した日には、これは共同戦線を張らねばならないのか?と焦りを覚えたほどだった。

『月様にならこのワタリ、心置きなくLをお任せできます。月様は、まさに金の草鞋を履いてでも探し出したい三国一の花嫁です』

 暖かい陽気に満ちたテラスの一画、年寄り御用達ロッキングチェアーに揺られ教会のバザーに提供されたはずの月お手製ウールの膝掛けをしっかり膝に乗せたワタリことキルシュ・ワイミーが、すっかり気が抜けて何時の間にか皺が目立つようになった手で月の若く瑞々しい手を決して放すものかと言わんばかりに握りしめ、やはり皺に埋もれたヤニだらけの目をウルウルさせてそう言った瞬間を、立ち木の影からしかと目撃したのは果たして何時だったか。
 三国一の花嫁はやめて欲しいです、と困ったように笑いながらワタリの眼ヤニをハンカチで拭きとり『Lの事は僕に任せてください』と月が優しく答えた時には、騙されるな月ォォ!と心の奥底で叫んでしまった。その心の叫びを声に出さずにすんだのは、偶然その場に他の次期L候補の子供達もいたからにすぎない。いなかったら絶対声に出していた。それだけでなく我武者羅に飛び出してワタリの前から月をひっ攫っていたに違いない。運動音痴のニアすらそれは認めるところだ。
 麗しの月が悪魔の手に!!――― そう歯ぎしりして悔しがる次期L候補№1と№2、いやさ、今はただの助手二人。しかし、そんな彼らにも味方はいた。

『メロ、ニア!あんな変態カエルに負けるなよ!お前ら二人は俺達の希望の星だ!!月をLの魔の手から救ってくれ!!』

 ボケ老人の振りをして――― 彼らはそう信じて疑わない――― 優しい月に手の掛るカエル探偵を押しつけようとするワタリの企みをメロニアと共に目撃した次期L候補の子供達は、今までライバル視こそすれ決して手を取り合おうとしなかった過去などあっさり忘れ、俄然騎士道精神に目覚めるや月をLから守る事で一致団結したのであった。
 その一番の理由がLへの失望、と言うのは何とも情けない話だったりする。
 それまでLを尊敬しLに認められたいと思っていた彼ら次期L候補の子供達は――― 中には当然ニアのようにLを超えたいと思っている子供達もいた。ある意味Lをライバル視している子供達も――― 離れていたからこそ美化出来たのだという普遍的な事実に、今ではすっかり月派に転身していた。
 ある日いきなり身近な存在になった世界の切り札、名探偵L。当然ながら子供達はこっそりと、そして毎日のように期待に胸躍らせLの元を訪ねた。そして、幸か不幸か彼と言う存在と直に接触する機会を得てしまった。今にして思えば、遠くから憧れているだけで満足しておけば良かったと、誰もが遠くに視線をやりがなら虚しく語る。
 しかし、知ってしまった事実は覆せない。そして彼らは悲しいかな、事実から目を背けるような軟な教育を受けてこなかった。
 認めるしかないだろう。今までずっと尊敬し人生の目標としてきた存在が、まさか仕事以外はてんでぐうたらな、お菓子大好きカエルだという唖然呆然ビックリな事実を。

『俺達の青春(早春にもなってないような気が)を返せ!!』

 現実とはかくも残酷なものなのか――― 子供達は呪った、己が人生を。そして悲観した、己が将来を。
 しかし、捨てる神もあれば拾う神もあり!
 Lの真実の姿にガックリした子供達は、落ちた偶像たるぐうたら探偵の直ぐ隣に輝ける星を、女神様を見たのである。

『俺達も月を自分の専属秘書にして独立したいけど、残念ながら月は一人しかいない。だったら俺達は泣く泣く嫌々渋々!お前達二人に月争奪戦への参加権を譲ろう!!俺達の分までLを叩きのめし、月をカエルの魔の手から救い出してくれ!!!』

 熱き腹黒友情ここに炸裂!
 以来彼らはハウスの敷地内で月を見かけるたび喜々として彼の引き留め工作を行った。意外にも独占欲の塊と判明したLによって――― Lはワタリからもロジャーからも特別講師達からも次期L候補の子供達からも、謎の解明以外興味を持たない何ものにも左右されない人間嫌いと思われていた。当然、本人自身そう思っていた――― カエル自称『二人の愛の巣』への出入りを禁止された腹いせを兼ねて、少しでも月がLと離れている時間を増やそうとしたのである。
 美人と爬虫類、美人と野獣、出来た奥さんとヒモ亭主――― その組み合わせはチョッピリ容姿に自信のない者達に僅かな期待を抱かせる。『あばたも笑窪』と言う言葉は真実だったのだ、とも。取り敢えず、誰も月の審美眼については言及しない。これは暗黙のルールである。
 とにかく!そんな心強い助っ人の力も借りてメロとニアは日夜頑張っている。助手としての仕事はもちろん、月にLの駄目さ加減を告げ口する事も、自分の将来性をアピールする事も手を抜く事なくやっている。全て月に軽くあしらわれている気がしないでもないが、何時でも笑顔で迎えられてもらえる嬉しさだとか、決してLのオマケではないおやつを用意してもらえる個人重視のスキンシップ等々の前では大きな問題ではなかった。
 男は愛と仕事に生きるのだ!
 メロ、16歳。ニア、14歳。ともに思春期真っ盛り!早すぎたのか遅すぎたのかは判らないが、一生に一度のちょっと捻くれた初恋に夢中である。恋のライバルはきっと星の数より多いだろう。下手をすれば教会の牧師もライバルだ。お向かいの80過ぎのバァさんも油断できない。
 しかし、今現在一番の強敵は目の前で未来の秘書兼恋人に躾け直されているカエル探偵である。

「お行儀よく出来るか?竜崎。ちゃんとメロとニアのお手本になれる?」
「はいっ!なれます、なります!良い子でいます!!」
「うふふふ、本当かなぁ?」
「嘘に決まってる!」
「そうですよ、どうせ明日になれば忘れてるんです。騙されてはいけませんよ、月さん」

 本日の素敵なおやつ第2弾を銀のトレイに乗せて運んで来てくれたのは、メロとニア、そしてLが恋するキャラメルな君。甘くて優しくて厳しくて皮肉も平気で言えちゃう女王様。おそらく三人の命運を握っているであろう月だ。
 月、と言うのは彼の本名である。彼は自分達と違って偽名を使ったりしない。何時だったか、そういうのは慣れないから苦手だとちょっと困ったような微笑みと共に話してくれた。しかし、メロとニアは残念ながら彼の名字を知らない。底意地の悪いLが教えてくれないからだ。その代わり、月自身から自分は日本人で、名前の『light』は『月』と書くのだと教えてもらった。
 ちなみに世間様には『Light・Nix』などと言う風変わりな名前を名乗っている。これもLの趣味らしい。夜の神様の光、だなんて‥‥‥なんて月にピッタリなんだろう!と思ったのはメロとニアだけではない。
 その彼が、今は三人の命運ならぬ腹の虫を握っている。
 完璧主義の月は料理が上手い。特に彼の作るお菓子は絶品だ。おなじみ教会のバザーに出品したフルーツと野菜パイの数々は驚くほどの高値で近所の奥様連中に買い占められてしまった。ハウスの子供達に至っては月の作るクッキー欲しさに教会の奉仕活動に積極的に参加するようになった。
 そんな月の貴重なプリンが、今この時、無情にも彼らから取り上げられようとしている。それもこれも、目の前のだらしない大人のせいである。メロとニアはここぞとばかりにLに罵声を浴びせ、百万回殺せそうな程の殺気の籠った視線を、不健康な肌をより一層蒼褪めさせたLに注ぎまくった。もちろん鉄面皮なLにそんな視線攻撃はちっとも効きやしない。

「あぁぁぁぁっ!しません、しません!もう絶対しません!!ですからそれは置いていってください、月く~~~ん!!!」

 Lを改心させる事が出来るのは、後にも先にも見た目も中身もキャラメルな――― ほんのちょっぴりミントが混じっているのはご愛嬌――― 月だけである。
 次の瞬間、お子様二人は目撃した。まさにカエルの如く跳ね跳び上がったLが、着地ざま月の腰にしがみ付くや頭上高く持ち上げられたトレイに手を伸ばし恥も外聞もなく懇願しだした姿を。
 これの何処が世界の切り札なのだろう――― 看板に偽りありとはこのことである。

「今やってる依頼、今日中に報告書出せるかな?ちゃんと根拠となる証拠も添えてだよ」
「出来ます、やります!夕食前に必ず終わらせます!ですから今夜は生クリームたっぷりフワフワオムレツにしてください!!」
「デミグラスソース掛け?それともホワイトソース?」
「シンプルにトマトケチャップでいいです」
「特別に酸っぱくないトマトケチャップにしてあげる」
「私、頑張ります!!」

 その瞬間、ありとあらゆる事が吹っ飛んだ。世界の切り札だとか次期L候補だとか助手だとか独立だとか、秘書だとかパートナーだとか嫁だとか。大人も子供も関係なく、惚れた弱みで全てに決着が付いてしまった。
 あぁ、そうだとも!ダメな大人とくそ生意気なお子様は美人秘書の料理の腕にメロメロだったりする。

「ずるい!俺だって月のオムレツ食いたいのに!」
「メロ、『食いたい』じゃなくて『食べたい』だろ?それと、オムレツにチョコレートソースなんて邪道は許さないよ」
「ホワイトソース!キノコたっぷりホワイトソースがいい!!」
「月さん。私はカレーソースで食べてみたいのですが‥‥」
「「それこそ邪道だ!!」」
「うふふふ、相変わらず捻くれまくった好みだね、ニア」
「そこが私らしいのでしょ?」
「手懐けるのにちょっと燃えるかも」
「月君!こんな可愛げのないガキなんか相手にするんじゃありません!!」
「月!騙されるなっ!!こいつは見た目に反して中身真黒だから!!!」

 人間腹が減れば苛々するのは老若男女問わず万国共通、特に脳ミソは他の臓器よりカロリーを多く必要とするため頭脳労働者の三人は直ぐに腹がすく。その飢餓度は餌を与えられれば誰にでも尻尾を振りそうなほど深刻だ。従って、彼ら三人の餌係である月は無条件で勝利者となりうる存在であった。しかも一人勝ち!何処からも文句が出ないのは仁徳だろう。
 こうして今にも暴力沙汰に発展しそうだった大人と子供の――― もしかしたら子供3人かもしれない――― 下らない口喧嘩は終息を迎えたのである。

「メロとニアも依頼は終わったのかい?」
「もっちろん!」
「後は報告書をプリントアウトして発送するだけです」

 月の手によってセンターテーブルに並べられたスィーツは、艶やかなプリンを中心に周囲を美味しそうなカットフルーツと如何にも滑らかそうな生クリームで飾った、追加にしては結構な量の代物だった。
 だがよく見ると3つとも大きさも形も違っている。一番大きいのはLのもので、生クリームの量が半端じゃないうえにアイスクリームまで付いている。次に大きいのが金髪のメロの分。彼のはチョコプリンで生クリームにはチョコソースがかかっている。そして一番小さいのは一番小柄なニア、見た目はシンプルだが彼の好みに合わせて甘さ控えめ、おまけとして刺さっている小さな国旗は月の手作りだ。
 どれもこれも先のケーキ同様、愛情と手間がかかった月の手作りである。

「「「いただきます」」」
「はい、召し上がれ」

 三者三様に神に祈りを捧げた――― 以前は祈りどころか感謝の言葉すら口にしなかった3人にしてみれば随分と進歩、いやいや躾け直されたと言えるだろう――― 3人はデザートスプーンを握りしめるや目を輝かせて二つ目のおやつを食べ始めた。

「3人とも頑張ってるな。探偵Lも、コイルもドヌーヴも仕事熱心で僕は嬉しいよ」

 その様子を秋の日差しが差し込む窓辺に佇み香り豊かな紅茶を楽しみながら微笑ましく眺める月。
 1年前には決して存在しなかった長閑な秋の日の光景である。

 

 

「はぁ‥‥幸せです。私好みのまったりとした甘さが、月君の愛が、私の灰色の脳細胞の隅々まで染み込んで行くのがよ~く判ります」
「大げさだなぁ、竜崎は」

 窓辺からソファへと移った月を入れて4人はゆったりとした午後のティータイムを楽しんだ。

「大げさなんかじゃありませんよ。そりゃぁ、探偵を始めてから世界中の有名パティシェのスィーツを口にすることができましたが、恋人の手作りはまた格別です」
「顔に似合わず口の上手い奴め」
「月君限定です」
「誉めてもこれ以上おやつは出ないぞ」
「承知してます。それに、ここで止めておかないと、月君手作りの夕食が食べられなくなりますから」
「よく判ってるじゃないか。だったら当然、隠れ食いはしないよな?」
「‥‥‥‥‥‥‥」
「返事は?竜崎?」
「はい‥‥」

 センターテーブルには舐めたように綺麗になったデザートカップが3つ並んでいる。仲良く並んでいる。それが何だか癪に障るのはまだまだ若いお子様二人。ついでに躾とも惚気ともつかない大人組――― 月はたぶん未だギリギリ十代だと二人は踏んでいる――― の会話にせっかくの満たされた気分が沈んで行く。
 さり気なく『恋人』呼ばわりしたLに反論しない月が何とも恨めしい。

「‥‥‥納得いかない」
「ん?」
「何ですか?メロ」
「納得いかないと言ってるんです」
「ニア?」

 無意識に呟けば月が不思議そうな顔で向かいに座るメロとニアを見やり、Lが心なしか体を右に傾げて隣に座る月にすり寄った。4人がテーブルを囲む時の決まりごとは、メロとニアのお子様組みとLと月の大人組に分かれて座る事だ。特にLと月は、必ずLが左に月が右に座る。

「月みたいな常識人が、どうしてLなんかのサポートについたんだ?ワタリに何か弱みでも握られてるのか?」
「メロ‥‥」
「私じゃなくてワタリですか」
「Lが弱みを握っても意味ないでしょ。ヘタレなんですから」
「ニア‥‥(溜息)」
「クッ、反論し辛いものが‥‥」
「ほらっ!こんなだから!Lなんてこんなしょうもない奴だから!何処がいい訳!?」
「全くです」
「フッ、何をバカな事を言ってるのやら。さっきも言ったでしょう?痘痕も笑窪、という言葉を知らないのかと」
「うわっ!笑った、鼻で笑いやがったよ!しかも、痘痕って言いきっちゃってるよ!自分が痘痕だって自覚あるんだ!あるくせに厚顔無恥にも月に迫ったんだ!このカエルは!!」
「メロ、口が過ぎるぞ。カエルでも、一応年上なんだから。それに今の所仕事上の上司だ。少しは敬意というものを‥‥」
「敬意なんて無理!絶対無理!!」
「そうですね。Lが雲の上の人だった時ならまだしも、こんな身近になった今では‥‥」
「あ~‥‥ごめん。僕が悪かった」
「月君、何ですか?その同情的な眼差しは。何でそれを私にではなくクソ餓鬼どもに向けるんですか?」
「いや、子供達の夢を壊しちゃったかなぁって思うとさ」
「世界の切り札、名探偵Lは今でも子供達の夢ですよ!夢ですとも!!」
「まぁ、世間一般はそうかもしれないけど、『ここ』じゃぁねぇ」
「ぐうたら」
「ずぼら」
「このっ!ク・ソ・ガ・キ、どもぉ~~~!!」
「汚い言葉は使うんじゃない、竜崎」
「その『リュウザキ』ってのも何さ!?何だって月はLの事をそう呼ぶんだ?」

 出会ってからもう何度目か判らないお子様達の疳癪に月は少し困ったような笑みを浮かべチラリと左隣に座るLを見やった。

「前にも言ったと思うけど、僕がこいつに会った時紹介された名前が『竜崎』だったんだ。『L』も同じ偽名なら、馴染んだ名前の方がいいかなぁって思ってね。こいつも嫌がらないし。それで使い続けてたら癖になって」

 不快だった?
 そう言って頬を緩めた月の笑みがとても優しいものに見えて、しかも隣で云々頷いているLも至極満足そうな顔をするものだから二人は以前同様何も言い返せなかった。結局、月は今回も呼び方を変えるとは言わない。彼の中でザンバラ髪の隈男は『L』ではなく『竜崎』として定着してしまっているのだ。LもLで、彼にだけそう呼ばれる事を許しているし喜んでいる。他の誰かが――― たとえそれがワタリでも――― そう呼べばたちどころに怒るのだから、その名前は二人にとって特別なのだと否でも判ってしまう。

「思い出の名前ですか?」

 ジトッとした目でニアが二人を代わる代わる見つめる。

「日本で、キラ捜査で使った偽名なんだろ?」

 メロも同じように恨めしげな視線を向ける。どんなに憤慨しても反対しても詰っても、二人の関係を崩すことは出来ないと、本当は判っているお子様達。

「ノーコメントです」
「今更なんだよ!」
「私達に判らないとでも思っているのですか」

 Lが初めて月をここへ連れて来た時、彼は月の事を名前以外ほとんど何も語らなかった。ただ、月はとても優秀なのでこれから探偵Lの仕事を手伝ってもらう、とだけ言った。
 それは余りに突然で、月を紹介された次期L候補の子供達は今更余所から候補者を、それも本命を連れて来るなんてあんまりじゃないか!と怒り、嘆き、羨んだ。
 だが、その余所者がどうやら次期L候補ではなく次期ワタリ候補だ、と子供達が気付くのにそう時間はかからなかった。助手にと選ばれたメロとニアの存在、そのメロとニアが語るLの仕事っぷり、そして何より押しかけた自分達が目撃した衝撃の事実にそうと納得せざるを得なかったのだ。
 遡ること数年前、ハウスの創立者であるキルシュ・ワイミーがLの代理人兼サポーターの『ワタリ』である事を――― どうやらその頃から引退を本気で考え始めていたらしい。その前に次期L候補を見定めようと正体を明かしたようだ――― 知らされていた子供達は、この時改めてワイミーの年が既に70歳を超えている事を意識した。意識したとたん、自分達もまた現L同様推理以外の能力はからっきしだという恐ろしい事実にも気がついた。
 自分達が次代のLになるより先にワタリの寿命が尽きる、若しくはまともに動けなくなる可能性は非常に高い。
 ワタリというオールマイティな存在無くして、果たして推理以外能のない自分達にLをやり遂げる事は出来ようか―――
 そこに思い至った子供達は、雲の上から下りて来たぐうたら探偵のズボラな私生活ぶりに、己の未来を垣間見てゾッとなった。これではいけないと、本気で自分達の将来を危ぶんだ。
 そんな恐怖心に駆られた子供達の目にテキパキとLの世話をする月の姿が女神様のように映ったのは当然だろう。言うまでもないが、どうせ世話をされるなら何でも出来るスーパーお爺ちゃんより、有能かつ、若くて美人で優しくて、料理上手なお兄さんの方がいいに決まっている!
 美人秘書を侍らせた優雅な安楽椅子探偵生活――― なんて素晴らしい!!メロとニアでなくとも略奪愛に走ってしまうのはもはや人間として当然である!!!
 とまぁ、そんな経緯があって今日に至っている訳だが、実の所子供達の略奪愛計画は最初から躓いているのであった。
 だって仕方ないではないか。何だかんだ言って当の月がLに甘々なのだから。

「‥‥月はキラ捜査に参加してたんだろ?」
「Lと一緒にキラを追っていたのでしょう?」
 キラ事件が解決して僅か1カ月後にLが連れて来た日本人。キラ事件に関係した人物だと考えない方がおかしい。
「‥‥‥‥」
「貴方達‥‥‥」

 FBI捜査官がキラによって殺された事でLは世界中の司法機関から援助を打ち切られてしまった。孤立無援となったLが揃えた捜査陣はおそらく公人ではなく私人のはずだ。出が警察官だったとしてもその権力を行使できたとは思えない。下手をすれば民間人や、お得意の元犯罪者の協力も仰がなければならなかっただろう。いや、きっとそうだったはずだ。
 いったいどんな経緯があったかまでは判らないが、おそらく月はそんな民間人協力者の一人だったと二人は推測している。しかもLが指揮官、月が現場捜査、という従来の形ではなく、二人して指揮官だったと。

「月は目立ち過ぎる。色仕掛け専門なら話は別だろうけど、その容姿じゃぁ現場捜査は無理だ」
「い、色仕掛け‥‥!?」
「けれど、それは無理ですよね。月さん、結構ウブですから」
「ウ、ウブ‥‥‥!」

 そう判断した理由の一端をメロとニアが口にすれば、月の頬は見る間に真っ赤に染まった。

「‥‥時と場合によっては百戦錬磨のプレイボーイになるのですが‥‥」
「何か言ったか?竜崎」

 隣に座るLの僻みに近いボヤキによって直ぐに冷めたが。

「別に俺達は月が何者なのか知りたい訳じゃない。そんな事言ったら、目の前のろくでなし探偵の方がよっぽど怪しいからな」
「私達だって何処の馬の骨ともしれませんし」
「メロ、ニア‥‥」

 そして今度は子供達の自嘲気味な発言に悲しそうに眉を下げる。こんなにコロコロ表情を変えるようではLの捜査官は務まらない。これもまた、月が指揮する側にいたという推理の根拠だ。

「僕は‥‥‥」
「月君」

 何か言い募ろうとした月をLがたった一言で止めた。
 それに驚ろく訳でも非難する訳でもなく、苦笑しながら口を噤んだ月の表情はそれほど重苦しいものではなかった。それはつまり、月自身にも自分の事を話すつもりはないという事だ。
 そう判断し、二人はますます機嫌を悪くする。

「別に、いいんだって。教えたくなったら教えてくれれば。ただ俺達は‥‥」
「月さんがこのぐうたらを選んだ理由が知りたいだけです」
「そんな‥‥手に負えない程の『ぐうたら』でもないし‥‥」

 あぁ、やっぱり『痘痕も笑窪』なんだ――― 二人は小さな胸の内でそうぼやいた。

「顔?」
「う~ん‥‥味はあると思う」
「月君‥‥!」
「お菓子狂いは?」
「脳の働きに糖分は必須だからね」
「引き籠りだぜ?」
「外へ出て人様に迷惑かけるよりはいいかな、と」
「月君、貴方、私のことどう思って‥‥!」
「言動が幼稚すぎます」
「僕も子供っぽいとこあるし」
「「何処が!!??」」
「負けず嫌いなとことか」
「「それは探偵の必須条件だ(です)!!」」
「そうなのか?竜崎」
「今夜ベッドでお教えします」
「セクハラ!」
「パワハラ!」
「僕、教会で寝るよ」
「月君~~~~!」
「ヘタレだ!」
「尻の叩きがいがある」
「鞭は遠慮してください。ピンヒールは可です」
「嫉妬深くて独占欲強過ぎ!」
「そ、それは‥‥」

 おまけに、何の脈絡もなくポッと頬を染めたりされたら、略奪愛が真実になってしまう。

「月‥‥!まさか本気で‥‥!?」
「す、好きなのですか!?」
「「こんなぐうたらカエルが!!」
「‥‥見慣れたらカエルも可愛いかなぁって‥‥」
「月君!」
「「自惚れるなカエル!!こんなの、愛玩動物への愛だ!!!!」
「ちょっと否定出来ない?」
「ラ、月君っ!?」

 思わず立ち上がってしまった賢くもおバカなワイミーズ三人衆。片や気恥ずかしそうにちんまりソファに座る東の国から嫁入り(?)してきた美人秘書。
 オフィスラブ断固反対!!
 耳年増でちょっとばかし、否かなり実践の足りないお子様達二人は、ここに新たに闘志を燃やす。
 しかしっ!

「だって、責任とってくれるって言ったし‥‥」
「「え??」」
「確かに、そう言いましたね、私」

 手にしていたティーカップをそっとテーブルに置いて、何かを思い出すように遠い眼をする月の頬はほんのり薔薇色だ。隣のカエルが不健康そのものな肌色をしているのとは大きな違いである。そのカエルの実に満足げな顔が殺してやりたいほど憎らしい。
 だが今は月の爆弾発言によるショックの方が大きすぎた。

「せ、責任‥‥って」
「それは、あれですか‥‥?」

 ヘタリとソファに腰を下ろしたメロに続いて天邪鬼なニアまでもが崩れ落ちる。

「あの、結婚前の娘が手の早い恋人に対して使う‥‥」
「結婚願望の強い女が、煮え切らない男に引導を渡す時の‥‥」

 脳内で展開される18禁な妄想に二人は地獄を見た。
 月が既にカエルの毒牙に掛かってただなんて‥‥‥!!

「「あの、責任‥‥!!??」」
「男に二言はありません。責任とって、必ず幸せになってみせます、私!」
「「お前がか!!??」

 バカと言うなり耳まで赤くして、ササッと食器を集めるやキッチンへ逃げ込んでしまった月に、お子様二人はもはや何も言う事が出来なかった。

「フッ、これぞ大人の余裕」
「「!!」」

 はっと我にかえれば、ソファにぶんぞり返ったカエルがメロとニアを勝ち誇った眼差しで見降ろしていた。猫背じゃないLなんてLじゃない!と言うか、なんて憎たらしいんだっ!!

 

 

 結局、その日のお子様達はショックと怒りのあまり仕事なんか何にも手につかず、依頼主への報告はLに任せてハウスへと帰って行った。十中八九事後処理は月がするのだろう。月に面倒を掛けるのは気が引けたが、それ以上に精神的ダメージがきつすぎて気力が湧かなかったのだから仕方がない。

『情けないですねぇ』

 などという厭味ったらしい捨て台詞を憎たらしいカエルから頂いてしまったが、取り合えず今の二人には対抗するだけの力がなかった。

「本当に情けないですねぇ。そんなに好きなら私みたいに問答無用、力尽くで奪ってしまえばいいのですよ」

 ハウスとLの家――― 正確にはワイミーの隠居所――― を隔てている小さな薔薇園をフラフラ歩いて行く二つの背中をキッチンの窓越しに見送りながら、竜崎ことLは何とも物騒なセリフを口にした。後片付けをとっくに済ませた月は仕事部屋で資料の整理をしているのだろう。もしくはメロとニアへの次の依頼を何にするか検討しているのかもしれない。それは即ち、メロやニアよりLを重く見ているという具体的態度だ。
 だいいち月はここへ来る時、Lと一緒に探偵をすると宣言してくれたのだ。『一生』というお墨付きはまだ頂いていないが、あんなお子様達に負ける気はないし、いつか必ずそのお墨付きを月からもらうつもりでいる。

『せいぜい頑張ってくれ、世界の切り札さん』

 それを口にするたび月は苦笑いしか返してくれないが、否定されないのは手応えありだと勝手に解釈している。
 月はどうやら日本文化(?)で言うところの『ツンデレ』らしい。それがまた堪らなく可愛くてハァハァしてしまうのだから、自分は相当彼にまいっているのだろう。
 そうでなければ、税関だとか出国手続きだとかありとあらゆるものをすっ飛ばして――― いや、別に法は犯していない。パスポートは間違いなく月本人のものだった。ただ、当の月が出国時一服盛られてお寝んねしていただけの話だ――― 月を攫って来てはいない。
 流石に本人の承諾を得ていなかった事実をワタリに知られた時は――― 隠していた訳ではない。ちょっと言いそびれていただけだ――― 正座なるものをさせられ2時間にも渡ってお説教を喰らってしまった。チャーター便の飛行機の床に正座して座る脂汗だらけの猫背男に、ついでに乗っけてもらったウエディはかなり引いていた。海千山千の彼女も変人は守備範囲外らしい。こっちだって守備範囲外だ。
 愛しの夜神月こそが、正しく正真正銘紛う事なき初恋の相手だと、世界の切り札という異名に懸けて宣言できるLである。

「人に命令するばかりで、自分自身で行動する事などなかった私が、月君に関してだけは自ら動いたのです‥‥貴方達だって本当に手に入れたいもののためには、苦労を厭わず行動するべきなのですよ。そうすれば未来も開けてきます。努力は報われるものなのです」

 そういう訳で、初めてワタリの手を借りず誘拐なるものを実行した時――― 今でもそれは後悔していない。ちょっぴり、ほんのちょっぴり夜神総一郎を初めとする月の家族には悪い事をしたと思っているが。どうせ大学を卒業すれば月は独り立ちしたのだ。それがほんのちょっと早くなっただけではないか、と開き直ってもいる――― 親御さんの元へ帰してあげなさい!と繰り返すワタリに、咄嗟に口を突いて出た『月君を二代目ワタリにします』という言い訳が、まさかここまで真実になるとは思っていなかった。
 ワタリも寄る年波には勝てず、キラ事件を最後に隠居しようかと考えていた時期だっただけに、Lのこの言葉は思わぬ効果を、幸運をもたらした。
 後に、天啓を受けたとキルシュ・ワイミーも告白している。
 二代目ワタリは夜神月以外に有り得ない!と。
 ワタリどころかLをやらせても大丈夫、もしかしたら現L以上のLになれるかもしれない、とまで言い出した時は流石のLもムッとした。いやいや、私も認めますけどね―――
 夜神月にはLに無い行動力があります。社交術があります。彼がその気になれば世界中の司法機関が進んで彼の味方になってくれるでしょう!きっと報酬だって倍です!そうなったら、ワタリである私の仕事は激変!お茶を飲んでのんびり見ていればいいだけです!!あぁ、なんて素晴らしい私の隠居生活!!!
 そう言ってウットリ妄想しだした老人の姿にちょっと嫌な汗をかいたLだった。
 どうせ私は引き籠りです。私の笑顔に騙される人間なんて一人もいません。でも、言っておきますけど、月君は私のものですから。もう唾付けてますから!
 未成年相手に何不埒な事をやってるか~~!このカエルゥゥゥ!!
 そうでした。日本では二十歳が成人でした。すっかり忘れてました。えぇ、口先だけの言い訳です。あぁぁっ!月君、やめてください!包丁はやめて!!一週間おやつ抜きも流石に‥‥え?実家に帰る!?そ、それだけは~~~~!!!私、本気で夜神さんに殺されてしまいますぅぅぅ~~~!!!!
 などという遣り取りも乗り越えて、Lは月との生活をここに確立した。誰が譲ってやるものか!

「何思い出し笑いなんかしてるんだ?」
「月君」

 聊か波乱万丈だった日々の思い出に浸っていたLは、何時の間にか戻っていた月に声を掛けられ、愛しい恋人をゆっくりと振り返った。

「いえ、背伸びしたがるお子様達をどうやってへこませてやろうか考えていた所です」
「全くお前と来たら‥‥少しは手加減してやれよ、竜崎」
「そんな事したら、あのクソ生意気なお子様達は逆にカンカンに怒ると思いますが。無駄にプライドだけはあるようですから」
「そこを上手くやるのが名探偵の腕の見せ所だろ?」
「私は月君と違って、腹芸は得意でも顔芸は不得手です」
「お前の顔色が判るのはワタリさんと僕ぐらいだと自負してるんだけど」
「月君‥‥」

 微笑みながらそう言われて、Lはジンと熱くなる胸の内を喜びとして面へ表した。とはいっても、やはりその表情はちっとも動いていない。相変わらずのポーカーフェイスだ。

「何、ヤニ下がってるんだ。気色悪い」
「酷いです、月君」

 自分の気持ちは、ただ一人の人、夜神月に判ってもらえればそれでいい。

「私は本気で貴方が好きなんですよ。愛してるんです」
「はいはい、判ってるよ」
「判ってません。ちっとも判ってません」

 そんな事より仕事しろ、と急き立てられてLは月に背中を押されながら仕事部屋へと向かった。

「こんなに頑張ってるのに。私、仕事のより好みだってしてません」
「名探偵Lは正義の味方なんだろ?」
「それ、面倒臭いです」
「嫌いになるぞ?」
「仕事します」
「よろしい」

 案の定、午前中のグチャグチャさ加減など欠片も見当たらないほど綺麗に片付けられた室内にLは月の愛を感じて内心にんまり笑った。
 嫌いになるぞ――― 伝家の宝刀の如く繰り出されるその言葉にLはいつも簡単に負けてしまう。負けてしまうが、Lはそれが何より楽しくもある。何故ならそれは二人のお約束のようなものだからだ。一種のコミュニケーション。本気ではない唯の口癖は恋人達の甘い語らいと何ら変わりなかったりする。

「今日中に終わりそうだな」
「私を誰だと思っているのですか?」
「竜崎だろ?」

 二人だけの合言葉を囁かれて背中がゾクゾクするほど嬉しくなる。

「私、正式に名前を『竜崎』に変えたい気分です」
「バカだなぁ」

 月に言われるのなら幾らでもバカになれる。
 いや、もうとっくにバカだ。
 限りなく成人に近い未成年の若者を誘拐するだなんて、そんな犯罪に手を染めるほどおバカだ。

「私、嬉しいんです」
「何が?」

 パソコンのキーボードを叩きながら、Lは思い出したように言葉を綴った。月は窓辺の自分専用の椅子に座ってメロとニアの報告書を呼んでいる。そろそろ日が傾きだしたせいで些か視界が悪いのか、傍らの小さな丸テーブルのランプに明かりが灯っている。

「わざとでしょ?あれ」
「あれって?」

 月が立ち上がり暮れなずむ空を見つめながらカーテンを引く。

「責任を取る、って話。あれ、わざと口にしたのでしょう?」
「まさかぁ。話の流れだよ」
「月君は私と違って役者ですから。あの二人、貴方の頬を染める様子にすっかり騙されてしまったようです」
「それ、誉めてないだろ」
「いいえ。誉めてますよ」
「僕の恥じらいが嘘だったって?」
「そうではありません。わざとあのシチュエーションに持って行ったと言ってるんです。私、これでも嬉しいんですよ。月君が自分から私のものだと、あの二人にアピールしてくれた事が」
「竜崎」
「はい、何でしょう」

 パパッと蛍光灯が瞬いて室内に明かりが灯る。

「夕飯の準備してくる」
「オムレツ、楽しみです」

 柔らかく頷いて仕事部屋を後にした月が小さく苦笑していた事ぐらいLはとうに気付いていた。

「私は貴方が好きなんです、月君‥‥」

 囁く対象がいなくなってもそう呟いて、Lはキーボードを叩き続ける。
 正義の探偵から犯罪者に堕ちても、見捨てられなかった事実に縋り続ける。

「恋なんて‥‥するもんじゃありませんね‥‥」

 溜息をつくと幸せが逃げる、なんて言ったのは誰だろう。
 恋する探偵の恋人は、そんな呪いじみた格言なんかちっとも通用しない。
 だって彼はキラだから。
 新世界の神様なんかになりたいと、本気で思っていた人だから―――