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天国はない、ただ空があるだけ
国境もない、ただ大地があるだけ
みんながそう思えば
簡単な事さ

夢かもしれない
でもその夢を見ているのは
一人だけじゃない
世界中にいるのさ

 

 

 

 その年のクリスマスイヴは絵に描いたようなホワイトクリスマスになった。
 そろそろ陽が落ちようかという商店街には早くもイルミネーションが光り輝き行き交う人々の目を楽しませている。彼らの表情はとても幸せそうだ。両手に余るほどのプレゼントを抱え、急ぎ足で向かう先は美味しいご馳走と暖かな笑顔で迎えてくれる家族や友達、恋人が待つ家。街はとても賑やかで幸福に充ちている。
 それは親のいない子供達が暮らす養護施設ワイミーズハウスでも同じだ。

「見たか?見たか?食堂のテーブル!」
「スゲェご馳走の山だったな!」
「ツリーの下にいっぱいプレゼントがあったよ!」

 怒られても怒られても食堂の前に集まり、そっと開けた扉の隙間から白い服を着たコック達が忙しそうに働く様子を見つめる年少組の子供達。いつもは年を取ったおばちゃんしかいないのに、何故か今日は知らない男の人達が白い帽子に白い服、白いエプロンをしてディナーの用意をしてくれている。それが彼らにはとても不思議らしい。

「今夜はお客様が来るんだって」
「お客様?」
「だから特別にレストランのシェフが来て料理してるんだって」
「お客様って誰だ?」
「この前のチャリティみたいに化粧臭いババァが来るのか?」
「知らない」
「知らな~い」

 勢いよく食堂のドアが開けられ今日何度目かの追い立てを喰らった子供達が蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。

「お客だってさ」

 そんな喧騒を遠く自主室で聞いていた一人の少年が、好奇心を隠しきれない様子で隣に座る金髪の少年に呼びかける。

「誰が来るか知ってるか?メロ」
「興味ないね。どうせ市長か、市議会議員の誰かだろ?」
「チッチッ、甘いな、メロ。お前の好きなチョコ並みに甘いぜ」
「そう言うからには、誰が来るか知ってるんだろうな、マット」

 メロと呼ばれた金髪の少年は、ノートと辞書を広げたままさっきからちっとも課題の進んでいない友人を軽く睨み鉛筆を転がした。そういう彼もどうやら勉強には飽きて来ていたらしい。
 壁を埋め尽くす本と視聴覚コーナーのボックス席が特徴的な自主室では、クリスマスイヴだというのに数人の子供達が勉強をしている。いずれも年長組の子だ。全員が少年で少女はいない。皆表情に乏しい青白い顔をしている。その中でメロとマットと呼ばれた少年は何処か悪戯っ子の雰囲気を漂わせやたらと目を引く。

「知りたい?」

 赤みの強いブラウンの髪に度の無い眼鏡が個性的なマットは周囲をチラチラ見やり誰もこちらに気を取られていないのを確かめると、クスクス笑いながらメロの少し眺めの髪を掻き揚げピアスの穴が二つも三つも開いた耳を曝け出した。
 その耳に唇を寄せそっと囁く。

「“L”だってさ」
「エ‥‥!?」

 ガタンと椅子を鳴らし立ち上がったメロは、大声でその名を呼ぼうとした自分の口を自分の手で塞ぎ、ギクシャクした動きで再び椅子に腰を下ろした。大きな音に隣の長デスクに座っていた少年がギロリと二人を睨む。

「Lって‥‥あの、Lか?」

 声を潜め半信半疑でマットに聞き返したメロは既にノートも辞書も閉じていた。

「ロジャーが電話してるの聞いたんだ。今年のクリスマスにはLが帰って来るって」
「ホントかよ」
「嘘なんかつかないって。だってキラ事件、終ったし」
「‥‥そうだったな」

 昨年から世界を騒がせていた凶悪犯連続殺人事件、通称キラ事件。謎の方法で世界中の犯罪者を殺して来た殺人鬼キラが10月の終わりにとうとう逮捕された。報道規制によりその事実はいまだ世間一般に隠されているが、世界の司法関係筋には通達が行っている。
 二人の少年が口にしたLとはそのキラを逮捕した探偵の通り名だ。世界の切り札と言われる名探偵。顔、性別、年齢、人種。全てが謎に包まれた件の探偵が何故この養護施設にやって来るかと言えば、Lもまたここワイミーズハウスの出身者だからだ。そしてそれを知る彼ら二人は ―――

「長く居るのかなぁ」
「さぁ。でも、泊まるとは言ってた」
「泊まる?マジで?」
「あぁ、ロジャーが部屋の用意させるって」
「そういえば‥‥」

 朝から通いのハウスキーパーが職員宿舎の方に忙しなく出入りしていたのを思い出し、あれはそのためだったのかと推察する。

「じゃぁ、キラの話を聞けるかもしれないな」
「だといいな」
「死んだって?」
「あぁ」
「自殺?」
「さぁ」

 メロは肩を竦めるマットから視線を逸らし周囲の同じ境遇の子供達を眺めやった。
 クリスマスだというのに遊ぶでも浮かれ騒ぐでもない彼らは、別に強制されて勉強しているのではない。したいからそうしているのだ。それはメロやマットも同じ。彼らは神の存在を信じていない。だからイエス・キリストの誕生日を祝いたいなどと思ったりしない。一緒に喜びを分かち合いたい誰かがいるわけでもない。必要なのは知識、現実をより的確に認識できる能力。
 その能力が言っている。
 神はいないと。
 友達などまやかし、全員がライバル。頼れる者は何処にもいない。己はこの広い世界に一人きりなのだと。

「ニアは?このこと知ってんのか?」
「何で俺がニアに言うんだよ。あんなやなガキ、教えてくれって言われたって教えてやるもんか」
「ふーん」

 マットの言葉に気を良くしたメロは勉強道具を使い古したデイバッグに入れ立ち上がった。

「どうすんの?」
「夕食までたった1時間だ。もしかしたらもう着いてるかもしれないだろ」
「あぁ、かもな」

 同じように急いで勉強道具をバッグに攫いこんだマットも立ち上がり、二人連れ立って自主室を出る。

「Lがクリスマスに戻って来た時、真っ先に行く場所覚えてるか?」
「あぁ、教会だろ?」
「無神論者のくせに変だよな」
「子供の頃からの習慣だって聞いたぞ」
「ワタリ、うるさいもんな」

 外に部外者の車が来れば子供達の誰かが気付く。市のお偉いさんはこれ見よがしの高級車で私設の正門から仰々しくやって来る。その情報は直ぐに子供達の間に広まり、彼らは急いで良い子に変身する。
 だがLはいつもヒッソリとやって来て、メロ達には何時来たのかちっとも判らない。だから彼には素の自分達がばれている。メロがチョコレート大好きのツッパリ君だという事も、マットが実は勉強嫌いのゲーマーだという事も。
 それはクリスマスと言う一大行事の時も同じ。Lが用意する大量のプレゼントは裏口からトラックで運び込まれ彼自身が持って来ることはない。だからプレゼントがあるからと言ってLまでいるとは限らない。手ぶらのLはいつも身一つで現れ、食堂でケーキに齧り付いている子供達の前で『メリークリスマス』と言うのだ。
 もっとも、その見た目怪しい男が世界的名探偵だと知るのは特別クラスの子供達だけだ。他の有象無象の孤児達は彼の事を、事業に成功した大金持ちの卒業生だと信じている。自分と同じ境遇の子供達に年に一度施しにやって来るのだと。ただし、毎年来る訳ではない。前に来たのは確か2年前だ。

「あ、ほら」
「ん?」

 途中誰にも見られないよう気を配り足音も忍ばせて施設内の教会へとやって来た二人は、扉の向こうから聞こえて来る微かな歌声に思わず目と目を見交わした。

 


‥‥‥‥‥‥
So This is X′mas
And what have you done
And ther year over
And a new one just begun
‥‥‥‥‥‥

 


「クリスマスソング?」
「誰が歌ってるんだ?」

 ミサは既に午前中に済んでいる。今日一日自由時間を許された子供達はもう此処に用はないはずだ。それぞれ思い思いのイヴを過ごすためそこらじゅうに散らばっている。ある者は市のイベントに参加し、ある者は友達と街へ繰り出し。
 そしてある者は自室でじっと時間を潰している。自分が親のいない境遇だと言う寂しさを噛み締めながら。

「男の声だ」
「Lか?」
「嘘、あの人がクリスマスソングなんか歌うかよ」

 メロの知る限りLと言う男は稀に見る現実主義者だ。孤児には愛情よりお金が必要だと思っている男だ。
 実際どれだけ愛情があっても先立つ物が無ければ子供は育てられない。時にはその子供を売って生活をしなければならない場合もある。そんな金の無い親に捨てられた子供がこの施設にはたくさん居て、彼らは他人の施しで衣食住を賄っている。何処へ出ても恥ずかしくない教育を受けさせて貰えるのだって、この施設に多額の寄付をしてくれる税金対策に余念の無い金持ちがいるお陰だ。
 そんな事を無表情にメロ達の前で語った男がクリスマスソングを歌うとは到底思えなかった。それが証拠に、メロは今まで一度だってLが歌っているのを聞いたことが無い。食堂にふらりと現れメリークリスマスと口にしても、決して子供達と一緒に歌わないLをメロはある意味人生の指針にしていた。Lの様になりたいと思っていた。Lの様になれば二度と惨めな思いをする事は無い、人生の勝ち組になれる、幸せになれると思っていた。
 どんなに祈ったって神は助けてくれない。誰も、何も助けてはくれない。信じられるのは自分だけ。
 神はいない ―――

「メロ!?」

 それを教えてくれたLがクリスマスソングを歌うだなんて ――― 何だか裏切られたような気がして、気付いた時にはメロは目の前の扉を乱暴に押し開けていた。

「!」

 だが、そこにいたのはLではなかった。

「お前、誰だ?」

 煌煌と明かりの灯された肌寒い教会内で壁に架かったキリスト像を眺めていたのは一人の若い男だった。いや、男というより少年と言って差し支えない年の青年だ。もしかしたら今年15歳のメロとそう年が違わないかもしれない。

「えっと‥‥君達は此処の子達だよね」
「聞いてるのは俺だ」
「メ、メロ‥‥」

 止めろって、と言うマットを無視してズカズカ近付いたメロは正面から捉えた青年の容貌に一瞬ハッとしたものの、直ぐに眉間に皺を寄せ警戒する口調で再度問い質した。

「ボランティアの学生か?それだったらもう用は無いはずだろ」
「ボランティア?あぁ、違うよ」

 ニッコリと笑ってそう答えた青年にメロの頬が無意識に赤くなる。

「ウワッ、美人」
「マット」

 黙れと目で制し青年を睨む。だが当の青年は大人達ですら臆するメロの凶悪な視線を物ともせず、柔らかな琥珀の瞳を細め嬉しそうに二人を見つめるばかりだ。

「じゃ、じゃぁ何だ?コックとでも言いたいのか?コックにしては包丁も何も持ってないみたいだけど?サンタクロースのパフォーマーでもないし。やっぱ、強盗か?」
「サンタ?強盗?映画によく出てくるよね。サンタの恰好した強盗。でも、僕今サンタの恰好してないよ?」
「てめぇ、ふざけてんのか?」
「ねぇ、君、マット?」
「え?えぇっ!?」
「それと金髪の君は‥‥メロ?」
「!」

 いきなり名を呼ばれ、二人は目を大きく見張ったまま固まった。見ず知らずの人間に自分達の名前が知られていたからだけではない、その呼ばれ方が余りに優しく、降りそそぐ視線が身を溶かすほどに暖かかったからだ。
 だから二人は素性を追求する事を忘れただただ見入った。
 院長室の壁に掛けられた宗教画を思いださせる彼に。
 綺麗だと決して素直に口にすることは出来ないけれど、多分そうとしか言い表せない青年に。

「あんた、男?」
「は?」

 マットの突拍子も無い質問に青年がパチパチ目を瞬きサラリと笑う。

「ごめんね。女じゃなくて」
「え?いや、えっと、俺は別にどっちでも‥‥」
「バカ、何言ってんだよ、お前」

 高くもなく低くもなく、耳に心地よい青年の声は決して女のものではない。体つきだってそうだ。それなりに肩幅があり逆に胸や腰には全く丸みがない。スレンダーな女性と言えなくもないが、癖の無い、笑う時ですら上品な仕草は何処かキビキビとして男性的だ。
 それでも青年が自分は女だと言えば信じてしまいそうになるのは、人形のように綺麗に整った造形のせいだろう。変声期前の少年にありがちな少女めいた容貌のまま大人になったような、それでいて軟弱さを感じさせない不思議な硬質さが彼の性別を曖昧にしている。
 形の良い小さな頭部を被う栗色の髪はいかにも手触りが良さそうだ。教会の質素なシャンデリアの光に輝く琥珀の瞳はオパールのようだし、肌理細かな肌はインドの真珠を思わせる柔和なミルク色をしている。

「もしかしてあんた、東洋人?」
「そう。日本人だよ」
「あ、何かそんな感じする。美術館で見た芸者ガールのお人形みたいだ、あんた」

 バカ!と、再度マットを詰り彼の頭を叩いたメロに青年がクスクス笑う。

「アハハ‥‥面白い子達だね。竜‥‥Lに聞いてたよりずっと可愛い」
「!L!?」
「Lだって!?」

 そして二人は更に目を丸くし言葉を失った。

「君達、次期L候補の子供達だろ?」
「!?」

 そんな事まで知っている青年に驚きだけでなく好奇心も湧いた二人は、我先にと青年に近付き逃げられないよう両側から挟んだ。
 その行動にビックリした青年は「竜崎そっくりだ」と呟き ――― 日本語だったので二人には判らなかった ――― メロとマットの顔を交互に見やった。

「あんた、俺達の事知ってんのか?」
「知ってるよ。Lもここの出身だよね」
「!そんな事まで?」
「だって本人から聞いたから」
「Lから!?」

 思わず青年の腕を掴んでいたメロは自分の行動に自分で驚き慌てて手を離した。

「メロとマットと、それからニアだっけ?候補者の中のベストスリー。違う?」

 ニアの名まで出てしまっては疑う余地はない。
 この青年はLの知り合いだ。

「あんた、Lと来たのか?」

 コクリと頷いた彼の微笑みは穏やかで胸の中がホッと暖かくなる。

「あぁ、判った。Lに会いたいんだね。ここに来ればLに会えると思ったのに、あいつじゃなくて僕がいたから気に入らなかったんだ」

 長く形の良いしなやかな指で自身の金髪を櫛梳かれメロは耳まで真っ赤になった。

「Lなら今院長に挨拶に行ってるよ」
「ロジャーに?」

 伊達眼鏡が可愛いと、指の腹でキュッと頬を擦られマットがエヘヘと笑み崩れる。

「やはりここでしたか」

 その時、奥の扉が開き銀髪の子供が顔を出した。

「読みが外れましたね。Lならもう食堂にいますよ‥‥?誰ですか?」
「ニア?」

 二人より幾分小さい少年に青年が名を呼びながら微笑みかける。

「貴方はいったい‥‥」

 その微笑に戸惑い、訝しみつつも恥ずかしそうに目を伏せる年下の少年に、二人は示し合わせたかのように鼻息を荒くし両脇から青年の腕を取り、少年、ニアが来たのとは別の扉から教会の外へと出た。

「食堂だって!あんたもLのトコ行きたいだろ?」
「え?あ、あぁ、そうだね」
「俺達が食堂まで案内してやるよ」
「そう?」

 ありがとう、いい子達だね ――― そんな事を優しい微笑で言われますます頬を赤くした思春期の少年二人は、物欲しそうに後を追って来るニアを無視して三人で楽しく話しながら食堂へと向かった。

「君も早くおいで」

 それでも優しい青年がニアを放っておけないのは仕方がない事。楽しいクリスマスイヴに大はしゃぎする子供達の声が溢れる食堂に辿り着いた時、ニアは青年のブルゾンの裾を握って離そうとしなかった。

「月君、今まで何処にいたんですか?」
「お前こそ何処行ってたんだよ。全然部屋に戻ってこないから暇で暇で‥‥」

 そんな四人を見つけたLもまた珍しい事に年少組の子供達を何人も体に貼り付けていた。

「すみません。この子達が放してくれなくて」
「フフ‥‥仕方ないね。竜崎はこの子達の大きなお兄さんだから」
「はぁ‥‥」

 あまりに珍しくて特別クラスの三人が狐につままれたような顔をしているのに青年は気付かない。

「この三人に会ったのですか?」
「うん?あぁ、教会でね」
「教会?月君はクリスチャンでしたか?懺悔でもしてたんですか?」
「違うって」

 バカなこと言ってないで、と笑う青年にも驚きを隠せない三人。世界の名探偵をバカ呼ばわりする人間を彼らはこの時初めて見たのだった。

「ディナーは?」
「今からです」
「ケーキはその後?」
「えぇ」
「竜‥‥ディナーもちゃんと食べろよ、L」

 Lの背中に張り付いた小さな女の子を抱き取り微笑む青年はまるでミカエルかガブリエルのようだ。

「天使様ですか?」
「違うよ。僕は月、夜神月。お月様って書いて月って読むんだ」
「月君、この国で漢字の話をしても‥‥それに、そんな小さい子には無理でしょう」

 頭に紙製の星型ヘアバンドを被り背中に同じく紙製の天使の羽根を付けたその子は六歳位だろうか。自分を抱っこする綺麗な青年の顔を青い目でしげしげと見つめ、少女は可愛らしく小首を傾げサンタさんに会わせてくださいとお願いした。

「moonで、light?月光?」
「lunaですか?」
「Diana?」
「バカだろ、マット」
「言い得て妙です、マット」
「L?」
「バカ言ってないで、中に入るよ。何時までもドア開けてたら、せっかくあったまってるの食堂に冷たい風が入っちゃうだろ」

 今日2度目のバカ発言に次期L候補の三人はもう驚かなかった。
 ほら、と笑顔と共に差し出された青年夜神月の手を、だらしなく鼻の下を伸ばして握り返したLに驚きはしたけれど。

「天使様はおじちゃんの天使様ですか?」
「えぇ、そうです。よく判りましたね」
「バ、バカ」

 そして3度目の『バカ』は拳骨と共に発され、頭を叩かれたLは幸せそうに青年の後を付いて食堂へと入って行った。

「あれ、Lだよな」
「みたいだな」
「見えなくてもLです」

 残されたメロ、マット、ニアの三人は呆然と立ち尽くし開けっ放しのドアから見える光景に言葉をなくす。

「Lに、何があったんだ?」
「確かキラを捕まえに、日本に行ったんじゃなかったっけ?」
「もう捕まえて、今はオフなんじゃないですか?」
「クリスマス休暇?」
「あのLが?」
「というより‥‥ハネムーンに見えなくもないですが」

 メロとマットはこまっしゃくれたニアの発言にあんぐりと口を開け、この頭でっかちのいけ好かない年下のライバルをまじまじと見下ろした。

「ニア、お前も一応美意識はあったんだな」
「何ですか?それ」

 マットがしみじみ言えばニアがしかめっ面で答える。

「だってお前、美術はFじゃないか」
「他は全てA+だからいいんです」
「俺だってそうだ!」
「いや、そういう問題じゃないから」
「ニアには負けない!お月様は俺のもんだ!」
「だから、お月様じゃなくてライト。それに、あれはどう見ても‥‥」
「何してるんですか、早く入りなさい。寒いでしょ」

 気が付くとドアの前には無表情のLがのそりと立っていた。その寝不足全開隈がやたらと目立つギョロ目と、眉なししかめっ面が相変わらず人間離れしていて怖い。いつもはそこまで思わないのに今年に限ってそう思ってしまうのは対照的ともいえる綺麗な顔を見てしまったからだろう。着ている服だって、いくらブランド物だと聞かされていても労働者階級のルームウェアにしか見えない。それなら安くても月が着ている如何にも若者らしいカジュアル服の方が断然いい。

「あげませんよ」

 追い立てるように三人を食堂に入れたLの呟きに気付いたのはニアが先かメロが先か。
 今はただ楽しいイヴを楽しむ事にしよう。

 


‥‥‥‥‥‥‥‥
And so this is X′mas
I hope you have fun
The near and the dear one
The old and the young
A very Merry X′mas
And a happy new year
Let′s hope it′s a good one
without any fear

And so this is X′mas
For weak and for strong
For rich and for the poor ones
The world is so wrong

And so happy X′mas
For black and for white
For yellow and for red ones
Let′s stop all the fight
‥‥‥‥‥‥‥‥‥

A very Merry X′mas
And a happy new year
Let′s hope it′s a good one
without any fear
War is over,if you want it
War is over now
Happy X′mas
‥‥‥‥‥

 


 その日初めてワイミーズハウスの子供達はオーソドックスなクリスマスソングではなく、イギリスの有名なロックミュージシャンが作ったというクリスマスソングを歌った。
 その単純でシンプルな歌詞とメロディは小さな子も大きな子も直ぐに覚え、彼らは美味しいご馳走をたらふく食べそれぞれのプレゼントを手に持ち、ツリーを囲んでその歌を何度も合唱した。
 歌声と共に揺れる子供達の体は暖かい幸せの波動を醸し出し、それを見守る大人達からも笑顔が絶える事はなかった。
 メロもニアも、その日は何故か素直に歌を歌った。毎年バカにして唇すら動かさなかったというのに。
 何故そんな気になったのか判らない。
 その歌詞が神様を讃えるものではなかったからかもしれない。
 だって彼らは神様なんか信じちゃいない。
 本当を言うと、その詩にあったように世界中の人々が仲良くなれるなんて思ってもいない。戦争がこの世から消えるなんて絶対信じてはいない。
 それでも、その詩を教えてくれた綺麗な人が、心からその詩を信じている、いや、そうなって欲しいと願っていると判ったから歌おうという気になったのかもしれない。
 だって、あんな優しい暖かな笑顔を向けられて、そんな事は無理だなんて言える筈がない。
 あの笑顔を悲しいものに変えるくらいなら、いくらだって歌える。いくらだって頑張れる。
 いっぱい勉強して大人になって、何時かLを手伝って世界中から犯罪を無くす。戦争だって無くしてみせる。
 あぁ、そうなったらなんて素晴らしいのだろう‥‥きっとあの人は喜んで今以上に綺麗な笑顔を見せてくれるに違いない。
 きっとLもそう思ったのだろうと、三人の子供達は輪の向かいに並んで座る二人を見つめた。
 全ての子供達を優しく見守りながら時々傍らの男を振り返る琥珀の瞳と、その綺麗な姿を片時も見失うまいとするように見つめ続ける黒い瞳と。どちらがより求めているか一目瞭然だが、琥珀の瞳もまた決して黒い瞳を裏切らないだろうと三人は思う。
 そうでなければLが自分達の事を教えるはずがないからだ。

「人間ってさ‥‥」
「ん?」

 楽しいクリスマスパーティーが終わり、プレゼントを抱えて部屋へ戻る道すがら、メロがポツリと言った。

「一人で生きられないって‥‥やっぱり、本当だったんだな」

 その言葉を聞いたマットは、世を拗ねまくっていたメロを知っていただけに内心大いに驚いたが、懸命にもそれを顔に出すことはしなかった。

「みたいだな。あのLでさえ、そうなんだからさ」
「‥‥今までのLって、何だったんだ?」
「捻くれ者?良くて、世捨て人?」
「世は捨ててないだろ。Lやってたんだから」
「でも、人嫌いだったろ?世の中バカにしてたし、拝金主義だし」
「現実主義って言えよ」

 今まで尊敬こそすれ決して貶したりしなかったLの悪口を言い合い、二人はプッと吹き出した。

「いる所にはいるんだな、あんな人」

 マットが誰の事を言っているのかメロには直ぐ判った。

「綺麗だよな‥‥」
「だな」

 あんなに綺麗で純粋ならきっと今の世の中は生き辛いだろう。
 だからLは彼を連れて来たのだろうか。世界から守るために。

「いいなぁ、L‥‥」
「無理だから」
「‥‥判ってるよ」

 マットは唇を尖らせ俯いたメロの肩に自分の肩をトンとぶつけた。

「これからだって。メロの人生は」
「‥‥マットもな」

 友達という言葉が互いの心に素直に浮かぶ。
 今までそれなりに気が合いつるむ事が多かったけれど、二人はあくまでライバルでしかなかった。
 それが今夜、二人は初めて本当の友達になったような気がした。
 友達になりたいと、心から思いあった。

 

 

 


 「死神‥‥ですね‥‥‥‥本当に‥‥いたんですね」
「竜崎!本当なのか!?僕にもノートを!」

 第三のキラと目す火口を追い詰めた竜崎達は、車の中から引き摺りだし彼の口からノートの事を知った。そして実際そのノートを触り彼らは世にも恐ろしい『死神』なる存在を目にする事となった。


 ノート
 青山
 第二のキラ
 一目惚れ
 ノート


 ノートは二冊以上存在している!
 それに気付いた竜崎が深く思考に沈みこんでいる間にノートは隣にいた夜神月の手に渡っていた。

「うぐぅぁぁ‥‥‥ぁぁぁ!」

 その途端苦しそうに呻き声を上げた月に竜崎は急に不安になり、火口から目を離し彼の様子を窺った。

「だ、大丈夫?ですか。誰だってあんな化け物に驚く‥‥」

 このノートではない方のノート‥‥上滑りする言葉の下で思考は止まらず竜崎は考え続ける。
 終っていない、終っていない、終っていない!
 ただそればかりが頭にある。そして募り続ける不安。
 早く何とかしなければ。
 何を?ノートを?死神を?火口を?

「‥‥こんなものに名前を書けば人が死ぬなんて‥‥」

 意識が月の声に引き摺られる。震え掠れた夜神月の声。手錠で繋がれたオリジナルのキラ‥‥‥

「そんなの、信じられるか?」
「え?し、信じがたいですし‥‥た、試してみるわけにも‥‥」

 俯き加減にノートを睨みつけている月からほんの少し視線を外しヘリの外にいる彼の父親、夜神総一郎に声を掛ける。再び視線を戻せば彼は傍らに置いていたノートパソコンを開いていた。

「犠牲者の名前‥‥照合‥‥」

 何故か切れ切れに聞こえる彼の声に、竜崎は自分がかなり焦っている事に気付いた。
 先程からの不安がどうにも消えない。それどころかますます膨らんでいく。
 何故だ、何が不安なんだ。
 第三のキラは確保したし、ノートは押さえた。弥海砂はLビルに監禁中。オリジナルのキラである夜神月だっていまだこうして手錠に繋いでいる。勿論もう一冊のノートは何処にあるか判らないが。
 夜神月の、いや、キラの動きさえ見張っていれば何とかなるはずだ、何とか‥‥‥

「うっ!!」
「!?」
「火口!」
「竜崎!火口が!」
「な、なんだ?どうしたんだ!?」

 その時、後ろ手に手錠を掛けられ両目を覆われた火口が突然苦しみだし倒れた。

「火口、意識不明!!」
「な、何やってるんだ!?父さん!もしここで火口に死なれでもしたら‥‥!」
「ま、まさか‥‥いや、しかし‥‥これはもう‥‥」

 コンソールに投げ出されたノート。そこに視線を走らせれば書きかけのページが見える。恐らく火口が追跡して来た警官の名を書いたものだろう。それ以外は白紙。震える手でそれを手に取り他の何処にも火口の名が書かれていない事を確認した竜崎は、真っ青な顔で外の様子を窺っている月に視線を戻した。

「竜崎!竜崎!火口が‥‥!キラが死んだ!」
「‥‥‥‥」

 キラが死んだ。キラが‥‥‥ずっと追い続けてきたキラが。
 いや、あれは第三のキラだ。自分が一番初めに目を付けたキラではない。自分を興奮の坩堝に落としてくれた冷徹非情なキラでは ―――
 何故なら本物のキラは此処にいるから。
 今も此処に、自分の直ぐ側に。

「竜崎!!」

 眼が合った。
 夜神月と。
 いや、キラと。

「キラ‥‥」
「L!!」

 瞬間、身を引き裂かれるような激情が竜崎を、Lを襲った。
 いつも真剣に、そして呆れた様に、時には楽しそうに。そしてごく偶に嬉しそうに自分を見ていた琥珀色の瞳。
 甚振っても甚振っても挫けなかったその色。その輝き。
 言葉ほど信じられないものは無いけれど、瞳ほど物言うものはない。
 それを真実知ったのは彼のお陰。
 だから判る。

「キラ」
「エ‥‥うっ!」

 無意識に伸びた拳がキラの鳩尾に埋まった。
 信じられないと言うように一瞬大きく見開かれた琥珀の瞳が、明から様な殺意を宿したままゆっくりと薄い瞼に閉ざされて行く。

「L‥‥」
「ワタリ。行くぞ」
「‥‥はい」

 操縦をワタリに代わった竜崎は気を失ったキラを抱え後部シートに移動した。

「局長!ヘリが!」
「!?竜崎!?」

 数多くの刑事、警官達と火口の死体を残し夜空に飛び立つ一機のヘリコプター。そこにLが乗っていると知っているのはほんの数人。

「竜崎。L‥‥月‥‥」

 Lの事だからノートを何処か安全な場所に保管するつもりだろうと踏んだ夜神総一郎はそれを不審に思う事は無かった。
 だからまさかそのままLに会えなくなるとは思いもしなかった。
 そして、愛する息子にも ―――

「L、言われた通りにしました」
「そうですか。ありがとうございます、アイバー」
「‥‥Lに礼を言われるとは、何だか変な気分ですね」
「‥‥‥‥」

 Lビルに戻るなり月を抱えたままヘリから降り立った竜崎は、弥海砂の監視に残していたアイバーに手伝わせ彼を再び牢獄に閉じ込めた。

「薬を打ちましたから24時間は目を覚まさないと思います。しかし、何時までこうするつもりですか?目を醒ますたび薬を打っていたのでは‥‥」
「時間は掛けません。今は私の言う通りにしてください」
「‥‥判りました」

 ベッドに寝かせた月の左手は未だ手錠で繋がれている。その先はベッドボードのパイプに繋いである。鑢か鋸でもない限り抜け出す事は出来ない。それに身に付けていた物は一切、衣服さえも奪ってあるので、抜け出せたとしても半裸は覚悟しなければならないだろう。
 それでも安心できないと薬で長く意識を奪い、竜崎はやっと肩の力を抜く事が出来たのだった。

「貴方は弥の監視に戻ってください」
「判りました」

 不意に言葉の途切れた二人の間に気まずい沈黙が流れた。

「‥‥‥」
「こんなに若くて綺麗なのに、勿体無いね」

 薄情けの如く掛けられたたった一枚のシーツ越しに浮きあがる月のシルエット。それを見降ろしアイバーが小さく溜息を漏らす。そして、突き刺すような視線を感じながら何でもないかのように牢獄を後にする。
 その足音が遠ざかるのを待って、竜崎もまたそこから出た。鍵は当然自分で掛け、ついでに暗証番号も変える。これでワタリも直ぐにはこの部屋へ入る事は出来ない。
 そうして一時の安心を胸にした竜崎はメインルームへと戻った。だが、戻ってから最初にした事と言えば、事件の事後処理でもなく、月を、いや、キラを閉じ込めた牢獄の監視カメラのスイッチを入れる事だった。

『竜崎、言われた通りノートの成分分析に入ります』
「ワタリか?」

 暫くしてワタリから連絡が入った。

「ついでに筆跡鑑定と指紋採取も行なって下さい」
『判りました。けれど、おそらく竜崎が恐れていらっしゃるような結果は出ないと思いますよ』
「‥‥私が、何を‥‥恐れていると?」
『L‥‥』

 判っている、判っているのだ。

「ラ‥‥キラがそんなヘマをするとは私も思っていません。しかし、念には念を入れて‥‥」
『判りました』

 通信が途絶え再び静かになった室内で竜崎はゆっくりと息を吐き出した。ギクシャクした動きで床に付いていた両足を椅子の上に上げ、いつもどおり両手で抱え込む。

「お前は‥‥何故、ここにいる‥‥」

 だが一人ではない。一人になりたいのに、見たくもない奴がいる。

「死神‥‥」

 竜崎はいつも以上に隈の酷い、まるで今にも飛び出しそうなギョロ目で斜め前に存在する異形の輩を睨み上げた。

「死神だろう?」
『あぁ、そうだ。よく判ったな』
「‥‥判らないはずがない。殺人鬼キラの側にいる化物といえば死神と相場が決まっています‥‥」

 知らず知らず銜えたのは右の親指。それは既に爪の先がボロボロになっている。
 白い死神は骨と皮で出来ているように見えた。異形に有りがちな三日月のように細い瞳と巨大な陸蛭を思わせる髪の房の先にだけ色があるように見えた。
 その両腕は鞭のように細く長い。猫背の姿が何だか自分を皮肉っているようで、竜崎はこいつが嫌いだと何度も口の中で呟いた。
 竜崎は自分の目で見た事しか信じない。自分の思考と結論しか信用しない。
 死神などとても信じられない存在だ。こうして目の前に敢然と存在していても俄かには信じがたい。あのノートだってそうだ。
 だがしかし‥‥‥!

「何故、ここにいる」

 再度そう尋ねると、

『キラが死んだから』

 と、その白い死神は答えた。

「‥‥火口を殺したのはお前か?」
『いいや』

 ギリリと音を立てて竜崎の歯が爪に食い込む。

「では、誰が殺した?」
『さぁ‥‥』
「さぁ?」
『私は知らない』

 のそりと死神が動いた。上から覗き込むようにして見つめられイライラが募る。

「用がなくなったから殺したんじゃないのですか?」
『用とは?』
「火口を第三のキラに仕立てて私の目を夜神月から逸らそうとした。あわよくば火口を本物のキラに仕立て容疑を晴らすつもりだった。違いますか?」
『知らない』
「では、あの黒いノートは何です?」
『あれは私のノートだ』
「本当にあのノートに名前を書くと、名前を書かれた人間は死ぬのですか?
『あぁ。死神のノートだからな』
「死神のノート‥‥では、あれはお前の‥‥」
『だから言っている。あれは私のノートだ。それを私が火口に与えた』

 死神はただ見るだけで他には何もしようとしない。

「何故‥‥?」
『‥‥退屈だったから』

 死神のふざけた答えに竜崎は目を剥き、鈍い光を放つ床にじっと視線を注いだ。

「‥‥あれに書かれていた、ルール?あれは本当の事ですか?」
『あぁ』
「ノートは他にもあるのですか?」
『あぁ』
「あのルールは他のノートにも当て嵌まるのですか?」
『どのノートも全て同じルールだ』

 竜崎は死神の言葉を聞きながら手に入れたノートの黒い表紙の内側に書かれた恐るべきルールに思い巡らせた。
 そして裏表紙のルール ―――

「火口は死んだ、心臓麻痺で。誰かが死神のノートに名前を書いて殺したのです。お前でなければ本当のキラ。もう一冊のノートの持ち主‥‥」

 様々な思いが脳裏を過ぎる。
 弥海砂はずっと此処、Lビルにいた。一人だったとはいえ、アイバーがずっと監視していた。タイミング良く火口を殺すのは不可能。それに弥はノートを持っていない。

「目‥‥目とは何ですか?」

 竜崎は顔を上げもう一度死神を見た。

「もしかしたらそれは、顔を見ると名前の判る目ですか?」
『‥‥その通りだ』

 少しの沈黙の後、死神はそう言って無数の監視モニターに目をやった。

「それはどうやって手に入れ‥‥」

 白い死神は竜崎に背を向けている。まるで彼の存在など忘れてしまったかのように。

「彼が気になるのですか?」

 死神がゆっくりと振り返る。

『お前は見ていても楽しくない』
「?」
『死神にとって人間など取るに足らぬ存在、ただの暇潰しに過ぎない。だが、死神にも人間の好き嫌いはある』
「好き‥‥嫌い‥‥」
『美醜が判ると言ってるんだ』

 あぁ‥‥と、そこだけ納得して竜崎もモニターに目をやった。その一つに弥海砂も映っている。
 取り敢えず鎖からは解放された彼女は、今は自分の部屋に監禁されている。勿論中から鍵は開けられない。元から電話、TVの類は置いてない部屋だ。外部と連絡を取る事は出来ない。また、隣の部屋には何時何が起きても良いようにアイバーが待機している。
 さっきまでは硬く閉ざされたドアを蹴ったり叩いたりしていた彼女は、今は大人しくベッドに寝転がっている。緊張が続いた上に鎖で椅子に縛り付けられたのだ、肉体的疲労はピークに達しているのだろう。マイクが拾った彼女の声は竜崎への文句と月を気遣う言葉ばかりである。
 そして、残りのモニターには夜神月が、キラが映っている。

「お前の好みはどっちだ?死神」
『少なくとも、お前ではないな』

 夜神月と弥海砂は人間の中でも見目のよい部類に入る。それに引き替え自分はお世辞にも美しいとは言えない。それくらいとっくに知っている。

「お前も私の好みではない‥‥」

 死神の言葉を軽く笑い飛ばした竜崎は、何時の間にか自分の視線が月の映るモニターに集中している事に気付いていなかった。

「お前達死神は‥‥自分の気に入った人間にノートを与え、その人間がノートの力に溺れて行く様を‥‥観察するのが趣味なのか?」
『‥‥趣味という訳ではない。言っただろ?退屈だったと。ほんの気紛れだ』

 死神はモニターから視線を外すと今度は珍しそうに部屋の中を見回し始めた。

「その気紛れのせいで‥‥」
『人間が何人死のうと私には関係ない。人間が人間を殺す。その理由が何であれ、方法が何であれ、私には関係ない。人間とは、何の理由もなく同属殺しが出来る愚かな生き物だ。そんな人間のやる事に死神である私がどんな責任を負うと?』
「お前のノートがなければ‥‥」
『ノートを手にしても使わない人間は幾らでもいる。殺す前から恐怖に震え上がりノートを捨てる者、面白半分にノートに名前を書き、それが本物だと判るや慌てて捨てる者。私利私欲に走る者も、顔も知らない赤の他人のためにノートを使う者もな』
「それは‥‥」
『いずれにしても、人間は愚かだ。だが、それだからこそ、いい暇潰しの種になる』

 竜崎はギリリと歯を食いしばりささくれ立った指先を自分の唇に押し当てた。

『あの男は死んだ。あのノートは今やお前のものだ』
「!私は使いません!」

 死神が笑った。反射的に叫んだ竜崎を見もしないで。

『何度でも言う、人間は愚かだ。そしてお前も人間だ』
「使わないと言ってるでしょ!」
『ノートを使えばお前はキラを逮捕できる。いや、始末できる』
「え?」
『あの男の名前を書くだけでいい。自分はキラだと自白した後、此処から脱走しようとして失敗、自殺したとでも書くんだな。それだけで全て丸く収まる。お前の名声は保たれる。いや、更に増す。どうだ?素晴らしいだろう?』
「‥‥‥‥」
『その後は、好きにすればいい。ノートを使って嫌いな奴を殺すも良し、下らない正義とやらのためにキラのように犯罪者を殺すも良し。あぁ、だがそうするとキラを始末した名誉は失われるな。ならば心臓麻痺以外で殺せばいい。そうすれば誰もキラが復活したとは思わない』

 こいつは死神ではなく悪魔ではないかと竜崎は思った。人間を誘惑する悪魔‥‥‥‥

「私は‥‥そんな事はしません‥‥」
『声が震えているぞ。L』

 名を呼ばれ竜崎はハッと顔を上げた。
 死神の顔は笑っていなかった。その表情に全く変化は見られない。それでもやはり笑っていると竜崎は思った。

「も‥‥もう一冊のノートは‥‥何処にあるのですか‥‥?」
『何の事だ?』
「言ったでしょ。ノートは他にもあると。ノートは、少なくとも二冊あるはずです」
『死神界に行けばノートは幾らでも存在する』
「!死神‥‥界」
『此処を仮に人間界と呼ぶなら、死神のいる世界は死神界だ。私の故郷だな』

 想像を超えた現実に眩暈がしそうだ。

「わ、私が言っているのは‥‥に、人間界にあるノートの事、です」
『さぁ、知らない。私は私のノートの事しか知らない』
「ならば、お前以外の死神がノートを持って‥‥」
『人間界に今いる死神は私だけだ』

 微妙な言い回しにやっと竜崎は光明を見出した気がした。だが,果たしてそれは本当に光明なのか‥‥‥

「では、過去に‥‥ここ一年以内にお前‥‥貴方以外で人間界に来た死神は‥‥」
『知らない。死神は人間と違って群れたりしないからな。他の死神の事など気にもしない』
「それならどうして今此処にいる死神が貴方一人だと言い切れるんです?」

 竜崎はほんの少し椅子の上で身を乗り出し死神を見た。

『‥‥私が異端だから』

 死神は少し考えるような素振りをして、それから竜崎に背を向けた。

「異端?」
『死神は此処へは来ない。人間界は死神界から覗き放題だから、本来来る必要がない。私は異端だから直に愚かな人間を見てみたいと思った。だから来た。それに、私以外の死神は人間界へ来る手段を持たない』
「それはいったい、どんな方法‥‥」
『人間に教える義理はない』

 光明は消えたのだろうか。

「‥‥‥」

 第二のキラ、弥海砂が示唆した二冊目のノート。目の前の死神は知らないという。その口ぶりはそんな物は存在しないとさえ言っている。
 そして、互いの死神を見せ合おうとも言った第二のキラ。
 死神がキラの能力をさす言葉ではなく、本当の死神だったと判った今、死神は二人いなければおかしい事になる。そして、二人いるのなら、ノートが二冊あるのが順当ではないか。だが、目の前の死神は他の死神はいないと言う。他の死神は人間界へ来る事さえ出来ないと。
 勿論、死神の言葉が真実だという保証は何処にもない。そもそも信じる謂れはない。死神は言った。人間はいい暇潰しだと。そんな死神の言葉を信じる方がおかしい。
 だが、今はその死神しかこの事件の謎を解く鍵が存在しない。
 第三のキラ、火口は死んだ。誰かがノートを使って殺した。目の前の死神か、それとも第四のキラか。少なくとも第一のキラ、オリジナルのキラでないことは確かだ。何故なら彼は、夜神月はノートに何も書いていないのだから。それを知っているのは他ならぬ竜崎だ。

「私は‥‥」

 第一のキラ、オリジナルのキラ。竜崎が夢中になって追い続けた希代の殺人鬼、美しき犯罪者。
 捕まえたと思った瞬間、雲か霞のように消えてしまった。その存在その者が初めから幻であったかのように。
 代わりに、あの清らかな青年を残して‥‥‥


このノートに名前を書き込んだ人間は
最も新しく名前を書いた時から
13日以内に次の名前を書き込み
人を殺し続けなければ
自分が死ぬ

 

 ワタリに預ける前に確認した死神のノートのルール。
 あれが本当なら50日間以上牢獄に繋がれ監視されていた夜神月と弥海砂はキラではないという事になる。
 自分の推理は間違っていたのか?夜神月は本当にキラではないのか?
 あぁ、いや、あれは‥‥あの青年はキラではない。それぐらい自分にだって判る。認めていない訳じゃない。そう、ただ、今だけキラが消えているのだ。それだけだ。

「私は‥‥!」

 キラが消えてしまった夜神月。キラでなくなった夜神月。
 キラの記憶を失った、キラになる前の夜神月。
 それはキラ同様強く賢く、硬く柔らかく、しなやかに逞しく。そのくせ信じられないくらい清らかで純真だ。
 触れば切れそうな、抱き締めれば凍りつきそうな、そんな絶対零度の美しさを持っていたキラとは似て非なる存在。
 キラがナイフの鋭さを隠し持つブラックダイヤモンドなら、夜神月はその名の通り穏やかな夜を見守る月の光だ。探偵としてどちらに興味をそそられるかと言えば答えは決まっている。ご多分に漏れず竜崎もそうだった。キラに夢中だった。
 硬質な輝きを放つ何を考えているかちっとも読めない琥珀の瞳を見つめながら会話しているだけで興奮を覚えた。キラの事を考えただけでゾクゾクッとする何かが背筋を這い上がり、何度も逮捕の瞬間を夢に見、あまつさえ夢精まで経験した。
 数多くの事件に関わり数多くの犯罪者を調べて来たが、キラほどアドレナリンを分泌させられ睡眠を奪われた輩はいない。キラを捕まえるためなら命だって惜しくない、そう思えるほど気持ちが高ぶった。だから尚更、夜神月の中からキラが消えたと確信した時の失望感は大きかった。全くやる気を無くした。探偵業に手を染めて以来初めてのことだった。
 あんな、生真面目で正義感が強いだけの青年など面白くも何とも無い。ストリートギャングの窃盗事件よりつまらない。それでも手錠で繋いでいるのは何時キラが戻って来るか判らないからだ。こうして置けば何時キラが戻って来ても直ぐに判る。その自信が自分にはあった。
 そして、その勘は当たった。
 当たってしまった‥‥‥

「教えてください‥‥死神」

 交差するサーチライト。ひしめく警官の群れ、群れ、群れ。
 その中で第三のキラが死んだと判った時、振り返った先に熱望して止まなかった酷薄な瞳の輝きを見出した時、竜崎は自分の理性が呆気なく感情に呑み込まれる音を聞いた。
 それは人の腹を打つ鈍い音だった。恨みがましく自分の名を呼ぼうとした愛しい犯罪者の声だった。
 そして、両腕に倒れこんで来た重みは胸が切なくなるほど暖かかった。

「私は‥‥真実が知りたい」

 愛しい犯罪者。この手で死刑台に送ってやると誓った殺人鬼。
 けれど腕の中のその人は、大都会の人工燈に霞んだ闇夜の向こうにきっとあるはずの、儚く淡い月の光の面影を確かに湛えていた。
 その面影を、温もりを、お前は永遠に失うのだと、自分の理性が淡々と囁くのを竜崎は聞いた。
 そして、ヘリに乗る前から感じていた不安が何だったのかを正確に悟った。

「月君が‥‥夜神月が、第一のキラなのか‥‥私は‥‥私は、それだけが知りたい」

 どんなに言葉で詰っても貶しても挫けなかった。時には理不尽な暴力を振るっても決して怯えたりしなかった。怯みもせずむしろ堂々と立ち向かって来た。
 嫌われて当然の事ばかりして来たのに、まるでそんな感情など初めから持ち合わせていないかのように、彼は何時いかなる時も誠実だった。
 妹がいるせいか妙な所でお節介で世話焼きで、怒りの感情が長続きせず落ち込んでいる時も人を心配させまいと笑顔を絶やさなかった。
 他人の迷惑になるのを何より嫌い、人に何かするのが楽しくて仕様がないかのようだった。

「教えて、ください‥‥死神。彼は、キラなのですか?キラだったのですか?‥‥そして今も、キラなのですか?」

 こんなバカな人間見たことない ――― 眇めた目でそんな彼の様子を一日中観察していた竜崎の、それが素直な感想だった。それと同時に彼はキリストの『右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ』と言う言葉を思い出していた。
 勿論夜神月はそんな真似はしない。それどころか逆に手が早い。殴り合いの喧嘩になったことは一度や二度ではなかった。だが、彼の心は‥‥‥
 あの言葉を初めて聞いた時、何馬鹿なことを言っているのかと思った。意味が判らないとも。争いを避けるための極意?無抵抗主義?そんなものは偽善だ。人は所詮自分が一番大事なのだ。形だけそんな事をしても、いざとなったら人はあっさり人を裏切る、己さえ裏切る。
 そう、死神の言うとおり、人間は愚かな生き物だから。
 けれど彼を、夜神月を見ていると、どうしてもあの言葉を思い出してしまう。あのバカバカしい言葉を。
 夜神総一郎にも似たような感想を抱いたが、彼とは仕事上の付き合いしかなかったし、それ以外で興味を引かれなかったから気にもしなかった。彼のように融通の利かない人間は探せば結構いる。仕事バカな男は特にそうだ。
 けれど夜神月は違う。彼とは仕事だけの関係ではなかった。手錠で繋がれていたから24時間、私生活も常に一緒だった。
 そうして知った夜神月の実像。たった一週間の監視で判ろうはずも無かった人となり。
 自分に付いて来られる知性に感心したのは初めだけ。その後はただ‥‥‥彼に魅入られた。
 彼の曇りの無い瞳に、竜崎と言う偽りの名しか教えない自分をそれでも有りのままに見つめる彼の澄みきった瞳に夢中になった。
 憧れの探偵だと尊敬の眼差しを向ける瞳。キラの犯罪について熱く語る正義感に満ちた瞳。
 もっと真面目にやれと本気で怒る瞳。自分はキラではないと憤慨する瞳、詰る瞳。
 私生活において余りに無能な竜崎を困った奴だと微笑む瞳。寝物語に過去に携わった事件の話をしてやれば、寝るのも忘れて聞き入る好奇心にキラキラ輝く瞳。
 ほんのちょっとした拍子に『ありがとう』と言うと、『どう致しまして』と嬉しそうに応えた瞳。
 自分は嘘で塗り固めていると言うのに、彼は ―――

「どうしたら‥‥どうしたら取り戻せるのですか?彼を‥‥月君を‥‥!」

 彼はもういない。真実しか持っていなかった夜神月はもう何処にもいない。
 私はそんな彼を信じないまま、いいや、信じていると伝えないまま失ってしまった。キラに奪われてしまった。

「私は彼がキラであって欲しかった。彼はまさに理想的なキラだった。事実キラだった‥‥けれど、けれど‥‥!私はもう一度彼に会いたい!彼に、夜神月に‥‥!」
『それで?会ってどうするのだ?お前はキラだと責めるのか?』

 真上から唐突に降って来た死神の声にのろのろと顔を上げた竜崎は、自分が何時の間にか椅子から転げ落ち冷たい床に丸くしゃがみ込んでいるのを知った。
 犬のように四つん這いになり、ささくれ立った爪で床を引っ掻き、泣いてはいなかったが自分の心は泣いていると竜崎は思った。

『キラを捕まえたいのだろ?火口が死んでしまったから、代わりのキラが欲しいんだな』
「ち、違います‥‥!私は、ただ‥‥」
『どう違う?お前はLなのだろう?キラ逮捕に自分の命まで賭けた世界的な名探偵。そんなに形が欲しいか。名が欲しいか。名誉が、金が欲しいか。それとも知的好奇心の充実というやつか?くだらない。やはり愚かだな、人間は』

 白い死神がすっと身を引く。もう竜崎には興味ないとばかりにモニターを見つめ壁へと向かって歩き出す。

「ま、待ってください!ノートを使います。私がノートを使いますから、教えてください!」

 不意に死神が夜神月を連れ去る場面が脳裏に浮かび、竜崎は我知らずそんな事を口走っていた。

「私がノートを使って貴方の退屈を紛らわせます。だから教えてください!夜神月がキラなのかどうか!」

 もちろん本当に第四のキラになるつもりはない。だが、死神の気を引くにはその手しか思い浮かばなかった。
 案の定動きを止めた死神はゆっくりと竜崎を振り返り、面白いものでも見るかのようにシゲシゲと彼を眺め下ろした。

『それで?夜神月がキラだったら捕まえて殺すのか?やはりそれが望みか。だったらそんな面倒な事しないでノートに今直ぐ奴の名前を書け』
「ち、違う‥‥!」

 違う違うと、何度も呟いて竜崎は自分の額を床に打ち付けた。

「私は夜神月を‥‥月君を取り戻したいんです。ただ、それだけなんです‥‥!」

 あの彼を、色眼鏡無しで自分を見つめてくれる彼を取り戻したい。もう一度会いたい。もう一度、あの笑顔を見たい。
 探偵のLも、ただの人間竜崎も、何の打算もなく嘘偽りなく見つめてくれる彼に、彼を‥‥夜神月を微笑みと共に抱き締めたい!

「ただそれだけなんだ‥‥!」

 額に滲んだ血が床と同じくらい冷たくなった頃、バサリという不思議な音がした。

『ならば質問が違うのではないか?』
「‥‥え?」

 恐る恐る顔を上げると、白い死神は白い紙の様な羽根を広げて天を仰いでいた。

『お前が本当に私から聞きだしたい真実は何だ』
「‥‥‥‥」
『その内容次第では教えてやらないこともない。ただし、こちらの条件も呑んで貰うがな』

 死神の体が一瞬ふわりと浮いた。そして再び床に足を付いた時、死神の大きく裂けた口は確かに笑っていた。

『私は夜神月を知らない。何を考え何をしたいのか。私は死神であって人間ではないからな。だが、夜神月についてこれだけは知っている』

 まるで神託を聞くような気持ちで竜崎は死神の言葉に耳を傾けた。

『夜神月の心がとても綺麗で純粋だと言う事だ。純粋故にキラになり得た。そして、純粋故に己を許せない』

 恐怖の雷が竜崎の体を貫いた。

『お前はどうだ?お前の捻くれた心は、その心同様真実を捻じ伏せる事が出来るか?』

 もはや、夜神月がキラであるかどうかは重要ではなかった。故に死神の言葉に隠された真実に竜崎はあっさりと目を瞑った。

「‥‥出来ます」
『それでこそ、人間だ。エル・ローライト』

 自分の本名を死神に看破され竜崎は覚悟を決めた。

『私の名はレム。さぁ、問え、人間。お前が最も知りたい事を私に聞くがいい』
「‥‥‥私が知りたいのは‥‥」

 それは2004年10月29日、夜明けにはもう少し間がある時刻の事だった。

 

 

 


 「月君、月君!何処ですか?」
「L、彼なら音楽室にいましたよ」

 職員棟に宛がわれた部屋からノッソリ顔を出したLは、誰もいない廊下に向かって探し人の名を叫んだ。それに応えてくれたのは当人ではなく、大きな箱を抱えた院長のロジャーだった。

「音楽室?」
「子供達に歌を教えてくれとせがまれていたみたいでしたね」
「‥‥‥」

 それを聞いた途端渋い顔をしたLにロジャーは信じられないものを見たと言うように驚き、思わず抱えていた箱を取り落とした。幸い箱の中身は空だったが、それを拾ってやるでもなく、Lはジーンズのポケットに両手を突っ込み、真冬にも拘らず裸足にスニーカーを引っ掛けた恰好で学舎の方へと歩き出した。

「変われば変わるもんだ」

 その後姿を見送り、ロジャーは年末の後片付けのために用意した箱を拾い上げた。
 何の前触れもなくLがかの青年を連れてワイミーズハウスに現れたのはクリスマスイヴ当日だった。
 昨年から世界を騒がせているキラ事件。それを引き受けたLに休日はなく、今年はクリスマスに顔を出せないかもしれないと前々から連絡があった。それが1週間前になっていきなり大量のプレゼントが届き、客を一人連れてイヴに帰ると本人から直接電話がかかった。
 突然の訪問はそう珍しい事ではない。だが、いつもワタリ経由で連絡してから本人が来ていたので、これは非常に珍しい事例だと言えた。
 しかも客連れ。カウントダウンもハウスで迎えると言う。珍しいどころか、全く初めての事だ。
 人嫌い ――― 特に子供嫌い ――― のLがハウスを訪問するのは本人の意思からでは決してない。ワタリこと、キルシュ・ワイミーにそれが先輩たるものの義務だと言われるからだ。ワタリもそれが本音ではなく彼に人間らしい触れ合いを望んでの事なのだが、生まれのせいか優秀すぎる頭脳のせいかLは他人に全く興味を持たず、己の感情にすら見向きもしなかった。
 不幸な生まれだから何だと言うのか、それが嫌ならそこから這い上がる努力をすればいい。己の不幸に酔いしれ何もしないで嘆くだけの輩に同情してやる必要はない。ましてや犯罪に走る者など論外だ。
 そう言って憚らないLは何時からか犯罪事件の謎を解く事に無類の興味を示すようになった。若者の才能を伸ばすのも先達の務めだと、ワタリはLに探偵の道を進めその手伝いをする事にした。
 それ自体は間違っていなかったと今でも思っているが、やはり何処かで何かを間違ったと後悔したのも確かだ。
 探偵となったLはますます人間嫌いに拍車が掛かってしまったのだ。それに対するワタリの、キルシュ・ワイミーの嘆きをロジャーは何度も聞いた。
 犯罪を犯す人間の動機や心理に精通はしてもLはそれに理解と同情を示す事はなかった。口では幾らでも善良で清廉な言葉を綴る事はしても、その目は常に冷めていた。
 そして今や世界の切り札とまで言われるようになったLだが、ワイミーの目から見てもロジャーの目から見ても、お世辞にも孤児達の手本となる人間に成長したとは言い難かった。
 正直ロジャーは特別クラスの子供達にLを見習って欲しくなかった。出来ればあの子達には普通の教育を受けさせたいとも思っている。
 一教育者としてLには言いたい事が山ほどあるのだ。
 貴方の理屈は強者の、勝者の理屈だ。人間のほとんどは貴方のように強くはないし、強運にも才能にも恵まれていない。弱いから犯罪に走り、弱いから助け合うのだと、そう言いたかった。だが悲しいかな雇われの身にそれを言う事は出来なかった。ロジャーもまた己の保身第一の弱者だったから。
 それに特別クラスの子供達は特別だからこそ大事にされるのだ。その能力を認められ、その能力をより伸ばせるようにと他の養護施設では到底無理な高水準の教育を受けさせてもらっている。その教育自体は決して悪い事ではない。それに、特別扱いに慣れたあの子達を今更普通に扱う事は難しかった。それこそ捻くれて犯罪に走るかもしれない。
 それに何と言っても、特別クラスの子供達にとってLは憧れの対象、生きる目的だ。Lが特異であればある程それは強くなる。
 他人より優れていれば好き勝手して構わない ――― そんな認識が子供達に植え付けられて行くのをただ見ていなければならない自分の無力さに、ロジャーは既に諦めの境地に達していた。
 それがどうだろう。
 長引くと思われたキラ事件が急転直下解決し一年ぶりに姿を見せたLは、ロジャーをして偽者ではないかと言わせしめるほど別人になっていた。
 表面上は以前と変わりない。だが、子供達への態度に微妙な変化があった。子供の遊び相手になるLなどロジャーはこの時初めて見たのだ。Lの苦笑いと言うものも初めて見た。
 そして、その視線の先に必ずかの青年がいる事に気付いたロジャーは、抑え切れない好奇心に負けてキルシュ・ワイミーにLの客人について尋ねていた。
 返って来た答えは大学の友人。
 大学どころか博士課程もとっくに修了しているLが何を今更大学に?と思いながらも、Lの明から様な好意は大変好ましいものとしてロジャーの目に映った。まるで初恋に途惑う思春期の少年のようではないか。
 あぁ、Lも只の一人の人間だったのだなとしみじみ思い、Lの変化をロジャーは嬉しく思った。
 そして、Lにこの変化をもたらした青年に感謝の気持ちさえ抱いた。
 あれから一週間。
 クリスマス休暇でめっきり人手の少なくなったハウスに留まった二人は何くれとなく子供達の面倒を見てくれた。勿論その大半はLの友人、夜神月の仕事だった。Lはといえば生まれたばかりの雛鳥のように彼の後を付いて回り、時々思い出したように『月君、私も手伝います』と言っては、彼の仕事を増やしていた。
 それを叱り後始末する彼の瞳は、だがいつも優しい。その絶える事の無い微笑みは子供達を見守り、そしてLに注がれている。
 夜神月。
 彼がいったい何者なのかロジャーは知らない。
 けれど、かの青年が外見だけでなく心も綺麗な人間だと言う事は知っている。彼の周りに集まる子供達の笑顔がそれを物語っているから。

「ニアやメロも、誰か大切な人が見つかるといいんだがな」

 昨晩キルシュ・ワイミーがワタリを引退する旨を仄めかした時、ロジャーには直ぐにピンと来た。
 彼は夜神月を自分の後継者に望んでいると。
 きっと彼ならLを名探偵としてだけでなく、一人の人間として支えてくれるだろう ――― ワタリにしかなれなかったワイミーのそれが一番の心残り。
 ロジャーは自室に戻るとデスクに散らかった書類を持って来た箱に詰めた。窓を開ければ今年最後の夕暮れの風がそっと吹き込んで来る。

「あぁ、みんなが歌っているな」

 中庭を挟んで向かいの棟は子供達が暮らす学舎だ。既に学校は休暇に入り、住み込みの職員の大半は旅行に行ったり家族と年を明かすべく家に戻ったりしていない。通いの者も同じだ。残っているのはコックぐらいだろう。
 だが、親のいない子供達には他へ行く所がない。彼らは互いに協力し合い、学校が始まるまでの数日間を自分達だけで乗り切らなければならなかった。
 毎年の事とはいえ子供達には淋しい思いをさせると、ロジャーは鼻白む。
 冬の寒さに窓の閉ざされた教室の一室から、ピアノの音が微かに風に乗って聞こえて来る。子供達の楽しそうな歌声も。
 その歌を教えたのはかの青年だろう。この施設にあんな歌を教える者はいない。
 ロジャーはその歌を良くは知らなかったが、悪くないと思った。


Imagine there's no heaven,
It's easy if you try,
No hell below us,
Above us only sky,
Imagine all the people
living for today...

Imagine there's no countries,
It isn't hard to do,
Nothing to kill or die for,
No religion too,
Imagine all the people
living life in peace.

Imagine no possesions,
I wonder if you can,
No need for greed or hunger,
A brotherhood of man,
Imagine all the people
Sharing all the world...

You may say I'm a dreamer,
but I'm not the only one,
I hope some day you'll join us,
And the world will live as one.

 

 音楽室には5~6人の子供達が集まり、ピアノを囲んで歌を歌っていた。
 それはとてもゆっくりとした単調な歌だ。クリスマスイヴに歌った歌同様シンプルで同じ歌詞の繰り返しが多い。
 メロディもまた単調で、最後のフレーズで少しばかり高いキーが歌われるが、変声期前の子供達にはそれが反って面白いらしい。

「共産主義の歌?」
「バ~カ、平和主義者の歌だよ」
「どちらにしても現実には有り得ない歌詞です」
「いいじゃんかよ。夢見たって」
「理想だけで人は生きていけませんよ」
「お前なぁ‥‥」

 そして少し離れた席に座っているのはメロとニア、それにマットの三人。

「クリスマスの時も思いましたが、月さんは理想主義者のようですね」
「夢追い人と言えよ」
「それもどうかと思うぞ、マット」

 ソプラノに混じって聞こえるのはテノールの美しい声。子供達に囲まれピアノを弾いているのはLが連れて来た青年、夜神月だ。そして今みんなが歌っている歌を教えたのも彼だ。

「‥‥‥♪」

 覚えやすい歌だった。メロがついつい口ずさんでしまうほど。

「意外に歌が上手いんですね、メロ」
「!う、うるせぇ!」

 小声でニアを怒鳴ろうとした時、後ろのドアを開けてLが入って来た。

「あ、エ‥‥」
「L」

 逸早く気付いたマットがその名を呼ぶ前に、ピアノを弾く手を止めないまま月がLに笑いかける。そんな彼に手を振って応えたLは三人の後ろにのっそりと腰を下ろした。

「やっぱなぁ~」
「?何がやっぱりなんですか?マット」
「ガキは黙ってろ」

 メロに小突かれむっと唇を尖らせたニアだったが、後ろの席に座ったLには見向きもせず再び月に視線を戻す。

「L、月って歌が上手いんだな。それにピアノも」
「みたいですね。今日初めて知りました」
「何だぁ?それぇ」
「月君には驚かされっぱなしです」
「でもさぁ、良いの見つけたよなぁ、Lは。羨ましい‥‥」
「‥‥それはどういう意味ですか?メロ」
「まんまの意味」
「ませてますね」
「俺、もう15だし」
「‥‥無駄に色気が出てくる頃ですか」
「メ、メロもLもその辺で‥‥」

 流れる歌声にうっとりと聞き惚れる年上三人は互いに目を合わせないままそんな刺々しい会話を交わす。

「でも、ほんとマジで羨ましい。あんな綺麗な歌を毎日聞けるなんてさ」
「俺もそう思う。月の歌が毎日聞けるんだったら、俺もLになろうかなぁ」
「マット、お前Lになるのは止めてゲーム会社創るんじゃなかったのか?」
「う~ん‥‥月が秘書になってくれるんならそっちでいいけど?」
「‥‥あげませんから」
「ケチ」
「うるさいですよ」
「黙れ、ガキ」

 一番年下のニアは何処か置いてきぼりで、むくれた頬の大きさが先程の倍に膨らんでいた。

「バカじゃないですか?あんな歌の何処がいいんです?」
「いい歌じゃん」
「私は嫌いです」
「そうかよ」

 だったら何故此処にいるんだとは言わず、メロは歌い終え同じ特別クラスの年少者達に話かけている月の動きを目で追った。

「彼は現実を知らない」
「ニ、ニア‥‥」

 マットがLを気にしてそれ以上の発言を止めようとするが、

「苦労知らずのお坊ちゃまだから、あんな非現実的な歌が歌えるんです」

 ニアは意に介さずそう口にした。

「彼はあれで良いんですよ。それと、月君の名誉のために言っておきますが、彼は決して苦労知らずではありません。そりゃあ生きる為の苦労というものは未経験ですが、精神的には十分苦労しています。現実を知らないのは貴方の方ですよ、ニア」
「‥‥貴方が何故彼を選んだのか私には判りません」
「そうでしょうね。貴方はまだ何も知らない子供ですから」
「‥‥‥」

 共に月から決して視線を外さないまま二人はそんな会話を交わした。

「世の中、私や貴方みたいな人間ばかりだと、あまりに殺伐としすぎる。そうは思いませんか?ニア」
「その方が無駄な争い事が減ります。世の中バカが多いですから」
「否定はしませんが、私はそんな世界‥‥嫌ですね」

 一瞬信じられないとばかりにニアがLを振り返る。メロとマットも同じように目を丸くして偉大なる先輩を見つめた。

「貴方ももっと大きくなって、多くの事を経験すれば判りますよ」
「私はもう十分大人です」
「知識だけはね」

 暗に未だ未だ子供だと言われニアはむっつりと押し黙った。
 一方、曲がりなりにも思春期真っ盛りのメロとマットはLの変わり様にただただ感心するばかりだ。

「L。あんた、本当に月が好きなんだな」

 メロがしみじみ言えば、

「えぇ、好きですよ」

 何の衒いも無く答えるL。
 己の頭脳一つで世間を渡り歩くLに憧れていた彼らにとって、見習うべきはLの非人間的なクールさだった。だが、どうやら恋の病には世界の切り札だろうと誰だろうと関係なくかかってしまうものらしい。
 早熟な頭脳に最近やっと肉体が追いついて来たメロとマットは、何となく気になる身近な女の子達の事をボンヤリと考えた。謎解きは楽しいし興奮するけれど、柔らかい女の子の胸も案外良いものかも知れないと。
 そんな彼らに一度視線を投げかけ、ピアノの蓋を閉じた月が子供達と連れ立ち音楽室から出て行こうとする。その様子に四人も腰を上げ、そろそろ夕食の準備が出来たであろう食堂へと向かった。
 のそのそ後を付いて来るL達を時々振り返っては楽しそうに笑う月。纏わり付く子供達と何を話しているのか気になる所ではあるが、今はただ彼の姿を目にしているだけで満足な四人だった。
 そうして、子供の夜更かしはいけないとゲームや話しをせがむ子供達を寝かせた月がLと一緒に部屋へ戻ったのは、後二時間ほどで年が明けようかという頃だった。

「カウントダウンは二人きりですね」
「そうだな、竜崎」

 二人きりだとLではなく竜崎と呼ぶ月に、嬉しいのか淋しいのか良く判らない感情を掻き立てられる世界の名探偵は、住み慣れたホテルには程遠い質素な職員宿舎の質素なベッドに腰を下ろした。

「もっと賑やかな方が良かったですか?」
「別に。日本じゃ家族で年を越すのが一般的だからね。パーティーでバカ騒ぎするよりはずっといいよ」
「そうですか」
「それに、子供達に夜更かしはさせられないから」
「メロ達なら大丈夫ですよ」
「あぁ、あの子達は‥‥確か特別クラスだったっけ」
「特別クラスの子供らは、皆ませてますから。夜更かしなんて平気です」
「そしてお前みたいに隈を作るのか?そんなのヤだぞ、僕は」
「私の隈‥‥お嫌いですか‥‥」

 シャワーから出たばかりの月がタオルで髪を拭きながら傍まで来るのをじっと目で追い、Lは切なそうに呟いた。とは言ってもその表情も口調も普段と全く代わらない。だが、24時間手錠で繋がれ生活を共にして来た月には、その微妙な変化が楽々見て取れた。

「バカだな、竜崎は」
「私をバカ呼ばわりするのは月君だけです」
「フフフ、そう?」
「そうです」

 先にシャワーを浴びていた ――― その時間は月の3分の1にも満たない ――― Lのまだ濡れている髪を自分のタオルで拭いてやりながら、相変わらず手間が掛かる奴だと笑う月。

「バカなのは月君の方です」
「僕?」
「そうです。あんな年端も行かない子供達に、天国も地獄もないだなんて歌を教えて。一応この施設はカソリック系なんですよ。これがばれたらきっと皺くちゃシスターが怒鳴り込んで来ます」
「あぁ、そうか。あの子達があんまり賢いからつい‥‥ごめんね。日本じゃ宗教なんて有って無きが如しだから。ほら、キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝っちゃう国だからさ」
「‥‥信じてないんですか?」
「ん?」
「天国と地獄」

 タオルの間から覗くLの黒い虹彩に塗り潰された丸い目に笑いかけながら、月はそんな事ないよと囁いた。

「信じている人には存在し、信じてない人には存在しない。そんなものだと思ってる」
「答えになってません」

 じっと見つめていると先にLの方が視線を外す。それだけでLが天国も地獄も信じていない事が判った。

「Lは、信じたいんだね」
「‥‥私は‥‥」

 彼は幼いニアのようにそっと月のパジャマの裾を握り締めた。

「私は貴方に安らぎを与えたい‥‥生きている時も、死んだ後も‥‥ただ、それだけです」
「‥‥ありがとう、竜崎。僕もだよ」

 今この時も、私を一人にしないでください、と訴えたい心を押し隠し、Lは傍らの月を見つめた。
 そして静かな笑顔に息をするのも忘れて見惚れる。
 長い睫にはもうシャワーの雫はないはずなのに、心なしか潤んで見える眼差しに思考が空回りする。日本人にしては色素の薄い琥珀の瞳に、ほの暗いシルエットとなって自分の姿が映っているのを痺れた脳が認識する。まるでチンケな悪魔のようだと思いながら、もっともっと映っていたいと切に願う。
 形良く伸びやかな四肢。しなやかに、そしてキビキビと動く体躯。柔らかな声。全てが完璧で一枚の絵画を見ているようだ。
 湯上りでほんのり桜色に染まった頬も、健康的な輝きを誇る唇も。何もかもが侵し難い気品に満ちている。幼子が小首を傾げながら言ったように、本当に天使なのかもしれないと思うほど彼は綺麗だ。
 勿論、人形のように整った造形ばかりが彼の魅力ではない。人知れず隠された優しさと苛烈さがほろりほろりと零れ落ち、暖かい海の波間に眠る真珠のように、春の夜を飾る朧月の様に彼をまろやかに輝かせているのだ。
 その穏やかな波動に触れた者は誰もが彼に魅入られる。
 彼はまさにあの歌の通り、夢見る人だ。誰にでも等しく微笑む事の出来る人。
 そんな彼を独占したいと思う自分は汚らしい背徳者 ―――

「竜崎」
「はい?」

 偽りの名ではあるが、Lは月にその名で呼ばれるのが好きだ。日本でならいざ知らず、此処でそう呼ぶのは彼だけ。それを思うと、彼に呼ばれるたび自分が彼の特別になったような気がする。

「僕に何か隠してることがあるだろ」
「!」

 突然そんな事を言われLは思わず息を止めていた。

「何の話ですか?」
「とぼけてもダメだよ」
「私は何も‥‥」
「いいけどね」
「月君?」

 フフフと笑う月から目を離せぬまま誤魔化せただろうかと内心ビクビクするL。


 あの日、火口を追い詰め、みすみす死なせてしまった日。今まで謎だったキラの殺人方法である死神のノートを手に入れたLは、説明の出来ない不安に追い立てられノートと夜神月を連れて行方をくらましていた。
 当初はLビルに立て籠もっていたのだが、何時までもキラ捜査本部の刑事達を締め出しておくわけに行かず、弥海砂を開放すると同時に国外逃亡を謀ったのだ。
 成分分析の結果、あの死神のノートは地球上に存在しない物質、成分で出来ている事が判明した。幸か不幸か指紋の類は一切見つからず、筆跡鑑定の結果も夜神月と弥海砂は全くの白と出た。
 だがその時には、Lにとって誰がオリジナルのキラであるかなど問題ではなくなっていた。
 夜神月がキラ ――― それはもうLの中で揺ぎ無い事実だったからだ。
 重要なのはこの先キラを出現させない事。
 そのためには火口卿介はキラとして死ぬ必要があった。
 レムと名乗った死神との話し合い後、LはICPOに連絡しキラの正体とその死を発表した。キラの殺人方法は最後まで判らなかったが、キラの裁きはキラの自殺によって終了したと。
 当然ICPOは納得しなかったが、ノートの存在を公にする事の出来ないLは ――― 流石のLにもその危険性は判っていた ――― 事件は解決したとばかりにキラ事件から手を引くと宣言した。
 蚊帳の外同然に放り出した刑事達にはその直前連絡を取り、キラは火口卿介、夜神月と弥海砂は無実と告げた。
 キラの殺害は死神と称する異形によるもの。あの黒いノートは死神と人間の契約の証で、火口がノートに殺したい人間の名を書き、死神が人外の力で名を書かれた人間を殺していた。火口が死んだのは正体がばれたから。それが死神と契約したリスクだったのだと説明した。ノートは処分、それによって死神はこの世界から消え、キラの恐怖は終ったとLは締めくくった。
 こちらも全てに納得した訳ではなかったが、開放された弥海砂を見て事件は本当に終ったのだと彼らも安堵したようだった。勿論、死神と契約の黒いノートの事は他言無用と言いふくめる事をLは忘れなかった。刑事達もそんな非科学的な事は誰も信じないと判っていたので、一もニもなく頷いた。
 唯一納得しなかったのが弥海砂。
 だが、そんな彼女も夜神月からの電話で泣く泣く承知したようだった。

『月がそれでいいのなら、海砂は淋しいけど我慢する‥‥海砂、月には幸せになって欲しいから‥‥』

 盗聴した電話の向こうから聞こえる声は泣いていた。泣きながら笑っていた。無理をしている事はまる判りだったが、Lには何もしてやれなかった。彼女から愛する者を奪ったのは他ならぬ彼自身だったからだ。Lは初めて人に謝罪の気持ちを抱いた。
 そして、夜神月。
 薬で意識を奪ったままその身柄まで攫ったLは、見知らぬ土地で目を醒ました彼に事件は終った、貴方の無実は証明されたと弱々しく告げた。
 父親である夜神総一郎達にしたのと同じ説明をすると、彼は暫し無言の後『おめでとう、L』と微笑みながら言った。
 その言葉を聞いた瞬間、Lは喩えようの無い絶望に襲われた。
 彼には全てばれている。彼には何も隠せない。そう、Lは思った。
 事件が解決して良かったと喜ぶ彼は自分の無実が晴れた事には決して言及して来なかった。ヘリの中で自分がされた事にも、途切れた記憶と今置かれている不可解な状況にも何も言わなかった。
 それどころか―――

『骨休めの旅行に鄙びた田舎もいいけど、僕としては観光名所も回りたいな』

 そう言って、ただ笑った。
 責められているのだと、Lには判った。けれど、真実を告げるつもりはもうとうない。
 ならば、彼が何も言い出さない限り自分の我儘を貫き通すまでだ。
 開き直った ――― 追い詰められたとも言う ――― Lは、夜神月の望むままに彼の行きたい所へ行き、彼の見たい物を見て、彼の知りたい事を探した。勿論手錠などという無粋な物は無しで。時にはL好みの高級ホテルに泊まり、時には街中のアパートメントに住み込み、Lはそこでも初めて知る生の夜神月にうっとりとなった。

『月君は料理が上手なんですね』
『今時男も料理が出来ないとモテないからね』
『月君は掃除も好きなのですか?』
『洗濯だってするよ』

 狭いアパートメントの小さなテーブルに並べられた作り立ての温かい料理。綺麗に掃除され整頓された部屋。シャワーから出るたび用意される手触りの良いタオルとこざっぱりした服。それら全てが自分一人のためになされたものかと思うと、こそばゆいくらい心が喜びで満ち溢れた。
 確かにホテルの料理に比べれば味は劣るだろう。掃除もクリーニングもホテルのサービスの方が行き届いている。応対するフロアマネージャーの笑顔も完璧だ。だが、それは所詮金で買ったもの。彼らの仕事は、笑顔すらプロ意識が作り出したものだ。夜神月のそれとは全く質が違う。
 彼の行為は金銭授受を前提としていない。特に見返りを求めているのでもない。したいからそうしているのだ。
 ありがとうの一言。ただそれさえあれば満足そうに笑っている。
 当初、Lにはそれが不思議でならなかった。そして、夜神月が自分とは全く違う生き物のように見えた。
 手錠で繋がれていた時から、仕方なくではあるが彼は不精なLの世話を焼いた。放って置けばいいのにと何度思ったか知れない。そんな事をしてもキラの疑いは晴れませんよと言った事だってある。
 それに対して彼は子供のように怒り『僕が勝手にやってるんだから、それこそ放っておいてくれ』と訳の判らない事を言った。そうして次の日にはまた、文句を言いながらもLの世話を焼くのだ。本当に訳が判らなかった。
 だから、多少なりとも自分のズボラさを認めているLは、これはボランティアに近い行為だろうかと考えた。だが、彼のように能力の高い人間がボランティアをする理由がLには判らなかった。
 育った環境が環境なだけに、Lはボランティアに従事する人間と接触する機会が多々あった。その他にも売名目的の金持ちや権力者とも数多く対面した。どちらもLにはくだらない行為に思えた。
 ボランティア精神が悪いと言っているのではない。ただLには、それも自己満足の一つとしか映らなかっただけだ。だからハウスを訪れるボランティアスタッフに感謝など感じた事はなかった。
 特別な能力、才能の無い者がどうやって自己の存在意義を見出すか。つまりはそういうこと。
 自分より弱い者に金銭以外の労働で施しをする。それによって自分は世の中の役に立っていると錯覚する。誰だって無意味な存在にはなりたくない。お前なんか要らないと、言われたくない。だから、自分は誰かに必要とされる存在だと、そう思いたいがためにボランティアという自己満足行為に走る。
 所詮は弱者の知恵。相互援助だ。それで世界が上手く回っているのなら自分がとやかく言う必要はない。自分は自分にしか出来ない方法で存在意義を示す。世の中を動かす。
 自分は世の中に必要とされる特別な人間だから ―――
 正直な話、Lは自分の身の回りの世話をするワタリにも言葉ほどには感謝の気持ちを持った事はなかった。他人に興味がないくせに人間観察が得意なLにはワタリの心情が手に取るように判ったからだ。
 キルシュ・ワイミーがLの世話を焼くのは、Lが社交性皆無の人間だというのが一番の理由だが、2割か3割は後悔からだ。
 彼が何を思ってLと言う探偵を世に送り出そうと思ったのか彼は知らない。気が付くと彼はハウスにいた。ワイミーに気に入られ手ずから教育を受けた。
 そうして育てた自分をワイミーが本当の孫のように愛しく思っている事を彼は知っている。Lとして難事件を解決するたび我が事のように喜び、こっそりロジャーに自慢していた事を知っている。それと同時に育て方を間違えたと後悔している事も知っている。
 どうやら自分はワイミーの理想からは遠い人間に育ってしまったらしい。探偵としては優秀だが、一人の人間としては半人前以下らしい。とりあえず自分が変人だと認識していても、自分の何がいけないのか判らないLには、ワイミーの嘆く理由が判らなかった。彼が赤の他人である自分を愛しく思う気持ちが判らない。
 後悔したければ勝手にすればいい。だが、自分をこんなふうに育てたのはワイミー自身なのだから、その責任をこちらに押し付けられても困るのだ。そういう理由からLはワイミーに、ワタリに、探偵と助手以上の感慨は持ち得なかった。
 たぶん自分は死ぬまでこうだろうと思っていた。愛する事、愛される事。理屈では判っても実感出来ない自分はそんなものとは一生縁がない、そう思っていた。
 けれど、夜神月に出会い自分は変わった。
 キラを失った夜神月の、己を決して偽る事の無い無垢な瞳に何かを壊された。
 それが何だったのか未だに判らない自分は、結局の所、人間というものを本当には理解していなかった大バカ者だったのだろう。自己分析ぐらい訳ないと余裕に構えていた頃が恥ずかしい。
 好き、嫌い。欲しい、欲しくない。気持ち良い、気持ち悪い。
 夜神月が傍にいるだけで、信じられない現象が自分の身に起きる。
 怖い、淋しい、悲しい、辛い、苦しい、羨ましい、妬ましい、痛い‥‥‥痛い‥‥‥‥
 夜神月を見ているだけで、彼と話をしているだけで胸の内に何かが去来する。
 楽しい、嬉しい、暖かい、眩しい‥‥幸せになりたい‥‥‥幸せに‥‥‥‥‥‥
 それが感情というものだと、Lは漸く納得した。
 キラ事件にむりやり終止符を打ち自由気ままに世界を回っていたある日、それまで何も言わなかった夜神月が『家族が心配しているといけないから、一度家に電話をしたい』と言い出した。
 貴方はキラではないと言った手前断る訳にもいかず、Lはそれを許可した。手錠をしていない彼はその気になればいくらでも家に連絡をする事が出来た。逃げようと思えば逃げる事だって出来た。だが、彼はそうしなかった。そんな素振りさえしなかった。その理由を知りたいと思ったし、そこに賭けようと思った。
 家族と電話で話をする夜神月の様子を監視カメラ ――― 彼がキラだと疑っていた訳ではない。彼がいなくなるのが怖かったのだ ――― で盗み見、その会話の内容を盗聴しながらLはずっと苛々しっ放しだった。何時家族の言葉に負けて帰ると言い出さないか、心配で心配で堪らなかった。
 幸い彼はその一言を言い出さないまま、家族との電話を切った。だが、父親から弥海砂も心配していると聞かされ、早速彼女にも電話をした。
 彼女は家族以上に食い下がった。何度も会いたい、帰って来て欲しい、それが無理なら自分が会いに行くと駄々をこね懇願した。
 その言葉の端々から彼女が真実を知っている節があると気付きLは真っ青になった。慌てて電話回線を切ろうとまでした。だが ―――

『世界を見て回りたいんだ。今までの僕はまだ何も知らない子供だったから。本当の僕に、何の力もない僕に何が出来るのか、世界中をまわって考えたいんだ。思い出したんだよ、小さい頃のもう一つの夢‥‥世界中の人と友達になりたいって夢。色んな人に会って色んな話をしたい、色んな物を見たい、知りたい‥‥だからね、海砂‥‥』

 彼女は泣きながら聞いていた。泣きながら何度も頷いていた。

『海砂も月と一緒に世界を回りたい、月の手助けがしたい‥‥』
『でも、海砂。それは海砂自身の夢じゃないだろ?』
『仕事なんていい、もうやめる』
『海砂‥‥』

 その後夜神月が何と言って彼女を説得したのかLは知らない。彼の言葉から彼が全てに気付いていると知って呆然となったLはそれを聞き逃してしまった。

『月がそれでいいのなら、海砂は淋しいけど我慢する‥‥海砂、月には幸せになって欲しいから‥‥』

 気が付くと件の言葉を彼女は口にしていた。

『でも、日本に帰って来たら真っ先に連絡してね。海砂、どんなに忙しくても会いに行くよ』
『判った』
『海砂、仕事頑張る。月が世界の何処にいても海砂の噂が耳に入るくらい有名になる。海砂のこと、絶対忘れさせないんだから』
『楽しみにしてるよ』

 未練たっぷりのくせに、諦めると言う弥海砂。諦めながら、やはり求めてやまないと彼女の心は訴える。訴えながら、自分の恋より好きな人の幸せを祈る。それが、自分の愛だと無言で語る‥‥‥
 世の中にそんな考えをする人間がいる事をLは知っていた。知ってはいたが興味はなかった。寝食を忘れて奉仕活動をする人間も世の中にはいるのだし、ワタリが心配するくらい仕事に没頭する自分とそう変わらないと思っていた。そういう認識しかなかった。
 とんでもない勘違いだとこの時判った。
 他人の事なのに、彼女は身を引いたのに、彼は自分といると言ってくれたのに ――― 負けたと思った。
 もしかしたら何時か彼女に取り返されるのではないか、もしくは何時か自分も彼女と同じ立場になるのではないか。そんな不安に駆られた。彼女のようには出来ない自分が情けなくて仕方がない。
 そして思う。
 幸せ‥‥‥幸せって何だ?
 自分の幸せ、他人の幸せ。人は誰もが幸せになる権利を持っている。
 幸せ。弥海砂の幸せ、夜神家の幸せ、松田の幸せ、ワタリの幸せ、死神の幸せ‥‥‥
 夜神月の幸せ。
 エル・ローライトの幸せ。
 人は誰もが幸せになる権利を持っている‥‥‥

『キラ‥‥』

 考えても考えても出て来ない答えに混乱の極みにあったLは、電話を終え自分の傍へとやって来た彼に言ってはならない名前を口にしていた。

『ありがとう、L』

 夜神月が何に対してそう言ったのか判らない。

『私は‥‥今漸く悟りました‥‥』

 こんなにも他人の一挙手一投足に自分が左右されるなんて。

『私は今まで、自分が世界の中心だと、思っていたのですね‥‥』

 彼に嫌われたら生きて行けないと思うほど、誰かに執着するなんて。

『私は特別な人間だから‥‥この世には私一人しかいないと思っていた。一人で生きていけると思っていた‥‥』

 それを孤独と言うのだと知らなかったから何も感じなかった。

『でも、そうじゃなかった‥‥私もまた、世界に生きる多くの人々の一人だったんですね』
『竜崎‥‥L』

 けれど今はもう知っている、気付いている。
 自分もまたちっぽけで愚かな人間の一人に過ぎないと。

『僕もお前と一緒だよ。いや、お前より酷かった』
『月君』
『お前にはやりたい事が、生きがいがあったけど、僕にはなかった。だから毎日が退屈で退屈で仕方がなかった。小さな子供の時の、純粋な思いを忘れてしまうくらい僕は‥‥』
『貴方は今でも純粋ですよ。私と違って貴方の心はとても綺麗だ』
『竜崎もだよ』

 彼の若々しい腕がスラリと伸び、先程まで彼が居た部屋の様子を映すパソコン画面のスイッチを、その綺麗な指が切るのをLはボンヤリと見送った。

『僕に世界を見せてくれるんだろ?』
『はい、私も一緒に見ます。見直します。世界が本当はどんなに綺麗なのか』

 彼が微笑みながら唇に押し当てられた自分の指を取るのをじっと眺める‥‥‥

『月君‥‥』
『何?』

 カーテンを引いた薄暗い部屋で、彼の姿だけが淡く輝いて見えた。

『Lに、なりませんか?‥‥私と一緒に、Lをしましょう』
『うん』

 人間とは、誰かのたった一言で幸せになれるものなんだと、Lはこの時初めて知ったのだった。
 幸せとは、とても小さく儚く、同時にとても大きく確かなものなのだと‥‥‥


「ねぇ、竜崎?」

 深い深い物思いに沈んでいたLは夜神月に名を呼ばれハッと顔を上げた。
 いまだ彼のパジャマの裾を握り締めている自分の手に、彼の暖かい手が重なっている。

「僕はね、思うんだ」
「‥‥何を、ですか?」
「お前と出会っていなかったら、僕はきっと早死にしてただろうって」
「ラ、月君‥‥!そんな縁起でもない事‥‥」
「覚えてる?第二のキラのビデオをさくらTVが放映した時、父さんが単身TV局に突っ込んだだろ?」
「は、はい」
「あれを思い出すたびにね、僕もきっと父さんと同じ事をするだろうなぁって思うんだ」
「‥‥月君は、お父さんの事をとても尊敬しているのでしたね」
「うん」
「将来は、お父さんのような立派な警察官になるのが夢だった」
「うん。だからね、きっと早死にするよ、僕は」

 その言葉にLは思わず彼の手を握り返していた。

「父さんが若かった頃に比べて日本の犯罪も凶悪化している。僕が警察官になる頃にはもっと酷くなってるかもしれない」
「お父さんの時代より今の方が危険な目に遭う確率が大きいと、そう言いたいのですね?」
「うん。そしてね、僕はきっと父さんと同じ事をする。死にそうな目にあったって、何度も何度も‥‥僕が結構熱血なのは竜崎も知ってるだろ?」
「はい。月君は変わってます。冷静な判断を下しつつ簡単に暴力を振るいます」
「ハハハ‥‥だからね、何時かそのまま帰れなくなるかもしれない。僕達家族が居る父さんですらああだったんだ、僕なんか‥‥」
「嫌です、月君‥‥」
「だから、言ってるだろ?お前に出会ってなかったらって」
「月君‥‥」
「一緒にLをしないかって、言ってくれたよね?」
「はい」
「それって今でも有効?」
「も、勿論です!」

 嬉しそうに微笑む彼にホッと安堵の溜息を漏らす。

「だからね、竜崎。僕は何も聞かない」
「え?」
「お前が隠してる事を無理やり聞き出しても、誰も幸せにならないんだろ?僕一人が満足するだけで」
「‥‥月君‥‥」

 彼が握り締められた手を外し、スエットの上からLの体を優しく撫でる。
 パジャマ代わりのスエットはLお気に入りの白。何故自分が白を好むのかL自身判らなかった。特に不都合な点はないし気にもならなかったから深く考えなかったが、たぶん白に憧れていたからだろうと今は思う。
 人間なんて ――― 自分も含めて ――― 愚かで汚いと思っていたから、無意識に穢れない白に憧れていたのだと。
 夜神月は知っている。彼は自分が犯した罪を知っている。知っていて尚、彼は白が似合う。どんな色を身に纏っていても、彼の姿は白く清らかだ。
 そして、つぐないの一言を決して口にしない彼の心の葛藤を思うと、自分の胸まで苦しくなる。真っ黒に汚れた自分の心にも、他人の心を思いやる力が残っていたのだと、今初めて知る。

「あぁ、でもね、春になったら僕は大学に戻るよ」
「ええっ?」
「だって、Lの仕事を手伝うからには肩書きも必要だと思うし」
「そ、そんなもの!貴方には必要ありません!」
「必要だって。世の中そんなに甘くないんだから」
「私を!ひ、一人にするんですか!?」
「しないよ。バカだなぁ、竜崎は」

 突然の宣言にそれまで大人しくベッドに座っていたLは、思わず身を乗り出し彼の肩を強く鷲掴んでいた。

「ワタリさんをそろそろ休ませてあげないと、可哀そうだろ?」
「ワ、ワタリ?え?えぇっ?」
「あの人、もう七十過ぎてるんだってね。ロジャーさんから聞いたよ」
「そ、それは、そうですが‥‥」

 ロジャーめ、余計な事を!と、Lが思ったからといって責めてはいけない。

「だからね、僕がワタリさんの後を継ごうかって思うんだ」
「わ、私とLをするんじゃないんですか!?」
「するよ。するけど、それと同時にワタリさんの役をしてもいいだろ?」
「それは‥‥」
「この先ワタリさんに何かあったら、竜崎はどうする気だったの?」
「え?そ、それは‥‥誰か人を雇って‥‥」
「そうそう竜崎の気に入る人間がいると思う?」
「い、いないでしょうねぇ」
「特別クラスの子達にさせるってのも無しだよ。危険だし、だいいちあの子達はお前の後継者として育てられてるんだから、基本的な考え方はお前と同じじゃないか。人に絶対頭は下げられない。だろ?」
「は、はい‥‥」

 否定し難い真実にLは力なく手を離した。

「でも、僕なら出来る。竜崎に絶対出来ないなら、僕がしなくちゃ、ね?」
「た、確かに月君なら、出来ると思います」

 小首を傾げて悪戯っぽく笑う仕草が可愛いと、場違いな事を考えながらLは白旗を揚げた。

「貴方の思う通りにしてください」
「ありがとう」

 自分の気持ちより他人の気持ちを優先させる自分に驚きながら、こんなのも悪くないと思う自分がいる。夜神月に出会ってから、本当に驚く事ばかりだ。

「卒業したら、ちゃんと雇ってくれよ。でなかったら、警察官になるからな」
「!!雇います!共同経営です!必ず迎えにいきますから、何処にも就職しないで下さい!いえ、むしろ私が青田刈りします!」
「お前、経理は出来るのか?」
「できますよ」
「予算考えられるの?」
「もちろん」
「今まで泊まったホテルの宿泊料金、幾らか知ってる?」
「‥‥‥」
「経理も僕がやるからな」
「‥‥お任せします」
「当然」
「でも、淋しいです」
「バカだなぁ。お前、何のためにあんなでっかいビル建てたんだ?」
「あ?」
「あのまま空きビルにしておくのか?」
「も、勿体無いです、よね?」
「貸しビルにする?」

 とんでもないとLは首を横に振った。

「だったらお前が使えば?」
「そ‥‥そうです、よね。私がそのまま使えば、住めばいいんですよね!私、住所不定ですし、ビザなんて、いくらでも誤魔化せますし。Lの仕事は何処でだってできますから!」
「あのなぁ‥‥」
「そうしたら、毎日来てくれますか?」
「僕がいなかったらお前の部屋、グチャグチャになりそうだからな。仕方ないから行ってやるよ」
「あ、ありがとうございます!」

 彼の微笑が幸せそうだと思うのは独りよがりだろうか。

「好きだよ、エル‥‥」
「!」

 不意に耳元で囁かれた言葉にエルは言葉を失った。
 強い刺激には何時か慣れる。キラにも興奮を覚えなくなる日がきっと来る。そうなったら、後は惰性の日々が続くだけ。

「私から先に、言いたかったのに‥‥」

 ほんのり赤味のさした頬と、キラキラ輝く瞳が美しいと思う。探偵としてキラを望んでいたならば、決して得られなかっただろう。
 この美しさ、この温もり、この幸せ。

「私も好きです、月君」
「ありがとう、エル」

 自分の思いを否定されなかった ――― それは喩えようのない感動と幸せをエルにもたらした。
 何処かでカウントダウンを祝う声が聞こえる。
 何処かで誰かが幸せを歌っている。
 本当は誰もが夢見ているのだ。
 みんなが幸せである事を。
 どちらからともなく抱き合って、エルはたった一滴涙を流した。
 人は嬉しくても泣けるのだと、身をもって知った瞬間だった。

 

 

 


 『私の名はレム。さぁ、問え、人間。お前が最も知りたい事を私に聞くがいい』

 目の前に異彩を誇る死神はまるで神の如くそう言い放った。

「‥‥私が知りたいのは‥‥」

 視界を被う白。けれど美しくもなんともない白。残酷で冷たく、恐ろしい白。

「そ、その前に、貴方のの条件とやらを聞かせてください」
『私の条件など、もう判っていよう』

 死神が耳まで避けた口をニィと持ち上げ笑う。

『弥海砂を開放しろ。彼女の無実を刑事達に告げ、もう二度と関わるな。他の刑事達にもそうさせろ』
「‥‥‥」

 それは予想もしなかった条件だったけれど、心の何処かでは判っていた内容だった。

「判りました」
『約束できるか?彼女が解放されなければ、私はお前の質問には答えぬぞ』
「約束します。絶対です。私が約束を破ったら、私を殺して構いません」
『お前だけでなく、あの刑事達も、ワイミーとやらも殺すからな』
「!判っています」

 Lはゴクリと唾を飲み込みワタリの名も知る死神を見返した。

『よし。では、質問を』

 心が騒ぐ。心臓の音が鼓膜を破りそうなほど鳴り響いている。
 それなのに指先が冷たい。息が苦しい。
 血が滾る、血が凍る。
 キラを取るか、夜神月を取るか。自分の中で二つの心が鬩ぎ合っているのを感じる。

「‥‥キラを‥‥」

 激しい混乱に目の前が霞みだした頃、Lは無意識の内に第一声を発していた。

「キラを、永遠に夜神月の中から消す方法を、教えてください‥‥!」

 自分が発する声を耳にしながら、Lは知った。
 自分は夜神月が好きなのだと。


想像してみよう、天国なんて無いと
やってみればたやすいこと
僕らの足下には地獄なんてなく
僕らの頭の上にはただ青い空が広がっているだけ
想像してみよう、みんなで
僕らは今日という日のために生きていることを

想像してみよう、国なんてないと
そんな難しいことじゃない
殺すことも誰かに殺されることもない
宗教もない世界のことを
想像してみよう、僕らみんなが
平和な人生を送っている姿を

想像してみよう、財産なんてないって
君にできるだろうか
どん欲も空腹も一切必要がない
人間の兄弟愛に満ちた社会を
想像してみよう、僕らみんなで
世界のすべてを分かち合っていることを

君は僕を夢想家だと言うだろう
だけど僕はたった独りじゃない
いつか、君も僕らといっしょになって
世界がひとつになって共に生きらればいい

 

 あの日、ビルの屋上から撒いた灰が地上の何処に降ったのかエルは知らない。
 ライターの火一つで簡単に燃え上がった黒い死神のノート。
 約束したからなと、まるで子供のように真摯な目をした白い死神が、ふわりと空に消えて行くのをエルは初冬の風を受けながら一人見送った。
 薬が切れて夜神月が目を覚ますまでの永遠とも思える時間の中、失ったものと手に入れたものとの価値を思い比べた。
 けれど、答えは出なかった。
 物の価値など、きっと人それぞれなのだ。自分自身の中でも、その時々によって価値は変わる、変わってしまう。いとも容易く‥‥‥
 もしかしたら、夜神月にも何時か価値を見失う日が来るかもしれない。
 それでもあの時のエルは夜神月を選んだ。今もそれは変わらない。
 Lである事に一度虚しさを覚えてしまったら、元に戻るのは難しいと判っていたから。
 仕事は生甲斐になるけれど、それに人生を懸けても悔いはないけれど、それで決して自分が幸せになる訳ではないと知ってしまった今、昔の自分には戻れないとエルははっきり悟った
 欲しいのは人の温もり、優しさ‥‥‥

「私は多分‥‥ずっと探していたのです。私を‥‥私の才能などではなく、私自身を見てくれる人を‥‥他人の優しさを素直に受け取れない、物事の裏しか信じられない私を‥‥こんな捻くれた私に何の思惑もなく優しく笑いかけてくれる人を‥‥ずっと求めていた‥‥」

 眠ったままの夜神月をこっそりと国外へ連れ出し、彼ならきっと気に入ってくれるだろう美しく穏やかな風景の中に隠して、彼がその綺麗な琥珀の瞳を開ける瞬間まで、エルは囁き続けた。

「それだけだったら、ワタリでも良かったでしょう。私の事を心配してくれたシスターでもね。けれど、私は我儘ですから‥‥」

 誰かが言っていた。頭が良すぎるのも考えものだと。
 それを聞いた時は負け犬の遠吠え、ただの僻み妬みだとバカにした。
 けれど今なら判る。私は私自身を不幸にしていたのだ。誰にも満足出来ないのを他人のせいにしていた。

「貴方は私と同じ。私と同じ思考レベルでありながら、全然違う事を思える人‥‥」

 夜神月‥‥‥何度も何度もその名を呟いて、その頬に触れ、その髪を梳き、指を絡め‥‥‥見た事も信じた事もない神に祈った。

「貴方は夢見る人‥‥私とは違う。私は人間なんて信じられませんが、貴方は信じられるのでしょう?」

 だからキラになったのだと、死神は言った。
 それを疑う気はない。彼がそういう人間だともう知ってしまったから。

「きっと私は貴方にとって不快なだけの人間でしょう。私の唱える正義は私の知的興奮を満足させるための手段でしかありませんでした。それを私は認めます。そして今は恥じています‥‥」

 神など今でもいるとは思わない。死神は実在していたけれど、神もそうだとは言い切れない。

「けれど‥‥けれどどうか‥‥私を見てください。私の声を聞いてください‥‥」

 夜神月の穏やかな眠り。それを妨げるのは他ならぬ自分。薄汚れた欠陥だらけのエル・ローライト。

「貴方が私の手を取ってくださるのなら、こんな私でも人間を信じる事が出来ると思うのです。うんと小さかった頃のように、誰かにミルクを飲ませてもらい、おしめを変えてもらわなければ生きて行けなかった頃のように‥‥私は‥‥」

 それでも彼の声を聞きたい、彼の無垢な瞳を見たい。彼の笑顔を全身で感じたい。

「私の名前を呼んでください‥‥」

 眠りの淵から目覚めたその人は夢見る人。
 出来る事ならその琥珀色の綺麗な瞳には綺麗なものだけを映してあげたい。けれど、彼がそれを望んでいない事をエルは知っている。
 彼の瞳がどんな残酷なものの中にも一欠けらの希望を探している事を。

「竜崎‥‥?」
「月君‥‥」

 

 貴方と一緒に夢を見てもいいですか。
 貴方となら私も夢を見られると思うのです。
 私は貴方と幸せになりたい。
 私と貴方で幸せになりましょう。
 私と貴方とワタリで幸せになりましょう。
 私と貴方とワタリと弥海砂で幸せになりましょう。
 私と貴方とワタリと弥海砂とメロとマットとニアで幸せになりましょう。
 私と貴方とワタリと弥海砂とメロとマットとニアとロジャーで幸せになりましょう。
 私と貴方とワタリと弥海砂とメロとマットとニアとロジャーとお父さんとお母さんと粧裕さんで幸せになりましょう。
 私と貴方とワタリと弥海砂とメロとマットとニアとロジャーとお父さんとお母さんと粧裕さんと松田と相沢さんと模木さんで幸せになりましょう。
 私と貴方とワタリと弥海砂とメロとマットとニアとロジャーとお父さんとお母さんと粧裕さんと松田と相沢さんと模木さんとアイバーとウェンディで幸せになりましょう‥‥‥
 私と貴方とワタリと弥海砂とメロとマットとニアとロジャーとお父さんとお母さんと粧裕さんと松田と相沢さんと模木さんとアイバーとウェンディとハウスの子供達で幸せになりましょう‥‥‥
 そうやって手を繋いで行けば、きっとみんな幸せになれますね。

「うん」

 あの歌のように夢かもしれません。
 でも、私も思います。その夢を見ているのは貴方一人じゃない。私一人でもない。きっとみんな夢見ているのです。ただ生活に追われ忘れてしまっているだけなんです。

「うん」
 幸せになるのは、本当はとても簡単な事だったんですね。

 


 エル・ローライトの新しい年の幕開けは琥珀色の暖かい光に満ちていた。
 それは夜神月も同じであって欲しいと、彼は心から祈ってやまない‥‥‥‥

 

 

                                             FIN

 

 

 

 

 後記(2007)

ある年の年末、某国営放送にて、年末らしい歌が流れていました。
世界中の誰もが知っているだろう(?)ジョン・レノンの「ハッピークリスマス」です。
以前からこの歌の事は知っていましたが、歌詞はろくすっぽ知りませんでした。
メロディもサビしか知りませんでした。
しかし、何とはなしに聞いていて、ついでにTV画面にも目を向けて、そこにあった対訳歌詞を読みました。
その余りのシンプルさにちょっと驚きました。目から鱗的驚きでした。
単純明快、まさにそれでした。
そして、真理とは案外単純なのかもしれないと思いました。
そして、ジョン・レノン繋がりで「イマジン」の歌詞もちょいと調べ、
うわぁ~、何これ?この歌詞!
反戦歌という話は聞いていたのですが、その余りの理想主義的歌詞にやっぱり目から鱗でした。
それと同時に「あぁ、これってキラ様の歌かもしれない」と思いました。
よく綺麗事は言うな!とか、理想だけで食っていけない!とか言いますが、
まぁ、現実はその通りなのですが、だったら何故『理想』は今も昔も語られるのでしょう。
誰もが理想を求めるのでしょう。
理想って、やっぱり必要なんですよ、現実を生きて行くためには‥‥‥
キラはその理想を夢見続けた人。これはそういう話です。
(前述の歌詞は意訳、後半は直訳です)