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夜神月はキラだ。しかもオリジナルの。
そうLは確信している。
だが証拠がない。状況証拠はあるがそれは未だプロファイリングの域を脱しておらず、元から絞り込んでいた容疑者以外にキラがいた場合、何の意味もない証拠になってしまうものだった。むしろ、キラが予め用意していた罠、と周囲に断じられてしまうぐらいに。
「つまんない、つまんない~~~!」
「暴れないでください、海砂さん」
「せっかく早く帰って来たのに、どうして月じゃなく竜崎さんなんかとお部屋デートしなくちゃいけないのよ!つまんないったらつまんない~~!!」
「私だってつまりません。月君と海砂さんじゃ、会話の知的レベルが違いすぎます」
「あ~~!海砂のことバカにした、バカにした~~~!月が元気になったら言い付けてやるんだからぁ~~~!!」
「フゥ。月君もこんな低能タレントの何処が良いんでしょう。キスまでして‥‥」
「『好きになりますよ』って言ったくせに!」
「あれは貴方を懐柔するための嘘です。嘘も方便です」
「自分からゲロッてるよ、このカエル探偵はっ!」
「は?カエル?」
日増しにポップにファンシーに変貌していく弥海砂の部屋を訪れたLは今夜ばかりは一人きりだった。いつもその右手と長い鎖の手錠で繋がれている夜神月は、ただ今現在一人寝の真っ最中である。もちろん、何時ものプライベートルームではなく、監視カメラ付きの医務室のベッドの上で。
「そうよ。竜崎さん、自分の顔見た事ないの?何処からどう見てもカエル顔じゃない」
「何処が‥‥」
「その飛び出た目!ギョロメ!!ちょっとエラの張った輪郭とか眉毛ないとことか!椅子に座ってる恰好なんてまさにカエルそっくり!!」
そうなっているのには訳がある。そう、簡単だ。月が風邪をひいたのだ。
事の起こりは一週間前。情報収集に出ていた松田が嫌な咳をしながら帰って来た所から始まる。
Lビルの閉鎖された空間に風邪のウィルスを持ち込んだ男は、自身は大した熱を出すことなく次の日には再び元気良く外へ飛び出して行ったというのに、まるでその代わりのように夜神親子が高熱で倒れてしまった。先に倒れたのはガッシリした体格とはいえ捜査陣の中で一番高齢である夜神総一郎、次に倒れたのはその息子で一番若い未だ十代の夜神月だ。二人とも真面目な性格がアダとなって捜査に真剣になる余り何処かで無理をしていたらしい。
残念ながら少ない人手を二人の看病で裂く訳に行かず総一郎には一時的に家へ帰ってもらった。送って行った松田が彼の妻に平謝りに謝って来たらしい。残る息子の月だが、彼はキラの容疑者である限り解放は許されなかった。幸い医者を必要とするほどでもなかったので、取り敢えず医務室で養生する事となった。
その際、Lに風邪が移ることを避けるため、一晩だけ二人を繋ぐ手錠が外された。それはLにとって甚だ不本意な事態だったが、仕方のない事でもあった。それに倒れた夜神月には必要な治療でもあった。
彼は何をやらせても卒がなく優秀であったため、冷静で大人っぽい少年と周囲から、父親からさえも思われていた。それは確かに彼の性格の一面を表してはいたが、実質は未だ18歳にしかならない唯の学生である。父親が警察官僚とはいえ本人自身は殺人事件などとは無縁の――― 以前その類稀なる推理でもってとある事件の解決に協力をした事はあるが、それはあくまで口添えであって直接捜査に関わった訳ではない――― 全くの一般人なのだ。
世界中を震撼させたキラ事件の捜査に携わるなど、彼にしてみれば緊張の連続以外の何ものでもなかっただろう。
しかも世界の切り札と称される名探偵からその殺人犯のキラだと疑われ、本人の了承済みとはいえ50日間にも及ぶ監禁生活を強いられたうえに、牢から出された後も自分を疑う探偵と24時間手錠に繋がれた全くプライベートのない生活を強要されたのだ。これで精神的にまいらない訳がなかった。自身の疑いを晴らしたい一心で今日まで頑張って来たのだろうが、ひと夏を冷房完備のビルに閉じ込められて過ごした事や休みなしの事件捜査で肉体的疲労が何時の間にか溜まっていたらしい。彼はあっけなく風邪ウィルスに倒れたしまった。
これをチャンスとばかりに、父親の総一郎は渋るLに熱で真っ赤に茹で上がった顔を晒しながら詰めよった。息子を一晩だけでも開放してやってくれと。これには他の刑事達も同意し、しまいにはLのサポーターであるワタリ――― この時点では未だその存在は月に知らせていない――― にも必要な処置だと進言され、不承不承Lは二人を繋ぐ手錠の鍵を外した。
そんな経緯があり、今彼は第二のキラと目される弥海砂と二人だけの会合、彼女曰く「お部屋デート」をしている訳である。全くもって不本意ながら。
「毎日仕事でくたくたになって帰って来て、綺麗で優しい月に癒されてから寝るのが海砂の唯一の楽しみだったのに!それがどうして今日はおまけのカエルしかいないのよ!!」
「だからそれは、月君が風邪で倒れたからだと言ってるでしょ」
「だったら海砂を月の所へ連れて行きなさいよ!お見舞いする!看病する!!そうよ、海砂が一晩つきっきりで看病すれば、月の風邪なんて直ぐに治っちゃうんだから!おまけに二人の仲も進展して、結婚話も飛び出すかもっ!!」
「そんな事、間違っても有りませんから」
「やだっ!竜崎さん、もしかして嫉妬してるの!?」
「はぁ?何言ってるんですか、このおバカタレントは」
いつもならLの右隣には月がいて、自分がキラだという自白を海砂から引き出そうとするLを逐一牽制していた。普通なら全く気付かれないLの誘導尋問に速やかに対応できる月は正にLと対等に張り合える逸材だろう。優秀なのは何もテストの点数に限った事ではなかったようだ。現場での臨機応変な対応もきっと難なくこなしてしまうに違いない。別室でこっそり観察していたワタリなどは手放しで月を誉めていた。もちろん、その真っ当な生活習慣や常識的なものの考え方も、日を追う毎に手慣れて来るLの扱い方も。ある意味、この頃からワタリの月への株はLを超えていたのかもしれない。
とにかく、鬼の居ぬ間に海砂を追い詰めようと目論んでいたLは、籠絡など簡単だと考えていた海砂が意外にも月以上に難攻不落と知り内心大いに苛立っていた。難攻不落の意味が月と海砂では全然違うが。
「フン!ホモで変態なカエルより、海砂の方が断然可愛いんだからね!竜崎さんなんか、絶対月の趣味じゃないんだから!!何よっ!ちょっと頭がいいからって、月と話が通じるからって言い気になって!月は海砂の恋人なんだからぁ!!」
「‥‥‥話が見えません」
「うるさ~~~い!このっ、ホモでお邪魔虫な、変態カエル!!」
「語彙が少なすぎます、弥海砂」
弥海砂は決して馬鹿ではないが、その知的レベルは普通である。Lや月の足元にも及ばない。だから、月さえいなければ簡単に証言を引き出せる、とLは考えていた。しかし、ここに意外な落とし穴があった。
そう、弥海砂は「今時のギャル」そのものだったのだ。
心理学に通じ、多くの人間の性格や行動を推察して来たLであったが――― それだからこそ、海砂など軽い相手と考えていた――― まさか、今時のギャルのパワーと思考回路のぶっ飛びようがここまで凄いとは思ってもみなかったのだ。上げ足を取ってこちらに意識を向かせる以前の問題だ。取りつく島がないのである。
Lの事なんかお構いなしに自分勝手に喋って笑って泣いて怒って、挙げ句に変態カエル呼ばわり。こんな人類外と会話が出来るなんて、夜神月はつくづく凄いと思ってしまう。ちなみに、松田桃太は弥海砂と同類、というのがLの見解である。
まぁ、彼女が考えなしに喋っている事には間違いないので、失言の一つ二つは期待できる。それが唯一の利点と言えなくもない。
そうと判れば好きなだけ喋らせて失言を待とう、と作戦変更を考えるL。
「海砂、知ってるんだから!」
「ハァ‥‥何をですか?」
しかし、それも海砂の次なる言葉で木っ端微塵に吹き飛んだ。
「竜崎さん、月が好きなんでしょ!友達とかじゃなく、恋愛感情という意味で!!」
「‥‥‥‥‥‥は?」
うわぁ~、何言っちゃってるかなぁ、この貧乳おバカタレントは‥‥‥
その瞬間、世界の切り札と称される名探偵様は、そんなオタクっぽい感想を抱いた。だが、監視カメラの向こうで同じくおバカな刑事が『ミサミサ!流石、鋭い!!』と叫んでいる事を予測できなかった時点で、彼は彼女に負けていると言ってもいいだろう。
「海砂さん。貴方、目が悪いのですか?」
「自慢じゃないけど、海砂、両目とも裸眼で1.2あるから。メガネっ娘、なんて言葉、海砂には全然関係ないもんね!」
メガネっ娘、萌~~!!などという叫びが監視カメラの向こうで木霊し、他の刑事達の手で松田が撃沈される。勿論、探偵の推理の範囲外の出来事だ。
「私と月君は同じ男なんですが」
「知ってるわよ、それくらい!でも、それ以上に、月が美人で竜崎さんが変態だ!って知ってるだけ!!」
「まぁ、月君は男でも美人の部類に入るとは思いますが、私、男に惚れるような変態ではありませんよ」
「何?自覚なし?マジで!?自分はまともだと、本気で思ってるの?ってか、一応竜崎さんにも美的感覚はあったんだ。あんなに甘党なのに」
「甘党と美的感覚とどう関係するのですか」
「あぁ、でも、美的感覚がなけりゃぁ、月に惚れちゃったりしないか」
「だからですね、私は変態では‥‥」
「それとも、月が凄すぎるだけ!?あぁん、そうかもしれない!流石は海砂の月!変態カエルまで虜にしちゃうんだからぁ~!好きよ、好き好き!愛してるぅ~!!海砂の月ォ!!!」
「‥‥‥‥聞く耳持たず、ですか」
話が通じない‥‥‥
色々と今時の日本文化についてリサーチし知識としては知ってはいましたが、まさか今時のギャルがここまで話が通じないとは‥‥‥これは知的レベル云々の問題ではない気がします。というか、むしろ今時の若者であるはずの夜神月が老成しすぎ?いやいや、お坊ちゃまだから?あぁ、そうかもしれません。あの夜神さんに蝶よ花よ(?)と育てられたようですから。夜神さん、いい仕事してますねぇ。よくぞここまで真っ当に息子さんを育て上げました。ワタリじゃないですが、誉めてあげたいです‥‥‥
などと言う逃避にうっかり嵌まり掛けるL。
アイドルと言う今時の若者、女子中高生のいわば見本となるべきミサミサ。それはキャラ作りでも何でもなく『地』だった訳だ。育ちの良い月が傍にいたから未だましだった、カワイコぶって聞き訳の良い女の子の振りをしていただけなのだと、Lは今始めて知った。そして、ギャルモード全開の相手に今まで培って来た尋問技術など全く意味がない事も痛感した。おそらくシリアスモードになればそれなりに話は通じるのだろうが、いかんせん、今は期待できそうにない。
「で?月君にラブラブな海砂さんは彼の気を惹きたくてキラになったと、そういう訳ですね?」
「バッカじゃないの、竜崎さんったら!」
それでもめげずに話を振れば、ただ一言の元に切り捨てられてしまう。
「月を独り占めしたいから月をキラにしちゃいたいくせに!それを、な~に言っちゃってるのやら!!」
「夜神月キラ説は、れっきとした根拠があってですね‥‥」
「海砂もね、あの高田とか言うツンケンした女には腹が立ってたのよ。近いうち海砂が月の彼女だって、あの女に思い知らせるつもりだったんだけど、まさか、竜崎さんに先を越されるとは思わなかったわ!男がライバルだなんて、海砂、初めての経験!!でも、月が男にモテルって情報はゲットしてたから驚かないもんね~!」
あぁぁ、話が飛んでる、飛んでます!
高田?高田って誰ですか?ツンケンした女?あぁ、もしかして月君の大学での恋人の事ですか?確かにプライドの高そうな嫌な女でしたね。でも、人の話を聞かない貴方も私には十分嫌な女なのですが‥‥と言うか、私には月君以外の人間は皆もの足りなくて話すどころか顔を見る事も同じ空気を吸う事も嫌なのですが‥‥‥‥
え?ワタリですか?ワタリは例外ですよ。彼は私の面倒を見てくれる発明家で金持ちで篤志家なちょっと変わった趣味を持った老人ですから。そうですねぇ、彼と話をしても楽しい訳ではないですが、私にとって有利な今の関係を保つためにも必要な事なので日に一回は会話するようにしています。顔?顔なんか見て話しませんよ。年寄りの、しかも男の顔なんか見て何が楽しいのですか。海砂さんの言葉じゃないですが私だってちゃんとあるんです、美的感覚。男たるものブスより美人の方が好きに決まってるじゃないですか。
あ~、う~‥‥あれ?そうなると月君の顔は私の好み、なんでしょうかねぇ。
ハハハ、私とした事がうっかりしてました‥‥‥‥‥‥‥‥
「って、そうじゃないでしょう、私!」
「!な、何よ、いきなりっ!!」
海砂の独り言とは言い難い熱弁にうんざりして一瞬己が思考に没頭してしまったLは、行き着いた結論に思わず声を張り上げていた。
トンデモ発言でなくて幸いだったが、恋バナについては妙に勘の鋭い――― 恋愛に関して乙女は皆そうだろう――― 海砂には看破されてしまったようだ。
「何?もしかしてたった今自覚したとか言わないわよね?竜崎さん」
「わ、わ、私を誰だと思っているのですか、海砂さん」
「声が裏返ってるわよ、変態カエル」
「カエルではありません!」
「変態は認めるのね」
「認めません!」
「じゃぁ、言ってみなさいよ。月なんか嫌いだって」
「‥‥き、き‥‥‥ラ‥‥月君なんか‥‥キラ?」
海砂の冷たい眼差しがグサグサとLの胸に突き刺さる。
「私は嘘が嫌いなんです」
「‥‥あっ、そ」
それはつまり、夜神月が好きだと告白している事にならないのか?
「え~?探偵だったら捜査のために嘘の一つや二つ軽く吐いちゃうんじゃないのぉ?竜崎って名前も偽名だって聞いたわよぉ」
そこはスルーして、改めてライバル心を燃やす海砂が軽く突っ込みを入れる。彼女も馬鹿ではない。愛しの月とお邪魔虫な竜崎が――― 彼女は未だに竜崎は探偵Lの部下だと思っている――― その知的レベルにおいて非常に気が合う間柄だと気付いていたのだ。
「それ、誰に聞いたのですか!?」
「マッツー」
「あの、バカがっ!」
その瞬間、監視カメラの向こうで松田桃太が再度仲間の手によって沈められた。
「マッツーがおバカなのは今に始まった事じゃないし。それより、今重要なのは、変態竜崎さんから月の操をどうやって守るかって事なの!」
瞬間湧きあがった怒りと呆れが、海砂の訳の判らない一言で呆気なく消える。
「‥‥それはつまり、月君の嫌疑を晴らすと‥‥」
「それも有るけど!月を変態の手から守るのが先!さっきからそう言ってるでしょ!!」
「へ‥‥私は変態では‥‥」
「ホモ」
「何ですと?」
「ガチホモ」
「ガチ?」
「真正ホモだって言ってるのよ!」
「‥‥‥‥‥‥」
ホモ?ホモ、ホモ、ホモ、ホ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥あぁ、同性愛者の事ですか‥‥‥って、私は同性愛者などではありません!世界の切り札とまで呼ばれるこの私を捕まえて、あろうことか同性愛者呼ばわりは何事ですか!?ゆ、許しません!許しませんよぉ~~~~~!この低能貧乳ブリッコアイドルがぁ~~~~~~~~~!私は単に綺麗な顔が好きなだけですぅぅぅ!!!それの何処が悪いというのですかぁぁぁ~!そっちだって月君の顔に惚れてるくせにぃぃぃ!!!!
「あ~~!!今、月の顔思い浮かべたでしょ!月の綺麗な顔にうっとりしたでしょ!」
「!そ、そんな事は‥‥‥!」
うぉっ!?どうして判った!?女の勘?と言うやつですか?あ、侮りがたし、女の勘っ!!
「海砂には判ってるんだから!竜崎さんが見た目通りのメンクイだって事ぐらい!!」
「み、見た目通りって何ですか?わ、私は人間を外見で判断したりはしません。そんな愚かな行為は探偵Lの名折れです。人間は中身です、中身!」
「外見も綺麗なら言う事なし!って思ってるくせに!!」
「クッ‥‥‥」
Lは自分が海砂に押されている事実に内心冷や汗を流し始めた。ミサミサなんかこの掌の上で踊らせてみせましょう!とか思っていたはずが、躍らせるどころか口を塞ぐ事も出来ないとは!
「今更言い訳したって無駄!竜崎さんが月に恋してる事ぐらい、竜崎さんの目を見ればモロバレなんだからねっ!」
「は?目‥‥ですか?」
「そうよ!竜崎さんの月を見る目は、恋する目よ!海砂とお、ん、な、じ!!」
「ミ、海砂さんと‥‥同じ‥‥‥‥」
自慢ではないが、気味の悪い、厭な目付きだと言われた事はあれど――― Lとして売り出す前、ワタリが連れて来たL専任講師達のほとんどにそう言われた。子供らしくない子供、可愛げの欠片もないと――― 恋する目などと言われた事は一度もない。
「あのぉ‥‥それは‥‥」
「この部屋で海砂と向かい合って座ってても、10秒に1度は隣の月を見てるわよね?竜崎さんは」
「そんなこと‥‥」
「あるんです!竜崎さんが自覚してないだけ!!正面に座る海砂の目には全部っ、映ってました!!」
「‥‥‥‥‥‥そ、それは、私が探偵で、月君がキラの容疑者だから‥‥‥」
「鼻の下伸びてたもん」
「‥‥‥」
「息が心なしか荒いし、鼻の穴が時々意味もなく膨らむし、無意味に月に擦り寄って匂い嗅いでるし」
「に、匂い‥‥ですか?」
「そうよ。しかも、満足そうに目ぇ瞑ったりなんかするし。あぁ、もう!変態!キモカエル!!」
とんでもない誤解だ!と叫びたかったのは言うまでもない。しかし、どういう訳か、Lの口からその言葉が飛び出すことはなかった。
「黙ってるって事は認めるのよね?」
「!み、認めるって、何を?」
「竜崎さんが月に恋してるって事」
「まさかっ!」
「監禁も手錠も、キラ容疑も!月を独占したいからだって、認めるのよねつ!?」
額にうっすらと汗が浮かぶ。心の中だけでなく肉体的にも焦りが表れてしまったLは、もう何年も忘れていた己の感情をコントロールできない焦燥感と困惑、苛立ちと情けなさに、何時もの爪を噛むという行為すら忘れて『ホモ疑惑、月に恋してるぅ!疑惑』に対抗する言葉を探していた。
「っとに!これだから勉強しかできないヒッキーは!」
「ヒ、ヒッキー?」
「引き籠りの事よ!」
日頃自分より下だと思っている海砂に冷たい視線と共にたった一言の元に切り捨てられ、流石のLも口元が少々引き攣る。
引き籠り、引きこもり、ひきこもり――― そんな事は月にしょっちゅう言われていた。もう言われ慣れていると思っていた。自分でもそうだと思っていた。引き籠りの何処が悪い。引き籠っていても自分には全てを把握し認識する能力がある、わざわざ外へ出て走り回る無駄は自分に限ってする必要はない。
そう思っていたはずなのに、『引き籠り』という言葉は自分にとってある意味勲章だとさえ思っていたのに。
まさか、今にして心が傷つくとは―――
いやいや、傷ついたと感じる感情が残っていたとは‥‥‥
「バッカじゃないの」
更に『バカ』とまで言われてグッと喉が詰まった。
「今の竜崎さん、全然いつもの竜崎さんらしくないって、判ってる?竜崎さん」
「‥‥貴方に言われたくありません」
「一応判ってるんだ」
目の前でソファにふんぞり返っている小娘が憎らしい。
「いつもの竜崎さんなら、キラ事件の事以外、海砂の話なんか聞く耳持ちません、みたいな。聞くだけ無駄です、みたいな態度なのにね。でなかったら簡単に話をはぐらかしたり、とっとと話題変えたりするのに。今は全然できてない。それってどうして?」
「‥‥‥‥」
「月に恋してるって、自覚したからでしょ?しかもかなりマジ恋?」
可愛い顔してズケズケ物を言う無神経さが癇に障る。
「ついでに言うなら、自分より海砂の方が有利だって事も否って言うほど判ってるんでしょ」
「な、何を‥‥」
「だって、自分の方が不利だって、負けてるって判ってるからそんなに余裕がないんじゃないの?今ここで海砂に何言ったって意味ないって判ってるから、何にも言葉が出て来ない。違う?」
ここまで言われても、やはり返す言葉が見つからない。
「海砂を言い負かしたって、月をその気にさせなくちゃ意味ないもんね。でも、竜崎さんには月をその気にさせる自信が全然ない。事件だとか捜査だとか、一般人には難しい話はいくらでも月と出来るけど、恋バナは無理、そういう事でしょ」
「そんな、くだらない事は‥‥」
「そうよね、くだらないことよね。でも、そのくだらない事態に陥ってるのよ、今の竜崎さんは」
違う、というただ一言が何故か出てこない。
「だからね、これも自覚するといいわよ。竜崎さんは、海砂以上に月の顔が好きだってこと」
「‥‥はぁ?」
「一目惚れでしょ」
言葉の意味は理解できた。だが、それが何故自分に使われるのかが判らない。
月の事は、特に顔は本人に直接会う前から知っていた。警察関係者を洗った時点で、その家族の一人として写真付きプロフィールデーターで知っていた。その後月の部屋に監視カメラを設置し、24時間自分自らが貼り付いて監視した。だから夜神月の事は海砂よりもよく知っているつもりだ。その後、センター試験会場で直接顔を合わせた。会話を交わしたのは大学の入学式が初めてだったが、初めてとは思えないほど彼を身近に感じる事が出来た。
故に、一目惚れなどという事は全く有り得るはずがない。
「頭が良くてそれなりに社会的地位があって‥‥あ、竜崎さんは裏社会の人だから裏社会的地位のある人って言わないといけないのかな?‥‥まぁ、どっちでもいいけど?とにかく、それでもって他人をバカにしてる人ってね、口で言うほど人を中身で判断しないものなのよ、竜崎さん。知ってた?」
「何をバカな事を‥‥」
「ビジネスではちゃんとしてるかもしれないけど、下半身に関しては全然別。正反対。外見一辺倒。もう反吐が出るくらい?」
「汚い言葉使いはやめなさい」
「月の前では言いませんよ~だ」
ピンクの唇を突きだしソッポを向いたアイドルは、もしかしたら過去に何らかの事があったのかもしれない。芸能界とはそういった世界だと言う認識がLにもある。
「竜崎さんって、まさにそれじゃない。頭の悪い人間、嫌いでしょ?」
「貴女のような常識を知らない人間は嫌いです」
「うわぁっ!竜崎さんの口から常識なんて言葉聞いちゃった!明日は雪が降るかもっ!」
雪が降る、槍が降る、いやいや地震が来る天地がひっくり返る!と、小柄なアイドルは細くて小さな両手を大げさに振って、ムンクの某名画のようなポーズを作った。
「とにかくさぁ。竜崎さん、好きなんでしょ?月の顔。美人だって思ってるでしょ?ストライクゾーンなのよね?」
「まぁ‥‥一般的には美人に入る部類だとは思いますよ」
素直じゃないんだからぁ、と海砂がバカにしたように溜息をつく。
「‥‥‥‥‥‥」
まさか軽薄タレントのミサミサに世界の切り札とまで称される自分が溜息を突かれようとは――― そんな事、微塵も思ってもみなかったLは、貼り付いたようなポーカーフェイスの裏側で思う存分彼女に罵詈雑言を浴びせた。
「それは貴方の方ではないのですか海砂さん。月君の事は一目惚だったと、皆の前ではっきり言いましたよね?」
「言ったわよ」
「だったら、一目惚れは貴方の‥‥‥」
「言っておきますけど。海砂、腐っても芸能人ですから。しかも、モデル出身ですから」
「それがどうしました」
「月ぐらい綺麗な顔の男は見飽きてるってことよ」
「‥‥‥」
「海砂の周りにイケメンなんてウジャウジャいるんだから」
溜息に続いてフフンと鼻で笑う仕草が、憎たらしいながらも何とも可愛らしい。
「それでも月に一目惚れしたのは、まぁ、月の顔がメチャクチャ海砂の好みだったってところかな?でもって、二人の出会いを運命だって感じたのは月の家に押しかけた時。直接会って話してみたら月がただのイケメンじゃないって判ったから」
「それの何処が‥‥」
「芸能界にイケメンは履いて捨てるほどいるけど、良い男は滅多にいないの。判る?竜崎さん?」
「月君が‥‥その『良い男』だと?」
「そうよ」
当り前じゃない、と我が事のように胸を張る女に、Lは思いっきり侮蔑の視線をくれてやった。
「据膳されたんじゃなかったんですか?」
「月、キス上手だった‥‥」
その時の事を思い出したのか、海砂が頬に両手を添えてうっとり宙を見つめる。それが何となく癪に障るのは、つまり、海砂の言葉が当たっているからなのだろうか。
「‥‥遊ばれたって、思わないんですか?」
「月、海砂の気持ち分かってくれたもん。キスは‥‥あんまり海砂が強引だったから仕方なくってのも有ったと思う。あのままキスもしてもらえなかったら、海砂、我儘言って月の部屋に居座っちゃったかも‥‥優等生の月としては、親がいるのに女の子を自分の部屋に泊めるの、ヤバイじゃない?」
「貴方、相当なアバズレですね」
古い日本語知ってるんだね、と変な所で感心する海砂には呆れるしかない。
「月ってほら、もてるじゃない?だからキスが上手いんだと思う。きっといっぱいキスしてるよ」
「やっぱり遊び慣れてるんですね。意外でした‥‥」
「竜崎さん、それ嫉妬?」
「!違います!月君はそんな俗悪な事に興味がないタイプだと思って‥‥」
「ほら、頭の悪い人間、嫌いなんじゃない」
「‥‥‥」
またもやグッと喉が詰まり、Lはいつもの如く爪を噛んだ。幸か不幸か海砂の関心は直ぐにLから外れ、自分の思考へと戻って行く。
「でもねぇ、月って妙に硬いとこあるのよねぇ。あのお父さんじゃ仕方ないのかなぁって、思うんだけどぉ。ウフフ、月って、キス以上はちゃんと付き合った女の子としかしてないと思う。きっと『セフレ』とか認めないタイプだよ」
そういう所もね、良い男の条件の一つなんだ。
そう言って笑った海砂は月が好きでしょうがないと言わんばかりだ。
「‥‥恋は盲目とは、よく言ったものです」
「あら、竜崎さんは月が良い男だって思わないの?」
「誠実で堅物だとは思いますよ。夜神さんによく似ています」
気真面目すぎる所や頑固な所も―――
「あ~ぁ、まだ判ってない」
「何がですか?」
向かいに座るキラ容疑者の女が、今ばかりはただの女に見える。
「どうして海砂が竜崎さんの事、『ライバル』って言ったか判ってないじゃない」
「????」
正直、夜神月が自分のライバルと言われれば納得いくが、海砂がライバルになれるとは到底思わない。
「さっきから言ってるでしょ?頭の良い男は美人が好きだって。頭が良いのを鼻にかけて、こんな自分には美女こそ相応しい、って内心密かに思ってるの」
ほら、英雄何とかを好むって言うじゃない?――― そう言って海砂はつらつらと男談義を始めた。
「何だかんだ言ってねぇ、男は皆メンクイなのよ。口では中身が大事って言うけど、それは自分に何かかんかコンプレックスがあるからで、本音はやっぱり美人に越した事ないって思ってるものなの。それは女も一緒だけどね。でも、男のそれはもう本能なわけよ、弱肉強食の真理なの。判る?勝った者が美女を得られるの。だからね、自分が優秀だエリートだ勝ち組だって思ってる男にとって、美女は勝利の記念品で自分のステイタスをひけらかすアクセサリーなのよ。俺は成功したからこんな美人を侍らせられるんだって、世の惨めな男どもに自慢してるの。それは竜崎さんも認めるでしょ?でしょ?」
思わずその言葉に頷いてしまったのは、決してLが悪い訳ではないだろう。監視カメラの向こうでその惨めな部類に入るかもしれない男達の眉間に皺が寄ったとしても。
「それでぇ、腹がたつけど竜崎さんはその成功組」
「私は‥‥!」
「その年で女性経験がないって言わないわよね?」
即答できなかったのは下世話な話に答えたくなかったからではない。決してない。
「相手は皆美人だったんでしょ?向こうから言い寄って来たのを適当に摘み食いしてた?勿論、答えがないのはYESって事でいいわよね?」
お約束よねぇ、と笑う現役アイドルは実に楽しそうだ。小柄で可愛らしい容姿とは正反対の、純粋とは無縁な言葉を平気で口にする彼女は間違いなく厳しい芸能界を生きている。
「それが当然だと思ってる時点で、竜崎さんはメンクイ決定。ほら、認めなさい。月の顔が好みだって」
「‥‥‥‥」
「はい、YESね。で、話してみたら中身も実に自分の好みだった。認める?」
「‥‥‥‥」
「やっぱりYES。正直だねぇ、今日の竜崎さんは」
そこで海砂が一つ溜息を吐く。
「それで?判ってる?今海砂が言った事、そっくりそのまま月にも当てはまるって事」
「!」
「あぁ、もう。月君に限ってそんな事ありません!なんて顔して海砂の事睨まないでよ。月だってねぇ、男なんだよ。美人が好きに決まってるじゃない。それが証拠に月が今まで付き合ってた子、み~んなアイドル並みに可愛い子ばっかだよ。知ってるでしょ?」
Lの脳裏に夜神月に関するデーターが渦を巻いた。そして、それが事実だと認識してLは沈黙を続けた。
「でもそれってぇ、自分に自信のない子は月に近付けなかった、ってのも有ると思うのよねぇ。逆に月が顔だけのチャラチャラした男だったら、自分でも相手にしてもらえるかもってアタックしてた子が一杯いたと思う。でも、月ってば中身も美人じゃない?そういう相手にはどんなにスレタ子でもやっぱり腰が引けちゃうものなのよ。純情に目覚めちゃうって感じ?それに、女は腕力じゃどうしても男に勝てないから力尽くで、なんてこと出来ないしね。男はいいわよねぇ、最終手段として『ゴーカン』なんて道があるんだから」
いきなり飛び出した言葉に男達の誰もが、この場に総一郎がいなかった事を幸いだと思った。
「ミ、海砂、さん?」
「それが出来ない女の子に残された道は、乙女街道まっしぐら!これっきゃないの、判る?」
判りません、と言う言葉も出てこない。仕方なく無表情のまま――― こんな時に日頃のポーカーフェイスが役立ってもあまり嬉しくない――― 首を横に振るL。
「乙女心の一つも判んなくて探偵なんてやってられるの?いい?恋する乙女は恋に恋してるの。だから、悲劇のヒロインに幾らでもなれちゃうの。私なんかにあの人は勿体ない、素晴らしいあの人に私じゃぁ釣り合わない、ここは私が身を引いて陰ながらあの人の幸せを祈るしかないわ、ヨヨヨヨヨ‥‥ってなもんよ。判った?」
「ヨヨ、ヨヨヨ‥‥ですか?」
「そ!諦めるとか己を知るとかじゃなくて、不幸に酔いしれるの。女の子はみ~んな、恋する乙女だから。王子様が好きなの、自分が王女様になる日を夢見てるの。それと同時に、悲劇のヒロインも大好きなの。判る?判る?まぁ、振られるのが怖いってのもあるけどね。言っときますけど、海砂は当たって砕けろ派ですから。振られたら振られたで、それを糧に女を磨くんだから。あ、でも月には何度振られたってアタックしちゃう!だって、一生に一度の本気の恋だもん!」
「はぁ‥‥」
キャ~!言っちゃった~!!と身悶えする海砂にLは脱力するしかなかった。
「ま、とにかく、月に淡い恋心を抱いて告白できなかった子達は、その思いを淡く美しい恋の思い出として青春の1ページに刻み込むしかないのよねぇ。誰か他の男と結婚して、あの時の彼は素敵だったって思いだしてはウットリするだけ。そうして残るのは、海砂みたいに可愛くて一途な子か、高田みたいに良い女ぶった図々しい奴だけ。結果、月が付き合った子は皆可愛かった。以上!海砂ちゃんの調査報告終わりっ!」
一気に捲し立てられた自称調査報告は、実に難解で理不尽でありながら妙に説得力があった。というよりは、海砂言うところの『乙女心』に男が立ち向かおうと言う事自体が無駄なのかもしれない。
「‥‥つまるところ、今の海砂さんのお言葉の数々は、月君が決して好き好んでメンクイになった訳ではないと、それを理論立てるためのものなのですね?」
「あ、やっと判ってくれたんだ。海砂いっぱい喋ったかいがあった~」
「‥‥はぁ」
「だいたいねぇ、こと恋愛に関して『人間外見より中身だ』って言って良いのは、月みたいに外見も中身も美人な人間だけなのよ?判ってる?」
「‥‥‥‥はぁ」
「お金持ちでカエル顔な竜崎さんが言ったって嫌味でしかないんだから。逆にマッツーが言ったら‥‥負け惜しみ?」
監視カメラの向こうでそのマッツーこと松田桃太がいじけて床にのの字を書いている様子がLの脳裏にまざまざと浮かんだ。これって十分な差別なのでは?いやいや、いじめ?
「はぁ‥‥でも、その肝心の月が可愛い子には飽きてるっぽいのが海砂ちゃんの憂鬱かなぁ‥‥なんか下手するとゲテモノ好きっぽいし‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥は?」
「おまけに優等生どころか天才君だし?竜崎さんと二人で喋ってる時なんか、海砂、チンプンカンプンでハブ決定?頭が良すぎる人間の思考回路なんてパンピーには判んないっての!」
逆切れですか?
何とか自分でも理解できる心理に行き当たったけれど、Lに口出しするチャンスはない。
「でも!海砂、負けないんだから!!竜崎さんがメンクイで月がゲテモノ好きでも、絶対!負けないんだからっ!!!」
その鼻息の荒さに『女のヒステリーは怖い』と言う言葉を思い出しただけだった。
「え、っと‥‥」
「ちょっと月と話が合うからってイイ気にならないで!って言ってるの!!竜崎さんなんて月を容疑者扱いしてるただの変体探偵助手じゃない!そんな竜崎さんが月と仲良くできるのは今だけなんだからぁ!!キラを逮捕したら月はまた普通のメンクイに戻るんだから~~~っ!!!」
だめです、やはり理解できません。何となく今の海砂さんの心理状態ぐらいは理解出来ますが‥‥‥これは俗に言う嫉妬と言うやつですね?
嫉妬、ジェラシー――― 海砂さんが私に嫉妬?女の海砂さんが男の私に嫉妬?あ‥‥何だか気分が良いです。何故でしょう?
「キィーーッ!デレッとしちゃってぇ!キモイ!キモ過ぎ!!変態カエル!!!」
「デ、デレッとなんかしてません」
「してるじゃない!鼻の下、思いっきり伸びてるじゃない!!」
思わず鼻の下に手を当てたのはLにとっては墓穴掘り以外の何でもないだろう。
「そ、そんな事より海砂さん。貴方のお話には矛盾があります‥‥」
「何よ!海砂が嘘ついてるとでも言いたいわけ?」
「そうではありませんが、ただ‥‥貴方は最初、月君は私と同じでメンクイだと仰いましたよね?それなのに何故最後はメンクイではないという結論に達するのですか?」
「バッカじゃない?海砂の話聞いてなかったの?」
「聞いてました。でも、理解できません。余りにぶっ飛び過ぎてて‥‥」
「月はね、海砂と違って恋に生きるタイプじゃないの!だから自分からは積極的に彼女を探したりしないし、ましてや美人じゃないと嫌だとか、スタイルが良くないと嫌だとか、そんな我儘言ったりしないの!!ちゃんと中身を見て、良い子だなぁって思っても、その子が二の足踏んで近付いて来なかったらもうそれっきりなのよ!月がメンクイ?仕方ないじゃない。自分に自信のある可愛い子しか近寄って来ないんだから。その可愛い子達の中でちゃんと中身を見て選んでれば文句ないでしょ!」
「恋に生きるタイプじゃないって‥‥海砂さん、それでいいんですか?」
何とか言いたい事は判った、と思う。
夜神月が恋に生きるタイプではない、と言うのには大いに賛同したいところ。要するに彼女は、夜神月は中身重視だが、恋愛には興味がないので『来る者は拒まず去る者は追わず』だから、必然的に残ったカワイコちゃんの中から選ぶしかなかった、とそう言いたいのだろう。
「いいに決まってるじゃない。だって、それが月なんだもん。海砂は月を愛しちゃってるんだから、どんな月でも全然OK!」
ってか、そういう月だからますます惚れちゃう?男はやっぱり恋より仕事よねぇ~!海砂はそんな月に尽くす姉さん女房になるの~~!
キャ~~~!と、また身悶える低能タレントの呆れるしかない様子に『恋とは巨大な矛盾だ』という先人の言葉をLはしみじみと思い出した。ついでに『二〇代の恋は幻想だ』という言葉も。
「そりゃぁ初めはね、イケメンだから中身はどうかなぁって、ちょっとは思ったりしたのよ、ちょっとは。なんか、テニスやめる時の台詞なんて『あんた何様?』って感じだったし?でもね、話してみたらね、女の子にスンごく優しいって事が判って~、海砂、感激しちゃった。海砂が可愛いからって直ぐ手ぇ出して来たりしなかったし、海砂の恋心はちゃんと認めてくれたし、いつも海砂のこと竜崎さんから守ってくれるしぃ。海砂、自分の男を見る目の高さに自信もっちゃった!」
あ~‥‥何だ、気付いてたんですか、私が誘導尋問しようとしてたの。やはり女の勘、というやつですか?え?手を出してこなかった?やっちゃえ~って、キスされたんじゃなかったんですか?そうですか、今時のギャルにとってキスは手を出した内に入らないんですか‥‥乱れてますねぇ、嘆かわしい。大和撫子はどうしました。これだったら月君の方がよっぽど内助の功‥‥ゲフンゲフン。
「どうしたの?竜崎さん。いきなり噎せちゃって」
ビックリして目を見張った海砂が、何やら怪しげなものを感じてその目を眇めさせる中、少しばかり空転しがちな自分の思考が行き着いたものに、Lはただただ焦りを覚えていた。
な、な、な、内助の功って何だ!?内助って!!‥‥それって妻の事でしょ?妻!つまりはwife、奥さん!誰が?誰の奥さん?海砂さんが月君の?そそそ、そんな事許しません!断じて許しません!!月君の才能は低能タレントなんかには勿体なさ過ぎます!それこそ、相応しくないからスッコンデロ!!です。あぁ‥‥月君にこんな雑多で下らない人間達は相応しくありません。月君は月君の才能に見合った人間達と付き合うべきです。私が!月君に相応しい世界に月君を連れて行ってあげます!そうですとも!!月君は私と‥‥私の傍にいるべきなんです!私こそが月君の才能を一番理解し、月君の才能を一番愛している人間なのですから!!そして、月君を私の奥さんに―――
「最後の方、声に出てるから」
「‥‥え?」
Lがハッと気付くと、テーブルを挟んで向かいに座っていたはずの弥海砂が両手を腰に当てて仁王立ちにこちらを睨んでいた。
「月に恋してるって自覚したとたん、月のこと奥さん呼ばわり?いい根性してるわね、竜崎さん」
その頭に2本の角が見えるのは気のせいではないだろう。
「わ、私今、何か言いましたか?」
「言ったわよ。月君を私の奥さんにって」
「え?え?‥‥奥さん?」
とたんにドカン!と頭が沸騰したのが判った。顔に一気に血が上り、早鐘のように心臓が鳴り響き、視線が定まらなくなった。
うわぁうわぁ!何ですかこれ?何なんですか?何かの病気ですか!?ムチャクチャ!胸が苦しいのですが!!私、心不全の気はないはずなのに――― ま、ま、ま、まさかこれが!草津の湯でも治らないという、あの、あの‥‥‥!!
「だから引き籠りは嫌なのよぉ!」
そ、それは差別です!海砂さん!!あぁぁっ!何投げてるんですか!?クッションはまだしもティーカップなんか投げないでください!暴力反対!!
「竜崎さんなんか、竜崎さんなんか‥‥変人で変態でカエルのくせにっ!私の月に手ぇ出さないで!!」
今にもテーブルをひっくり返しそうな勢いで手当たりしだいLに向かって物を投げつける海砂は本気で怒っているようだ。しかも心なしか涙目なのは、その感情が今に始まった事ではないからだろう。おそらくずっと抱え込んでいたのだ。一人で悶々として、それが遂に爆発したのだろう。
「竜崎さんから頭の良さを取ったら何が残るって!?口は悪い性格は悪い、誠意も可愛さも爪の先ほどもない金持ちの嫌味男ってだけじゃない!口の周りにクリーム付いてても自分で拭けないお坊ちゃまは金目当ての女を相手にしてりゃぁいいのよ!探偵してなかったら可愛い女の子が好きなメンクイ月が竜崎さんなんかに興味持ったりしないんだからぁ!!」
流石にこれは判り易かった。
これは間違いなく嫉妬であり不安であり予感なのだ。Lに、竜崎に恋する男を取られる――― それは文字通り取られてしまうのだ。何故なら竜崎は世界の切り札たる謎の探偵Lの助手で、キラ事件が終われば姿を隠してしまうからだ。その時月が恋より仕事を、竜崎を選んだとしたら、月もまた海砂の前からいなくなってしまう事を意味している――― 恋の終わりを告げる予感。
「竜崎さんなんか事件と心中しちゃえばいいのよ!一生謎解きと甘ったるいお菓子とお友達してればいいのよ!!お金持ちなんだから部下でもメイドでも幾らでも雇えるでしょ!?今までそうして来たのなら、これからもそうしなさいよ!!月みたいな将来有望な若者を誘惑するなっての!!月は月のお父さんの跡を継いで刑事になるんだから!ちゃんとお天道様の下を歩ける立派な人になるんだから!竜崎さんみたいに根暗な日陰者なんか月に全然似合わないんだからーっ!!」
そういうことなのだ。
頭の良い男は美人が好き、月はメンクイと言うのは、彼女にとって保険のようなものなのだ。女が好きでメンクイなら間違っても男を好きになる事はない、仕事だけの付き合いからうっかり道を踏み外し恋愛関係に陥る心配はない、とそう思いたいのだ。
そして、月にも当てはまるというのは『メンクイ』の方ではなく、頭の良い人間は同じ頭の良い人間が好き、という所に掛っていたのだ。
「何で月なの?月は頭良いけど普通だよ?普通に学生してて男の子してたんだよ。キラだとか事件だとか探偵だとか、そんな物騒な事には無縁だったんだから。そりゃぁ月は心が広いから竜崎さんみたいな変人でも平気で付き合えちゃうし、頭は良いし何でも出来るし、粧裕ちゃんがいたから何だかんだ言って面倒見が良いって判っちゃたけど。でもでも、竜崎さんの相手する義務なんて今だけなんだから!恋人にするならFBIの美人捜査官にしとけばいいじゃない!!何で月なのよぉ!」
竜崎さんのバカァ――― そう言って雑誌を投げた後床に座り込んでしまった海砂に、何とか動悸の治まったLは何時になく真剣で、そして混乱した視線を向けることしかできなかった。
言葉が出ない。
言葉はLの武器であり、手足のように操る事が出来ると自負していたものだったのに、今のLには彼女にかける良い言葉が見つからない。
いや、言葉はあるのだ。
だが、それを口にしてしまったら彼女と自分の仲は壊れ二度と元に戻らないだろう。最悪、月を含めた三人の仲も‥‥‥
たとえ恋愛絡みでなくとも好きな男が自分といるより別の人間といる方が生き生きしている。それを傍で見ていなければならない――― それは恋する乙女には堪らなく辛く不幸せな事で、醜い嫉妬心を育てるには十分な理由なのだろう。恋と仕事は別だと口では言いながら感情が付いて来ないのだろう。ましてや恋敵が得体の知れない、とんでもない権力を持った人間なら。
だがLにも判ってしまった、自覚してしまった。
自分は夜神月が好きなのだ。キラ容疑者として相対する時のゾクゾクする緊張感より、共に謎解きをする楽しさの方に天秤が下がってしまった。相手は男なのに、殺人鬼なのに―――
自分は正直人付き合いが好きではない。下手な方だとも思っている。もちろん言葉一つでそれを誤魔化すことは出来るし、今現在のように仕事絡みでなら極少数の人間に限り四六時中接触することも出来る。だが、その仕事絡みというのも今回の事件のように相当入れ込む事が出来る難解な代物でなければ長続きしないだろう。
その理由は単純だ。自分が相手の意見を尊重出来ないからだ。尊重している振りをして自分の意見に相手を誘導してしまうから。何と傲慢である事か。
相手の意見を尊重出来ないという事は、相手の人間性なんかどうでもいいと思っている証拠である。そんな人間と誰が本気で付き合いたい?自分だって嫌だと感じるのに。
だが、今更性格矯正なんて出来やしない。それに、探偵稼業には必要な性質だとも思っている。事実ワタリは注意らしい注意をしようとしなかった。探偵Lが取り扱う事件に甘い人間関係は必要ないと思っていたからだろう。自分でもそう思う。だから自分はこれでいい、探偵Lはこれでいい。自分を変えたいなんて微塵も思わない。
だって仕方ないだろう。自分の思考スピードについて来られる人間など今まで一人も――― ワタリは別だ。あれは長年の付き合いの賜物というやつだ――― いなかったのだから。何の説明もなく自分の考えを理解できる人間にお目にかかった事がなかったのだから。実際の態度は別にして内心見下していたとしても大目に見て欲しい。そんな自分だと判っているから今まで人前に出なかったことを誉めてくれ。人前に出て生の関係を持てば、今まで以上に相手をバカにしてしまう。そうなるよりは余程ましではないか。
「私、向こうに戻ります‥‥」
いつものように感情の起伏の少ない声でそう言うと、Lはスンスン鼻を鳴らして泣く海砂に背を向けた。
月君は私が頂きます――― 飲み込んだ言葉を口にする日はないだろう。
何処かモヤモヤする胸を抱えて、Lはメインルームへとゆっくり歩いて行った。