時よ止まれ、君は美しい

※これは第2部のEDを捏造するに当たり考え付いたネタの一つです。
 あまりにバカバカしくて、でも少年漫画ならあり?何て思いながら、ズラズラ状況を考えていました。
 あまりやった事の無いネタなせいかどうにもちゃんとしたストーリーに仕上らず、あっさり没に。
 けれど「偶像崇拝」がちょっと硬くなったので、軽く読み飛ばせる話もいいかな~と思い再チャレンジしてみました。
 シリアス語りですが、本人ギャグのつもりです。皆様もそのつもりでお読みください。
 なお、タイトルに余り意味はありません。ただのカッコ付けです。

 

 

 

Verweile doch! Du bist so schoen.

 

 

 


 「そうだ、僕がキラだ」

 魅上照の先走りのせいで追い詰められた夜神月はとうとう己がキラであると認めた。
 腹の底から嘲笑った後で、氷のように冷たい視線をこの場に集まった者全員に向け、キラは新世界の神だと宣言した。
 勿論そんな事、彼らが認めない事ぐらいキラには判っている。狂っていると思われる事もとうに承知している。
 長々と口上を述べた所で彼らがキラに賛同するとも思わない。ニアにしてみれば正義とは何かなど、どうでもいい話だろう。あの子供はただ勝ちたいだけだ。メロがどうのこうの、前Lがどうのこうのと言ってはいるが、ただの御題目に過ぎない。

「私も同じです。自分が正しいと思う事を信じ正義とする」

 キラは腹の底で笑う。
 お前が何を信じると?
 正しい事?
 お前の正しい事とは何だ。竜崎と同じ、既存の法を犯した者は悪、それを追うLは正義。正義のLは悪を捕まえるのだから何をしても許される。けれど、悪人は許されない。許されないのが悪人。
 それがお前の信じる正義だろ。

「貴方が全ての人間の生きる道を示しその通りに人間が生きていく事は、平和でもなければ正義でもないと私は考えます」

 ハハ、ハハハ‥‥!僕が何時そんな事を言った?誰が僕の言うとおりに生きろなんて言った!?

「そして自分を神と言い、片っ端から人を殺す事は私の中では絶対に悪です」

 だろうな、だからお前はLに為ろうとしたんだろうな。お前には自分がペシャンコに潰す犯罪者しか見えてない。それはきっと、とても面白いだろう。自分に捕まって悔しがる犯罪者を見るのは最高に気持ちがいいだろう。
 一緒に連れて来た有象無象の刑事達は人殺しは悪い事という考えしかない。人殺しを捕まえるのが彼らの仕事。だから彼らはキラを捕まえる。それが当然。それを悪いとは言わない。それが彼らの仕事、信念なのだから当然だ。
 だが、同じように自分にも信念がある。心に誓った事がある。それを悪と非難されようと貫き通すと決意した過去がある。今更決意を翻すつもりは毛頭ない。
 そして、今のこの成り行きをただ黙って見ている者達―――
 判っている、判っているのさ。結局長いものに巻かれるしかないお前達。
 キラが勝てばキラに従い、ニアが勝てばニアに従う。どっちに転んでも自分は助かるよう、それしか考えていない日和見主義者。そしてどっちになってもお前達は満足しない。欲深で愚かで心弱いお前達。
 判っている、判っている‥‥‥人間なんてそんなもの‥‥‥
 だからお前達は何時か腐っていく。朱に交われば赤くなるの諺どおり、権力には逆らえないと不満を抱えたままダラダラ生きていくんだ。

「キラ‥‥私は貴方を殺す気はありません。ノートが本物かどうかも今は関係ない」

 判ってるさ、ニア。お前にとって人の生き死になんて何の意味もない事ぐらい。殺人か事故死か、はたまた病死か自然死か。ただそれだけ。殺人にすら、興味の欠片もない。お前が気になるのは事件。
 そしてお前はデスノートが自分の物じゃないのが気に入らなかった。そうだろ?デスノートなんて巫山戯た小道具で殺人を繰り返すキラに腹が立っただけ。自分がその力を始めて手にした存在じゃないのが不満なんだ。そしてゲームがしたかった。そうだろ?
 ノートを処分するって?嘘つくなよ。この場にキラと二人きりだったら、そんな事言ったか?

「ノートが本物か偽物か‥‥」

 延々くだらない事を言ってさり気無く彼らから離れたキラは腕時計の仕掛けを作動させた。

「仕込んだノートだ!」

 レスターが叫ぶ。
 その直後、倉庫内に一発の銃声が半鐘のように鳴り響いた。

「ううっ‥‥!」
「松田‥‥」

 それは松田桃太が撃ったもの。

「バカヤロウ‥‥!」

 やっぱりそうだと、キラは思う。右手から全身に走る痛みに眉を顰め唇を噛み締め、泣きながら自分を睨みつける男を振り返る。
 やっぱり口先だけだった。

「な‥‥何だったんだ‥‥局‥‥いや次長、夜神次長‥‥君のお父さんだぞ‥‥君のお父さんは何のために‥‥」

 どうやら夜神総一郎が死んだのはキラのせいだとこの男は言いたいらしい。
 あぁ、そうだろう。キラのせいだ。そうさ、死神にノートを持たせてこれでメロを殺すよう指示したのだから。けれど、そもそもメロがデスノートを欲しがらなければこんな事にはならなかった。ニアに勝ちたいためだけに欲しがらなければ‥‥そしてお前達が土壇場で怖気つかなければノートを使う前にメロを殺せた。
 それでもやっぱりキラのせいか‥‥あぁ、そうだな。キラが全ての発端だな。それならそれで構わない、それでいいさ!
 何が『僕には完全に悪だとは思えない』だ。

『しかし、キラは悪と戦っているとも思うんです』
『でも、僕にはキラを救世主と言ってる人の気持ちも判るんです。僕も、いつも弱い立場の方の人間だったから‥‥だから、判るんです』

 何が判るって?
 違うだろ。自分じゃ何も出来ないと判ってるだけだろ。弱い自分には何も出来ない。だから代わりにやってくれるキラにエールを送っていただけだろ。自分の手は汚さずキラにやらせて、キラが勝てば初めから応援してました、みたいな顔をするんだ。
 そしてキラが負ければ、僕は刑事だ、僕は正義だ、お前は悪だと言って貶すんだ。今みたいに。
 信じちゃいなかったが‥‥それでも心の何処かで信じたかったのに‥‥‥
 所詮人間なんてこんなもの。何処まで行っても自分勝手な生き物でしかない。
 そして自分もその人間の一人。
 神になりたかった‥‥‥
 神になって、人という矮小な精神から抜け出したかった。
 そうでなければ、いっそ本当に‥‥ただのクレイジーな殺人狂だったらどんなに楽だったかしれない‥‥‥

「僕を撃つのか?松田‥‥」
「!う、撃つとも!お前は‥‥お前は父親を死に追いやった!」
「やめておけ‥‥後悔する事になるぞ‥‥」

 四つん這いに蹲り銃を構える松田を睨み返す。何時ぞやの言葉などすっかり忘れ感情だけで動いている愚かな男を。

「後悔なんかするもんか!するとしたら、お前を信じたことを後悔するさ!!お前は‥‥お前は‥‥!父親を死に追いやって、話を摩り替え、バカを見たで済ませるのか!?」

 滴る血。

「誰もそんな事、言っちゃいない‥‥さっきからお前達は何なんだ、本当に‥‥ちっとも僕の話を聞いてないだろ‥‥」
「黙れ‥‥」

 この血でニアの名を書けば――― !

「血で‥‥!!」

 小さなノートの切れ端に流れ出た自分の血でニアの名前を書く。
 R、I、

「うわああああ―――!!」

 銃声が三度、またも轟く。
 目の前で今まさに殺人が起きようとしている恐怖に負けた松田が、手にした銃の引鉄を引いた結果だ。
 その弾は狙い違わずキラに命中した。反動で仰向けにひっくり返った殺人鬼の止めを刺さんと走り寄る松田。

「殺す‥‥!こいつは殺さなきゃ駄目だ!」
「止めろ!松田!」

 その涙と鬼のような形相に、キラは笑いが込み上げるのを止められなかった。
 誰が駄目だって?裏切られたのはお互い様だろ。それに‥‥‥
 父を――― 人を助けるために撃てなかった銃を、人を殺すためなら撃てるんだな、松田。

「早まるな!」

 お前は僕を殺して自分の失敗を帳消しにしたいだけだ――― !

「ハ‥‥!」
「松田!!」
「アハハハハハハハ‥‥‥!」

 五発目の銃声は確かに轟いた。

 

 


「アハハハハ、ハハ‥‥ハハハハ、ハッ‥‥‥!」
「!?」

 きな臭い硝煙が薄く広がる空間にキラの狂ったような笑い声が木霊する。

「な、何が可笑しい!」
「ハハハ‥‥ハ‥‥」

 最後の弾はキラの右のこめかみの直ぐ横の床にめり込んでいる。他の三人が止めなかったら間違いなくキラの額を打ち抜いていただろう。

「笑うな!殺してやる!殺してやるぞ!キラ‥‥!!」
「神は‥‥」

 相沢達に羽交い絞めにされながら倒れたキラに何とか銃を向けようとする松田は唾を飛ばしてそう叫ぶ。
殺してやると、何度も。

「そう口にしただけで、人は殺人を犯したも同じだと、仰っている‥‥」
「!?」
「そう、神父が‥‥言ったのを‥‥聞いた覚えが、ある‥‥」

 さも可笑しそうに笑いながら身を捩り俯せになったキラは、もはや使い物にならなくなったノートの切れ端を血に塗れた手で握り潰した。

「何でだろうな‥‥どうして、そんな大切な教えを、説けるくせに‥‥人は欲に駆られ、人を、冒すんだろう‥‥」
「貴様が言うな!」
「僕が、言わなくちゃ‥‥誰が、言うんだ?ニアが代わりに、言って‥‥くれるのか?」
「!!」

 突然出たその名に誰もがニアを振り返る。

「クク、ククク‥‥言わないんだろうなぁ、そんな無駄な事をして、何になるんだとか‥‥言ってな」
「悪足掻きですか、キラ」
「そうじゃないさ‥‥」

 無表情を崩さず、のろのろと立ち上がるキラを観察するニアの黒い目に、情けの一欠片も無いのを見て取りほんの少し臆する日本捜査陣。情けなどキラには無用と判ってはいるけれど、自分達の知っている者が犯人だからそう思うのか、彼らは本当にこれで良かったのかと今になって不安になった。
 所詮ニアは民間人だ。探偵Lの真の後継者だが、刑事でも裁判官でもない。SPKに大統領と言う後ろ盾があった時ならまだしも、今はそういう意味では何の権限も持っていない。その彼がこんなにも大きな顔をしていられるのは、その類まれなる頭脳のお陰だ。
 だが、本当にそれでいいのか?本当にこの子供主体で事を進めていいのか?レスターは元アメリカ政府筋の人間だから、公的機関にキラを引き渡そうと思えば幾らでも出来るはずだ。日本警察に連れて行けば警察の恥は曝せないと握り潰されてしまうかもしれない。だったらやはりここはレスターに――― 
 キラが世界中の多くの人間を殺した―――たとえそれが犯罪者でも、中には罪の無いFBI捜査官もいたのだし――― 殺人鬼であればあるほどそうすべきではないのか、と。
 だがニアは先程宣言した。キラの事もノートの事も一切公開しないと。世の中にいらぬ混乱を招く事を考えればそうするのが一番だろうが‥‥‥
 キラは一生何処かに閉じ込めておくと言ったニア。その何処かとは明らかに監獄を指してはいない。ではいったい何処へ閉じ込めようというのか。それに、閉じ込めたキラをニアが一人の人間として扱う保障が果たしてあるのか――― もし拷問まがいの行為をしたり劣悪な環境下にキラを置いたとしたら、キラが犯罪者裁きに走った動機を咎められなくなるのではないか。
 そんな考えが脳裏を過ぎる刑事達は、そこにニアの人間性を疑う気持ちがあることに気付いていない。

「殺せよ‥‥」
「!」
「閉じ込めるだとか生温い事言ってないで、さっさとこの場で僕を殺せ」
「‥‥‥」

 四発も弾を喰らったキラは満身創痍だ。特に左脇腹の傷は予断を許さない。放って置けば出血多量で死ぬだろう。事実キラの足下にはジワジワ血溜まりが広がりつつある。それが狙いかとニア当たりは冷酷に考えているに違いない。

「殺さないのなら‥‥魅上」
「!?」
「お前がこいつらを殺せ」

 相沢達がハッと振り返れば、Xキラとして捕まった魅上照はニアから少し離れた場所に立っている。ノートに触れない距離ではないが、直ぐ側にはレスター達がいるのだ。到底無理な話である。

「!‥‥か、書けるか、こんな状態で。ノートも偽物‥‥あんたなんか神じゃない‥‥!」

 魅上にもそれが判っているのだろう。彼は青褪めた顔を醜く歪め、キラに対する罵詈雑言を喚き散らした。

「何だこのザマは!何故私をこんな目に遭わせる!あんたは神なんかじゃない!クズだ!!」

 その見苦しさに眉を顰めたのは相沢達ばかりではない。レスター達元SPK側の人間も不快そうに彼を見ている。表情一つ変えないのはニアと、クズと言われたキラ本人。

「クク、ククク‥‥」
「!?何が可笑しい!?」

 松田の時同様突然笑い出したキラに、魅上も腹を立て歯茎を剥き出して唸る。

「これが笑わずにいられるか。そうだろう?」
「チッ、狂ってやがる」

 ペッと唾を吐いた魅上にはキラに対する思い入れは微塵も感じられない。彼にしてみれば、ノートというありふれた道具による簡単な殺人、その綺麗さスマートさが気に入っての神だったのだろう。人の命を左右する優越感を奪われた今は、迫り来る惨めな境遇をまざまざと想像しその怒りと恐怖を誰かにぶつけなければ気が済まないのだ。神気分に浸り悦に入っていたのは魅上自身だというのに。

「期待してたわけじゃないけどね、フフ‥‥」

 そんな魅上の誹りをさして気に留めたふうも無く、キラはフラフラ揺れる頭でニアを見返した。

「やっぱり人任せはダメだったか‥‥」
「!ニア!!」

 その足が一歩前へ出る。
 そこに危険を感じたレスターがニアを立ち上がらせようとした矢先、ジェバンニの銃が火を噴いた。

「バカ!殺してどうする!?」

 銃の残響がまだ耳に残る中、あわててジェバンニを振り返ったレスターは彼の大口を開けた間抜け面に眉を寄せた。

「ジェバンニ?」
「そんな‥‥」

 彼が何を見ているかは明らかで、レスターもキラがどうなったか確かめようとそちらを見た。

「どうして!?」

 傷ついた姿で立ち尽くすキラ。その両手は既に流れ出た血で真っ赤に染まっている。
 ジェバンニの撃った弾が何処かに当たったのか。それにしてはキラの様子に変わりが無いようだが‥‥

「このっ‥‥!」
「ジェバンニ!?」

 早く逮捕をと、レスターが口にする前に再度ジェバンニが銃を撃つ。

「やめ‥‥!?」

 倉庫内に響く銃声と広がる硝煙。
 ジェバンニの銃の腕は知っている。しかも彼とキラの距離は5メートルと離れていない。それなのにキラは立っている。その体はピクリとも動かなかった。
 何故?どうして?
 沸きあがる疑問に何度もキラとジェバンニを見返し、ふとキラの口許に浮かんだ笑みに気付いたレスターは背筋に冷たい物が流れるのを感じた。
 せり上がる咽もとの不快感に嫌な予感を覚える。

「な、何やってるのよ!」

 それはハル・リドナーも同じだったらしい。彼女は素早く銃を抜き取るや躊躇うことなくキラを撃った。

「!?」

 だが、やはりキラに変化は無い。

「そんな!?どうしてっ‥‥!」

 続けさまに3発撃ちキラを傷つけられないと知った彼女は、何か恐ろしいものでも見るような目でキラを見やった。

「あ、あそこ‥‥壁に‥‥!」

 その時、何事かに気付いた模木がキラの背後を震える手で指差した。

「壁?」
「壁がどうした?」

 薄暗い倉庫内。その壁は全てコンクリート製。そこに視線を移した男達は汚い染みが浮いた壁に何やら黒い斑点のような物を見つけていた。それはとても小さくて、一見するとただの釘穴にしか見えないが―――

「え?」
「まさか、あれは‥‥」

 だが、それが弾痕だと気付いた彼らは何とも言えない恐怖に言葉を失った。死神を初めて見た時に匹敵する恐怖だ。

「そんな、まさか‥‥全部、外れたのか?」
「バカな!この距離で外すはずが‥‥!」
「!?松田ッ‥‥!」

 有り得ない事実に誰もが浮き足立つ中、相沢達に羽交い絞めにされていた松田がその手を振り切り、伊出の銃を奪い再びキラを狙った。

「ま‥‥!」

 カチリと檄鉄が音を立てて上がった瞬間、火薬が破裂し鉄を引き裂く音が鈍く轟いた。

「うがぁぁぁぁぁ‥‥‥‥ぁぁっつ!」
「ぐあっ‥‥!」
「松田!?」

 

 

 いったい何が起きたのか咄嗟には判らなかった伊出だったが、自分の顔にビチャリと付着した生暖かい物が血だと気付いた彼は、倉庫の床に仰向けにひっくり返り激しく両足をばたつかせる松田を茫然と見下ろした。

「松田!」

 その右腕は袖が破れ肘の辺りに何か黒い物が突き刺さっている。しかも刺さっているのはそこだけではない。

「!!」

 松田の真っ赤に染まった顔の右半分。その右目から飛び出しているのはバネだ。銃のバネ。

「暴発‥‥?」
「ぃぃぃ、いてぇぇ‥‥!」

 痛がって暴れるたび千切れた親指の傷からボタボタ血を流す松田。

「相沢さん!」
「相沢!?」

 そして振り返れば、松田を止めようとした相沢もまた銃の暴発に巻きこまれ傷を負っていた。彼の左胸に赤い染みがジワリと広がりつつある。心臓に銃の破片が刺さっていれば命に関わる重傷だ。

「な、何をした!?キラ」

 破片が刺さったままなお陰で出血を抑えられている相沢を、後ろから支えゆっくりとしゃがみ込んだ模木がその声に顔を上げる。伊出もまたジタバタ暴れ回る松田を押さえ付けながら声のした方を振り返った。

「!?」

 巨体に似合わぬ恐怖に引き攣った顔を晒すレスターと、今にも逃げ出したそうに怯えきったジェバンニとハル、そして今まで以上に目を見開いた無表情なニア。

「ノートか!?ノートを使ったのか!?いったい何処に隠し持っていた!!」
「ノートで‥‥銃の暴発を‥‥?」

 それなら既に松田は死んだも同然だ。相沢が巻き込まれたのは偶然?それとも―――

「ジェバンニとハルの撃った弾が一発も当たらなかったのもそのせいか!」

 キラの背後の壁にめり込んだ十数発の弾丸。
 何も答えず俯き加減にうすら哂うキラ。

「ノートを出せ!これ以上ノートに名前を書かせてたまるか!」

 その不気味さに耐え切れずキラに飛び掛ろうとしたレスターの体が突然前倒しに倒れた。

「な‥‥っ!?」

 それが自分自身で信じられず、倒れたまま呆然とキラを見上げるレスター。

「No――― !!」
「!?」

 甲高い女の悲鳴が男達の耳に突き刺さった。

「ハル!?」
「ア‥‥ァァァァ‥‥嘘ッ‥‥!」

 今度はハルがキラを殺そうと銃を構えている。だが何やら様子がおかしい。キラに狙いをつけたままいっこうに引き金を引かず、恐怖に震える顔で自分の腕を凝視している。

「う、動かない‥‥!」
「ハル?」
「腕が、動かない‥‥!どうして!?」

 そうこうする内、銃を構えた彼女の右手が油の切れた人形のようにぎこちない動きで徐々に動き始めた。

「いやぁっ!何故!?」
「何をしている!?ハル!!」

 そして事も有ろうにニアにピタリと照準を合わせる。

「違う!私じゃない‥‥!違うのよ!腕が勝手に‥‥!」
「何だって!?」

 すわ!仲間の裏切りか!?と焦ったジェバンニが無意識に銃をハルに向けるが、彼女の金きり声と恐怖に引き攣った顔に漸く何が起きたのかを悟った。
 キラだ。キラがノートに書いたのだ。この状況を!

「ハル!銃を下ろせ!ハル!!」
「ダ、ダメッ!動かない!」

 左手で必死に自分の右腕を動かそうとするハルの額に脂汗が浮かび出す。それでも彼女の右手は動かず、人差指にも徐々に力が入りだし、引鉄が嫌な音を立てながら引き絞られて行く。

「逃げてェェ‥‥!」

 ガァァンと、今日何発目かの銃声が倉庫内に轟いた。

「ウ、ガ‥‥ァァ‥‥ッ!」
「ハル!」

 火を噴いたのはハルと、そしてジェバンニの銃。

「ジェバンニ!?」

 ジェバンニの銃は狙い違わずハルの心臓を撃ち貫き、ニアを狙っていたハルの銃は何故かジェバンニに向けられ――― そして彼の首から勢いよく血が吹き出した。

「ジェバンニ!」

 近距離で発射された弾に首の左側をごっそり抉られたジェバンニの体がゆっくりと後方に倒れて行く。

「ハル‥‥!」

 一方のハルは白目を向き、胸と口から血を流しながら崩折れた。

「そんな‥‥そんな‥‥!!」

 勝ったも同然だったのに。いったいどうして!?
 レスターは戦慄く腕で身を起こし、ジェバンニの血を頭から浴びて白い服を真っ赤に染めたニアを見やった。

「ニ、ニア‥‥」

 噎せ返る血の臭いと硝煙の臭い。無表情故に判り辛いが、ニアが今パニックに陥っているのは間違いない。瞬き一つしない黒い目は立ち尽くすキラに注がれたまま全く動かない。

「何故だ‥‥どうやってノートに‥‥」
「そ、そうだ。何時ノートに書いたんだ‥‥相沢がずっと見張っていたのに‥‥ノートだってずっと金庫に保管されていた。それに、彼女の名前はまだしも、あの男の名前を何時‥‥?」

 レスターの言葉を引き継ぎ湧き上がる疑問を思わず口にした伊出は、キラの笑みが先程より深くなっている事に気付きゾッとなった。その瞳が何だか赤く輝いて見えるのは気のせいだろうか。

「ノート?書いてないよ」
「な、に?」
「ノートには何も書いてない」
「!?」

 少し血に濡れた前髪を血塗れの手で鬱陶しそうに掻き分け顔を上げたキラ。
 その今にも笑いだしそうな上機嫌な顔は壮絶な色香を放っていた。こんな状況でそう感じてしまう自分を気が狂ったかと思うほど、キラの輝くばかりの美しさに目が離せない。
 レスターと伊出。そして模木と負傷した相沢も、悪魔の誘惑とも言えるキラの微笑みに一瞬心を奪われた。

「初めから‥‥こうしていれば良かった‥‥」
「?」
「魅上なんかに頼らず‥‥そうだな、相沢さんでも操って、ニアを殺せばよかった」
「な‥‥!」

 突然自分の名を呼ばれ弱々しく目を見開く相沢。

「けど、これって、面白くないから‥‥」
「これ?これって、何の事だ?」
「これは‥‥これさ」
「!」

 その相沢の咽から掠れた唸り声が上がった。

「相沢!」
「傷が!?」

 それはどう見ても心臓発作の症状。

「やっぱりノートに‥‥!」
「だから、違うって言ってるだろ」

 だが、そのキラの言葉とともに相沢の苦痛は嘘のように途切れ、彼はガクリと気を失った。

「相沢!相沢ッ!」
「だ、大丈夫です、まだ息はあります!」

 模木の言葉にホッと胸を撫で下ろした伊出がキラを憎々しげに睨む。

「いったい、どういう事だ?ノートに名前を書いたんじゃないのか?」
「だから書いてないって、さっきから言ってるのに」
「書いてないんだったら、どうしてこんな事が出来るんだ!?松田も、相沢も!それにあの二人も!ノートで操らなかったらこんな死に方はさせられない!」
「松田さんは死ぬ程の傷じゃないですよ。相沢さんは危ないかな」
「キラ!」

 初めて伊出は彼をキラと呼んだ。それを軽く笑い飛ばしキラがニアを見る。

「僕はね、その気になれば何時でも竜崎を殺せた」

 出血は止まったのか、今キラの足下に血溜まりの類は無い。それでもある程度の出血はあったのだろう。その顔は血の気を失い蒼白だ。だが、反ってその白さがキラを血の通わぬ美しい彫像のように見せている。

「名前なんか判らなくたって、そいつらみたいに殺せたんだ」

 日本人にしては色素の薄い琥珀色の眸で、既に息絶えたハルと弱々しく痙攣を繰り返す、どう見ても助かりそうにないジェバンニを眺めやる。それに釣られたかのようにレスター達も二人を見た。
 横たわる二つの死。

「けどそれじゃぁ、あまりに呆気なさ過ぎるだろ?互いの命を懸けた知恵比べだからこそ面白いんだ。それを、こんなふうに殺したらちっとも面白くない。それに、不公平だ」
「不、不公平?」
「そう‥‥」

 小さく哂うキラは何処か幼く見える。

「不公平じゃないか。僕だけこんな力があるってのは‥‥」
「!!」

 その幼い顔が一瞬で変わった。

「レスター!」

 抗いがたい力に満ち溢れた美しくも恐ろしいその顔、その視線。

「止めろ、レスター!」

 伊出は恐怖に声を枯らしながら叫んだ。そしてレスターを止めようとした。いまだ動けず固まっているニアに向かって銃を構えようとしているレスターを。

「ぐうっ‥‥!」

 だが、動けなかった。動かなかった。ハルが叫んだのと同じように伊出の足は地に根が生えたようにその場から動かなかった。

「何故だ!?何故足が‥‥!」

 必死に動かそうとしているのに、筋肉は痙攣し骨がギシギシ悲鳴を上げているというのに―――
 つんのめるようにして倒れた伊出はあの時レスターが倒れた理由を知った。
 そしてハルの行動の理由も。

「他人を‥‥操れる、のか?」

 そこに本当の恐怖があった。

「だったらどうする?」
「ウァァ‥‥よせッ、止めろ!」

 ニアを狙っていたレスターの銃口が徐々にずれて自分自身のこめかみに当てられる。

「ダメだ!」
「止めてくれ‥‥!」
「止めろ!キラ」
「No‥‥‥‥‥‥‥ooooo!!」

 弾丸はレスターの右のこめかみを突き抜け左後頭部を吹き飛ばした。熟れたスイカのように破裂した頭蓋骨は柔らかい脳味噌と血を周囲に撒き散らし、カラカラと音を立ててコンクリートの床に転がる。
 虚ろな顔でゆっくりと倒れていくレスターの左手は、死してなお助けを求め最後にニアの膝にしがみ付いた。右手はしっかりと銃を握り締めたまま。

「‥‥‥貴方は‥‥」
「何だい?ニア」

 凄惨を極めたレスターの死に様。
 それに心動かされたか、漸く瞬きをしたニアは自分の膝を鷲掴むレスターの大きな手にそっと自分の手を重ねた。

 

 


 たった今目の前で繰り広げられた出来事に、伊出も模木も既にキラを捕まえようとかキラを殺そうとかいう気は失せていた。二人はニアを凝視し、そしてキラの出方をただ徒に待った。

「レスターを‥‥」
「殺したよ」
「‥‥‥」

 のろのろと顔を上げるニア。

「ノートに‥‥」
「書いてない」
「‥‥キラの力は‥‥」
「キラの力は死神のノート。もう知ってるだろ?ニア」
「‥‥では、これは‥‥」
「そう、僕自身の力」

 その言葉に模木が大きく息を呑む。

「銃の、暴発も‥‥ですか?」
「有機物を操るより、無機物を操る方が簡単なんだ。ただし、重量制限があるけどね」
「‥‥死んでいたかも、しれないのに‥‥」
「そうだな」
「彼は‥‥彼はキラに、貴方に賛同していたはず‥‥」
「僕を撃った」
「それは、貴方が‥‥彼を裏切ったから」
「本心から賛同しているのなら撃たない。そうだろ?」
「‥‥‥」
「別に。松田さんが本気でキラに賛同してるなんて信じてなかったから、撃たれてもさして驚きはしなかったけどね。これで松田さんの本気度がチェックできるかな、とは思ったよ」

 松田には聞かせられない言葉だと伊出は思った。意識が無くてよかったと。

「貴方は‥‥」
「あぁ、僕は俗に言う超能力者って奴だ」

 俄かには信じ難いが周囲に転がる死体がそれを肯定している。

「父親は‥‥知っていたのですか?」
「まさか。父さんは忙しい人だったからね。知ってたのは母さんぐらいだ。あぁ、妹の粧裕も知ってたか」
「妹さん?」
「だって、あの子も僕と同じだったから。粧裕が小さい頃は一緒に人形を動かしたりしてよく遊んだものさ」
「!」
「もっとも粧裕の場合、幼稚園に上がる前に力が無くなっちゃったけどね。だから粧裕は何も覚えていない。自分の事も、僕の事も」

 超能力と聞いてそれだけでも信じられないというのに、まさか彼の妹もそうだったとは。

「人間の脳は‥‥30%程度しか、実際に使われていないと、言います‥‥残り70%は未知の領域‥‥さしずめ貴方の脳の使用率は70%、という所でしょうか‥‥」
「さぁ、どうだろう。流石に自分の脳を切り開いて見る訳には行かないからね」

 そう言って青白い頬を柔和に上げ微笑むキラ。裁きの神―――

 

 

 キラはとても綺麗な人間だ。
 バランス良くスラリと伸びた肢体。人形のように整った顔。女々しい感じはしないものの男性的魅力に溢れているとも言い難いキラの容姿は、それ故に男女共に魅了する。もちろん、彼より綺麗な人間は探せば幾らでもいるだろう。だが、その内から零れ落ちる魅力は他の誰も持ち得ないものだ。
 それが証拠に、傷を負い血と埃に塗れているにも関わらず優雅に笑うキラの姿は恐怖に竦みあがった男達の視線を惹き付けて止まない。普段から綺麗と称される彼は、その恐ろしい正体を露にした今でも美しかった。
 否、彼が死の恐怖そのものだと判った今だからこそ、人は、人足りえる欲望を刺激されてしまうのかもしれない。
 悪魔は美しい姿と甘言でもって人を誘惑するという。
 彼が当にそれだ。まるでファウスト博士を誘惑したメフィストフェレスのよう。いや、かの悪魔は老人の姿をしている場合もあるというから、博士が恋に落ちたグレートヒェンかヘレナかもしれない。
 片や赤子を殺した母親。片や祖国に戦の火種を齎した売国妃。何れも美しく、そして罪深い事に変わりは無い。

「‥‥キラ‥‥‥」

 琥珀色の澄んだ瞳、栗色の絹糸のような髪。話し方は穏やかで決して人を不快にさせない。今は血に赤く染まっているけれど、本来その手は細くしなやかで触れればスベスベと気持ちいいに違いない――― そんなことを想像しながら、ニアは大きく見開いたままの目でキラを眺め続けた。その股間が軽く盛り上がっている事に気付かないまま。

「貴方は‥‥」

 前Lが死んでから、否、その前からずっと追い続けていたキラ、稀代の殺人鬼。
 名前は判明しても写真までは入手出来ず、今日この場で初めて目にすることが出来た。
 第一印象で綺麗な男だと思いはしたがそれだけだった。逆にその綺麗な顔で弥海砂や高田清美を誑かしたのかと蔑すむ気持ちが生まれた。
 それがどうだ、今自分はその馬鹿にしたはずの綺麗な顔立ちに見惚れている。目の当たりにした部下達の死など忘れてしまいそうなほど魅了されている。
 美しさと高い知性。その二つを持ち合わせた類稀な存在。それがキラ。
 しかもその小さな頭部に詰まった脳味噌は、ただ悪知恵を働かせるためだけにあるのではない。
 サイコキノ――― 一時キラの殺人方法は超能力のようなものではないかと噂された。デスノートの存在が判明しその推理はあっさり切り捨ててしまったけれど、まさかキラが本当にその手の能力者だったとは。

「何故、隠して‥‥いたのですか」
「普通隠すだろ」
「マスコミが、取り上げてくれますよ」
「興味ないから」
「‥‥‥その力を使えば‥‥」
「こんな力を持ってても、何の役にも立たないし」
「好きなことが出来ます」
「せいぜい妹のお守りぐらいにしか使えないよ」
「‥‥‥‥」

 キラの至極冷静な視線と口調。

「君達はいいね」
「?」

 まるで自嘲するかのような笑いを浮かべキラがニアを見る。

「君達は特別である事を望まれた」
「‥‥‥」
「それに引き替え僕は、常に普通でいなければならなかった」
「キラ?」

 ほんの少し小首を傾げて笑う様が幼い子供のようだった。その微笑みは何処か悲しそうで、どんな事にも心動かされないはずのニアの心がチクリと痛む。

「普通じゃ無いのに普通でいるのはそれなりに辛いものがある。結構苦しかったりするんだ」

 自分が普通じゃないと気付いたのは何時だったか。
 一般より高い知能。ワイミーズハウスに来て一年もしないうちに、周囲の似たような扱いを受けている子供等とそうでない子供等との違いに気付いた。大して面白くもない事に大騒ぎし、いつもけたたましく笑い声を上げドタドタ駆け回る有象無象の子供の群れ。それとは別に沢山のカリキュラムを与えられ黙々とこなしていく妙に大人しい子供の群れ。
 後者に属していたニアは何時しか自分は特別なのだと自覚するようになった。それと同時にそうなるよう教育され、そうなるのが当然だと思われている事を知った。その特別の中の特別がLの後継者になる事だった。
 特別である事こそがニアにとって普通であり、存在理由、生存意義であった。
 だがキラは?キラはどうなのだ?

「でもね、苦しいのって、案外慣れたりするのも早いんだよ」

 ごく一般家庭で育ったと思われるキラ。ただの能力者なら何も問題はなかっただろう。
 他人に力を自慢し見せびらかし、子供のうちは人気者になったりして存外楽しく暮らせるものかもしれない。気紛れなマスコミに取り上げられればチヤホヤされ小金も貯まるかもしれない。
 だが年を取れば社会の柵とやらに呑まれて行くのは必定。力が無くなれば人から省みられなくなり、それが嫌で騙りに堕ちる場合もあるだろうし、それを機にまるっきり凡人として社会の片隅でひっそり暮らして行く場合もあるだろう。力を売り物にしたショーマンになるのもありだ。どのみち社会に与える影響はそう大したものではなかったはずだ。
 だがキラは、この『天はニ物を与えずと』いう諺を覆す存在はそうではなかった。
 高い知能故に力があったのか、力があったから知能も高かったのか。
 何れにしろ知性に見合う理性でもって超感覚の手綱をしっかりと握ったこの存在は、見た目の美しさも相まって絶対的に他とは隔絶した存在だったはずだ。にも拘らず他者に溶け込み、他とは明らかに違う存在でありながら見事に社会生活に適合していた。
 適合しながらも隠し切れない何かが他者を魅了する。
 それこそがL、竜崎をして完璧と言わせしめたもの―――

「慣れてしまえば後は退屈なだけ。判るか?ニア」
「‥‥キラ、貴方は‥‥‥」
「退屈はダメだね。苦しいのより、性質が悪い」

 フフフと、青白い顔で笑うキラ。

「僕は‥‥竜崎が‥‥‥‥君達が羨ましいよ‥‥」

 

 

「うぐっ!」
「模木!?」

 不意に相沢を抱きかかえていた模木が胸を押さえ苦しみだす。

「キラ、貴様‥‥!」

 泡を吹き大きく仰け反って胸を掻き毟り、短く痙攣したかと思ったら糸の切れた人形のように突然動かなくなる。そんな同僚の凄まじい死に顔に伊出は脂汗の浮いた顔でキラを振り返った。冷たいコンクリートの床に投げ出された相沢の呼吸は浅く、一刻も早く病院に連れて行かなければ確実に死ぬだろう。

「ちょっとお喋りが過ぎたかな」
「キラ!キ‥‥!」

 恐怖より怒りに我を忘れキラに飛び掛ろうとした伊出もまた胸を押さえ蹲る。

「がはっ!んがが‥‥っ!」

 涎を垂らし白目を剥き、本人の意思を無視して止まってしまった心臓を呪うように、青黒く膨れ上がった舌を突き出し絶命する。

「全員‥‥殺す気、ですか‥‥」
「当たり前だろ。彼らはキラの正体を知ってしまったのだからね」
「‥‥私も‥‥殺すのでしょうね‥‥」
「そうなるかな」

 キラはそう言うと両手に付いた血を服の乾いた箇所で拭き取り、ゆっくりとした足取りでニアに近付くや彼の目の前に置かれた2冊のノートを手に取った。それから息も絶え絶えの相沢からノートを剥ぎ取る。

「これで全てのノートが僕の手に戻った事になる」
「‥‥‥キラ」
「何かな?ニア」

 自分はここで死ぬ。ニアはそれを今、明確に理解した。

「私を殺すのなら‥‥出来れば、貴方の手で‥‥」

 いったい自分は何を言っているのだろう。
 頬が引き攣る。視界が霞む。
 それが、自分が泣きながら笑っているせいだと気付かないまま、ニアはじっとキラを見つめ続けた。
 美しいキラ。傷ついてなお気高いキラ。犯罪者だと判っていても魅入ってしまうのは、その精神が何者にも屈しないからなのか。それとも―――
 だが、ニアの願いも虚しくキラは彼の前から静かに歩き去る。

「キ‥‥!」
「か、神‥‥!」

 その時、すっかりその存在を忘れ去られていた男が妙に上擦った声を上げながらキラの行く手にまろぶように進み出た。

「神!あぁ‥‥神!貴方はやはり私の神でした!」

 魅上は興奮に潤んだ目でキラを見上げその片足にしがみ付き、次の瞬間あわてて手を離し額づいた。

「この魅上照!これからも貴方の目となり裁きのお手伝いを致します!どうか私をお連れ下さい!どうかこれからも貴方のお側に‥‥!」
「魅上、さん?」
「は、はい!」

 柔和な微笑と共に優しく名を呼ばれ、魅上はバネ人形のようにガバリと跳ね起きた。

「遠慮しておきます」
「か、神‥‥!?」
「僕はクズなんだろ?」
「!‥‥」

 取り縋ろうとする手をスルリと交わしキラは魅上の元からも離れ去る。

「か、神!キラ様!先程のご無礼はお詫びします!私が間違っていました!やはり貴方は私の神です‥‥!」

 あわてた魅上は体裁など一切構うことなく這いずりキラを追い求め縋る。

「これからは決して貴方の御言葉に逆らいません!全て貴方の言うとおりに致します!ですからどうか!どうか私を‥‥!」
「無理だね、魅上」
「神‥‥!」
「お前はもう死んだも同然だから」
「?」
「お前が余計な事をしてニアに奪われたノート。これにお前の名が書いてある」
「!」

 魅上は興奮と恐怖と怒り、そして混乱に目を白黒させ、そして赤くなったり青くなったりしながら口をパクパクと鯉のように何度も開閉した。キラが面倒臭そうに開いたノートの1ページには確かに魅上の名がある。

「お前、10日後に発狂死だって」
「発狂‥‥」

 そんな余りに惨めな死に方――― どうして自分が?どうして!?

「バカだな。僕の言うとおり、何があっても本物のノートに触らないでおけば、こんな事にはならなかったのに。本当に、バカ」
「‥‥私は‥‥‥」
「ニアもやるなぁ」

 アハハハと、キラの笑い声が倉庫内に木霊する。

「そういう事だから、魅上。お前とは此処でさよならだ。残りの人生、いや、10日間?悔いの無いよう生きろよ」

 雲を踏むように軽く踵を返しキラが歩き去る。鉄の扉を開け、ただ一人光の向こうへと消えて行く。

「死‥‥死ぬ?私が‥‥?悪人を裁き、この世を清めて来たこの私が‥‥死ぬ?」

 残されたのは四人の男。そのうち一人は棺桶に片足を突っ込み、一人は神を殺そうとして罰を受けている。残りの二人は無傷だが、既に命運を断たれたも同然だ。

「キ、キラ様の‥‥神に認められ、神の右腕としてこの世を支配するはずのこの私が‥‥!」

 無意識に驕り高ぶった言葉を吐く男の顔は、これでもかと言うくらい醜く歪んでいる。唇が捲れ上がり歯茎が剥き出しとなった口からは白く濁った泡交じりの涎が滴り落ち、眦が裂けんばかりに見開かれた両目は真っ赤に充血している。流れ落ちる冷や汗で不恰好に髪が張り付いた額には青筋が浮き、怒りで鼻息が荒くなった鼻腔はぷくぷくと奇妙な動きをしている。
 死の恐怖に耐えられず、まるで己が墓穴(はかあな)を掘るように床を掻き毟り、そのせいで爪がボロボロになったのも気付かず血が滲んだその手で今度は頭を掻き毟る。

「死ぬだと!?」

 まるで鬼人のようなその様相に、何事にも動じないよう訓練されたはずのニアも肝を冷やし恐怖におののく。嫌な予感が執拗にニアを襲い、現実的な死のヴィジョンに歯の根が合わなかった。

 

 

 敗北の二文字はニアの人生に無かったもの。キラに負けるなど、微塵も考えた事は無かった。今日ここに来たのは自分の足下に惨めに這い蹲るキラを見るためだった。
 それが実はとんでもない勘違いだったと判った時、出来るなら最大のライバル、いや、獲物であったキラの手にかかって死にたいとニアは思った。それが命の重みなどこれっぽっちも判っていない己の未熟さだと気付かぬまま、ニアは潔い死を妄想し死の恐怖から目を反らす。
 それなのに―――

「ニア‥‥」
「!」

 ゲームにおいて敗者の首を取っていいのはゲームの勝者のみ。他の誰かなど認めない。ましてやキラの傀儡であったXキラなどに殺されてなるものか!
 そう思うのに、この状況はその未来のみを指し示している。

「貴様だ‥‥全て貴様のせいだ‥‥この、泥棒!私のノートを返せ!!」
「やめろ!来るな!」
「あれは私のノートだ!神から私だけが許された、私だけに託された大事なノート‥‥!」

 日頃から運動などした事の無いニアに逃げる手立てはなかった。後ろ手に尻でいざりシッシと野良犬でも追いやるように手を振るのが精一杯。

「返せぇぇぇ!」
「ギャッ!」

 忽ち追いつかれたニアは魅上に力いっぱい胸倉を蹴り飛ばされ、その半ば赤く染まった白い服に靴跡をくっきり付けた状態でコンクリートの床を転がった。

「返せ!返せ、返せ、ノートを返せ!私のノートォ‥‥!」
「な、ない‥‥キラが持って‥‥ゲハッ‥‥ッ!!」

 厚みの無い胴体に情け容赦なく馬乗りにされ、内臓が口から飛び出しそうな程の圧迫感に苦しむニア。

「神の名を軽々しく口にするなぁ!この口か!そんな恐れ多い事をするのはこの口だなっ!!」

 雨霰と降り注ぐ拳骨に鼻が折れ、歯が折れ、眼球が潰れブシュッと嫌な音を立てる。

「ヒイィィィ‥‥‥‥ッッツ!!」
「神!神!神!!私こそは貴方の僕‥‥!誰よりも貴方に忠実で有能な‥‥!」
「‥‥hel‥‥‥me‥‥‥‥‥」

 ガシガシと、人が人を殴る音が鳴り続ける。
 真昼の倉庫。
 誰も近付かないのは奇跡でも何でも無く誰かがそう手配したから。ニアは己の浅知恵を呪いながら次第に遠のいていく意識下で、狂気の笑い声を上げ続ける男の醜い顔を残った片目に映した。
 けれど視神経を経由し脳内に映し出されたのは、自分に笑いかけたキラの何処か淋しげな幼い笑顔。

「‥‥‥‥kira‥‥」

 胸が痛い。チクリと痛い。
 止むことなく振るわれる暴力は既に痛みなど感じさせないと言うのに、何故かニアは胸が痛かった。
 あぁ、もしかしたら‥‥‥これが恋というやつかもしれない。
 そんなバカな想いを最後にニアの意識は途絶えた。

 

 


 倉庫の外は晴れてはいても寒かった。

『おい、月。大丈夫か?』
「‥‥‥」

 倉庫を出て扉を閉めるなりアスファルトに蹲った月は、最も傷の深い左脇腹に手を当て苦しい息を吐き出した。

『月ォ』

 ずっと傍観者を決め込み全ての出来事を倉庫の片隅でのんびり眺めていた死神は、倉庫の壁を擦り抜け月の側に来ると心配そうに声をかけた。

「‥‥大、丈夫だ‥‥」
『本当かぁ?お前、すっごく顔色が悪いぞ』
「そう思うなら、僕を抱いて車まで連れて行け」
『えぇ?いいのかよ、誰かに見られたら‥‥』
「あれだけ銃声がしたのに何の異変も無いのは、ニアが何か手を打った証拠だ」
『そういやぁ、結構響いたよな、あの音』
「フン。かくいう僕も本庁に連絡しといたけどね」
『そ、そうなのか?』
「リューク」
『わ、判ったよ。どんなになっても死神使いの荒い奴だな、月は』

 そう言うと、死神は壊れ物でも扱うように――― 実際壊れ物だが――― 月を抱き上げ車へと運んだ。言われる前に後部座席のドアを開け、月が何をする必要も無くシートに座らせる。

「気が、利くじゃないか」
『後で林檎な』
「がめつい死神だな。判ってるよ」

 小さく笑う月の顔は紙の様に白い。

『おい、月。お前‥‥』
「あぁ、流石に疲れた。もう血を止めているのも限界だ」
『‥‥‥』

 先程までピタリと止まっていた血が再び流れ出したか、月のシャツの赤い染みがジワリと広がりシートも濡れ始める。それに構う事無く本物のノートを広げた月は、そこに数人の名を書き込んだ。

『なぁ、月。お前ってば、普通の人間じゃなかったんだな』
「普通の、人間だよ」
『は?何処が普通だって?月、デスノートなんて必要ないじゃん』
「ハハ‥‥ハ、バカ言うなよ、リューク。こんな力何の役にも立たないって」
『そうか?有ると便利だろうが。実際あいつら始末できたし』
「あれぐらいの数ならね、僕にも何とか出来るさ。でも、世の中の犯罪者はあんなもんじゃない」
『まァ、確かに』
「5~6人何とかする度にぶっ倒れてたんじゃ、話にもならないよ」
『お前、ぶっ倒れるのか?月』
「あぁ、もう直ぐね。言っとくけど、死ぬ訳じゃないから。ただのエネルギー切れ」
『な~る』
「リューク」
『ン?』

 不意に月が酷く真剣な声で死神の名を呼んだ。

「お願いがある」
『お願い?え~、めんどく‥‥』
「あとで、林檎好きなだけ食わせてやる」
『ホントか?』
「あぁ」
『よし。あ、でも、無理難題は言うなよ』
「簡単なお願いだよ、リューク」

 今にも死にそうな様子で艶やかに笑う月の顔を繁々と眺めながら、リュークは『やはり月が一番面白い』と改めて思った。

『どんなお願いだ?月』

 助手席のシートを突き抜け血でゴワゴワになった月の髪を長い爪で梳りながらリュークはそっと促した。

「僕のノートを暫くの間預かっていてくれ」

 すると月は手に持っていた3冊のノートをリュークの胸へと押し付けた。

「勘違いするなよ。僕が元気になるまでだからな」
『あぁ、判ってるって。お前が返してくれって言えば、直ぐ返してやるよ。それまで俺が責任持って預かってやる。だから‥‥早く傷を治せ、月』

 それを受け取り自分のバッグに大事そうにしまったリュークは、これで良いかと言うように月に笑いかけた。

「頼んだよ、リューク」
『おう、頼まれた』

 それを聞くと、月は初めて安堵の溜息を漏らしダッシュボードの携帯を取ってくれるようリュークに言った。

「もしもし‥‥」

 その携帯で月が警察に連絡している間、暇だとばかりにリュークは車から離れ、冬の高い空をのんびりと見上げた。

『そういやぁ、あっちはどうなったんだ?』

 さほど興味なさ気に振り返り耳を澄ましてみるが、先程まで聞こえていた騒々しい音はもう聞こえない。代わりに何やらぶつぶつ呟いているような音が聞こええるが、リュークにはどうでもいい事だった。

「海砂?」
『月!?月なの!?キャー、嬉しいっ!今何処にいるの?』

 続けて月が連絡を取ったのは弥海砂。彼は婚約したばかりの恋人に愛の言葉を囁くと、また連絡すると言って携帯を切った。

『すげぇ、サービスいいな、月』

 車に戻ったリュークはリアウィンドウから顔を突き出し、シートに投げ出された携帯に視線をやった。

「海砂は僕の未来のお嫁さんだからな。これくらい当たり前だよ」
『ウホッ、また海砂に死神の目の取引させるのか?』
「まさか、そんな事はしないよ」
『え?けど、照の野郎はもう使えないぜ』
「当分、目はいらないだろう。次の目はじっくり探すさ」
『フ~ン』
「言っとくけどね、リューク。僕はこれでも海砂の事、結構気に入ってるんだよ」
『ウホッ!そうだったのか?知らなかった』
「そうなんだよ」

 そう言った途端、ズルリと傾ぐ月の体。

『月?』
「大丈夫、だ‥‥ちょっと、貧血‥‥」
『うわっ、うわっ!救急車!』
「呼んで貰ったから‥‥」
『そ、そうか?』
「だから、リューク‥‥少し、眠ら‥‥せ、て‥‥」
『月?』

 心配そうな――― それは月にしか判らないリュークの表情の変化だ――― 死神に優しく笑いかけ目を閉じる月。
 何だかとても疲れていたけれど、何処かとても満足していて。そして少しだけ不快感が残る眠りへの誘いが月に訪れる。
 倉庫に残して来た連中の事はもうどうでも良かった。
 どうせニアは魅上の手に掛かっているだろうし、魅上は魅上で数時間後には死ぬ運命だ。
 そう、実を言えば、月は魅上の名を既にノートに書いていたのだ。ニアと会う日時が決まった直後、高田清美に持って来させたデスノートの切れ端に魅上の名を書いた。


魅上照。最後の使命を果たすためデスノートを持ってYB倉庫に向かう。
キラの『さよなら』の言葉を聞いた後、己が使命の終った事を悟り、
1月28日午後3時、キラの正体キラの力、自分自身の事、倉庫での出来事、
何一つ語らぬまま心臓麻痺で死亡。


 いくら信頼されているとはいえ高がボディガードのハル・リドナーに清美の身体検査をすることは出来ない。なにせ彼女はキラ信者にとって女王様なのだから。それを逆手にとっての先手必勝だった。その気になれば日本捜査陣を殺す事も可能だったし、ハル・リドナーを操り倉庫での会見をニアに不利なように持って行く事も出来た。
 だが敢えてそれをしなかったのはニアの顔を見ておきたかったのと、少々相沢達に腹が立っていたから。それと自分の策に自信があったからだ。まさか魅上が余計な事をしでかし全て台無しにするとは思いもしなかったが。
 そういう事だからニアの書き込みは無駄となった。デスノートに書かれた内容は先に書かれた方が優先される。従って魅上に狂死は有り得ない。奴は心臓麻痺で死ぬ。だがあの状況なら、本当に魅上は狂ってしまうかもしれない。それも自業自得だと、月は魅上を切って捨てた。
 あれ程その時が来るまで触るなと言っておいた本物のノートに触ってしまったのだ。お陰でノートをニアに奪われ要らぬ手間が掛かってしまった。

「力、使うと‥‥疲れるんだよね‥‥」

 

 

 遠くボンヤリとパトカーのサイレンが聞こえる。
 倉庫に転がる死体を発見し本庁の連中はどんな顔をするだろう。瀕死の重傷を負った相沢と銃の暴発で負傷した松田を見た時の反応は?そして車の中で同じく重症の月を発見し彼らは何を思う。
 だが、それさえももうどうでも良い。

「‥‥信じたかったのに‥‥」

 口では上手い事言いながらその時々の感情でどちらにでも転がるお気軽な松田。キラを神だと言いながら、結局は自分の事しか考えていなかった魅上照。
 少しは信じていたのに‥‥信じたいと思っていたのに‥‥‥やはり、頼れるのは自分一人だった。
 もっとも、倉庫で会う以前に魅上の名をノートに書いていた月が言えた義理ではないが。
 いったい自分は何時から人を信じられなくなったのだろう。
 使い道の無い力を隠し続けるうちに、すっかり嫌な人間になってしまった。

「‥‥本当は、自分の名を‥‥真っ先に書くべきかも‥‥しれないな‥‥‥」

 そうなったら残りの寿命はリュークに、魂は海砂にあげたい。

 

 

 この世で信じられたのは父の実直さと、こんな人殺しを好きになった海砂の愚かな愛。それと、自分は傍観者だと言った死神リュークの言葉だけ。
 そんなことをボンヤリ考えながら月は静かに微笑み、夢の波間へと舟を漕ぎ始めた。

 

                                            終

 

 

 

 

 

 

後記

はい、笑ってやって下さい。つまるところ、いわゆる、超能力物です。
アハハハ‥‥ハ‥‥自分で考えておいて虚しい笑いしか出ません。バカじゃんN、ってな感じです。
しかも何故かちょい長。おかしい、この半分程で終るはずだったのに。
しかも後半いつもどおり殺伐とした展開に。
いや、でもほら、キラが真実を知った人間を生かしておくはずないから、全員殺すのは決まった事で。
そこにちょっとFBIやらCIAやら関わってたから。みんな銃持ってたし。
松田、月の事撃っちゃったし(松田~~!許さ~~ん!)。
少しくらいアクション物っぽくしてもいいかな?って‥‥ダメですか、すみません。
反省します。もっと乙女の夢を追求します。
それと、信じてもらえないかもしれませんが、Nは照×月大好きです。
「魅上夫婦」とか、「魅上一家」とか、もうすこぶる好きです。
何時か自分でもチャレンジしたいと思ってますが、多分無理でしょう(泣)。
だからこの話の照の扱いは、この話だけに限ったものです。
人間不信気味の月もこの話限定です。
ニアは嫌いなのでいつもこんなものでしょう。
Nってば、嫌いなキャラに容赦ないらしいですから(自覚無し)。
Nの中でこの話は捏造というより既にパラレルに近いです。
Nは滅多にパラレル書かない(今はそうでもない)のでネタ止まりにしかなりませんでした。
でも、そのくせここから派生して「月=天使」なんてネタを思いついてしまいました。
あまりにNらしくないので、やはりネタ以上に発展しません。
書くとしたらエピソード毎の連作になるでしょう。ニア→月です。
(あ、L月ヴァージョンの話は書きました)
ただし、Nの書く物なので甘い話にはなりません。
何時かヒッソリupされてたら、冷めた目で笑いながら見てやってください。

2006.12.19(初出)