ルージュと死神

 『お前のしている事は悪だ!』

 手元から顔を上げそう叫んだ男を睨みつける。時をおかず胸を掻き毟り苦悶の形相でデスクに突っ伏す男。TVの画面越しにそれをしかと認めた彼女は思わずガッツポーズをとっていた。
 だが、いきなり画面が暗くなり、次いで『L』の一文字が不気味に浮かび上がった事で、その喜びが打ち砕かれる。

「何これ!?」

 いったい何が起きたのか。
 混乱する彼女の耳に飛び込んで来たのは場違いに冷静な男のものと思われる声。明らかにヴォイスチェンジャー越しだと判る。
 事もあろうにその声は『さぁ、殺してみろ!』と彼女を挑発し、彼女はそれにまんまと嵌って酷い興奮状態に陥った。

「何?何々?何なの、これぇ!?死んだんじゃなかったのぉ!?」

 座り込んでいたベッドから跳ね起きるや、金色に染めた長い髪を振り乱し、TVのボリュームに負けないくらい大きな声で喚き散らす。TVはまだ何か言っているが彼女の耳には届いていない。

「はぁ?L?何よそれ!TVに顔も出せないほど不細工なくせに、何カッコつけてんの!?声だってキモ!!キモウザッ!!」

 一頻りギャーギャー騒いだ後、思い出したようにTVを切り、ベッドの枕をある方向に向かって投げつける。

「ちょっと!どうゆう事よこれぇ!?ノートに名前書いたら誰だって死ぬんじゃなかったの!?」
『アァ?』

 枕は真っ直ぐ飛んで壁にぶつかりポトリと落ちた。

「名前書いたのに死なないじゃない!」
『死んでるだろ』
「死んでないわよ!死んでないどころか、キラのこと悪だ!なんて言ったじゃない!」
『あぁ、そういえばそうだな』
「だから!何で死なないのかって聞いてるの!」
『そんなこと言われてもなぁ。俺には、お前がノートに名前を書いた奴はちゃんと死んだとしか言えないし』
「もうっ!」
『あぁ、あれだ。別人なんじゃねぇの?お前が名前を書いて殺した奴と、この声だけの奴』
「え?何!?そうなの?別人!?じゃぁ、どっちがL?」
『知るかよ、そんなの』

 彼女はその声に慌ててTVを付け直したが、既に番組は終っていた。

「やだもう!バカ!!終っちゃったじゃない!」
『俺のせいじゃないってぇの』

 彼女はつまらないニュース番組をバラエティ番組に切り替えるとベッドにダイブし、途中だったぺティキュアを再び塗り始めた。若い女の子ならではの気紛れさだ。

「やな奴。何処の誰か知らないけど、キラのこと悪人呼ばわりしてさ。何様のつもりよ。そういうあんたの方が悪人だっての」
『知らねぇって。けどよ、こいつキラのこと探して捕まえるつもりみたいだぜ。どうすんの?お前』
「え~?そんなの気にしなくていいよ。どうせ見つかりっこないもん」
『そうなのか?』
「そうよ。キラの裁きは心臓麻痺。薬を使ってるわけでもないし、わっ!とか言って脅かしてるわけでもないんだよ。リュークのくれたデスノートに名前書いてるだけ。ミサは犯罪者に直接会ったことも無ければ、何処にいたかも知らない。ミサが殺したって証拠は何処にもないんだから。証拠が無けりゃミサを捕まえるどころか、ミサに辿り着くことだってムリムリ」
『そんなもんなのか?』
「そんなもんよ」

 彼女は塗り終えたぺティキュアを満足そうに眺め会話の相手を振り返った。

「それよりリューク、林檎食べる?今日のホテル高いから、きっといいもん出してくれるよ」
『ウホッ!食べる食べる!』

 その返事に備え付けの電話でルームサービスを頼む。暫くしてボーイが運んで来たのは残念ながら丸のままの林檎ではなく奇麗に剥かれたフルーツの盛り合わせだった。

『俺は丸齧りが良かったな』
「贅沢言わないの。あ、ミサはパパイヤ食べよっと」

 ベッドに座りワゴンに乗せたままのフルーツに手を伸ばす。

「ミサミサいる?」
「!」
『ありゃ?』

 その時、部屋のドアをノックする者があった。慌てた彼女は声の主が手にした林檎を飲み込むのを待ってドアを開けた。

「まだ寝てなかったの?明日は早いって言ってあったでしょ?寝不足はお肌の大敵だって判ってる?」
「判ってる。今寝る所だったの」
「あ!ルームサービスなんか頼んで!何してんの!」
「あちゃ~」

 口早に喋りながら遠慮なく部屋に入って来たのは彼女の仕事のマネージャーだった。

「寝る2時間前は物を食べちゃダメ!」
「ごめんなさ~い」

 30前後の細身の眼鏡をかけた女性マネージャーはホテル備え付けのクローゼットを開けると『やっぱり片付けてない』と言って、手早く中の荷物をスーツケースに詰め込んだ。

「明日の朝一番の新幹線で大阪に帰るんだから、荷物は今夜のうちにまとめておく」
「は~い」
「これは没収しますからね」
「あ」
『あぁっ!俺の林檎!』
「何?何か不満でも?」

 フルーツの盛り合わせが乗ったワゴンを押し部屋から出て行こうとしたマネージャーがクルリと振り返る。

「何でもないで~す」
『林檎返せ~~!』
「判ればよろしい。じゃぁね、ミサミサ。ちゃんと寝るのよ」
「は~い」
『林檎~~~』
「お休みなさい」
「お休みなさい、伊達っち」

 マネージャーはもう一人の不満タラタラな声を無視して部屋から出て行った。無視したと言うより、まるで気付いていないかのようだ。

「残念だったね、リューク」
『伊達っちのイケズ~~』

 それもそのはず、彼女にはミサしか見えていなかった。

「でも、林檎が好きだなんて変な死神だよね、リュークって。死神ってごはん食べなくても平気なんでしょ?」
『これは嗜好の問題なんだよ』

 見えていなかったもう一人の存在、それは死神だ。
 鴉のように黒い姿に魚を思わせるギョロリとした目。姿形は一応人間に見えなくもないが、2メートルを越す巨体のプロポーションはかなりバランスが悪い。始終猫背なのは高い背を気にしてではなく発達した上半身を貧弱な下半身が支えきれないせいのようだし、幅広の肩からダラリと下がった両腕は類人猿のように長くて細い。そして何より、御伽噺に出てくる妖精の尖った耳と長く鋭い爪、耳まで裂けた口から覗く鮫のような牙が、リュークは異形なのだと物語っている。これで空を飛ぶ時以外は隠しているみすぼらしい2枚の翼を広げたら、彼女の言うとおり死神以外の何者にも見えないだろう。
 だが、生憎こんなリュークの姿を見ることが出来るのはこの世にミサ一人きりだった。

「やっぱ変な死神‥‥あ!大変!!デスノート、出しっ放しだった!」
『おい、おい。そいつに触れた奴には俺が見えるって言っておいただろ』
「だって、いきなり来るんだもん」

 彼女はそう言うと、ぺティキュアセットと一緒にベッドの上に置きっ放しだった黒いノートをお気に入りのボックス型バックの底に隠した。

『はぁ‥‥大丈夫なのかねぇ、そんな隠し場所で』
「何よ!大丈夫だって言ったでしょ!結構こういうさり気無いのが、一番怪しまれないもんなんだよ。ミサ、そんなに考えなしじゃないんだから。それに、ミサはキラの後を継ぐの!そう決めたんだから!今更ミサからノートを取り返そうなんて思わないでよね!リューク!!」
『‥‥俺のノートにミサの名前を書いちまえば簡単に出来ちゃうんだけどな‥‥』
「何か言った?」
『い~や』

 ミサの言うノートとは死神が人間を殺すために使っているノートの事である。
 デスノートと呼ばれるそのノートに名前を書かれた人間は死ぬ。神に定められた寿命が未だ未だ先だとしても、問答無用で人生を終わらせられる。死神はそうやって殺した人間の残りの寿命を喰らって生きている。つまりデスノートとは、死神が生きて行く上で重要極まりないアイテム、餌を得るための大切な手段なのである。
 ここで重要なのは人間もそのノートを使って他の人間を殺す事が出来るという事だ。ただし、死神のように残りの寿命を得る事は出来ない。人間にとってのデスノートは銃やナイフと同じ人殺しの道具でしかないのだ。
 それでも、殺したい相手の顔と名前さえ判っていれば、何時でも何処でも好きな時にその相手を殺せるのだから、こんな楽な事はない。
 つまりそれが、この所世間を騒がせている『救世主キラ』の、死の裁きのカラクリなのである。

「あ~ぁ、何だか今日は裁きをする気が失せちゃったな~。明日は移動日だし。伊達っちの言うとおり早く寝ちゃおっと」
『キラの後を継ぐと宣言しておいてこれかよ』
「いいんだもん。犯罪者は逃げないもん。ううん、警察からは逃げられてもミサ‥‥二代目キラからは逃げられないんだから。顔と名前さえ判っていれば、世界中の何処にいてもミサが裁いちゃうもんね」

 そう言いながら彼女は手早くテディベア柄のパジャマに着替えホテル備え付けのベッドに潜り込んだ。

「お休み、リューク。襲っちゃや~よ」
『襲うか、バ~カ』

 明かりは点けたまま、布団を頭まで被り彼女は眠りに就く。少し乱れていた息遣いが暫くしてリラックスしたものに変わり、右へ左へと動いていた小さくて細い体がピクリとも動かなくなる。

『今日は魘されないで寝れるかね‥‥』

 そう呟いて、彼女から死神と呼ばれたリュークは隠していた黒い翼を広げた。
 死神は眠らない。だから彼女が寝てしまうと退屈だ。

『東京とも今日で暫くお別れだし、夜の散歩としゃれ込むか』

 異形は異形らしく壁脱けで頭だけホテルの外に出し、ネオンに輝く夜の大都会を見下ろす。地上10階から見下ろす夜景はそれなりに奇麗だが、東京タワーより高い場所から見下ろす方がもっと奇麗だ。
 スイと空中に躍り出る黒いシルエット。一旦地上近くまで滑空し、歩いていたアベックの体をすり抜け再び上空高く舞い上がる。

『ウホッ!何時見ても奇麗だぜ!』

 地上の形有る物が闇に溶け込み3色の色彩だけが瞬く高さまで飛び続け、リュークは眼下の夜景を楽しんだ。

『つまんねぇ死神界と違って人間界は本当にキラキラしてるよな。赤青緑、黄色に紫、金色銀色。他にも色んな色がある。けど、俺は林檎の赤が一番好きだな』

 夜は醜いものが見えない。人間の何倍も視力の良い死神でも夜になれば色々なものが見えなくなる。醜いもの、汚いものから真っ先に消えて奇麗なものだけが残る。本当はその逆なのだけれど、人間ではないリュークにはどうでもいいことだった。ただ楽しめさえすればいいのだから。

『星と月が良く見えないのだけが残念だよな』

 そんな事を口にした時、背中に何か重い物がドンとぶつかって来た。

『ウホッ!?何だ何だ!?』

 背中に圧し掛かる重みのせいでバランスを崩したリュークの体が落下する。死神だから地上に激突しても死んだりしないし痛みもないが、頭の中は何が起きたのか判らず少し混乱していた。ジタバタと両手両足を動かしもがく様は水に落ちた蚊のようである。

『バカか、お前は』
『何だって?』

 いきなり頭上からよく知る声が聞こえて来た。

『前からバカだバカだとは思っていたが、ここまでバカだとは思わなかった』

 それで返って落ち着きを取り戻したリュークはバラバラに動かしていた2枚の翼を目一杯広げ、仮初の空気抵抗を作って落下を止めた。

『お前、シドウのノートを取っただろ』
『ウホッ?』

 振り仰げばリュークとは対照的な白い姿の死神が夜空に浮いていた。人型なのは同じだがリュークよりも硬質的でかなり骨ばっている。夜空にボンヤリ浮き上がって見える白い翼はまるで破れた紙飛行機のようで、そのくせ何処か威圧的なのはその死神がリュークよりランクが上の死神だからだろうか。

『シドウがどうなろうと私の知ったことではないが、ジェラスがうるさくて適わん』
『は?ジェラス?』
『お前の背中にくっ付いているだろう』

 そこで漸くリュークは気付いた。未だ背中にある重みが隕石や飛行機から落ちたゴミなどではなく、同じ死神であるということに。

『酷い‥‥酷いよ、リューク』
『うぁ?もしかしてお前ジェラスか?』
『だからそうだと言っている』

 まるで人間界で言う所の子泣きジジイのようにリュークの背中にしがみ付いたその死神は、やはり同じ人型だが随分と小さくまるでぬいぐるみのようだ。人相(?)も体の作りも不細工で継ぎ接ぎだらけだから余計にそう見える。

『なんでミサにノート渡すんだよ』
『ミサ?あぁ、ミサミサね』
『僕がミサをずっと見てたの知ってるくせに!』

 そうと知るやリュークは長い手を伸ばし自分の背中に張り付いた小さな死神を引っぺがした。首根っこを掴まれジタバタ短い両手両足をバタつかせる死神は、確かにリュークが知るジェラスだ。

『仕方ないだろ、こっちに来て一番に目に付いたのがあのメスだったんだからよ。ミサミサ、ゲーノージンってやつだったんだな。でっかい看板がビルにくっ付いてた。バスって乗り物にも顔が貼り付いてて笑った笑った』
『ミサをバカにするな!』
『暴れるなって、チビ。落とすぞ』
『ウキャッ!?』

 短い足で必死にリュークを蹴ろうとするジェラスには残念ながら翼がない。
 死神の中でもかなり下位ランクに位置するジェラスは知能も身体的能力も低いのだ。それでも死神なのだからリューク同様地上に落ちても死ぬ事はない。だが、翼がないから空を飛べないジェラスは高い所から落ちると想像しただけで恐怖に竦み上がってしまったらしい。
 大人しくなったジェラスをさてどうしたものかと考え、リュークは少し斜め上方に浮いている白い死神を見やった。

『おい、レム。何だってこんな奴を連れて来たんだよ』
『だから言っただろ?うるさくて適わなかったと』
『だからって、人間界に連れて来るか?こいつ確か二桁ランクだろ。二桁ランクの奴は人間界に降りられたっけ?それにお前も、殺す人間を決めてないと降りられない筈だろ。そいつに憑いてなくていいのかよ』
『珍しく細かいことを言うな、リューク。何事にもいい加減なお前らしくない』
『楽しいお空の散歩中に、急に背中に乗っかられたりしたら誰だって怒るっての!』

 リュークは手に掴んだジェラスをレムと呼んだ白い死神に向かって放り投げた。空中を、ボール宜しく飛んだジェラスはすっぽりとレムの手の中に納まり、そのまま白目を剥いて気絶した。

『うわっ、情けねぇ~』
『ジェラスを虐めるな。こいつは箸にも棒にも掛からぬ奴だが、こいつの友達はかなりの大物だぞ』
『は?友達?こいつに友達なんているのか?いっつも一人で人間界を見ているだけの、賭け事も出来ない能無し野郎に?しかも大物?マジかよ』

 信じられないとばかりにリュークはレムの手の中の丸く縮こまった死神をシゲシゲと眺めた。

『小さいのがいいそうだ』
『小さい?』
『あいつより小さい死神は滅多にいないから、ジェラスはあいつのお気に入りなのさ』
『あいつ?‥‥まさか‥‥』
『そう、そのまさかだよ』

 嫌な予感を覚えたリュークが恐る恐るレムに視線を移すと、レムは分厚い唇をニィと歪め白い翼を一~二度大きく羽ばたかせた。

 

 

 KILA ――― その名が初めて人々の口に昇ったのが何時なのか正確には判らない。
 法で裁けない犯罪者を裁く現代の救世主。発祥は恐らく犯罪大国アメリカだろう。その国で多くの犯罪者が死に始め、それに気付いた誰かが身勝手な噂を流した。噂が噂を呼び都市伝説へと発展、よくあるパターンと言えばパターンだが、ただの噂で済ますには死んだ犯罪者の数が余りに多すぎた。
 また、死亡原因が全て心臓麻痺という信じられないような事実から ――― 死因がバラバラだったら別の伝説が生まれていたのかもしれない ――― 『キラ』と呼ばれる一モンスターの存在が誕生したという訳だ。
 モンスター、地獄の使者、神の使い、天使。
 世紀末を無事に通り過ぎそう明るくない新世紀を迎えた人々が、不安感故に恐ろしい殺人鬼を21世紀の救世主に祭り上げただけなのか。それとも、噂通りキラの裁きは人類に下された神の鉄槌なのか。
 マスコミが騒ぐ『凶悪犯罪者の相次ぐ変死事件』がそんなカルトな形で世の中に浸透して行く一方、世の権力者達はある種の脅威をキラに感じ始めていた。
 時も場所も選ばないキラの裁き。人種も宗教も、そして富みも地位も関係なく犯罪者であれば情け容赦なく裁いて行くキラ。
 キラが新手のテロリストなら、狙いはアメリカ司法の混乱。そして世界の司法を愚弄すること。その後に来るのは権力への恐喝でしかありえない。犯罪者を殺す事でその力を見せ付け、次は政治家を殺してやると脅す準備段階。
 さてどうしたものかと権力者達が考えている間に、世界中の司法関係者が集まり世界の切り札と呼ばれる探偵にキラ探索を依頼した。通称『L』と呼ばれる本名も顔も年齢も性別も人種も、何も判らない謎の探偵だ。
 そのLが罠を仕掛けキラは日本にいることを突き止めた。TVを使った大掛かりな罠を仕掛け、一人の死刑囚の命と引き換えにキラは直接手を下さず人を殺せる事を証明して見せた。世間はキラとLの対決に夢中になった。キラを救世主と信じる者はキラを応援し、探偵という職業に憧れる者はLを応援した。
 まさかキラの正体がか弱い女の子だとも知らずに。

「あ~ぁ、今日も疲れた‥‥お肌ボロボロだよぉ。早く帰ってお風呂入りた~い」

 弥海砂。ミサミサの名で売り出し中のモデル出身タレント。彼女は自分以外の人間には見えない死神を引き連れ、朝一番の新幹線で東京を離れ大阪に戻った。元々彼女は関西出身で昨日はたまたま仕事で東京に居たのだった。そして、たまたま宿泊先のホテルでTVを見ていて、たまたまLの偽ニュースを目にした。
 彼女は確かにキラだ。キラとして犯罪者に裁きを下している。だが、Lが言う所の最初の犠牲者『新宿の通り魔』が裁かれた時、彼女は東京に居なかった。東京どころか日本にさえ居なかった。仕事でサイパンへ撮影に行っていたのだ。だから、彼女はLが目星をつけたキラではない。
 それでも今現在のキラは彼女だ。何故なら、キラと呼ばれる裁きの主は一人ではなかったのだから。

「でも!頑張ったお陰で明日から3日間オフだもんね~!今夜はゆっくりお風呂に入って、明日は一日寝て過ごすのだ~!でもって、2日目はショッピングかな?新しいブーツ欲しいんだよね~!」

 大阪に着くなりぶっ通しで3本の仕事をこなした彼女は、撮影スタッフの『飲みに行かないか?』という誘いを断り、一人タクシーで自分のアパートへと帰って来ていた。事務所に用があったマネージャーの伊達女史とはタクシー乗り場で別れている。
 だからこれは彼女の独り言だ。独り言にしては声が大きいのは、直ぐ傍らに居る死神リュークに話しかけているからだ。リュークは彼女意外に見えないので他人からすると独り言にしか聞こえないという訳だ。

「でもね、本当はね、デートがしたいんだよね~。ステキな男の人とさぁ、ユニバーサルスタジオにでも行くの」

 両親のいない彼女のために事務所が用意してくれたアパートは大通りから少し奥へ入った5階建て1LDKの物件だ。少し古いけれど、斜め向かいに交番があることから女性の入居率が高い。両隣の部屋が同じ事務所の子というのも結構便利である。ただし、同じ時間に部屋にいる確率はかなり低かったが。
 そんなアパートの3階に彼女の部屋はあった。ダイエットに余念の無い彼女はエレベーターではなくいつも階段を使う。その階段を昇りながら彼女は独り言を続けていた。

「ねぇ、聞いてる?リューク」

 彼女は近くに誰もいない安心感から、傍から見れば何も無い空間に視線を向け明から様にリュークに向かって話しかけた。

「今朝から何か変だよ、リューク。ミサの話ちっとも聞かないし、いつものお喋りも、クククっていう鳩みたいな笑い方もしないし。何だかキョロキョロしっぱなしで挙動不審な怪しい人になってる」

 あ、人じゃなかったっけ ――― そう言ってケラケラ笑ったミサは、やっぱり何も言わないリュークにピタリと笑いを止め宙に浮いた死神をじっと見上げた。

「リューク」
『んん‥‥‥?』

 死神は彼女の言葉を聞いているのかいないのか、相変わらずキョロキョロ周囲を見回しあまり彼女に注意を向けようとしない。どちらかというとその表情は困惑気味で何処か焦っているように見える。何かを探しているというより何かを警戒しているかのようだ。

「ねぇ、何かあったの?リューク?」
『ん~‥‥』
「今日1日中そんな感じだったよね。何を気にしてるの?白状しないんだったら、ミサの部屋に入れないよ。林檎もあげないんだからね、聞いてる?」
『!』

 その時、リュークの様子が一変した。視線の定まらなかったリュークのギョロ目がある一点で動かなくなったのだ。

「?」

 それに気付いた彼女もそちらの方に視線をやるが、人間の彼女には残念ながら死神リュークに見えているものが見えない。

「もうっ!言わないんならもういい!一週間林檎抜き!!」
『!‥‥ミサ!?待てって‥‥!』

 彼女は残り数段の階段を駆け上がり自分の部屋に飛び込むや鍵を掛けてしまった。勿論そんな事をしても壁抜けの出来る死神には意味が無い。

「リュークのバカ!ミサに憑いてるって言ったくせに!ちゃんとミサの事見てないのは死神の掟に反するんだからね!」

 そんな支離滅裂な事を叫ぶ彼女は、要はリュークの関心が自分に向いていないのが気に入らないのだ。自意識過剰だからではなく、ある理由でもって ―――

「ただいまー」
「お帰り」
「!?」

 キャスター付きの小さなトランクを狭い玄関に放り出し、お気に入りのバッグを抱えてコットンブーツを脱ぐ。某メーカーの白い猫のルームスリッパに履き替え死神の悪口をブツブツ言いながらリビングキッチンに足を踏み入れた彼女は、帰って来るはずのない返事に瞬時にして固まってしまった。
 暗い室内に人の気配はない。しかし、『お帰り』と言った誰かが其処にいる。
 泥棒! ――― そう思った瞬間、何かが太腿に触れた。そして、部屋の明かりが一人でに点いた。眩しい光に反射的にギュッと目を瞑った彼女は身を守るようにその場にしゃがみ込んだ。

『うわぁぁっ!お前ら、何でここにいるんだよ~~!』

 そんな彼女の耳に飛び込んで来たのは、今日ほとんど喋らなかったリュークの妙に裏返った声。

「え?何?」

 思わず振り仰げば、良く見ると味のある髑髏顔を滑稽なほど歪ませたリュークが部屋の奥を指差していた。
 釣られて彼女もその指の先を見ると ―――

「お帰り、ミサ」
「!」

 柔らかい声が再び彼女を迎え入れた。
 声の主はリビングのロングソファに深々と腰掛けた一人の若い男。

「嘘っ!!」

 だが、彼女の目が真っ先に捉えたのはその背後にノッソリと佇む異形だった。

「死神!?」
『そうだ、死神だ。弥海砂』

 リュークと同じ人型の、けれどリュークとは対照的な白い死神。その瞳は猫のように細く鋭く、ミサの一挙手一投足をじっと観察しているかのようだ。怖いと言えば怖いが、既にリュークで免疫の出来ているミサは二人目(?)の死神の出現に心なしか期待を持って立ち上がっていた。

「嘘っ!マジで死神!?え~!何で?どうして?まさかミサに憑きに来たの!?ミサにはもうリュークが憑いてるのにぃ!?」

 キンと甲高いミサの声に一瞬白い死神が眉間に皺を寄せる。

「あ、違うか。そこの男の人に憑いてるのか。ってことは、その人もキラ?」
『‥‥私はお前に憑いているのだそうだ、キラ』
「フフ‥‥」

 そこで漸くミサは白い死神からソファに座る若い男に注意を向けた。

「!」

 男、というより少年に近い若者は間違いなく不法侵入者だ。鍵の掛かったミサの部屋に侵入しミサの帰りを待ち伏せしていた。本当なら今直ぐ悲鳴を上げ誰でもいいから助けを呼ぶか、外へ飛び出し携帯で警察に連絡を取るかしなければならない。だが、ミサはちっともそんな気にならなかった。
 それは、彼が自分と同じ死神憑き、ひいては『キラ』だからばかりではない。

「やだ、カッコイイ!!」

 ソファに座る若者が稀に見るイイ男だったからだ。

「キャ~!誰々!?名前は?年は?何処に住んでるの?見た所大学生みたいだけど、同業者じゃないよね?貴方ぐらいカッコ良かったら、ミサ、絶対忘れないもん!」

 彼女は若者への警戒心など何処へやら、まるでスキップでも踏むような軽い足取りで部屋の奥へと進み若者の隣へと腰を下ろした。

「あっと、ミサの事知ってる?これでもミサ、芸能人なんだよ。最近少しは売れて来たと思うんだけど、知ってるかなぁ?」
「知ってるよ、弥海砂さん。それとも、ミサミさって呼ぶ?」
「キャッ!嬉しっ!!何処でミサの事知ったの?雑誌?テレビ?」
「死神界」
「は?」
「その子と一緒にね、死神界から君のことを見てた」
「その子?」

 若者の言葉にキョトンとなったミサは、その時初めて自分の足に何かが纏わり付いているのに気がついた。

「?ぬいぐるみ?」
「可愛いだろ?ジェラスっていうんだ。これでも死神だよ」
「死神?ぬいぐるみの?」

 それはかの有名なフランケンシュタインを彷彿とさせる継ぎ接ぎだらけの不細工極まりないぬいぐるみ。
 いや、若者の言葉を信じるなら死神であるらしい。
 恐らく身長はミサとそう変わらないだろう。だが、両足を胸に付くほど折りたたみ床に尻を付いた状態でミサの形の良い足にしがみ付く様は、小さい子供か浮浪者のようだ。

「ぬいぐるみじゃないよ。確かにそう見えなくもないけど、ジェラスはれっきとした、シ・二・ガ・ミ。僕達と同じね」
「ふ~ん。死神ってみんなリュークみたいな姿をしてるとばっかり思ってたけど、そうでもないんだね。貴方の死神は真っ白だし。その子はプチフランケンだし‥‥ん?僕達?」

 多少不細工ではあるが、見ようによってはフレンチブルドッグかパグに見えなくもない死神の頭を撫でながら ――― 手触りはミサが持っているエルメスの牛革バッグのように滑らかだ ――― ミサは真横に座るイケメン君の言葉に首を傾げた。

『こ、このバカッ!』

 ここに来て漸く、それまで玄関に立ち尽くしていたリュークが長い手足を振り回し騒ぎ始めた。

『そいつから離れろ!!』
「は?何言ってんの、リューク」

 もっとも、どんなに騒いでも死神の声は死神の姿が見える者にしか聞こえないので近所迷惑にはならないが。

『ミ、ミサは知らないだろうが、そいつはスッゲェ恐ろしい奴なんだ!ちょっとでも怒らせたら、あっという間にデスノートに名前書かれて殺されちまうぞ!』
「やだ、リュークッたら。妬いてるの?大丈夫。ミサの死神はリュークだけだよ。だって、ミサにデスノートをくれて、キラ様の跡継ぎにしてくれたのはリュークだもん」
『妬く!?バカ、そんなんじゃないって!とにかくそいつから、キラから離れるんだ、ミサ!!』
『ダメッ!リュークはもうミサに触るな!』

 何を焦っているのかテーブルを素通りしミサの前に立ったリュークは、彼女の細腕を鷲掴み若者から引き離そうとした。

『ワッ、バカ!!何しやがる、ジェラス!?』

 だが、そんなリュークの足に齧りつき邪魔をしようとするぬいぐるみ、いや、死神ジェラス。

『ミサを最初に見つけたのは僕なんだからね!』
「見つけた?ミサを?」
『あ‥‥』

 死神が頬を紅くするのを初めて見た、とミサは思った。

「ハハハ‥‥リュークが何て言ったか知らないけど、君のことは三人とも前々から知ってたんだよ」
「え?」

 恥ずかしそうに両手で顔を覆いモジモジと身悶えるぬいぐるみ ――― いや、死神ジェラスに視線を落としたミサは、それからリュークを見やり、白い死神に視線を向け、そして最後にソファに座る若者を見やった。
 優雅に微笑む若者は、精巧な人形のように整った顔をしている。栗色の柔らかそうな髪に覆われた小さな頭は奇麗な卵形、くっきりとした二重の琥珀色の瞳は天井の明かりにキラキラ輝きまるでロックウィスキーのよう。意志の強さを思わせる、それでいて優しげな柳眉。小鼻まで形の良い鼻と仄かにピンク色の唇はとても上品な印象を与える。改めて見ても、若者はミサが知っているどんな芸能人よりハンサムだ。

「あ、あの‥‥貴方はいったい‥‥」

 どうやら彼はリュークの知り合いらしい。リュークは言うまでもなく人間ではない。では、そのリュークの知り合いらしい彼はいったい何者なんだろう。

「僕?僕はキラ」
「キ、キラ!?」

 その名を聞いたとたん、ミサはバッとリュークを振り返っていた。

「この人がキラ様なの!?このカッコイイ人がミサの家族を殺した犯人を裁いてくれたキラ様なの!?」
「あぁ、違うよ。それは人間のキラだ」
「え!?」

 だが、リュークの答えを聞く前にキラと名乗った若者が答えをくれた。

「僕は死神のキラ。君の家族を殺した男を裁いたのはリュークが最初にデスノートを与えた人間だよ」
「死‥‥死神?」
「そう、死神」

 まさかとは思っていたけれど、どうやら目の前の若者は本当にリュークと同じ死神らしい。
 けれど、人型とはいえ何処からどう見ても人間に見えないリュークと違い、目の前のキラと名乗った死神は何処からどう見ても人間にしか見えない。しかも滅多にお目にかかれない超美形だ。

「嘘‥‥全然そうは見えない‥‥」
『キラは私達と同じ死神だ。見た目はお前達人間そっくりだが、銃で撃たれても死なないし、物を食べる必要も眠る必要もない。壁抜けだって出来る。この部屋へ入れたのもそのお陰だ』
「か、壁抜け‥‥」

 だったら鍵の掛かっているミサの部屋に入れたのも頷ける。

『ちゃんと空も飛べるんだよ』
「空?」

 驚きの連続にミサは大きな目を更に大きく見開き、床に座り込んだままのジェラスと呼ばれた死神をまじまじと見やった。

『そ、そうだよ。ぼ、僕は下級死神だから空は飛べないけど、キラはリュークやレムより死神ランクが上だから、す、凄い立派な翼を持ってるんだ!』
「‥‥‥」

 そう聞いてミサは翼の生えた若者の姿を想像した。

「やだ!カッコイイ!!」
「?」
『ミサ?』
『何だ、この娘』

 いきなり黄色い声を発し握り締めた両手を口に当て、足をジタバタさせて身悶えしだしたミサに、死神達は何が起きたのかと互いに目を見交わした。

「ね、ね!翼!翼、見せて!見せてくれたら貴方が死神だって信じてあげる!」
『ミ、ミサ!バカ!キラに向かって何て事言うんだ!』
『リューク、何だ?このイカレた娘は』
「見せてよ~!貴方の翼、見せて~~!」

 それは正にミーハーな今時の若い女の子そのまま。けれど、死神達の目にはただ五月蝿いだけの小娘にしか見えない。

『す、すまん!キラ‥‥!ちゃんと言い聞かせるから怒らないでくれ~~!』
「ハハハ、リューク。どうして僕が怒るんだ?」

 慌てたリュークはソファからミサを抱き上げ、なるべくキラから離れた場所へと避難した。

「ちょっと!何すんのよ、リューク!離しなさいよっ!!ミサは彼に翼見せてもらうんだからぁ~!」
『うわぁ~!だからそれが大それた望みだって言ってんだよぉ!!』
「リューク」
『うわっははいっ!今黙らせます!この小娘の名前をノートに書いて直ぐにでも!!』
「誰がそんな事をしろと言った」
『!』

 瞬間、絶対零度の殺気がリュークに突き刺さる。

『う、あ‥‥』

 銃で撃たれても死なない死神にも怖いものがあるらしい。

「いいよ、ミサ。僕の翼、見せてあげる」
「きゃ~~!ホントォ!?嬉し~~~!」
『キラ?』
『ワ~イ!キラの翼!僕も好き~~!』

 リュークを一言で黙らせたキラは徐に立ち上がり、リュークの腕の中のミサに天使もかくやという笑みを向けた。

「!!」

 瞬間、女の子らしい小物で一杯のリビングに大きな翼が広がった。
 それは人の手が及ばぬ山に降り積る新雪のように穢れなき真っ白な翼。まろく輝くヴァージンホワイトの翼だった。

「‥‥本当に‥‥翼だ‥‥」

 リュークのような破れた羽を繋ぎ合わせた貧弱な翼ではなく、白鳥か白鷹を思わせる立派な翼は彼の呼吸に合わせるかのように緩く前後に動き、その度に白い綿雪のような羽毛をひらりひらりと降らせている。
 それがまるで幻のように美しく、ミサはただボォッと見惚れてしまった。

「死神って言うより‥‥まるで、天使みたい‥‥」

 感激の余りそんな言葉が無意識にミサの口から漏れ、それを聞いた死神キラはほんの少し眉を顰め、広げた時と同じ一瞬でその美しい白の翼を隠してしまった。

「あぁ~ん、もっと見たかったのに~!」
「もう充分だろ。で?これで僕が死神だって信じてくれた?」
「うん!信じる、信じる!貴方は間違いなく死神です!死神の中で一番カッコイイ死神!」
『リューク‥‥お前、とんでもなく軽い小娘を選んだんだな‥‥』
『言うな、レム。俺もここまでだとは思わなかったんだよ。死神界から見てた時はもうちょっとマトモだと思ってたのに‥‥』
「やぁね、リュークったら。ミサはマトモだよ。マトモだから、悪い奴を裁いてるんじゃない。自分の罪を償おうとしない、生きてても人に迷惑しかかけない悪い奴をね」

 ミサはそう言うとリュークの腕を振り払い死神キラの元へと駆け寄った。

「改めて、今晩は!私、ミサ!弥海砂!何人目か知らないけど、志半ばで死んじゃったキラに代わって、今キラをやってま~す!」
「知ってる。リュークが最初にデスノートを渡したのは、末期癌の元刑事だったそうだ」
「そうなの?」

 そこまでは知らなかったミサは一旦リュークを振り返り、それからまたキラに視線を戻した。リュークは余りそういう事は話してくれなかったからだ。

「とても正義感の強い刑事だったらしいよ。昼夜問わず骨身を惜しんで働き数多くの犯罪と戦い、常に弱者の味方でありたいと願っている男だった。けれど、世の中には悪い奴がいて、法の不備を付いたり汚い裏取引で刑を逃れるんだ。そんな犯罪者にその刑事も何度も悔しい思いをしたらしい。おまけに取り逃がした犯人の報復で家族を皆殺しにされてしまって‥‥」
「ミサと同じ‥‥」

 思いがけない話にミサの浮かれた気分はシュンと沈み、過去の悲しくて辛い思い出に目を伏せた。

「ミサのママもパパも‥‥強盗に殺されたの‥‥その犯人、ミサが目撃したのに、証言が不確かだって言われて無罪になっちゃって‥‥ミサ、悔しくて悔しくて、毎日泣いてた‥‥」
「その犯人をキラが裁いたんだね」

 ミサがコクリと頷くと、キラがそっとミサの肩を抱き寄せてくれた。

「元刑事だったその男は‥‥家族を失ってからも刑事を続けていたんだけどね、病気になって泣く泣く退職したんだ。末期癌で入院している病院にリュークがデスノートを持って現れた‥‥後は判るよね?」

 そういう経緯があったのならキラが生まれて当然だとミサは思った。その刑事は残り僅かな命で自分が取り逃した犯罪者達を裁いたのだ。そして、それ以外にもミサのような被害者の無念を晴らそうと、世界中の卑怯な犯罪者を裁いた。その中にミサの家族を殺した男もいたという訳だ。

「その人‥‥どうなったの?」
「死んだよ。寿命が来て、眠るように死んだ」
「リュークがそうデスノートに書いたの?」
「あぁ。癌はとても苦しいからね。キラの命があと半日になった時、リュークが彼の名前をノートに書いた。眠るように死亡って」
「リューク、結構優しいトコあるじゃん。顔は怖いくせに」

 最初のキラは、この世界を心の優しい人間だけが住む世界にしたいと願っていたらしい。弱い人達が安心して暮らしていける世界にしたかったらしい。裁きといっても人殺しは人殺し。自分は地獄に堕ちても構わないから、残り少ない命で何処まで世界を奇麗に出来るか判らないが、少しでも世の中を良くしたいと思っていたらしい。
 けれど、結局男はノートを手にして僅か1ヶ月で死んでしまった。
 その後ノートは数人の人間の手に渡った。彼、もしくは彼女は、デスノートが噂のキラの力の源だと知るやキラの真似事をして裁きの神の快感を一時味わいはしても、直ぐに飽きて自分の欲望を満たす事に夢中になった。
 そんな有りがちなパターンに退屈したリュークが持ち主達を殺し、巡り巡って今、ミサが持ち主となっていた。
 ミサはキラに感謝していた。救世主と囁かれるキラに恩返しがしたいと思っていた。
 そして、ノートを手にし、リュークからキラが病気で死んだと聞かされ自分が代わりに裁きを行おうと決心した。

「ミサ‥‥ミサみたいに悲しい想いを、悔しい想いをしている人達の無念を晴らしてあげたい‥‥野放しになっている犯罪者達がまた悪いことをしないよう裁く‥‥そうやって裁きを続けていけば、キラのことをみんなが認めれば、キラの裁きを恐れてみんな悪い事なんてしなくなる‥‥そう思わない?」
「あぁ。ミサは賢いね」

 死神のキラに優しい笑顔でそう言ってもらったとたん、ミサの奇麗な瞳から涙がポロリと落ちた。
 キラなるのだと硬い決心をして既に何人もの犯罪者の名前をデスノートに書いてきた。この世には決して悪を許さない存在がいるのだと世の中に知らしめる事で犯罪の抑制になればと、そう信じてやってきた。それでも、人を殺している事実は変わらない。心の何処かに自分の行いに恐怖し後悔する気持ちがあったのだろう。
 たった独りでやらなければならない、誰にも決して相談できない。その苦しみが知らず知らず心の奥底に溜まっていたらしい。
 リュークは秘密を共有しているだけで決して味方とは言えず ――― 自分は傍観者だと本人も言っている ――― 誰でもいいから自分を認めて欲しかったのだ。しかも、Lとかいう訳の判らない奴が出て来て『キラのやっている事は悪だ!』などと言い出し、平気そうな顔をしていたけれど、本当は不安で不安で堪らなかった。
 だからキラの言葉を聞いたとたん緊張の糸がプツリと切れた。自分のやっている事は決して無意味な事ではないのだと、そう言って貰えた気がしてホッとした。

「嬉しい‥‥ミサ、キラをやって良かった‥‥」

 相手が人間ではないということも忘れ、暫しミサは溜まっていた苦しみを涙と共に吐き出す事に専念した。

 

 

 

 気が付くと、既に陽は昇っていた。
 カーテン越しでも判る外の明るさに、慌てて飛び起きたミサは辺りをキョロキョロ見渡した。

「夢‥‥?昨夜の事は‥‥夢だったの?キラ!?」
「何だい?ミサ」

 思わず昨夜会った死神と名乗る若者の名を叫ぶと、寝室のドアが開き、そのキラが顔を覗かせた。

「!‥‥夢じゃ‥‥なかった」
「ハハハ、酷いな。僕は夢じゃないよ」

 彼は昨夜と同じ優雅な仕草でミサのベッドまで歩いてくると、彼女の頬にそっとキスをしてくれた。

「!」

 今でこそアイドルなんかしているけれど、関西のごく普通の家庭で生まれ育ったミサにキスの習慣はない。声もなく驚いた彼女は離れて行くキラの夢のように奇麗な顔をまじまじと見つめ、それからカッと熱くなった頬を両手で隠した。

「な、何てことすんのよ!?」
「え?キス、嫌だった?人間って、お早うやお休みのたびにキスするんだろ?こんにちはって時も‥‥」
「それは外国の話し!日本じゃしないの!!」
「そうなんだ」

 キラは蜂蜜色の文字通りキラキラした瞳をクリッと動かし、恥ずかしさで真っ赤になったミサを首を傾げなら見つめ、

「朝ごはん用意してあるから食べない?」

 と、軽い口調で言った。
 こんな些細な事でも彼は人間じゃないと再確認しながら、ミサは自分が昨日の服のままベッドで寝ていた事に今更ながらに気付き、手早く別の服に着替えリビングへと向かった。

『遅い起床だな、小娘』
『ミサ!お早う!』
『‥‥遅いぞ、ミサ』

 そこにはリュークを初めとする如何にも死神らしい風体の死神が三人、思い思いの場所に座りこんでいた。
 リュークはいつもどおりロングソファに。レムという名の白い死神はキッチンテーブルに、そしてジェラスはテーブルの下に無理矢理納まっている。

「座って、ミサ」
「あ、うん」

 非現実的かつ非日常的光景にクラリと眩暈を感じながら、ミサはキラに促されるままレムの向かいに座った。

「これは?」
「近所のコンビニで買ってきた」
「コンビに?買った?どうやって!?」

 キッチンテーブルには、サンドイッチとサラダ、それからフルーツジュースが並べられている。どれもナイロンの袋やパックから出され奇麗に皿に盛り付けられているけれど、どう見ても近所のコンビニの商品だ。

「どうやってって、普通に買ったよ」
「だ、だって!死神の姿はノートを触った人間にしか見えないんでしょ!?だいいち、死神がどうして人間のお金なんか持ってるの!?」
「コンビニの店員が持って行って良いよって言ってくれた。側にいた若い女性もどうぞどうぞって」
「‥‥‥」
『キラは特別なんだよ』
「え?」

 いきなり足下から声がして、海砂はあわてて上体を倒しテーブル下を覗き込んだ。

『キラは特別な死神だから、人間に姿を見せたい時は自分の意思でそうできるんだ。それに、キラがニッコリ笑えば、みんな喜んでキラに何でもしてくれるんだよ』

 テーブル下にちんまり収まったジェラスは相変わらずモジモジした仕草ででパッチリ目が合ったミサを嬉しそうに見ている。
 嬉しそうに、と言うのはあくまでミサの主観だが、恐らくそれで正しいだろうと思う。これでもミサはもてる。異性から告白された回数は二桁に昇る。その豊富な経験からすると、このジェラスの反応はミサに恋する者の反応に酷似していた。だが、今はそれどころではない。
 キラとジェラスの言葉を総合すると、

「これ、お金払ってないの?」
「そうなるかな?」

 ニッコリと、何一つ悪びれる事無く微笑むキラに、ミサは眩暈がした。
 それは『買った』ではなく『貢がれた』だ ――― そう言ってやりたかったが、確かにこの奇麗な死神相手なら自ら命を差し出す人間がいてもおかしくないかもしれない。

「そんなことより、食べて。せっかく僕が買ってきたんだから」
「‥‥うん‥‥ありがと」

 あぁ‥‥なんてステキな笑顔なのかしら。何処からどう見ても理想の王子様。彼が死神なら昨夜見たあの奇麗な白い翼も本物‥‥!あぁぁ‥‥!彼の優しい腕に抱かれて空を飛んでみたい‥‥!
 一瞬でそんな妄想をめぐらせ、ミサはフラフラとサンドイッチに手を伸ばしていた。

「ところで、キラ達はどうして此処にいるの?」

 テーブルのコンビニ朝食 ――― といってももう11時近いのでランチメニューに当たるだろう ――― をあらかた食べた所で、ミサは大事な質問を口にした。

「死神って確か、デスノートを持っている人間に憑いてないといけないんでしょ?ミサはリュークのノートは持ってるけど、キラ達のノートは持ってないよ」

 だから初め、キラは人間でレムがそのキラに憑いている死神だと思ったのだ。

『何事も特例というものがあるんだよ』

 その疑問に答えてくれたのは白い死神レムだった。
 彼女 ――― 何とレムはメス、女死神だった ――― はキラが冷蔵庫から取り出したアイスクリームをぺろぺろ舐めながら三日月の目でジロリとミサを見やった。いや、本人は決して『ジロリ』などと意地悪そうに振舞っているつもりはない。切れ長の目に紡錘形の瞳がそう思わせるだけだ。

『死神の掟では、死神は無闇に人間界に居てはいけない事になっている。居てもいい条件は、今のリュークのように自分が持っていたノートを人間に渡した死神だけだ』
「それは聞いたよ」
『それから、ノートを渡す人間を探す時と、殺す人間をより深く知るために観察する時、各々82時間までなら人間界に居ていい事になっている』
「という事は、暫くしたら皆死神界に帰っちゃうの?」
『だから特例があると言っている』

 ミサはレムの目が冷蔵庫の中を物色しているキラに向けられている事に気付いた。

「もしかして、キラがその特例?」
『そうだ。キラは‥‥死神ランクがとても高い。だから色々と特例が認められている』
「死神ランク?」
『そうだよ。全ての死神にはランクがあるんだ。ランクといっても、それで特に差別されるって訳じゃないんだけどね』

 初めて聞く話にミサは目を丸くして驚いた。そして、キラからアイスクリームを貰ったジェラスが如何にも不器用そうな指でその蓋を開けるのをマジマジと見つめた。

「じゃぁ、何のためにランク分けしてるの?」
『さぁ。私は知らないな。昔からそうだったし、気が付くと皆ランク分けされていた。ジェラスの言うとおりそれで差別される事もないから、誰も何も言わない』
『ランクが高いほど頭が良くて物知りだ』
「そうなの?」

 ソファに不貞腐れた顔で座り込んでいるリュークの言葉に首を捻るミサ。

『後は、空を飛べるか飛べないかだな』
「え?」
『ジェラスは二桁ランクの死神だから翼を持っていない』
「‥‥そうなんだ」

 蓋を開けたバニラアイスをスプーンを使って食べる事などはなから考えていないらしいジェラスが、横一文字に裂けた口を縫いつけた革紐らしき物の隙間からオオアリクイを思わせる長い舌を出してペロリと舐めるのを、ミサはぬいぐるみに見えてもやっぱり死神は死神なんだなぁと思いながらシゲシゲと眺めた。

「あんた、翼がないの?」
『そ、そうなんだ。僕、翼‥‥持ってないんだ』

 ミサが聞くと、ジェラスは表情らしい表情のない顔を悲しそうに俯かせポツリと告白した。

『翼、ないから‥‥空、飛べなくて‥‥本当は人間界に来ること出来ないンだ‥‥』
「ふ~ん」

 何故そうなるのか理由は知らないけれど ――― 死神達自身も知らないと言っているのだから、これも大昔からの決まりごとなのだろう ――― ランクが高いと翼があってランクが低いと翼がないというのは、人間のミサにとってはとても判りやすい差別化だった。

『でも‥‥』

 そんな事を考えていたミサをジェラスがぬいぐるみのビー玉のような目でじっと見つめる。
 それは何処からどう見ても恋する者の目だ ――― そう感じたミサは彼らが何故此処にいるのか、ジェラスが話す前から何となく判ったような気がした。

『リュークが僕の大切なミサに憑いちゃったから‥‥!ミサがキラになって、Lみたいな変な奴が現れて‥‥僕、心配で心配で!それでキラに頼んで人間界に連れて来て貰ったんだ!』

 興奮のあまり如何にも不器用そうなジェラスの手からポトリとアイスのカップが落ちる。

『さっきも言っただろ?弥海砂。お前を最初に見つけたのはジェラスだ。ジェラスはお前の何処が気に入ったのやら、毎日のようにお前を死神界から見ていた。そのジェラスを私達が見つけ、リュークも私も、それからキラもお前の事を知るようになった』
「あんた、やっぱり私に恋したのね」
『あわわ‥‥』

 ミサにあっさり言い当てられたジェラスは、落としたアイスの事などそっちのけで大慌てでキラの後ろに隠れた。隠れたといっても背丈はキラとほとんど変わらず、それに対して横幅はキラよりあるから、体の半分以上がキラのすらりとした足の横からはみ出している。まさに頭隠して尻隠さず状態だ。

『普通死神は1冊しかデスノートを持っていない。ところが、そこにいるリュークはシドウという死神が落としたノートを卑怯な手段で自分の物にし、それを人間界に落として退屈しのぎのゲームを始めた』
『卑怯な手段って何だよ。俺は別に‥‥』
「死神大王がノートの落とし主を探している時、シドウの物だと知ってて名乗りを上げたのは何処の誰かな?」
『う、あ‥‥』

 レムの言葉に反論しようとしたリュークだったが、ジェラスが落としたアイスを拾い上げたキラにニコヤカな微笑みを向けられたとたん、何故か全身を硬く強張らせまるで鯱のように姿勢を正した。猫背のリュークしか知らないミサはそんな姿に驚き、キラというのは相当ランクが高い死神なんだなと思った。

『リュークは何にもない退屈な死神界を抜け出し人間界に降り立った。そして、シドウのノートを何人もの人間に手渡してきた。巡り巡って今、そのノートはお前の元にある、弥海砂』

 自分が何人目のノートの持ち主なのかミサは知らない。リュークはその点もはっきり言わなかった。だが、何人目でも良いとミサは思った。キラとして裁きが出来るのなら ―――

「あっ、そうか。Lとかいう変な奴がキラを死刑台に送ってやる!なんてTVで言ったから、ミサが心配になって人間界に来たのか‥‥今のキラはミサだから」
『そういうことだ』

 レムは小さく溜息をつくと、未だキラの足にまとわりつき隠れているつもりのジェラスをチラリと見やった。

『お前がキラになって裁きを始めた時から、リュークが羨ましいとか、リュークのバカとか。何かと五月蝿くて仕方がなかったんだが、Lが現れてからはもっと五月蝿くなった。ミサが大変だ!ミサが殺される!リュークのせいで殺される!‥‥ジェラスを黙らせるには人間界に連れて来るしかなかった。だが、ジェラスにはその資格がない。それでキラに頼んで一肌脱いでもらったのさ。キラが一緒なら82時間という制限もなくなるからね』
「それが特例?」
『キラは好きな時に好きなだけ人間界に降りられる稀な死神なのさ。そのキラが認めたお供の死神も同じように好きなだけ人間界に降りることが出来る。ただし、キラが死神界に戻れば一緒に戻らなければならない。それを守らないとキツイ罰が下される』
「凄い!キラって、偉いんだ!」
『偉くなんかないって。ただ怖いだ‥‥あわわわ‥‥!』

 ミサがカッコイイ!と褒め称える後ろでリュークが何か言おうとしたが、やはりキラの微笑み一つで沈黙を強いられ、口を利くどころか石像のように動かなくなってしまった。

「ありがとう!プチフランケンちゃん!ミサの事心配してくれたんだね」

 プチフランケンがどうやら自分を指していると気付いたジェラスが、信じられないことに頬を紅く染めモジモジとキッチンの床にのの字を書き始めた。

「やだ!カワイイ!」
『可愛い‥‥か?それ‥‥』

 キャッキャッと喜ぶミサの気が知れなくて、レムは心なしか引き気味の表情になった。
 血の通っていない死神のくせに頬を紅くするジェラスもジェラスだが、そんなジェラスを可愛いと言い切る人間が心底理解できないレムだった。

「という事で、ジェラスの気が済むまで僕達はここにいるつもりなんだけど‥‥」
「!それホント!?」
「死神の僕達は人間と違って物体透過が出来るからね。部屋が狭くなる心配はないよ。風呂もトイレも使わないし、食事もしない。世話要らず金要らずの同居人になれると思うんだけど、どうかな?」
「キャ~~~!」

 いきなり耳をつんざくような黄色い悲鳴を上げたミサに、レムもジェラスも、そしてリュークとキラもビクリと肩を揺らすほど驚いた。

「嬉しい~!!キラと一緒に住めるのね~~!」
『な、バ、バカミサ!幾らキラが人間に似てるからって、そいつの言う事なんか信用すんな!そいつは一見優男風だがな、どの死神よりもオッソロシイ奴なんだぞ!!』
『バカはリュークの方だろ!キラは怖くなんかない!すごく優しいんだから!!何の取り得もない、空も飛べない僕の数少ない友達なんだ!その友達を悪く言うリュークなんか、こうしてやる~~!』
『うわっ!止めろジェラス!!俺の足を齧るな~~~!』

 ソファの上で繰り広げられる大小2匹の死神の取っ組み合いに白い死神のレムは肩を竦め、向かいの席で恥ずかしげもなくキラに抱きついている人間の女の脳天気さに大きな溜息を漏らした。

『では、私達は此処にいていいんだな?弥海砂』
「いいよ~!好きなだけ居て~!なんだったら一生居てもいいからね~~!」
『いや、私達の方が長生きだから。というか、死なないし‥‥』

 そう答えて、今のミサの言葉が自分達にではなく、キラ一人に言った言葉だと気付きレムは再び溜息を漏らした。

「エヘヘ~。キラと同棲~!嬉しいな~~!」
「ミサは僕と一緒で嬉しいの?死神と一緒で怖くない?」
「そんなのリュークで慣れちゃったよ~。大丈夫!キラ、カッコイイから全然怖くないもん。むしろ大歓迎!!」
「そう?ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうなの!ミサと一緒に居てくれて」
「もしかして、淋しかった?」
「!‥‥エヘ、ちょっとね」

 つい先ほど会ったばかりだというのに早くも恋人のようにキラの膝の上に座り込んだミサは、赤く染まった頬とキラの奇麗な顔にボ~ッと見惚れた潤んだ瞳で彼を見つめている。そんなミサの腰に優しく手を回したキラもまた、煙るような眼差しをヒタリと彼女に向けている。
 それは何にも知らない初心な娘を誑し込むプレイボーイそのものだったが、死神達には何の意味もないことだったので、彼らはミサの肩越しに冷たく笑うキラの氷のように鋭い眼差しを全く気にしなかった。

「よし!同棲すると決まれば、買い物行かなくっちゃ!」
『買い物だぁ?』

 唐突なミサの言葉に、何とかジェラスを引き剥がしたリュークが素っ頓狂な声を上げる。

「そうだよ。だって、此処にはミサの分の食器しかないもの。それに歯ブラシとかマグカップとか。全部お揃いで揃えなくちゃ!それが同棲の醍醐味ってもんでしょ?」
『キラは俺と同じ死神だぞ!歯も磨かないし、物も食べない!寝る必要もないからパジャマも要らない!買い物なんかする必要が何処にあるってんだ!?』
「いいの!形から入る恋もあるの!」
『うわっ!恋だって!死神と人間の恋が実る訳ないだろ!!バ~カ!』
「うるさい!もうっ!黙っててよ、リュークは!」
「そうだよ、リューク。こんな可愛い女の子にあんまり汚い言葉を使うんじゃないよ」
『!!』
「やだ~!ミサ、可愛い?可愛い?」
「あぁ。ミサは可愛いよ。それに頑張ってる」
「!」

 キラの一言で黙ってしまったリュークの事など忘れミサは再びキラの顔を見つめた。

「僕はね、ミサ。君を応援するために、そして、守るために来たんだ」
「‥‥ミサを、守る‥‥?」

 ミサが知る中で一番奇麗な瞳にボンヤリと自分が映っているのが見える。

「キラになって、心優しい人が、弱い人が安心して暮らせる世界を創るんだろ?僕は死神だけどそれを応援したい。君達人間を殺して生きているけれど、人間が嫌いって訳じゃないんだ。だから‥‥」
「Lから‥‥ミサを、守ってくれるの?」
「あぁ」

 微笑みながら深く頷いたキラにじんわりと涙が滲み出る。キラに泣かされるのはこれで2度目だけど、どちらも嬉し涙だった。

「Lはきっと卑怯な手段でキラに迫ろうとするだろう。殺される可能性が大だったにも拘らずLは他人を身代わりにした。直接殺したのはキラだが、そうさせたのはLだ。死刑囚とはいえ人一人平気で殺しておいて正義面しているLを僕は正義とは認めない。キラを死刑台に送ると言った奴を僕は決して許さない」
「キラ‥‥」
「だからキラは‥‥ミサは僕が守る。死神の僕には色々と制限があるから積極的に手を貸すことは出来ないけど、出来る限りミサを守るよ。いや、守らせて欲しい」
「キラ!」

 笑みは消え、真剣な眼差しが自分を見つめている。その暖かな手は自分の背中に回され、全身で包み込んでくれている。
 それは両親を不幸な形で失って以来、初めて感じる心休まる一時だった。
 心休まるだけではない。体の芯から熱くなる、そんな不思議な感覚だ。
 ミサはその感覚を知っていた。
 これは恋だ。
 ジェラスと同じように自分は今恋をしている。

「キラ‥‥好きになって、いい?」

 好きだとはっきり言うのは何処か恥ずかしくて。だけど、どうしても心を抑えられなくてミサは瞳を潤ませながらそう聞いた。

「僕こそ、ミサを好きになっても良いかな?僕は死神だけど」
「そんなの気にしない!」

 恋は障害があればあるほど燃えるという。ミサもご多分に漏れず、胸の内で『禁じられた恋!?』などと一人燃え上がっていた。

『ミサ‥‥そうだよね。キラは僕と違って何でも出来る死神だもんね』

 そんなミサにジェラスがションボリと項垂れる。どうやら、キラにならミサを盗られても仕方ないと諦められるほど、キラは凄い死神らしい。それを肌で感じ取ったミサはキラの膝の上から下りると、再びテーブル下に潜り込んでしまったジェラスの傍らに跪き彼の玩具のような手を取り優しく握り締めた。

「プチフランケンちゃんのことも好きだよ。だって、ミサを一番初めに見つけてくれたのは貴方なんでしょ?ミサを心配してくれたんだよね。ありがとう、ジェラス!これから宜しくね!」
『!‥‥う、うん』

 ミサの愛くるしい行動に驚き、そしてミサの可愛い笑顔にボーッとなりながら、ジェラスは生まれて初めて感じる舞い上がるような感覚に身を浸した。
 死神のくせに一目見た時からミサに恋をしていたジェラスは、人間のようにミサと恋人になりたいとかそんな風に思っている訳ではない。そもそも生殖の必要がない ――― では、どうやって死神は生まれてくるのかというと、それも誰も知らないらしい ――― 死神界に恋愛習慣はないのだから。ただ、生きて笑っているミサをずっと見ていたいと思っていた。
 翼がないから他の死神のように人間界に降りられず ――― 降りようと思えば降りられる。ただし、帰ることはできない。つまり飛べない死神にとって人間界行きは一方通行なのだ。それに人間界での移動は自分の足で歩くしかない。ジェラスは歩くのが非常に苦手な死神だった ――― 遠く死神界から見ているしかないと諦めていた。
 それが、自分の後ろでミサを覗き見しては『あの女ちっこいな』とか好き勝手言っていたリュークが、何時の間にか人間界に降りて、何時の間にかミサの側にいた時はビックリしたと同時な腹が立った。腹が立ったどころか酷く気分が悪くなった。
 それを数少ない死神仲間のレムに話したら、レムは呆れたように『人間みたいだな、ジェラス』と言った。
 それから、あれよあれよという間にミサはキラになりデスノートで同じ人間を殺し始めた。デスノートを使った人間の魂は死後、天国でも地獄でもなく、人間も死神も誰も知らない世界へ堕とされると言われている。
 死神に取り憑かれた人間は不幸になるとも‥‥‥
 だから心配の余りレムに泣きつき、自分を気に入ってくれているキラに頼み込んで人間界へ降りて来た。初めは死神界へ帰るようリュークを説得するつもりだった。その後はまた、死神界からこっそりミサを見守ろうと思っていた。
 それがまさか一緒に暮らすことになろうとは思ってもいなかった。嬉しい誤算だ。
 ミサの関心がキラに向いているのは明らかだけど、キラは誰もが認める死神。自分はキラの足下にも及ばない。だからミサがキラを好きになるのは当然。
 少し寂しいと感じたけれど、リュークの時のように気分が悪くなる事はなかったので、ジェラスはみんなでミサの家に住むことを素直に喜んだ。

「さ!そうと決まればお買い物よ!」

 立ち上がるなり寝室に走ったミサは手早く着替え化粧もバッチリほどこし、可愛らしいポシェットに財布とカードを入れて死神達の所へ戻って来た。

「えっと、キラは何にもしなくても人間の目に見えるんだっけ?」
「あぁ。姿を消すも現すも自由だよ」
「じゃあ、見えるようにしてて」
「いいけど?」
「他の三人は一緒に来る?それともお留守番する?」
『俺は憑いてくよ。嫌だけどな』
『私は留守番している』
『ぼ、僕もお留守番。歩くの苦手なんだ』
「判った。じゃぁ、お土産買って来てあげるね。何がいい?」

 ミサは何の躊躇いもなくキラの腕に自分の手を回すと、少々呆れ気味に肩を竦めたレムと相変わらずもじもじしているジェラスを見やった。

『では、アイスクリームを買ってきてくれ』
『ぼ、僕は何でもいい‥‥』
「OK!」

 行ってきま~す!と、誰が聞いても脳天気な声を上げキラを引っ張るようにしてミサは買い物に出かけて行った。

『うわっ、うわっ!どうしよう!ねぇ、レム。僕本当に此処に居てもいいの?ミサと一緒に居てもいいの?』
『あの娘がそうしたいと言ったのだ。キラもそのつもりのようだし構わないだろう』
『※◎▽〇★*!!』
『あぁ、ジェラス、嬉しいのは判るがもう少し静かにしてくれ』

 ミサが出て行ったとたんテーブル下から這い出して来た馴染みの死神は、伸ばした事があるのかと疑いたくなる不恰好な足で、やはり不恰好にピョコピョコとリビングを飛び跳ね始めた。

『恋をすると人は変わると、人間達は言っている様だが、死神もそれは同じらしいな』

 恋する死神、しかも人間に恋する死神なんて初めて見た ――― そう思いながら、白い死神のレムは喜びの余り奇妙奇天烈な声を発し辺りを転げ回るジェラスを温い眼差しで眺め続けた。
 お世辞にも出来が良いとは言えないジェラスは無口で大人しい毒にも薬にもならない死神だ。気の利いた会話も出来なければ賭け事も出来ない、何をやらせても半人前以下のダメな死神。そんなジェラスを何故キラが気に入っているかと言えば、ジェラスが死神の中でも比較的小柄なキラとそう変わらない大きさだからだ。
 キラは結構プライドが高い。能力的にキラに勝てる死神は死神大王ぐらい ――― 下手をすると死神大王もキラには敵わないかもしれないとレムは密かに考えている ――― な死神界において、身体的に常に見下ろされる位置にあるというのはキラにとって少々面白くない事象らしい。だからキラはジェラスを気に入っている。
 とても身勝手な理由だが、当のジェラスを初めそんな事を気にする死神など皆無なので何ら問題はない。むしろあのキラのお気に入りと言う事で、ジェラスはかなり下位ランクの死神でありながら、他の死神達から羨ましがられていた。それもこれも、キラが滅多に居ない掟無視の死神だからだ。

『それにしてもキラの奴‥‥いったい何がしたくて人間界に来たのやら』
『え?ミサを守りに来たんじゃないの?キラ、そう言っていたよ』

 ふと漏らしたレムの言葉に、浮かれ飽きてミサの部屋の中をノソノソ観察して回っていたジェラスが不思議そうに振り返った。

『いや、まぁ、それもあるだろうが‥‥あのキラがそれだけでわざわざ人間界に来るはずないだろう』
『そうなの?』

 ジェラスがバカで良かった、と思いながらレムは小さく溜息をつく。

『キラは‥‥今でこそ死神を名乗ってはいるが、元々は他の世界から来た存在だからね‥‥しかもあの姿だ。恐らくは死神界以上に人間界に近い世界から来たはず‥‥だから今回の事もリュークにかこつけて古巣に戻って来た、というだけかもしれない』
『やっぱりそうなんだ。キラは本当は死神じゃないんだ』
『知ってたのかい?ジェラス』

 キラの噂ともいえない噂をまさかジェラスが知っていようとは思ってもいなかったレムは、死神の美的感覚から言っても決して可愛いとは言えないジェラスの継ぎ接ぎだらけの顔をまじまじと見つめた。

『だって、キラから聞いたんだもん』
『キラから?キラがそう言ったのか?自分は他の世界から来たって‥‥!』

 意外な事実にレムは驚きを隠せなかった。

『言ってない。でも僕ね、見たんだ』
『何を?』
『キラの本当の姿』

 そんなレムの様子に、比較的死神ランクの高いレムですら知らないキラの秘密を自分だけが知っている!と嬉しくなったジェラスの口が更に軽くなる。

『キラの翼ね、いつもは2枚しか見せないけど、本当は12枚もあるんだよ』
『12枚!?』
『キラキラキラキラ輝いて、とっても奇麗なんだ。キラがその翼を広げると周りがパァッを明るくなるんだよ。まるで人間界みたいにね。それから、キラが空を飛ぶとお星様が降ってくるんだ!』
『星って、死神界に星は見えないが‥‥』
『人間界なら見えるよ。夜空に瞬く白い小さな点‥‥一杯一杯あると奇麗だよね』
『‥‥‥その話、他の誰かに言ったか?』
『言ってないよ、レムが初めて‥‥あ!』
『どうした?』

 急に両手で自分の口を塞いだジェラスに、レムはたぶんあれだろうと思ったが敢えて先を促した。

『今の話し‥‥内緒だった』

 やはりと思いながら、おくびにも出さない。

『安心しろ。私がこの話を誰にも言わなければ内緒のままだ』
『そうなの?』
『あぁ』
『良かった』

 本当にジェラスがバカで良かった ――― そう思いながらも、自分が知ってしまった事は既にキラにばれているだろうなぁとも思う。キラはそんな死神だ。誰もキラの事を知らないが、キラは全てを知っている。

『キラと呼ばれる人間の救世主と死神のキラが組んで、さて、人間界はこれからどうなるのか‥‥』

 当面はLとか言う探偵と追いつ追われつの狩を楽しむつもりだろう。キラがその気になればLを見つけ出し殺す事など簡単なはずだ。だが、恐らくキラは余程の事がない限り傍観者に徹するだろう。それが死神界の掟だとか何とか言って。
 リュークが人間界にデスノートを落としたのが退屈のせいなら、死神のキラが人間のキラに手を貸すのは退屈以上の何かがあってこそ!
 それが何か知ろうとすれば、恐らく命に関わる事態になるだろう。キラなら死神を殺すくらい簡単に違いない。
 レムは、こっそりミサの寝室に入り込み女の子らしくピンク色が目立ついい匂いのする部屋の真ん中で、小さなラグにペタリと座り込みニヤニヤ笑っているジェラスに『人の気も知らないで』と、また溜息を一つついた。

 

 

 

 師走に入りクリスマスのデコレーションが目立ち始めた街並みを、ミサは背の高いキラにぶら下がるようにして闊歩していた。
 ファッションモデルとしてはかなり背が低いけれど、それはそれでちゃんと需要があるのがモデル業界。最近は雑誌モデルからCMタレントに転身し、TVドラマへの進出も始めている。小さくて愛嬌があって、元気で可愛いのがミサの魅力。東京に進出して半年余り、最近は街を歩けばそこそこ振り返ってもらえるようになった。『あ、ミサミサだ』と指差してもらえる。
 キラをしていないミサはそんな少女だ。本当はもう少女と言う年ではないのだが、見た目は未だ未だ10代で通じる。
 そんなミサの歩幅に合わせて歩いてくれるキラは、はっきり言ってミサ以上に目立った。
 現役アイドルタレントのミサと並んで何ら見劣りしない容姿、平均以上の身長、優雅な動き。無地のVネックセーターにジーンズというオシャレ心など欠片も無い恰好にも関わらず、擦れ違う女という女が皆振り返って行く。時には男すらキラに見惚れて足を止める。恋人として是ほど理想的な若者は他にいないだろう。
 そんなキラとこれからは毎日一緒だと思うとミサは嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
 死神と人間、という越えられない壁はあるけれど、死神だからこそミサの行く所へは何処へでも憑いて行けるというメリットもある。また、リュークと違ってキラはメンタルな面が人間のそれとほとんど変わらないようだ。話をしていて苛々する事は全くないし、何よりミサの話を熱心に聞いてくれる。仕事の事を心配しミサの健康を気遣い、そしてLから守ってやると言ってくれる。
 不思議な事にキラにはちゃんと体温がある。触ると暖かいのだ。リュークやジェラスはまるで人形のように冷たかったのに、同じ死神のキラには温もりがある。それがまた嬉しい。心が通じ合うのが一番だが、人間も動物だから肉感は大事だ。
 全く死神らしからぬ奇麗で優しいキラ。
 ミサは少し後ろでブツブツ文句を言い続けているリュークを全く無視して、これからの楽しい同棲生活に想いを馳せた。
 そんなミサを優しく見つめるキラの瞳の奥に、とても冷たい光が隠されていることに人間も死神も気付かない ―――
 何も知らぬLと言う名の探偵が二人のキラのことを知る日は果たして本当に来るのか。

 

 それは、神のみぞ知る。

 

                                                      終

 

 

 

後記
ミサとキラ、パラレルです。
死神の設定を少し捏造。
ベタなタイトルで済みません。思いつきませんでした。
ちょっとテンション低い?続きはありません。