偶像崇拝

前編

 

 

 『L‥‥‥』

 モニターに映る高田清美死亡のニュースを捜査本部の面々が食い入る様に見つめる中、いきなリニアから連絡が入り室内の空気は一瞬で凍りついた。
 それを心待ちにしていた夜神月は今にも笑い出したい気持ちを完璧に抑え、少し気難しげな表情で通信機のスイッチを入れた。

『横槍が入りましたが、お会いできますか?』

 横槍という表現で自分はメロと繋がっていないと言いたいのか――― そう思うと更に笑いがこみ上げてくる。

『28日、午後1時。よろしいですね?』
「はい」

 短い会話を終えわざとらしく息を吐き出し周囲に視線を走らす。
 何も考えていない松田、中立の立場を取る伊出、無口な模木。そして今や完全にニア側に付いた相沢。
 その緊張に青褪めた顔は滑稽を通り越し哀れでさえある。
 バカな男だと思う。
 あんな子供の戯言に惑わされ夜神月を疑うような事をしなければ、新しい世界で親子三人幸せに暮らせたものを、と。
 何故今まで殺されずにいたか、この男は少しでも考えた事があるのだろうか、とも。

「‥‥そういうことです、皆さん。高田清美の死は残念でしたが、予定に変更はありません」

 クルリと椅子を回し一堂を見渡す。とたん、顔を背けた相沢の心中が死の恐怖で一杯な事ぐらい容易く読めた。
 ニアが負ければ自分は死ぬ、殺される――― 相沢がそう考えているのは明白だ。
 あぁ、だから。何故今まで殺されなかったか考えてみろ、と言うのだ。

 ――― 殺したりなんかしませんよ、相沢さん。そんな楽な事は絶対しません‥‥

「少し咽が渇きましたね。コーヒーでも淹れましょう」
「あ、僕がやるよ、月君」

 月はその場に突っ立ったまま身動き一つ出来ない相沢を無視してキッチンへ向かった。
 その同じ頃、

「ジェバンニ」
『はい』
「間に合いますか?」
『はい、大丈夫です』

 ニアもまた笑いの衝動を抑えながら部下の一人に指示を出していた。
 笑いといっても、情緒面において少々歪みのある彼には自覚できない内面の変化だ。
 養護施設『ワイミーズハウス』に入所しその優秀な頭脳を見込まれ次期Lとしての教育を受け始めた時から、ニアは感情の起伏を抑え常に冷静であるよう教えられた。それは他人を拒絶し他人を見下しがちだった――― それは他人を恐れることの反動だった――― 彼には、とても都合のいい教育環境だった。自己の感情をコントロールできるという自負がますますその傾向に拍車をかけて行ったのだが、誰もがそれを当然と思い止めようとする者がいなかったのが彼の不幸だったかもしれない。

「ニア、大丈夫なのか?」
「えぇ。ジェバンニが大丈夫だと言ったのです。今はその言葉を信じましょう」
「‥‥そうだな。今はそれしかないな」

 いずれにしろそろそろ思春期を脱しようかという年のニアは、自己の感情を理性で切り捨てる事に何の躊躇いもなかった。むしろ感情で判断を狂わせる自分というものを全く想定してもいなかった。
 従ってニアは自分の出す結論に感情が入る余地はない、と思っていた。

「ゲームは勝たなければ、パズルを解かなければただの敗者」

 ニアは右の人差指にはめ込んだ亡きLの指人形をいじくりながらポツリと呟いた。

「夜神月、二代目L‥‥いいや、キラ」

 Lとは常に勝者でなければならない。勝者に冠せられる名こそがLだ。
 だから負けて死んだ者はLではない。元からその資格のなかった者。
 もちろんキラがLであるはずもない。
 Lの名に相応しいのは―――

「私の勝ちです」

 運動不足から年相応の発達を遂げていない未成熟な体を丸め、ニアは咽の奥で笑いを噛み殺した。それでも内にこもった衝動は彼の背中を揺らし近くにいたレスター指揮官の眉を顰ませた。

 ――― キラ、お前も策は練っているだろう。その策がどんなものであるか、私にはもう判っている
     キラに勝つ方法が一つしかないのなら、その策もまた一つしかない

 ニアは玩具箱の底に隠し入れた一枚の写真をそっと取り出した。
 夜神月、二代目L、キラ。
 そこに映るおよそ殺人鬼とは思えぬ綺麗な男の顔に視線を注ぐ。
 先代Lがキラの容疑者と目していた人物が夜神総一郎の長男と判った時点でニアは彼に関する資料をレスターに集めさせた。肖像は最も手に入りにくい物だと考えていたのに、それは案外あっさり手に入った。もちろん公の映像は見事に処分されていた。だが、プライベートな物までは手が回りきらなかったらしい。
 その写真はかつて夜神月に恋心を抱いた女性が大切に持っていた物のコピーだ。その女性は既に結婚し子供もいたが、今なお夜神への想いを断ち切れずにいた。そして、興信所と偽って近付いたレスターに頬を染めながら彼の事を語ったという。
 確かに写真を見るかぎり、夜神月は女がうつつを抜かしそうな容姿をしている。綺麗と言っても過言ではないだろう。まるで精巧に創られた人形のようだ。
 日本人にしては薄い色彩が下手をすれば硬質と受け取られかねない美貌に柔らかさと甘さを加味し、性的なものを感じさせない造形が見る者全てを惹きつける。
 人間の美醜に全く興味の無いニアにもそれぐらいは判った。判ってしまう美しさをキラは持っている。
 現在共に活動しているジェバンニも女性にもてる方だろう。だが、彼のそれは性的魅力だ。男性的美貌と体、言動。それが女性を惹きつける。
 だが、キラは違う。
 白人男性に比べ華奢といっていい線の細さは女性的、そのくせ女々しさは微塵も感じさせない。そこにあるのは性別を越えた美しさというやつだ。成人後もその魅力を失わない男性というのは稀有な存在だろう。
 これでは女だけでなく男にももてるに違いない。日本国内では控えめでも、USA辺りなら周囲が放っておかない。そんな感じだ。
 それがカリスマと呼ばれる才気の一つと成り得ることをニアは承知していた。Lとは全く違う魅力だ。
 実の所ニアはLに会った事がなかった。声を聞いたことはあってもその姿を見たことはない。ニアが知るLとはパソコンの中の事件資料、ワイミーズハウスの院長だったロジャーと時折施設を訪れるキルシュ・ワイミーの話から想像されるプロファイリングでしかなかった。
 その二人からよく自分はLに似ていると言われた。そこから考えるに、前Lは変人の部類に入るのだろう。
 ニアとて自分が一般的、平凡だとは思っていない。容姿にしてもお世辞にも見目が良いとは言い難い。誰が見ても変人だ。だが、自身はそれを気に掛けることも恥じることも無い。それを補って余りある能力があると自負しているからだ。それは前Lも同じだったはず。
 実際、氏素性の知れない謎の探偵Lに肩入れする人間は世界に何人もいる。Lの頭脳が飛び抜けて良かったからだ。Lと共に仕事をした者は大半がLの賛同者となった。Lは素晴らしい探偵だと誉めそやした。
 それがLの魅力、カリスマだ。
 LはLでこそ意味を成し、それ以外の名前など必要としない。

「キラ‥‥」

 その能力ゆえに他人からの尊敬、信用を得ていたL。
 頭脳のみならず、富も権力も得ていたL。
 そのLが唯一持っていなかったものが外見の美しさだとしたら―――
 夜神月の事を彼の親しい友人達から探る事は出来なかった、とレスター指揮官は口惜しそうに言った。決して少なくない友人達は皆、夜神月に傾倒していた。下手に探りを入れれば、その相手から夜神に『不審な奴がお前の事を聞きに来た』と連絡が行く恐れがあったと。
 当然、その友人達が所有する夜神の写真はとっくに回収されているはずだ。それでも、憧れから密かに写真を手に入れていた不特定多数の者達にまで、夜神の手が及ぶ事は無かった。
 そうしてその綺麗な容姿があだとなり、ニアはキラの映像を手に入れることができたのだが―――

「その顔と体で、前Lを誑かしたのですか?」

 Lが持ち得なかったカリスマ。
 それをLが無意識に欲し、自身が無理ならその代わりとなるものを手に入れれば良いと、そう思っていたのだとしたら‥‥‥
 Lが美しいキラを手に入れようと躍起になり、ミイラ取りがミイラになったのだとしたら‥‥‥
 ニアの口元に自然と嘲りの笑みが浮かぶ。
 それはキラへのものなのか、死んだLへのものなのか。

「私にもその手が通用すると思わない事ですね」

 二日後、直に会えるキラのことを思い、ニアはそっと写真の表面を撫でた。

「綺麗な‥‥そう、綺麗なお人形です、貴方は‥‥」

 その表情が何処かうっとりと酔っている事に本人も周囲も気付いていない。

「内に真っ黒な汚物を抱えた、白く光り輝く美しいお人形」

 玩具箱に写真を戻した拍子にLの指人形がニアの足の下で潰れる。

「私が捉まえて死ぬまで飼ってあげます。貴方に相応しい暗く汚い牢獄に閉じ込め、一生誰にも会わせません‥‥あぁ、それとも、オーロラ姫のように茨に閉ざされた森の奥の城に幽閉してあげましょうか‥‥」

 その権利が自分にはあるし、そうする能力がある、とニアは信じて疑わなかった。
 いや、信じるとか信じないとかではない。それはもはや決定事項だ。

「キラ‥‥‥」

 

 

 1月28日。
 その日は時間の流れがとても遅く感じられた。
 午後1時、待ち合わせの倉庫に到着した日本のキラ対策本部の面々は、相沢の合図で倉庫内へと足を踏み入れた。
 薄暗い内部にいたのは変なお面を被った白衣の子供と四人の男女。四人の内一人はこちら側の人間、模木である。
 ようこそとも、こんにちはとも、ましてや初めましてとも言わず喋り出した子供に、捜査本部側の緊張は否がうえにも高まって行く。
 出会って30分後、面を取ったニアに月以外の誰もが同じ感想を持ったことだろう。
 雰囲気が竜崎に、死んだLに似ていると。
 そして、長い長い説明をし始めた子供の様子にますますその思いを強くする。

「いいですか。あのドアからその者が入って来たらそのまま迎え入れ、ドアが少し開くだけなら気付かぬ振りをしてください」

 恐怖と混乱しか呼び起こさないニアの発言は、彼の意図を理解できない彼らに死んだ竜崎を彷彿とさせる。
 月には判るのだろうかと、相沢は目の前に立つ青年の背中をチラリと見やった。
 一瞥する限りその背中に動揺は微塵も感じられない。それはつまり、彼にはニアの意図が判っているという事。
 もし月がニアの上を行っていればニアは負け自分は殺される。もしニアが勝てば助かる。
 ここまで来て迷っている余裕はない。

「私は貴方の言うとおりにしよう」

 体の震えを必死に堪え相沢はそう言った。

「もう来ています」
「えっ!?」

 ニアの一言に場の緊張が一気に増す。
 恐る恐る視線をやれば、ニアの示したドアがほんの少し開き外の明かりが中へと差し込んでいるではないか。

「大丈夫です。名前を書かれても死にません。そして、これで誰がキラかはっきりします」
「死、死なないと何故、言いきれるんだ?ニア」

 互いに銃を構えて向かい合う九人。
 だが、各々の表情は対照的だ。
 ノートに名前を書かれて殺されると狼狽える日本捜査本部側。そんな心配は無いと冷静なSPK側。
 その中心で月とニアは互いの視線を深く交錯させている。

「ノートに細工しました」

 ニアが死なない理由の説明を徐に口にした。

「た、確かに名前を書かれていない者が、キラとなるが‥‥」

 ニアの説明は納得するに十分なものだった。
 相沢はチラリと月に視線を走らせた。少し俯き加減のその姿は一体何を意味するのか。
 沈黙が辺りを支配した。

「‥‥何時までこのまま‥‥」

 1分、2分、5分。
 そして10分も経っただろうか。
 双方全く動かず、外にいる者も動かないまま時間だけが徒に過ぎて行く。

「ニ、ニア。この後どうすれば‥‥」

 誰も死なない――― それは想定内の事象である。しかし夜神月、キラに動揺の兆しが全く見えないことから、逆にSPKのメンバーに焦りが生まれつつあった。

「それで?ニア。貴方の言うとおり外にいる者、Ⅹキラの持つノートは偽物のようですが、捕まえなくていいのですか?私達は何時までこうしていればいいのでしょう」

 埃臭い倉庫内にいつもどおりしゃがみこんだニアは、少し困ったようにそう言った夜神月を、キラを、食い入るように見つめ続けている。

「ニア」
「も、もう待てない!」
「松田!」

 最も軽薄な松田がとうとう痺れを切らし行動を起こす。

「待てっ!」

 一目散にドア目掛け駆け寄る松田をジェバンニがあわてて追う。

「外にいる奴、出て来い!」

 重い鉄の扉を引き開けると、ニアの言うとおり外には一人の男が蹲っていた。

「!‥‥ノート!?」

 そしてその男は地面に置いた黒鞄の上で一冊の黒いノートに何事かを書き込んでいる。

「!?」

 ハッと顔を上げた男は松田の背後から現れたジェバンニが銃を持っていると気付くや、小さく悲鳴を上げ逃走を計った。

「待てっ!魅上!!」

 ここで逃がしてなるものかと、ジェバンニと松田が後を追い、10メートルと行かないうちに男は取り押えられた。

「こ、この男が‥‥Ⅹキラ。第四のキラ‥‥」

 そうして倉庫内に引きたてられた男は後手に手錠を掛けられニアの前に跪かされた。

「この男が貴方の言うⅩキラですか」
「そうです」

 全員の視線が深く項垂れた黒コートの男の上に注がれる。

「魅上照。京都地検に籍を置く、生粋のキラ信者です」
「地検?」
「法の側の人間じゃないか!」
「そんな、まさか‥‥」

 日本捜査本部側の驚きは当然だろう。まさか身内と言っていい者の中にキラがいたとは。

「この男は何度か高田清美の番組に出演し、さくらTVの『キラ王国』にも顔を出しています。夜神月、魅上を自分の代理に選びノートを送ったのは貴方ですね?」

 そんな彼らの心中など一切構わず、ニアはキラ一人を相手に話を続けた。

「それはつまり、僕がキラだと信じて疑わない。そういう事ですね?ニア」
「信じているのではありません。それが真実なのです」

 夜神月の苦笑がいったん消え、それから甘く優しいものへとゆっくり変わって行く。

「僕はキラじゃない。それは前のLにも言いました。彼は最後まで信じてくれなかったし、貴方も信じてくれなさそうですが。それに‥‥」

 月が優雅ともいえる動作で模木を見つめ、振り返って相沢を見る。

「仲間と信じて今までやって来た人達の中にも、僕を信じてくれない人がいるようです‥‥」

 優しく、そして儚い微笑み。何処か哀しげに見えるのは頼りない光のせいだろうか。
 けれどニアには、彼の瞳の奥底に嘲笑の光が見え隠れしているのが感じられた。

「でも、もういいです」
「月君‥‥」

 松田が怒りと混乱、そして恐怖の入り混じった視線を魅上から月へと移す。

「ニアの言うとおりなら、その男の持っているノートで真実が判るはずですから。僕がキラではないという真実がね」

 クワッとニアの目が大きく見開かれた。
 この自信は何だ!?何処から来る!?

「僕達がまだ生きているのは、その男の持っているノートが貴方の摩り替えた偽物だから。けれど彼はそれを知らない。本物の死神のノートだと思っている。よってそこに名前を書かれていない者こそが、真のキラ。そうですよね?ニア」

 月の言葉に全員の視線が今はレスターの手の中にある黒いノートに注がれる。

「では、中を見てみようじゃないですか。そこに誰の名前が書かれてないのか」

 ニアは眦が裂けそうなほど大きく見開いた目でキラの笑みを見つめた。
 美しさと気品、そして背徳と嘲りが入り混じる壮絶な微笑を。

「ニア」
「レスター、ノートを開いて確認してください」

 そんなはずは無い。
 絶対そんなはずは‥‥‥‥‥
 全ては上手く行った。魅上はドジをやらかし、ジェバンニは頑張った。自分はキラの裏をかいた。上を行った。
 そのはずだ‥‥‥そのはずなんだ‥‥‥‥!
 そうでなければメロの死が無駄になる!

「!!」

 直ぐ側でレスターの息を呑む音がした。

 

 

「ニ、ニア‥‥」
「何が、何が書いてあるんだ!?誰の名前が書いてないんだ!?」

 松田が悲鳴に近い声を張り上げる。

「どうなんだ?レスター指揮官!月君の名前は書いてないのか?」

 その発言こそが夜神月をキラだと信じて疑わない証拠だと本人自身気付かぬまま、相沢が青い顔をしてSPK側に詰め寄る。

「どうしました?僕達には見せてくれないんですか?」

 月の言葉に松田がレスターの元へ駆け寄り開かれたノートの中を覗き込む。

「!これはっ‥‥!」
「松田?」
「ニア‥‥‥」

 松田は呆然とニアを見下ろすレスターの手から強引にノートを奪い取った。

「私達の、負けです‥‥」
「僕達の名前だ!」

 レスターの掠れ声をうち消すかのように狭い倉庫内に響き渡る歓喜の声は松田のもの。

「僕達の名前が書いてある!」
「何だって?」
「夜神月!月君の名前が一番最初だ!それに模木完造、松田桃太、伊出英基、相沢周市、Halle・Bullook、Anthony・Carter、Stephen・Lo‥‥あぁ、これは書き掛けだ!!」
「そんな‥‥!?」

 相沢が驚愕のあまり息を詰まらせ、伊出が安堵と不安の入り混じった吐息を洩らす。模木は一体何がどうなったのか判らないという顔でハル・リドナーの側に立ち尽くし、それからハッとニアを見下ろした。

「月君の名前だよ!月君の名前がある!やっぱり月君はキラじゃないんだ!」

 ほらほらと、自分達の名前が書かれたページを全員に見せて回る松田は本当に嬉しそうだ。片やSPKメンバーと相沢は顔面蒼白である。

「初めから判っていた事ですよ、松田さん。正真正銘、僕はキラじゃないんですから」
「そ、そうだね。うん、そんだよね!月君はキラじゃない。名前が書いてあって当然なんだ。僕は信じてたよ、月君。君がキラじゃないって、他の誰が信じなくても僕は信じてた。いや、知ってたんだ!」

 興奮した松田の目にはじんわり涙さえ浮かんでいる。彼は一度鼻を啜ると、どうだと言わんばかりにSPKを見やり、相沢には鋭い非難の眼差しを向けた。

「これで判ったでしょう、相沢さん。月君がキラじゃないって」

 ショックの余り口も利けないほど茫然自失となった相沢の様子に、そんなに月君がキラであって欲しかったのかと改めて思い知らされきつく眉を顰める松田。神経質なほど几帳面な字で書かれた名を、冤罪に苦しめられた、尊敬する今は亡き上司の息子の名を指差してみせる。

「間違いないですよね?相沢さん。月君はキラじゃない。これがその証拠です!」

 それは一冊の、見た目は何の変哲も無い黒いノート。その開かれたページの左側にはびっしり名前が書き込まれ、白紙に近い右には数名のの名前しか書かれていない。

「ニアだって今更これは証拠にならないとは言わないでしょうよ」

 言わせてなるものかと、松田はより一層険しい目をニアに向けた。
 ガクリと膝を折る相沢。当の月はその様子を憐れむことなく見下ろし、いまだ無表情なニアの言葉を静かに待った。

「ニア‥‥これは一体‥‥」

 どうやら思惑が外れたのは相沢だけではないらしい。ジェバンニとハルも戸惑いを隠せない表情でニアの様子を窺っている。
 今までずっと夜神月がキラだと信じ捜査して来た彼らにしてみれば、ノートに夜神の名があるのは全く予期せぬ事、有り得え無い出来事なのだ。これでは自分達が自ら夜神の無実を証明した事になってしまう。

「ニア」
「ニア!」

 この状況を打破して欲しいと、彼らを引率して来た少年の名を呼ぶ声が、焦燥から酷く切迫した色を帯びて来る。

「‥‥‥貴方は‥‥」

 だが、返って来たのはその外見同様頼りない呟きだった

「ニア?」
「‥‥‥‥‥」

 レスターは自分の呼びかけに全く反応しないニアを心配そうに見やり、彼の視線の先にいる夜神月を、キラを慎重に窺った。
 犯罪史上最凶の殺人鬼にはとても見えない綺麗な若者。その経歴も外見同様綺麗なものだ。確たる証拠が無ければ彼らが夜神をキラだと名指ししても誰も信じないだろう。
 だからこそ今日この時に全てを賭けたし、必ず上手く行くと信じた。
 それなのに結果はどうだ。思惑は全く逆に働き、彼らはあろう事か夜神がキラではないと証明してしまった。
 一体何がどうなっているのかレスターには判らない。ジェバンニやハルだってそうだ。判るとしたら、それはやはりニア一人だろう。

「貴方は‥‥‥」

 レスターはニアの声に視線を夜神から彼へと戻した。
 相変わらず目つきの悪い子供らしからぬニアの眼差しは、他の誰でもなく夜神月に注がれている。いや、ニアにしてみれば夜神ではない、キラだ。

「私が‥‥魅上のノートを摩り替え、細工を施した事に‥‥気付いていたんですね」
「ニア?」

 レスターは咽元を急激に競り上がって来るものに何やら嫌な予感を覚えた。

「ニア」

 そしてキラの、慈悲深いともいえる優しげな声に背筋が震えるのをはっきりと感じた。

「何度言えば判るんだい?僕はキラじゃないよ」
「キラは貴方だ、貴方しかいない‥‥!」

 一方、妙に上擦ったニアの声と言葉に日本捜査本部の面々は唖然となっていた。松田のみならず、相沢さえも一瞬竜崎を、前Lを思い出した。

「貴方は私がノートをすり替え細工した事に気付き、魅上に自分の名前を書くよう指示したんだ!そうに決まってます!」

 幼い子供の癇癪そのままに拳で地面を叩くニアに言葉を失う。困ったような月の微笑みに思わず同情したくなるほど、彼らの心情はニア側から一気に月へと傾きつつあった。

「仮にそうだとしても、僕はどうやってそれに気付いたと言うのですか?どうやって魅上さんに連絡を取ったと?僕はずっと貴方達に同調した相沢さんに見張られていたんですよ。そうですよね?相沢さん」
「!‥‥‥」

 不意に名を呼ばれ相沢がビクリと肩を震わせた。

「特に高田清美が誘拐されてから今日まで、相沢さんは僕の傍を片時も離れなかった。離れたのはトイレの時ぐらい。それもほんの3~4分、5分も無かったと思います。もちろん携帯の類は一切持って入らなかった。それはいちいちボディチェックしていた相沢さんが証明してくれるはずです。そうですよね、相沢さん?」
「!‥‥相沢さん、月君にそんな事までしてたんですか!?」

 それでも長い間一緒にキラ捜査をして来た仲間なのかと、憤慨する松田を伊出が押し留める。

「そもそも貴方がノートに細工したのは何時の事なんですか?ニア。高田さんが死んだ後?死ぬ前?それとももっとずっと以前?もしそうなら、魅上さんはどうやって毎日の裁きをしていたのでしょう?」
「!!」

 何も言い返せないニアに焦ったジェバンニが一歩前へ出る。

「ノートの切れ端だ!魅上はノートを数ページ切り取りそれに犯罪者の名前を書いてたんだ!高田もそうやって裁きをしていた!」
「高田さんまでキラだったと?」
「お前が切ったページを高田に渡してたんじゃないのか!?」
「僕が?そうなんですか?相沢さん。僕はそんなものを持って高田清美に会ってましたっけ」
「それは‥‥」

 そんな事実はなかったと相沢の苦渋に満ちた表情が証明している。

「だいいち、ノートの切れ端に名前を書いても効力があるなんて話、直ぐには信じられないんですが‥‥それとも貴方達は誰かの名前を書いてそれを実証してみたんですか?」
「うっ‥‥」

 その言葉にジェバンニが気拙そうにレスターの方を見やる。
 ニア一人なら検証ぐらいするだろう。CIA出身のハル・リドナーも必要があればするだろう。だが、指揮官だと言うレスターには最後の良識が残っていたようだ。

「してないんですね。だったら‥‥」
「俺の言ってる事が嘘かどうか、そこの死神に聞いてみろ!ノートの元々の持ち主はそいつなんだから知ってるはずだ!」

 その発言に驚いた松田と伊出が自分達の背後をバッと振り返った。

「おや、貴方には僕達の後ろにいる死神が見えるんですか。Mr.ジェバンニ」
「あぁ、見えるとも!」

 ジェバンニは月の目がずっと哂っているのにも気付かずそう断言した。

「どんな死神ですか?」
「真っ黒な、パンクロックみたいな風体の、ギョロ目の死神だ!」
「ほ、本当に見えてるんだ‥‥」
『え?俺?』

 ここに来て漸く死神が声を発した。

「死神。彼には貴方が見えるそうですよ」
『みたいだな。さっきからその連中、俺の方をチラチラ見てやがったし』
「やっぱり‥‥そんな気はしてたんです。妙に視線が定まってなかったから。と言う事は、ニアにも貴方の姿は見えている、そう考えていいですね?」
『あぁ』

 クックッと笑う死神にSPKのメンバーが俄かに及び腰になる。

「死神が見えるということは、貴方がたも本物のデスノートに触れた、という事になりますが‥‥」
「だから言ってるだろ!ノートを摩り替えたって!」
「触れたどころか、ノートに名前を書いていた。違いますか?」
「what‥‥!?」
「ら、月君?」
「こ、こいつ、何を言って‥‥」

 ジェバンニの言葉を無視した月の発言に、その場の誰もが度肝を抜かれた事は言うまでも無い。

「ニア」

 その呼びかけは余りに優しすぎて、ニアの心臓を一撃で止めるほどの力を持っていた。

「貴方がキラですね」

 

 

 「おかしいと思っていました‥‥執拗に僕を疑う発言を繰り返し、相沢さんに猜疑心を植え込もうとする貴方の事‥‥どうしてそんなに僕をキラに仕立て上げたいのか、ずっと考えていました。それもこれもニア、貴方自身がキラなら説明がつく‥‥」

 シンと静まり返った倉庫内に月の落ち着いた声が響く。
 それは突拍子も無い発言だった。だがそもそも、夜神月がキラだとする考え自体が突飛なものなのだ。ならば、180度視点を変えれば、ニアがキラだという考えもありえるということ―――

「貴方は僕を第一のキラに仕立てて抹殺し、そうすることで咽から手が出るほど欲しかったLの座を手に入れようとした。いいや、キラ本人でなくとも、キラに連絡可能な者のはずだ‥‥ニア!お前が‥‥お前が竜崎の本名をキラに教えたんだ!違うか!?」
「竜崎の、本名‥‥!」
「そうか!同じワイミーズハウス出身なら、次期L候補なら、Lの本名を知っていてもおかしくない!」

 急激に動き出した空気に全員が浮き足立つ。

「名前は知らなくとも、顔は見ていたはずだ」
「写真だって手に入った!」

 メロの写真を持っていたのだから前Lの写真も持っていてもおかしくない――― SPK達の脳裏に一瞬そんな考えが浮かぶ。

「写真をキラに見せれば死神の目で竜崎の名前を知ることが出来る‥‥」
「Lを殺せる!」

 伊出と松田の言葉に誰も否定を返せなかった。二人は既にその考えに捕らわれ、相沢もまた、考えも付かなかった推理に大いに動揺している。
 死の恐怖がキラを、夜神月を疑っていた者達を容赦なく襲う―――

「お前のように頭でっかちの謎解きが大好きな子供には、Lの座はとても魅力的なはずだ」

 竜崎の名を口にしたせいだろうか。夜神月の口調が微妙に変わっている。

「だから竜崎、前のLが生きていた時から、お前はLの座を狙ってたんじゃないのか?」

 およそ人前に出るには相応しくない恰好、そして奇行。誰がどう見てもニアは会社勤めの出切る人間ではない。
 変わった子供、まともではない子供――― それが彼を見た者全てが抱く感想だろう。

「だが、前のLは若かった。当分死にそうに無かった。しかも徹底した秘密主義だから逆恨みした犯人に殺される確率も低かったはずだ。それでは何時自分にLの座が回って来るか判らない。二十年、三十年。いや、下手をすれば五十年先かもしれない。そうなったら先に自分が死ぬ場合だってある。お前は待てなかったんだ。いいや、待つつもりも無かった。だからLを殺してその座を奪おうとした!」

 たたみ掛けられる月の言葉にもニアは微動だにせず、ただ彼を見つめている。

「ところが、やっとLが死んだのに、何処の誰とも知れない偽LのせいですっぽりLの座に納まることが出来なかった。さぞ、悔しかっただろうな、ニア」

 いや、動けないのではない、動きたくないのだ。

「L同様、キラに殺されたワタリが所有していたパソコンにはカウントダウンソフトがあった。恐らく一定時間L、ないしワタリから連絡が無ければ『Lは死んだ』とみなされる仕組みだったんだろう。しかし、その待機時間がロスタイムとなり、Lの座を僕に奪われた。お前はどう見ても肉体派じゃない。安楽椅子に座って推理するだけの頭脳派だ。Lの権力をそっくり受け継いだ形でなければ何も出来ない子供。それに、一から始める気もなかった。地道な努力など自分には似合わない、そう思っていたんだろ?だから後継の座を横取りした者から更に横取りする事を思い付いた」

 力強いその声、不吉な明星のように輝く双眸。そして恐ろしくも艶やかな微笑み。何もかもが魅力的で視線をそらすなどもっての外だ。

「おおかた昔Lと仕事をした事のある刑事でも頼ったのだろう。そうしてFBIなりCIAなりに渡りを付け、SPKとやらを創った。キラ捜査を名目に、二代目Lを見つけ出し殺すために。しかも、二代目Lがキラとなれば一石二鳥。お前はキラを発見し殺した者として名を馳せ、前Lを越えたLになる。それがお前の狙いだ、ニア!ここまで来て違うとは言わせないぞ!」

 全意識が吸い寄せられる――― それこそがキラの魅力、美貌という名のカリスマ。ニアがバカにして否定してきた力。

「わざわざキラ信者まで使って僕を罠に嵌めるとは、なんて卑怯な奴だ‥‥いいや、そんな事より許せないのは、お前が竜崎を‥‥」

 不意に顰められた悲しげな眉さえも、魅惑に満ちてニアの視線を惹きつける。それは同時に彼を冤罪に苦しむ一人の若者に仕立て上げる蠱惑な色香だった。

「バ、バカな!ニアがキラだなんて‥‥!」
「当たり前だジェバンニ!これも奴の、キラの罠に決まってるだろ!」
「しかし‥‥!」

 動揺はキラと名指しされたニアより残されたSPKメンバーの方が大きかった。

「でも、夜神の言い分は筋が通ってるわ‥‥ニアがキラなら、いいえ、キラでなくてもキラと通じていれば、メロの仕業に見せかけてSPKの仲間を殺す事が出来た。上と繋がっていたメイスン長官を邪魔に感じて、他の捜査官に紛れて殺したのかも‥‥」
「ハル!君までどうした!?あんな戯言を信じてどうする!」
「だってそうじゃない!確かに私はメロに通じてたけど、メンバーの顔写真まで流してなかった!メロは彼らの偽名しか知らなかったのよ!顔も名前も判っていたのはメイスン長官だけ!それなのにどうやって他の皆を殺せたの!?それにニアがキラなら、魅上のことを知ってて当然よね?レスター、貴方、少しは変だと思わなかったの?Xキラの正体がこんなに早く掴めるだなんて。いくらニアが優秀でも早すぎるわよ!」
「ハル!」
「高田清美にしたってそうよ!夜神がキラなら、自分と過去に関係のあった女をスポークスマンにするのは余りにリスクが大きすぎるわ!疑ってくださいと言ってるようなものじゃない!」
「それは!逆手を取って‥‥!筆談と言う連絡手段が‥‥」
「誰がそれを目撃したの?メモ用紙が減っていた事しか確認されてないわ。それにしたって、キラの指示で高田が一人芝居してたのかもしれないじゃない!」
「憶測だ!」
「それが何!?夜神がキラだというのも、ニアの憶測でしょ!?」

 周囲で始まった内輪揉めが耳に入らぬほど、ただただ目の前の美しくも恐ろしい死神に魅入られたニア。
 そう、死神だ。
 あんな真っ黒で醜い化け物が神と名乗るのはおこがましい。それに引き換え―――

「ハル!ジェバンニ!今まで私達がやって来た事を振り返ってみろ!ニアはずっとキラを追っていた!それこそ命懸けて‥‥!」
「命懸け!?ニアが!?ホテルに籠って一歩も外に出なかったくせに、それでどう命を懸けるって言うの!?私には顔を晒させ、ジェバンニには死神が憑いてるかもしれない男を尾行させて!‥‥あぁ、そうね。そうなんだわ!ジェバンニにノートに触るよう命令したのは、死神が憑いてないって知ってたから!危険が無いと判ってたからやらせたのね!!」

 高田清美のボディガードだったハルと、常に危険に身を晒していたジェバンニが疑いの眼差しをニアに向ける。恐らく心の何処かでニアの捜査方針を不満に思っていたのだろう。それがここに来て一気に噴出した形だ。

「なんて事を言うんだ、ハル!ニアがそんな事‥‥!だいいちどうやってニアに裁きが出来たと言うんだ!本部でノートを見たことなんか一度としてなかったぞ!それに魅上に連絡を取る事だって‥‥」
「貴方は四六時中ニアの傍にいたの?レスター!相沢みたいに24時間ニアを見張ってたとでも言うの!」
「そ、それは‥‥」

 勿論それは無い。ニアが一人でいた時間は山ほどあった。ここでレスターが自信を持って言えるのは、ニアがSPK本部から一歩も外へ出なかったという事実だけである。いや、それも、絶対ではない。ハルとジェバンニが出払い、そしてレスターも捜査で出払っていた事は何度もあった。その間当然ニアは一人きり。やりたい放題である。そもそも彼らのアジトのセキュリティはニアが握っていた。

「私は‥‥‥」

 レスターがどう反論しようか迷っている時、それまで大人しく拘束されていた魅上が不意に言葉を発した。

「魅上さん。何か言いたい事がおありですか?」

 それを受け、すかさず月が続きを促す。ニアを断罪していた時とはうって変わった優しい声だ。

「貴方にも今の状況がどんなものか大方察しが付いて来たでしょう。今貴方はキラ信者どころか、キラ本人だと疑われています。このまま行けばキラとして逮捕され死刑は免れないでしょう。もし、言いたい事がおありなら、今の内におっしゃってください」

 誰もが注目する中、魅上は周囲をゆっくりと見回し徐に口を開いた。

「私は、キラ様を‥‥神を尊敬しています‥‥」
「典型的なキラ信者‥‥」

 松田の小声に月が軽く睨みを利かせる。

「神はこの世を正しくしようと、罪を犯した者を一人で裁いていらっしゃる‥‥世界は一度、神の手によって壊され生まれ変わらなくてはならない。清く正しい世界に‥‥それを‥‥それを邪魔しようとする者は、神も私も、決して許さない‥‥」
「今は貴方の思想を伺っている暇はありません」

 月に穏やかに窘められ、魅上は唇を震わせた。

「わ、私は‥‥た、確かに俗に言うキラ信者だが、キラ様本人じゃない。そんな‥‥そんな恐れ多い事、あるわけ‥‥」

 思い詰めたように一度深く項垂れ、再び顔を上げるやヒタリとニアを見据える。

「貴方が‥‥神、ですか?」
「魅上!貴様‥‥!」
「Mr.レスター」

 そして恐る恐るニアに声をかけレスターに激しくどやされる。

「ニアがキラのはずないだろ!」
「じゃ、じゃぁ!貴方が神なのか?」
「僕は違います」

 月にも否定され途方に暮れる魅上。

「エ、Lというのは‥‥」
「一応今は僕がLですね。本物のLはそこにいるニアのせいでキラに殺されてしまいましたから」
「殺したのはお前だろ!」
「‥‥Lになりたくて、この人を罠に嵌めキラに仕立てたというのは‥‥」
「戯言だ!」

 怒りに任せ怒鳴る行為が逆効果だと判っているだろうに、焦燥の余りレスターは声を抑えることが出来ないらしい。

「そんな‥‥私はいったい、どちらの言葉を信じれば‥‥それとも、全部‥‥嘘なのか?私は今日ここに、神に敵対する連中が集まると聞かされ、それを確かめに来ただけなのに‥‥」
「!その情報は何処から!?」
「ニアに決まってるだろ。月君は相沢さんに見張られてて誰にも何処にも連絡なんて出来なかったんだから」

 その言葉に今度は松田を睨みつけるレスター。

「どうやら貴方はニアに利用されたようですね、魅上さん。確かに僕達は日本警察のキラ捜査本部の者です。彼らもキラに対抗する組織の生き残りですが、今回の件はキラには全く関係ありません。ニアの、そこにいる少年の個人的な野望を実現させるための企みです」
「キラ!貴様‥‥!」
「僕はキラじゃないと、何度も言ってるはずですが?Mr.レスター」
「じゃぁ、何故魅上はノートを持っていたんだ!ノートに書かれていた犯罪者の名前は何だ!?それに死神も‥‥」

 レスターの激しい糾弾の声に魅上も自身の身に迫る危機に気付いたのだろう。焦った顔で彼を振り返り訴えるように叫んだ。

「こ、これは!私が作った神の裁きの記録です!」
「嘘をつくな!死神のノートに犯罪者の名前を書いて殺してたんだろ!」
「何ですか?それ!ノートに名前を書いて殺す?何の話ですか!?」
「白々しい!」
「白々しいのはどちらです?Mr.レスター」
「黙れ、キラが!」

 あまりの暴言に松田がレスターに飛びかかろうとするが、それを寸でのところで伊出が止める。

「さ、さっきらから、いったい何を言ってるんだ?私のノートが何だって言うんだ!?」
「死神のノートですよ!キラの裁きのからくり!死神のノートに犯罪者の顔を思い浮かべながら名前を書くと、書かれた犯罪者は心臓麻痺で死んでしまうんです!ニアは、貴方のノートがその死神のノートだと思い込んでるんですよ!」
「‥‥‥はぁ?」

 流石は検事なだけあり松田の口早な説明でもその内容は理解できたようだ。魅上は『本気で言っているのか?』というような顔で自分を理不尽に捕えた男達を見回した。

「おい、彼にはリュークが見えてないのか?」

 その様子を注意深く観察していた伊出がある事に気付き背後の死神を振り返る。そう、魅上の視線は只の一度もリュークを捕えた様子がなかったのだ。

『んん?‥‥そうかもなぁ。どうなんだろ‥‥ククッ』

 問われて死神がからかうように魅上の前に進み出るが、当の魅上は何の反応も返さない。相変わらずレスターやジェバンニ、月や松田を見回し、ここから逃げられないか背後のドアにチラチラ視線をやっている。当然の事ながらリュークの声など聞こえている様子はない。

「見えて、ない?‥‥この人にはリュークが見えてないっ!」
「そうみたいだな」
「は?何が見えてないって?」

 その様子に松田が小躍りして喜び、伊出が何かに納得したように深く頷く。模木は呆然と立ち尽くし、相沢もまた言葉もなく事の成り行きを見ているだけだ。片や、ハルとジェバンニ、SPKの二人の表情はますます険呑なものになって行く。

「え、演技をしているだけだ!奴には死神が見えている!それを、見えない振りをしているだけだ!その証拠にジェバンニが尾行中、奴は何度か死神の事を口にして‥‥っ!」

 ただ、レスターだけがそれを認めようとしなかった。

「俺は鞄の中のノートに触ってからも、魅上の周囲で死神を見ていない」
「!‥‥ジェ、ジェバンニ?」
「もし魅上のノートが初めから偽物、いえ、魅上の言う通りキラの裁きの記録を綴ったただのノートなら、死神なんて見えるはずないわよね。ただのノートなんですもの」
「バカな!本物だったからこそ、今私達に死神が見えてるんだろ!」
「そうかしら。ここへ来る前に、ニアが何らかの方法で私達にも死神が見えるようにしたのかもよ」
「可能性が無いわけじゃないな。もし本当に切れ端で人が殺せるのなら、ノート自体に触らなくとも、切れ端に触っただけで死神が見えるのかもしれない」
「そういえば、ノートの切れ端で人が殺せると言い出したのはニアだったわね。自分が使った事があるからそう言える事なんじゃない?」
「ふ、二人とも、何を言って‥‥」

 同僚の思ってもみなかった言葉にレスターは激しく動揺し声を失った。

「Mr.レスター。ここは最後まで魅上さんの話を聞きませんか?仮に彼が本物のXキラだとしても、弁明の余地ぐらいあるはずです。ニアによれば、Xキラはオリジナルのキラによって半強制的にキラにさせられたようですから」

 そして月の気遣わしげな、しかし毒の入った言葉に見る見る勢いを無くして行く。何も言い返さないニアの様子がそれに拍車をかけていた。

「それで?魅上さん。今日ここにキラの敵対者が集まるという情報は何処から仕入れたのですか?」
「高田清美だろ!彼女が‥‥!」
「Mr.‥‥」

 決めつけは良くないと、レスターの言葉を遮る月。そんな二人を交互に見比べ、魅上は意を決して告白を始めた。

「お、同じキラ信者の一人です‥‥」
「キラ信者‥‥高田清美ではないのですか?彼女も信者でしょ?」
「そうだが、彼女じゃない」
「信じられるか!」
「嘘じゃない、信じてくれ!」
「僕は信じますよ。では、改めて聞きますが、そのノートは何ですか?」
「これは‥‥さっきも言ったとおり私が作った神の裁きの記録だ‥‥です」
「やっぱり死神のノートじゃないか!」
「ち、違う!本当にただの記録なんだ!高田清美も同じようにノートに記録を取っていた!」
「彼女も?」

 それは魅上が高田清美との関係をあっさり白状する一言だった。

「彼女と親しかったのですか?」
「同じキラ様を支持する者としてなら‥‥彼女とはとても意見があって‥‥何度か彼女の所属するキラ様の支援団体にも入会を誘われた‥‥」
「団体?もしかしてそれは彼女の警護を請け負っている団体ですか?」
「あ、あぁ、そうだ」
「そうですか。彼女もあそこの会員だったのですか。そうではないかと思ってましたが‥‥」

 高田清美がキラの新しい代弁者に指名された後、彼女に擦り寄りキラの恩恵を得ようとする個人、団体が後を絶たなかった。出目川の『キラ王国』の腐敗っぷりが酷かった事もあり――― それが原因で出目川はキラに粛清された――― 彼女はそんな連中を排除する道を探した。つまり、早々に協力者を決める道だ。
 そうして彼女が選んだのが某キラ支援団体だ。それはアメリカの犯罪被害者支援団体が母体となった物で、数多くあるキラ支援団体、キラ崇拝団体の中でも比較的評判の良い団体だった。
 そんな大きな団体の全面的バックアップを取りつけた彼女は内輪では多少天狗になった所もあったようだが、世間一般への言動は至って良識的なものであり『才女』の名を欲しい侭にしていた。その団体に彼女も入会していたとは―――
 もしかしたら代弁者に選ばれる前から入会していたのだろうか。もしそうだとしたら、一連の流れは彼女と会の間で行われたただのパフォーマンスという事になる。

「貴方は入会しなかったのですか?」
「私は、あまりつるむのは好きではなくて、もう少し考えてみると‥‥こ、このノートはその団体が配っていた物だ。神の裁きの記録を黒いノートにしたためる、そうする事で神との一体化をはかるのだと‥‥そう言われて‥‥!」
「確かに。キラ信者がキラの殺人の記録を作っているというのは良く聞く話だけど‥‥これはちょっと、病的かも」

 松田はパラパラとノートを捲り、そこにビッシリ書き込まれた名前の余りの多さに気味悪そうに唇を歪めた。名前は当然ながら日本語のものだけではない。むしろアルファベットで書かれたものの方が圧倒的に多い。松田には何語か全く判らない文字で書かれた名前まである。日本のTV報道だけでは決して知りようが無い数だ。

「見せてください、松田さん」
「あ、うん」

 ペラペラとノートを捲っていた松田に月が声をかけると、彼は主人に尾を振る犬のようにあっさりとそれを渡した。ニア達にとって貴重な証拠になるはずだったノートは、そうして夜神月の手に落ちた。

「世界中の名前がありますね。ざっと見たところ確かにキラに殺された犯罪者の名のようです。しかも、その死を公開されていない政治犯の名前もあります」
「それこそ、魅上がXキラだと言う証拠だ!」
「どうしてそうなる!?私はただ、毎日送られて来る神の裁きのリストをそのまま書き写しただけだ!」
「毎日送られて来る?それはいったいどういう意味ですか?魅上さん」

 そのノートをゆっくり閉じヒタリと魅上に視線を据える月。その目を見返す魅上の表情は真剣そのものだ。何とか濡れ衣を晴らそうと必死なのだろう。

「メールで‥‥!メールで裁きの名簿が毎日送られて来るんだ!」
「メール?貴方にだけですか?」
「い、いや、団体がノートを配った、ごく少数の人間にだけだと聞いている」
「それは、選ばれた会員に?という事ですか?」
「そ、そうかもしれない‥‥」
「自分はキラ信者のエリートだとでも言いたいのか!」

 そんな魅上に向かってレスターが唾を吐く。

「私は‥‥っ!」
「彼にはキラの支配する世界を担う能力がある。そう認められたと言う事ですよ、Mr.レスター」
「ほう?やっと自分がキラだと認める気になったか!魅上をXキラに選んだのは自分だと‥‥!」
「そんな事は言ってません。現状の行政司法関係者をキラ信者に一新する。彼はそのメンバーの一人に選ばれていたのかもしれない、そう言っているだけです」
「!」
「わ、私が‥‥?」

 キラ信者に一新――― その言葉に相沢を初めとする日本の刑事達が一瞬息を飲む。今の日本なら、それは十分あり得る話だ。なにせ、世界の警察を自負するアメリカがキラを認めた今、アメリカに依存している日本がそれに倣わない筈がなかった。ましてや日本はキラの代弁者を輩出している国なのだ。アメリカ以上にキラに行政司法を乗っ取られる可能性が高いと言えよう。

「アメリカがキラに屈し、日本政府もそれに倣いかねない今、日本で一番大きな力を持っているのは、おそらく高田清美が入会していた団体でしょう」
「そ、それは‥‥考えられない話じゃない、な」
「キラの次の代弁者もまたその団体から選ばれれば、それはもう決定的です」
「そ、そんな所に‥‥私は、誘われていたのか‥‥」

 月の言葉にキラの世界支配に自分も貢献できる、という未来でも夢見たのか、魅上が何処か呆然とした顔で月が手にしている黒いノートを見つめている。まるでそれが自分と神、キラを繋ぐ唯一の道であるかのように。

「って事は、その団体からキラの代弁者だけでなく、新しい内閣総理大臣が出ちゃうかも‥‥?」
「バ、バカな!!」

 そんな魅上に触発されたかポロリと零れ落ちた松田の言葉に相沢が激しく反応する。

「いえ、十分考えられる話です。それに、それは日本に限った話ではありません。なにせ、あの団体の本部はアメリカにあるのですからね」
「!」

 祖国の事にまで言及され今度はSPKの面々が息を飲む。

「つまり、それだけキラの支持者層は幅が広い、という事です。僕達が思っていた以上に、政界や法界にキラ信者は多いのかもしれません」
「‥‥そん、な‥‥」
「このノートがいい例です。これは、信者達の一部が死神の、死神のノートとは知らなくとも、キラが黒いノートを持っている事を既に知っていると言う証拠です」

 全員の視線が月の掲げた黒いノートに注がれる。

「キラの裁きの記録を取るだけなら何も黒いノートに拘る必要はありません。鍵付きの日記帳でもいいし、パソコンのメモ機能でもかまわないはずです。それをわざわざ黒いノートに限定し、しかも団体自らが限定した人間に渡し、毎日裁きのリストを送っていた‥‥それはつまり、団体が何らかの方法でキラと接触し、死神のノートの存在を教えられていたとは考えられないでしょうか」
「!?」
「勿論、全てではないはずです。キラの力の要であるノートの話を、信者とはいえ不特定多数の人間にキラが話すとは思えませんからね。ましてや死神のノートだなんて‥‥ただ、そう、例えば。裁いた人間の名を黒いノートに記録していると、キラがそう口にしただけかもしれません。しかし、それだけでも信者達にとっては重大な秘密の告白と映った事でしょう。自分達がキラに一歩近付く事を許された、信者として認められたと感じた筈です。つまり、そう思わせるに足る、また、そう思わせる必要のある人材が、高田清美が入会していた団体には多くいる、と言う事です」

 有り得ない話ではない、と誰もが思った。
 キラの力の源、裁きのカラクリは死神のノートだ。史上最悪最強の兵器。だが、逆を返せばそれがなければキラもただの人、という事である。従ってキラが一人でも多く味方を作ろうとするのは当然の事だろう。

「魅上さん、リストの情報元については教えられましたか?」
「い、いや‥‥知らない、聞いてない‥‥ただ、リストを作っているのは信者の一人だとは聞いた‥‥FBIの幹部にも信者は居るのだと、高田清美が自慢そうに言っていた」
「FBIだと!?バカな!!」

 そして、レスターの口から驚きと怒りの声が迸り出る。

「そのFBIの素性は?聞いてますか?」
「いや、そこまでは‥‥送信者名は『DEATH SENTENCE』となっていたし、時々添えられるメッセージも英語だったから男か女かも判らない‥‥」
「『DEATH SENTENCE』‥‥死刑宣告‥‥ゾッとしないな」

 心なしか身を振るわせ松田が呟く。

「男であれ女であれ、一人であれ複数であれ、これだけ詳しくキラの被害者リストを作れると言う事は、団体のバックにそれ相応の権力者がついていると見て間違いないでしょう。FBIかICPOか‥‥それとも、SPKか」
「!き、貴様自身がやった癖に‥‥っ!!」

 夜神月の涼やかで怜悧な視線が未だ蹲ったままのニアに一瞬向けられる。それを目ざとく見咎めレスターが非難する。

「何度も言いますが、僕はキラではありません。だいいち、相沢さんに見張られていた僕がどうやってそんなリストを送れたと言うんですか」
「だよね。特にメールには目を光らせてたもんね、相沢さん」
「‥‥‥‥」

 結局はそこに行きついてレスターの言葉は途切れてしまう。
 彼にとって魅上の弁明は、月に上手く先導されたものにしか聞こえなかった。余りに出来過ぎていて、如何にも言い訳めいたものにしか聞こえなかった。それだけレスターはニアを信じていた。いや、信じるしかなかった。
 何故なら、ニアをメイスンFBI長官に紹介したのは他ならぬレスターだから―――
 彼は叫ぶ。
 そんな筈はない、そんな筈はない、ニアがキラの筈がない、夜神月がキラの筈だ!
 これはキラの罠だ。キラの罠に嵌ったのだ。キラの裏をかいてキラを嵌めた筈が、逆にキラに嵌められた!!
 魅上が持っていたノートは死神のノートの筈だ。それが証拠に自分達には死神の姿が見えている。ジェバンニが魅上の元から奪って来たノートは死神のノートなんだ!だから、そんなノートを持っていた魅上がXキラで間違いないんだ!!

「!そ、そうだ!ノート!!‥‥魅上はノートを二冊持っていた!鞄と、銀行の貸金庫に!ジェバンニに尾行されていると気付いた魅上が、ジェバンニに偽物を掴ませるためにわざと盗まれ易いようジムのロッカーにノートを放置したんだ!そして、本物は銀行の貸金庫に隠してた!!もし、ノートが只の裁きの記録だと言うのなら、そこまで手の込んだ事はしない筈だ、する必要がないっ!」
「二冊?そうなのですか?」

 だが、レスターの起死回生の叫びにも月は少しばかり眉を顰めるだけで焦った様子は微塵も見せなかった。

「た、確かに私はノートを二冊持っている。しかし‥‥」
「そらみろ!」
「そ、それは!か、書き続ければ何時かは書く所がなくなってしまうから、だから大事にとっておこうと思っただけで深い意味は‥‥!あ、あれは、貰い物にすぎなかったが、記録を取っているうちに、キラ様から頂いたノートのような気がして来て‥‥それで‥‥それで、自分で似たような黒いノートを買って来てそっちに記録を取るようになっただけなんだっ!」
「大事な物だから使うのが勿体ない‥‥うわぁ、その気持ち判るなぁ」
「松田、少し黙ってろ」

 完全に月側に立ち魅上の事もニアに騙されたのだと信じて疑っていない松田を、事の決着を見届けようと緊張を崩さない伊出が窘める。

「‥‥あぁ‥‥ノートを良く見れば、初めは毎日欠かさず1ページずつ被害者の名前が書かれていますね。最後は‥‥これは、11月の‥‥24日?の被害者でしょうか?それ以降の被害者の名前は書かれてませんね‥‥これはつまり、この後は貴方自身が用意したノートに記録を取っていた、そういう事になりますか?魅上さん」
「そ、そうです‥‥」
「高田清美はどうなんだ!?」
「‥‥高田清美‥‥確かに、このノートに彼女の名前も書かれています。11月24日の欄外に。これは‥‥」
「彼女は裏切り者だ!」

 そのとたん、魅上が鬼の形相をして叫んだ。

「彼女はキラ様に選ばれながらキラ様を裏切ったのだ!だからキラ様に粛清された!!」
「誘拐された件ですか?」
「誘拐はカモフラージュだ!彼女は誘拐された振りをしてキラ様の秘密をLに密告しようとしたんだ!だから神罰を受けたんだ!!」
「‥‥神罰ときましたか。その情報は何処から?」
「『DEATH SENTENCE』から仕事先に緊急メールが入った!だから私は彼女を許せなくて、直ぐに銀行へ行って貸金庫に保管していたノートに彼女の名前を書いたんだ!!」
「許せないからこそ大切なノートの方に彼女の名前を書いた、という事ですか」

 その通りだと大きく頷く魅上をジェバンニが複雑な顔で見つめる。

 

 

 魅上がノートを二冊持ち、銀行の貸金庫にそのうちの一冊を隠していた事に気付いたのはジェバンニである。判で押したような生活を送る几帳面な魅上は毎日25日に銀行へ行っていた。にもかかわらず今月に限り26日にも銀行へ行った事に不信を覚え、鞄の中のノートと一緒に手に入れておいた貸金庫のスペアキーを使いその中身を調べたのだ。
 中にあったのは黒いノート。そこに書かれた犯罪者の名前の中に『高田清美』の名を見つけた時、彼はこれこそが本物の『デスノート』だと思った。メロに捕まった彼女を口封じのために殺そうと、急遽本物のノートに名前を書いたのだと、そう思った。
 そうなると、鞄の中のノートはフェイク。盗まれても構わない偽物!――― ニアもその推理を肯定し、急遽貸し金庫のノートを偽造した物に摩り替えるようジェバンニに命じた。ニアとL、キラの対決は11月28日、時間はもうあまり残されていなかった。
 11月25日以降の裁きが書かれていなかったのが幸いし、思ったほど模写に時間は掛からなかった。そうして、ギリギリのところでジェバンニはノートの摩り替えに成功した。
 26日以降魅上は貸金庫のある銀行へ行っていない。従って、彼が今朝銀行から取り出したノートはジェバンニが摩り替えた偽物のノートである。
 そのノートを持って彼は此処へ来た。そうして自分が手にしたノートが本物だと信じて敵の名前を書いた。ニアの思惑通りに―――
 その中に『夜神月』の名前はないはずだった。しかし!

「‥‥‥how do it become‥‥‥?」

 あぁ‥‥だが、貸金庫のノートも偽物に摩り替えられたと気付いていたら、キラの、夜神月の名前も平気で書けるのかも‥‥
 だとしたら、11月25日以降の裁きはどうやって行っていたんだ?鞄の中のノートは偽物だったはずだ。自分達を騙すフェイクだったはず―――
 ニアは11月25日以降の裁きは高田清美がノートの切れ端に書いて裁いていたのだろうと言っていた。だが、よくよく考えてみれば11月25日と言えば相沢の証言を聞く前だ。つまり、ニアが2代目Lは『夜神月』だと確信する27日以前から、貸金庫のノートによる裁きは行われていなかった事になる。だとしたら、キラはニアの疑いが掛かるずっと前に魅上にノートを渡し、魅上は偽物のノートを用意して自分達を罠に掛ける準備をしていた事にならないか?

「!!」

 魅上が持っていたノートの裁きは11月9日から始まっていた。そこにホープ大統領の名前を見つける事は当然出来なかった。夜神総一郎の名前もだ。それは偶然なのか、それとも必然なのか。そしてそこに、忘れてはならない事実が一つある。
 9日以降、夜神総一郎が自分の命と引き換えに『夜神月はキラではない』とする証拠を掴んだ、という事実だ。
 死神の目を持つ者は顔を見ただけでその者の名前を知る事が出来る。顔の上に名前が浮かんで見えるのだそうだ。しかし、死神のノートを所有する人間の名前だけは見る事が出来ない。胡散臭い話だが、その目のお陰で夜神総一郎がメロの本名を知る事が出来たのだから真実なのだろう。
 それに、その情報が大前提となって今回のニアの作戦は立てられたのだ。疑っていたらただのギャンブルでしかない。
 今日ここに集まった者達の名前をXキラがノートに書く。当然初めて見る人間の名前をだ。それは『死神の目』を持っていなければできない相談である。そして、同じノートの所有者であるキラの名前は見る事が出来ない。だから、キラの名前だけは判らない。ノートに書く事が出来ない。いや、そもそもキラの名前をノートに書く必要がない。
 そうやって夜神月の名前だけ書かれていない死神のノートが作られる。それが今回の作戦の要だった。
 それなのに―――
 判らない。いったい何がどうなっているのか。
 死神と契約し『死神の目』を得た夜神総一郎は息子の顔を見てその名前が見える事に安堵しながら死んで行ったという。つまり、その時点では間違いなく夜神月はキラではなかったという事だ。それとも、9日以前に既に総一郎の名前はノートに書かれていたのだろうか。彼が目の契約を買って出、そして息子の無実を晴らして死ぬと書きこまれたのだろうか。だとしたら、キラはとんでもない冷酷な人間という事になる。

「嘘だ!でたらめだっ!!」

 レスターの怒号にジェバンニは物想いからハッと我に返った。

「何が嘘だと仰るのですか?Mr.レスター。高田清美が裏切り者として裁かれた事ですか?それともノートが死神のノートでも何でもなかった、という事ですか?」
「‥‥クッ‥‥!」

 視線を向ければ悔しそうに唇を噛むレスターの横顔が見える。

「もし貴方の言う通り魅上さんがXキラだとしましょう。そして、ノートは二冊あり、あぁ、これは魅上さんも肯定していますね。二冊の内、貸金庫に保管しておいた方が本物のノートだとします。だったらこのノートには11月25日以降の被害者の名前も書かれている筈です。しかし、このノートにはそれがない。あるのは高田清美の名前と僕達の名前だけです。それともMr.ジェバンニが偽物とすり替えた時わざと書かなかったのですか?」
「‥‥そんな事はしていない」

 ジェバンニはとっさに本当の事を答えた。

「では、鞄の中にあったノートはどうでしたか?」
「‥‥11月25日以降のものも書かれていた‥‥」
「Mr.レスターが偽物だと主張するノートにですか?それでどうやって裁きをしたというのでしょう」
「‥‥‥」

 1月24日、最後の日曜日。あの日ジェバンニはジムのロッカーから再度ノートを盗み、あらかじめ用意しておいた偽造のノートと摩り替えた。摩り替えに気付かれないよう、1月24日から27日までの4日分のページは本物にしておいた。魅上が1日1ページしか裁きをしない事、運良くその二日分がちょうど紙2枚分だったのが幸いした。つまり28日、キラとLとの直接対決の日以降のページは只の紙なのである。そのページに名前を書いても誰も殺す事は出来ない。
 あの時は幸運の女神が味方していると思った。だが、今もそう言えるだろうか。

「!‥‥まさかっ」

 幸運の女神などいなかった?裏の裏をかいて、鞄の中のノートが本物だった?――― ジェバンニは突然の思い付きに血の気が引く思いを味わった。
 そう、もし鞄の中のノートが本物だったとしたら魅上にも11月25日以降の裁きは可能だった――― 高田清美がノートの切れ端で裁きをしていた、というニアの推理は鞄の中のノートが偽物だった場合を想定してのものだ――― 高田清美死亡後の裁きも。
 だが、もしそうだとしたら今度は貸金庫のノートの意味がなくなる。そんなものを用意する意味も、わざわざ高田清美を殺す為に貸し金庫のノートを取りに行く必要も全くない!
 だったら、あのノートは何だ?ただの予備だったのか?魅上は死神のノートを2冊持っていたのか?
 キラは複数冊ノートを持っていた。有り得ない話ではないが―――

「ところで魅上さん、これが貸金庫に保管していた大事なノートだとしたら、もう1冊のノートはどうしましたか?」
「え?あ、鞄に入れたままに‥‥」
「そうですか。伊出さん、確認してください」

 月に言われ伊出が出入り口付近に放置された魅上の鞄を探る。

「あったぞ、月君‥‥パッと見はよく似たノートだな。だが、こっちの方が新しそうだ」
「こちらへ持って来て下さい。これと比較してみましょう。あぁ、そうでした。こちらのノートも貴方がたが摩り替えた偽物ですか?」

 そう問われ、ジェバンニは弱々しく頷いた。
 誰もが息を殺して見守る中、伊出と月の手で2冊のノートが比較される。鞄の中のノートを確認する伊出。

「‥‥‥こっちのノートには11月25日以降の名前も書かれているな」

 伊出がチラリと顔を上げSPKの面々を見やる。

「だが、高田清美の名前はない」
「!!」

 ジェバンニは伊出のその一言に息を飲んだ。

「み、見せてみろ!」

 衝動のままジェバンニは伊出に駆け寄りノートをひったくった。そして、隅から隅まで調べ『高田清美』の名前が何処かに書かれてないか探した。

「ない‥‥!高田清美の名前が、ない‥‥!」

 だが、とうとう彼女の名前を見つける事は出来なかった。
 代わりにあったのは1月26日と27日の被害者の名前だった。すると、やはり本物は鞄の中のノートだった?それなら彼女が死んだ後の裁きも魅上には可能だ。何故なら、このページは元々魅上が持っていたノートのページを使っているのだから。その先の24日と25日のページもそうだ。
 となれば、24日と25日に書きこまれた犯罪者はノートの力で死亡し――― これでノートの切れ端でも人は殺せると立証される――― 魅上は鞄の中のノートが摩り替えられていないと勘違いしたはずだ。だから高田清美の死後の裁きもこちらのノートで行った。ニアの言葉を借りるなら、貸し金庫のノートは本来28日まで絶対使ってはいけないものだったから。
 ならば、高田清美の名もこちらのノートに書いておかしくない。いや、むしろそうする筈だ。何故なら、このノートは鞄の中にあり、常に魅上の手元にあったのだから。
 しかし、魅上はそうはせず、わざわざ銀行まで行って貸し金庫のノートに名前を書いた。それは何故だ!?
 それに、魅上は鞄の中のノートを奪われない自信があったとでも言うのか!?本物を!?絶対に!?
 そんな事があるか!元から貸金庫の方を本物と信じ込ませる罠だったとしても、自分は鞄の中のノートも摩り替えたのだ。それを考慮しないキラなどキラと言えるのか!?
 判らない、判らない、判らない‥‥‥!いったい何が真実で何が嘘なんだ!?
 激しい混乱がジェバンニを襲う。

「だからっ!彼女は裏切り者だったから大事な方のノートに書いたと言っただろう!そもそもこれは只の記録なんだ!『DEATH SENTENCE』のリストを書き写した、私と神との絆なんだ!だいいち、ノートに名前を書いただけで人を殺せるなんて、そんなバカげた話、あるもんか!!」

 そう無実を訴える魅上は必死だ。それはあらぬ疑いを掛けられパニックになっている人間の姿そのもの。魅上もまた混乱の極みにあるようだ。

「だそうですよ、Mr.レスター。貴方達が細工した、とするノートには僕達の名前が書かれているけれど、11月25日以降の被害者の名前は書かれていません。書かれている方のノートは貴方がたも魅上さんも偽物だと言う。では、11月25日から今日までの裁きはいったい誰が行っていたのでしょう」
「そ、それは‥‥高田だ!高田清美に書かせたんだ!さっきも言ったようにノートの切れ端を使って彼女に‥‥!」
「切れ端で効果があると確認もしていないのにそれを主張するのですか?仮にそうだとして、彼女が死んだ後は?」
「き、きっと彼女が死の間際に、時間指定して書いたに違いない‥‥そうでなければ、魅上が切れ端に‥‥」

 そうか!切れ端!!切れ端がある。
 鞄の中のノートはやはり偽物だったのだ!11月25日以降の裁きは、1月24日から27日までの裁きも切れ端でやったのだ!きっとそうに違いない!!
 あぁ、こんなことなら死を覚悟して魅上のマンションに踏み込むんだった‥‥!

「では、その切れ端は押収したのですか?」
「そ、それは‥‥」

 魅上の傍に死神がいる可能性を畏れ彼のマンションに侵入しなかった事をジェバンニもレスターも大いに悔やんだ。
 だが、続く夜神月の言葉に彼らは更なる衝撃を受ける。

「そもそも、どうして貴方がたが魅上さんに拘るのか僕には判りません。単純に高田清美がXキラだったと、どうして考えられないのですか?」
「!?」
「なっ!?」
「まさか‥‥!?」

 それはSPKだけでなく日本捜査陣をも驚愕させる発言だった。

「キラの代弁者がキラに代わって裁きもしていた。有り得ない話ではないでしょう?」
「じゃ、じゃぁ‥‥出目川を殺したのは‥‥まさか‥‥!?」
「高田清美。そうして自分自身を指名し、新しいキラの代弁者になった。その方がキラの考えをより確実に世間に発表出来ますからね」

 伊出の疑問にあっさりと答え、ジェバンニとレスターを無視して高田清美のボディガードをしていたハル・リドナーに視線を向ける夜神月。今度は彼女が混乱する番だった。

「高田清美は根っからのキラ信者でした。キラに代わって裁きをしろと言われれば喜んでするでしょう。しかも、彼女が入会していた団体はアメリカに本部を置くかなり大きな団体です。人材も豊富だし資金力もある。キラにとってまたとない味方となった筈です。そして、彼女がキラの代弁者に選ばれてからは『キラに認められた世界で唯一の組織』として何かと幅を利かせるようになった。団体は24時間体制で高田清美を警護し、彼女がキラとしてスムーズに活動できるようバックアップしていた。お陰で貴方達はおろか政府も警察も彼女には手が出せなかった。裁きのし放題ですね」
「!!」
「あぁ、元CIAのエージェントに偽名で潜入されていたんでしたね。という事は情報網の方は大した事なかったのでしょうか?」

 今となってはそれが向こうの罠だった可能性もありますが――― そう一言付け加えられ、当の本人であるハル・リドナーがクゥと息を飲む。
 もし高田清美がXキラで死神と目の契約をしていたとしたら、彼女の本名はとっくにばれていた事になる。命がけの任務に就いている自覚はあったが、まさかここまで死と隣り合わせだったとは。
 最終局面で漸くその可能性に気付き、一瞬眩暈を覚えるハル・リドナーだった。

「高田清美が‥‥キラ?」

 同じようにもう一人、その推理に酷いショックを受けている者がいた。魅上である。

「キラは複数いるのですよ、魅上さん。ヨツバキラがそのいい例です。主犯は最初のキラ、オリジナルのキラです。世間一般がキラと呼ぶのも最初の、第一のキラだけです。そして、ヨツバキラ以外のキラは第一のキラに従って裁きをしている。彼女もその一人だったのではないか、と僕は考えます。ただの憶測でしか有りませんが」
「も、もしそれが本当なら、誘拐された彼女は‥‥」
「メロに誘拐された時点で彼女の命運は尽きたも同じですね。薬でも使って団体やキラの秘密を吐かされればとんでもない事になる、キラ側にすればですが。だから、口封じのために裏切り者として裁かれたのでしょう」
「口封じ‥‥」
「貴様がやったんだろ!」
「ですから、僕が何時そんな事を?何度もいいますが、僕はずっと相沢さんに見張られていたんですよ」

 その事実がある限り、夜神月がキラだと言い張るのは非常に苦しい。だいいち、貸し金庫のノートが本物だったにしろ、鞄の中のノートが本物だったにしろ、魅上のノートには夜神月の名が書かれているのだ。
 唯一、夜神月がキラだと証明できる筈だった名前の書き込み。
 そこに名前を書かれなかった者こそがキラ――― そういいだしたのはニアだ。そうして、そうなるよう計画したのもニア。
 その全てがキラの手の上で踊らされていたとでも言うのだろうか。
 魅上のノートはどちらも偽物だった?それとも本物だった?どちらか1冊だけが本物?
 今となってはジェバンニが奪ったノートの検証をしたところで意味はないかもしれない。
 何度でも言う。夜神月の名はノートに書かれたのだ。Xキラと目された男の手で。しかも、一番最初に。
 そして、ニアの名前は最後まで書かれなかった。例えそれが松田に邪魔をされたせいだとしても言い訳にはならない。
 おそらく魅上はニアの名前は判らないと言うのだろう。
 それが真実なのか嘘なのか、もはやジェバンニもハル・リドナーも正しく判断する術を、ニアを信じる心を持っていなかった。

 

 

「あんた達はさっきからいったい何なんだ!?死神だとか、名前を書いただけで人が殺せるだとか!映画じゃあるまいし、そんな話、誰が信じるかっ!?あんた達が言ってる事は、キラ様の力への冒涜だ!!」

 そんな中、とうとう魅上が切れて喚きはじめる。
 彼にしてみればいきなり銃を突き付けられ手錠を掛けられ、おまけにキラ本人だと疑われ殺人の濡れ衣を着せられたのだ。このまま無実が証明されなければキラ本人として逮捕され、運が悪ければ、いや確実に処刑されるだろう。処刑まで行かなくとも終身刑は間違いない。
 そんな運命を素直に受け入れるなど、誰であれ出来ようはずがなかった。キラ信者としてキラ様の身代わりになれる、という喜びもそこにはないだろう。何故ならそれは、彼の言う通り、キラ様の力への冒涜に他ならないのだから。

「そんな事言われても、死神も本当にいるし、ノートも本当の事だし‥‥」
「ノートに名前を書いたのにあんた達は死んでないじゃないか!」
「それは、ノートを摩り替えたから‥‥」
「高田清美が死亡した時点では未だ摩り替えられていなかった、そうですよね?」

 松田の言葉に後ろ手に縛られた魅上が憤慨するなか、夜神月がSPKの面々に再度確認する。

「そもそもそれがおかしいんだ!私のノートは只のノートだ!そこに書いた名前も、メールで送られて来たリストの名前を書き写しただけだ!何度言ったら判るんだっ!!」

 よほど悔しいのか、魅上の眦には涙まで浮かんでいる。

「今日ここへ来たのだって、メールにそうするよう書いてあったからだ!」
「メールに?」
「書いてあった?」
「そういえば、ここにキラの敵が集まると聞いたから来た、とか何とか言ってたっけ‥‥」

 魅上の新たな発言に全員の視線が集中する。

「『DEATH SENTENCE』からのメールですね?いったい何と書かれてあったのですか?」
「だから言ったろ?今日ここに、神に敵対する者が集まって、神の暗殺を企てようとしている。そう書かれてたんだ!」
「まさか、それを知って、貴方一人で阻止しに来たとでも?」

 なんて無謀な、と松田が呟く。

「‥‥集まったメンバーを確認するだけでいい、と書いてあったんだ。それに、私はジムで鍛えていたし、多少荒っぽい事になっても平気だと思って‥‥むしろ、それぐらいの危険、神を崇拝する者としては当然の事だと‥‥!」
「代弁者に選ばれた高田清美が、羨ましかったのですね?」
「!!」

 どうやら図星だったようだ。魅上は悔しそうに唇を噛みしめ俯いた。

「‥‥この倉庫に集まった人間を確認して、サイトに名前を上げてくれと頼まれた。神もサイトは見ているからと‥‥」
「信じたのですか?」
「疑う余地はなかった!それに‥‥」
「それに?」
「成功すれば‥‥高田清美同様、神と直接話せる権利を得られる‥‥そう書き添えてあった」

 それはキラ信者にとって抗い難い誘惑だったに違いない。事実、魅上は喜び勇んでここへやって来たのだから。たった一人で。
 権利は一人で享受してこそ権利である。

「それで、危険を顧みず無茶をしたのですか‥‥おおかた貴方にしか頼めない、貴方ならきっとできる、とでも書いてあったのでしょう。それと、どうせならノートに名前を書きとめないか、とも唆されたのでは?キラのように裁きを、その真似事をするのも悪くない、とね」

 それも図星だったらしく、魅上は忌々しげにそっぽを向いた。

「死んだかもしれないと言うのに‥‥無鉄砲な人だ」
「女の高田清美でさえ神の役に立っているのだ。男の私がこれくらいの事を恐れてどうする」
「狂信者ってやつ?」
「松田!」

 軽い松田の発言に伊出が彼の脇腹を突き、月が苦笑いを零しながら先を続ける。

「貴方がした事はそれだけですか?」

 さも面白くなさそうに魅上が月を睨み返す。それからハル・リドナーを見やり、ジェバンニを見やり、先程からずっと無言で蹲ったままのニアを見る。

「‥‥信者達の間で、解散された筈のSPKが神を捕まえようと暗躍している‥‥そんな噂が立っていた。神の代弁者だった出目川の、マンハッタンでの騒ぎもあったし、本当の事だろうと思っていた」

 その噂ならSPKも日本捜査陣達も知っていた。

「その頃からだ‥‥『DEATH SENTENCE』のメールにリストの他にメッセージが添えられるようになったのは‥‥」

 魅上の視線が一際鋭いものになる。

「神の敵を誘き出すためだと、そう諭された‥‥出目川が死んだ後のキラ王国に出演して、わざと目立つような発言をしたのもその一つだ‥‥高田清美はきっと敵にマークされている。その高田清美の知り合いで熱心なキラ信者なら、敵が接触して来るかもしれないと言われて‥‥」

 確かに魅上の言う通り彼はニアに目を付けられた。それはいったい誰の差し金だったのか。果たして夜神月か、それともニアの自作自演か。いずれにしろ、それが『魅上がXキラ』と言う根拠になった事は間違いない。

「た、確かに、死神がどうのこうのと口にして見せた。そう演技しろと書かれてあったからだ‥‥敵を罠に嵌めるからと‥‥!FBIの言う事だから、捜査に慣れているのだろうと思って、私は疑いもせず指示された通りにした!神のために何かできるのが、嬉しかったんだ!!」
「その思いを利用されたんですね、貴方は‥‥」

 月の同情めいた口調と言葉が薄暗い倉庫に異様に響く。
 利用された?誰に?キラにか?もしそうだとしたら、魅上は死神の事もノートの事も何も知らないまま、キラに操られていた?では、その指示を出していたのは誰だ?『DEATH SENTENCE』の送信者は誰なんだ?
 夜神月か?だが、彼は相沢に見張られていた。そんな彼にメールが送れるのか?
 ならばニアの仕業?確かにニアなら幾らでもメールを送る事が出来た。皆が出払っている時なら魅上にノートを送る事も出来た。SPKのメンバーは誰一人としてニアの事を疑っていなかったのだからやりたい放題だった筈だ。
 そうなると、夜神月の言う『ニア=キラ説』『ニア=キラの協力者』というのは本当の事かもしれない。

 ――― 魅上照も高田清美も、そして夜神月すらただの囮だった。
     全ての裁きは闇に隠れた本物のキラがしていた。

 そんな考えがジェバンニとハル・リドナーの脳裏をよぎる。
 自分は安全な場所に隠れ潜み部下には平気で危険な指示を出す。そんなニアを見てきた彼らが、ネット上の謎の人物『DEATH SENTENCE』とニアを重ね合わせて見てしまう事は否めない事だった。

「わ、私は‥‥!神をお助けしたかっただけだ!神のお役に立ちたかったんだ!神と共に新世界を築けるのなら、私は何だってやるつもりだった‥‥!」
「代わりに貴方が捕まっても?最悪、殺されたかもしれないのに?」

 そして、魅上のキラへの崇拝振りが過激であればあるほど、彼が哀れで愚かな犠牲者に見えて来るのも仕方のない事だった。

「私の命が神のお役に立つのなら構うものか!だから私は今日ここへ来た!あぁ、そうさ。危険なのは判っていた。神の敵が雁首付き合わせる場所に一人で乗り込むんだ、危険じゃないはずがない!それでも、私がやらなければならなかった。私以外誰もやれる者がいないのだからな!私が証拠を掴み神にお知らせする!そして神が裁く!あぁ‥‥何て、何て素晴らしい‥‥っ!神、私の神‥‥偉大なキラ様!」
「あの少年がキラなら?今からでも彼の側に付きますか?」
「‥‥!」

 感極まり思わず自分の世界に浸りそうになった魅上だったが、月の言葉に一瞬で現実に立ち戻り不信と不快、むしろ憎悪に近い視線をニアに向けた。

「本当にその少年が‥‥神、なのか?」

 そして、確認するかのようにこの場に居合わせた者達を順次に見やる。その目に映ったのは、少年の明確な味方が最年長の白人男性しかいないと言う事実だった。

「少なくとも、キラに通じている人間な事は間違いありません」
「貴様‥‥っ!」

 その唯一の味方が夜神月の言葉にすかさず怒りの声を上げる。だが次が続かない。それは彼もまた心の何処かでニアを疑い始めている証拠と言えよう。

「だからと言って貴方と同じキラ信者だとは限りませんが」

 魅上はその意味を理解し口元を引き締めた。

「ヨツバキラのように、私利私欲に走った輩、という訳だな?」
「だ、黙れっ!」

 吐き捨てるような物言いにレスターが怒りの矛先を向ける。ニアを庇うように立ち塞がる様が全くの逆効果だと彼は気付いていないようだ。

「私は‥‥騙されたのか‥‥」

 それはもう疑問形ではなかった。

「いったい何時から‥‥ノートを受け取った時から?それとも、知らない間にメールの送信者が代わっていた?‥‥あぁ、そうか、そうなんだ。高田清美が‥‥彼女が裏切ったんだ‥‥!誘拐はやはりカモフラージュ、敵に寝返るつもりだったんだ!だからキラ様に裁かれた‥‥!」

 ニアが信者で無ければ何なのか。
 神を利用し自分の欲望を充たそうとする偽善者―――
 それは真のキラ崇拝者には許しがたい輩だ。

「神の敵を葬り去るという話は真っ赤な嘘で‥‥ただ単に、Lという権力の座が欲しい子供に利用されただけなのか?」
「そうなりますね」
「キラ!貴様‥‥!」
「やめろ!月君はキラじゃない!まだ判らないのか!?」

 月に掴み掛かろうとしたレスターに松田が飛び掛り揉み合いになる。とっさに伊出も加勢しレスターは惨めに地面に転がされた。ハルとジェバンニが助けに入る様子は全くない。

「君も‥‥騙された口なんだな?」

 そんなレスターを目にした後、魅上が恐る恐る夜神月を振り仰ぐ。

「騙されたと言うか、ニアに嵌められた口です。キラの濡れ衣を着せられました」
「濡れ衣ではない!貴様が正真正銘のキラだ!!」

 何度目かのレスターの大声が倉庫内に響き渡った。

「だから‥‥だからなのか‥‥」
「何がですか?」

 ガクリと跪き再び深く項垂れた魅上が微かな声で呟く。

「‥‥名前‥‥」
「名前?」
「今日、ここに、集まるだろう敵のリストを‥‥何時も通り『DEATH SENTENCE』から受け取った‥‥全部で17人分あった」
「17人?何で?」
「カモフラージュだろう。人数ぴったりの方が却って怪しい」

 松田と伊出が声を顰めて言葉を交わす。だがそれは月にも相沢にもしっかりと聞こえていた。

「その中の何人がここに来ているか、それを確かめろとの指示だったのですね?」
「そうだ‥‥」
「リストを受け取った時、当然顔写真もありましたね?」
「あった‥‥」

 その事実に誰もが息を飲む。魅上が死神と目の契約をしていないのなら、彼にはここに集まった者達の名前を知る事は出来ない。当然ノートに名前を書く事も出来ない。だが、前もって顔と名前を知っていたのなら話は別だ。
 そして、その場合はキラ側に日本捜査陣の事もSPKの事も既に知られていた、という事になる。
 キラは何時でも自分達を殺す事が出来た――― その可能性に肝を冷やさない者はいなかった。

「そのリストは残っていますか?」
「‥‥消去した」
「でしょうね。でも、全て記憶したのでしょう?そうでなければ今日ここで照合する事はできませんから」
「8人だ」
「え?」

 魅上の声が余りに小さくて、松田は押さえていたレスターから離れ一歩魅上に近付いた。

「17人のうち8人が、ここに来ていた」
「?」

 そして、意味が判らず月を振り返る。

「僕の名前を抜かせば8人ですよ、松田さん」

 松田桃太、伊出英基、模木完造、相沢周市の4人に、ジェバンニ、ハル・リドナー、レスター、ニアの4人を合わせて8人。

「そ、そうか!ノートに名前を書かれなかった者がキラだから、月君の名前は送ってないんだ!」

 ニアを振り返った松田の目には確かに憎しみの色が滲んでいた。

「リストの内8人もここにいたから‥‥だから‥‥」
「ますます信じた」
「彼女の写真に添えられていた名前も、公表されたものとは違っていたし‥‥」

 魅上が視線を向けた先にいるのは、もちろんハル・リドナーだ。

「ハル・リドナーの方が偽名だと思ったのですね?」
「高田清美に近付くためならそれは当然だと思った‥‥それに‥‥」
「それに?」
「17人の内一人だけ‥‥顔写真が無かった」
「ニアですか?」
「その代わり特徴が書き添えられていた‥‥銀髪の巻き毛の子供‥‥何時も白い服を着ていて、天才児で‥‥SPKに協力している、とあった」
「時には荒唐無稽な話の方が逆に真実味を帯びて見える、という典型ですね」

 全員の視線がニアに向く。

「僕達の写真と名前は相沢さん経由で入手可能、SPKの分は元から判っていた。しかし、自分の写真だけは送る訳にいかなかった」

 そして、月に名指しされた相沢にも。

「恐らくニアの名前は偽名でしょう。たかが罠を張る為にわざわざ本名を使うバカはいません」

 バカと言われたのが自分達のような気がしてジェバンニとハルが顔を顰める。

「君の‥‥君の写真と名前だけが無かった‥‥」

 そして、今度はいささか嘲笑的な目で夜神月を見上げる魅上。

「でしょうね」

 そんな魅上の視線に心動かされた様子もなく、未だニアを信じようとするレスターを無感動に見つめる夜神月。

「リストになかった君を見て‥‥飛び入りが居てもおかしくない、と思った」
「なかったのは故意です。けれど貴方は僕の名前を書いた。しかも、一番初めに‥‥どうしてですか?」

 月が当然の疑問を投げかけると、魅上は暫し口を閉ざしじっと彼を見返した。そして徐に‥‥‥

「君は、警察庁次長、夜神総一郎氏の息子だろ?」

 

 

「こ、こいつ!月君の事を知って‥‥!?」

 少し長めの髪の間から月を見やる魅上の視線には熱のようなものが籠っていた。だが、薄暗い倉庫内でそれに気付く者はいない。ただ一人を除いて。

「神が初めてこの世に現れた時、『凶悪犯連続殺人特別捜査本部』を指揮していたのが、当時刑事局長の夜神総一郎‥‥そして彼は警察がキラ事件から手を引いた時辞表を出し、その後ヨツバキラ逮捕と同時に職場復帰している」
「‥‥調べたんですか」

 慌てる松田や他の刑事達と違って月はやはり冷静そのものだ。

「これでもキラ信者だからね。神に関する事なら何でも知りたかったんだ。職業柄警察の情報は入手し易かったし‥‥直ぐにピンと来たよ。夜神次長がLと一緒に神を追っていたと‥‥だから、こっそり次長の身辺を調べた。当然その家族の事も」
「つまり、僕の事はとっくに知っていたと」
「あぁ‥‥警察にいるだろうとは思っていた。もしかしたら、神を追っているかもしれない、とも思っていた‥‥ましてや夜神次長は多喜村長官に続いて殉職している。表向きは長官誘拐事件犯人に殺された、と発表されたが、神に裁かれたのだろ?」
「そこまで知って‥‥」
「松田!」

 松田の失言を伊出が諌めるが既に遅い。魅上はしたり顔で頷くと夜神月をじっと見返した。

「親の仇打ちを願わない子供はいない、違うか?」

 夜神月はキラ様の敵だと、そのふてぶてしい笑みが物語っている。

「だから僕の名前を真っ先に書いた、という事ですか。誰よりも先に殺す為に‥‥」
「そうだ」

 それはある意味衝撃的な告白だった。
 Xキラの狙いがまさかキラの命だったとは――― いや、それもこれも夜神月が本当にキラだったとしたら、の話だが。

「皮肉な話ですね。貴方が僕の死を願ってくれたお陰で、僕の無実が証明されたのですから」

 ノートに名前を書かれなかった者がキラ。

「ありがとうと、この場合もお礼を言うべきなのでしょうか?」
「そんな必要はないよ、月君」
「ふふっ、松田さんの言う通りですね。ちなみに窺っておきますが、魅上さん。顔写真の無い天才児の名前は何とありましたか?」

 夜神月の涼しげな微笑みに魅上は悔しそうに首を振る。そして、鋭い眼差しをニアへと向ける。彼の中で既にニアはキラではなく、自分を騙し殺そうとした人間になり下がっているようだ。ならば、ニアを庇う理由は何処にもない。

「Nate・Riderだ」
「ネイト・ライダーねぇ。悪くない偽名ですね」

 その一連のやり取りを誰もが聞き、目にして、そして信じた。ニアがキラであれキラでなかれ、本名を他人に教える筈がないと。レスターですら迷いもなく信じた。
 そこに大きな落とし穴がある事に、誰も気付かないまま―――

「そういうことだそうだ、ニア。残念だったな」

 依然蹲ったまま身動ぎ一つしない少年に顔を向け、月が口元の微笑を深くする。

「利用したはずの相手に土壇場で全て覆されるとは、お前も予測できなかっただろう。もっとも、これはお前の調査不足が招いたミスだ。利用するなら僕の事を全く知らない人間にすべきだったんだよ、ニア。ちゃんと自分で調べたのか?どうせ人を顎で使って自分は何もしなかったんだろ?」

 だが、静かな口調ながら月の声には抑えた怒りが滲み出ている。それはそうだろう。今までさんざんキラ扱いされ、同僚にまで疑われ見張られるという日々を送らされたのだから。

「ニ、ニア!何か言ってください、ニア!反論を‥‥夜神がキラだという証拠を他に‥‥!」

 今やすっかり情勢は月側に傾いていた。このままニアが黙っていれば彼がキラにされてしまうのは火を見るより明らかだ。
 それだけはさせまいと松田の手を振り払ったレスターが必死に呼びかけるが、計画の崩壊がショックだったのか、ニアは瞬き一つせず夜神月を食い入るように見つめるばかりだ。

「やっぱり‥‥」
「ニア!」
「やっぱりそうなのよ。ニアがキラなんだわ!」
「ハル!?」

 そうこうする内、とうとう仲間割れが始まってしまった。

「今まで私達を騙して、さんざんこき使って!‥‥私は本気だったのに!本気でキラを捕まえようとしてたのに!何時殺されるか怖くて仕方なかったけど、必死に頑張ってきたのに‥‥!!」
「やめろ!ハル!!」
「私、メロに言っちゃったのよ!貴方が近々二代目Lと直接決着を付けるつもりだって!そう言ったらメロは考え込んでしまって『俺がやるしかないな』って‥‥!メロは貴方のために高田清美を誘拐したのよ!何か少しでもキラに不利になる事をしてやろうと!貴方のために‥‥!メロは死んでしまった!」

 何も言い返さないのは言い返せないから。ニアがキラだから――― そんな思いに駆られたハルがやにわに思いのたけを吐き出す。

「Xキラなんか初めからいなかった!そうなんでしょう!?キラが赤の他人に死神のノートを送った!?自分の代わりに裁きをさせた!?Xキラは死神と目の取引した!?バカ言ってんじゃないわよ!そんな大きすぎるリスク、キラが背負うわけないじゃない!Xキラに裏切られてキラの座を奪われるのがオチよ!ニアが前Lを殺してLの座を手に入れようとしたようにね!!」

 彼女の中の疑惑はもう拭いようがなかった。

「魅上の事も、2冊のノートも!私達に偽物のノートを掴ませようとキラが企んでいたと言う話も!!何もかも貴方の策略だったんでしょ!?魅上が何を言おうと、ノートに夜神の名前が書かれてなければ、それが決定的な証拠となって現行犯逮捕出来るからっ!」

 『現行犯逮捕』という言葉に松田や伊出が眉を顰める。確かにそうなっていたら彼らでも月がキラだと疑っただろう。月の逮捕連行も見逃した事だろう。そうなればニアがLとなり、Lの権力はニアのものとなる。後で真実が判明してももう遅い。松田達の反論はニアの権力に握り潰され夜神月の無実を晴らす事は永遠に出来なくなる。
 それが狙いだったのか!?――― 彼らはニアの真実を見た様な気がした。

「そうだな。夜神月をキラとして逮捕し裁きを中断すればその罪は確定したも同じ。証拠は必要ない。恐らくキラは即死刑だろうから、ニアがLの座に就くのを邪魔する者はいなくなる」

 世界の切り札と称される探偵『L』の座。ニアはそれに執着している。
 彼らの中でそれはもはや真実だった。

「その後で裁きを再開しても、死神がまたノートを落としたと言い訳すれば何の問題もない。キラの裁きの力は超能力でも何でもなく、死神のノートによるものだともう知られているからな」
「ジェバンニ‥‥!」

 悔しさのあまり目尻に涙を滲ませヒステリックに叫ぶハル。静かな怒りと憎しみを目に宿したジェバンニ。
 もはやニアの味方は自分一人だとレスターも悟らざるを得なかった。

「どうやら結論は出たようですね。魅上さん、詳しい話はまた後で。松田さん、伊出さん。ニアを逮捕して‥‥」

 そして、ニア逮捕の言葉に反射的に銃を取り出したのは、自分がまだニアを信じているからだと。

「freeze!」

 彼は蹲ったニアを片手で抱き上げジェバンニとハルを威嚇した。今となっては銃を撃つことに躊躇いの無い二人の方が日本人達より危険である。

「レスター!」
「貴方、そんな卑怯者を助ける気!?」
「私はニアを信じている!これは全てキラの、夜神の罠だ!」
「まだそんな事言ってるのか!罠を仕掛けて来たのはそっちじゃないか!月君はキラじゃない!キラはニアの方だ!」

 激昂する松田にも一応視線を流し、レスターは扉の方へとじりじり後退した。膝立った魅上を蹴り飛ばし半開きの扉を背にする。

「逃げ切れませんよ、Mr.レスター」
「夜神‥‥!」

 レスターはギラリと夜神月を、ニアがキラと信じる男を睨んだ。

「私は‥‥私はニアを信じている。ニアはキラではない‥‥!」
「レスター」

 静かな声に既に甘やかさは無かった。
 差し込む光にキラの美しい横顔が見える。
 それは喩えようの無いくらい恐ろしく、そして冷たい美しさだった。

「ニアは負けたんだ」
「!!」

 艶やかな微笑に心臓が止まりそうな錯覚に陥る。
 と同時にレスターは確信した。
 間違いなくこの男がキラだと。
 そうでなければ『ニアが負けた』などと言うはずが無い。
 勝ち負けを競っていたのは、キラとキラに敵対する者だけなのだから。

「お前は‥‥」
「動くな!」

 

 

 その時、レスターの背後で予期せぬ声が上がった。そして今までずっと閉じられていたシャッターがガラガラと上がり始める。

「な、何だ?」
「動くな、動くと撃つぞ!」

 眩しさに一瞬全員の目が眩む。

「お前達を、多貴村警察庁長官、及び夜神次長殺害容疑で逮捕する!!」

 シャッターが上がり切るのを待たず飛び込んできたのは二人の男。レスターの背後にいる者も含めれば三人か。

「た、逮捕?」
「次長の殺害容疑?」

 二人は月の前に出るや彼をその背に庇い、ハルとジェバンニに銃を突きつけ警察手帳を提示して見せた。

「夜神刑事、大丈夫ですか?」
「えぇ、僕は大丈夫です。それより主犯の方を‥‥」
「主犯?」

 月に指差されたレスターがヒクリと肩を揺らす。

「あの男が?」
「いえ、主犯はその男に抱えられてる子供の方です」
「あんな子供が!?」

 いきなり飛び込んで来た全く部外者の三人はどうやら刑事らしい。

「子供だと思って侮らないでください。頭の方は大人顔負けです。なにせ次期L候補として英才教育を受けていた子ですから」
「頭の方なら負けないさ。こっちにはお前がいるからな、夜神」

 もはやハルとジェバンニの造反を悔しがっている時間はない。

「そこの二人も動くなよ!元CIAだか何だか知らないが、動けば容赦なく撃つぞ!」
「銃を捨てろ!」
「くッ‥‥」

 レスターはギリリと奥歯を噛み締め、言われたとおり銃を捨てた。それを親切に飛び入り刑事の方へ蹴り飛ばす。
 月の前に立ち彼の盾となっていた刑事がそれを拾おうと腰を曲げた瞬間!

「何ッ!?」

 激しい爆発音が倉庫内に轟いた。
 壁の一面が吹き飛び、コンクリート片が彼らを襲う。

「ハル、ジェバンニ!逃げろ!」
「逃げる!?」
「どうしてよ!?」

 もうもうと立ち込める土埃に視界が奪われる中、レスターの叫び声にハルとジェバンニの二人が決断を迫られる。
 彼らにも判っていた。ニアがキラであろうとなかろうと、今捕まれば自分達も共犯者と見なされる事ぐらい。
 罪状は日本警察トップの殺害。キラには直接関係ない。いや、関係はあるが説明し難い現実がそこにはある。調べれば真犯人のメロとニアが同じ養護施設出身だと直ぐに判るだろう。なにせ事情を全て知っている夜神がいるのだ。彼が知らなかったのはニアの本名と名前だけである。
 その夜神がいるのだ。これは誤認逮捕だと主張しても認められるまでにかなりの時間がかかるだろう。
 やはり夜神がキラなのか?だったらどうして日本警察が?これは偶然?それともキラは全くの第三者で、ここではない何処かで笑っている?
 激しい混乱が二人を襲う。
 犯人は別にいる。全てキラのせいだ。死神のノートのせいだ!――― そんな話をしたところで誰が俄かに信じるというのか。
 夜神月とニア、いったいどちらが本当のキラなのか。だが、今はそれを追及している暇は無い。

「早くしろ!」

 ガーンと一発銃声が鳴る。

「うっ‥‥」
「!?月君!!」
「夜神刑事!」
「夜神!」

 そして、レスターが夜神月を撃った事で彼らの取るべき道は決まった。

「Ha!」

 ハルは側に立っていた模木の鳩尾に肘鉄を喰らわせシャッターの外へと飛び出した。
 ジェバンニも扉から入ってきた男を撃ち、続けてレスターに飛び掛ろうとした刑事を撃つ。

「レスター!」
「判ってる!」

 二人のSPKはニアを抱え倉庫の外へと逃げ去った。

「月君!月君!!」

 腹を撃たれ倒れ付した月に松田が駆け寄り抱き起こす。

「ぼ、僕は大丈夫です‥‥それより早くニア達を‥‥」

 既に三人の刑事は手傷を負いながらも追跡を開始していた。

「模木、動けるか?」

 仕掛けられていた爆薬はどうやら殺傷目的ではなかったらしい。音こそ派手だが、中にいた人間は埃を被っただけでほぼ無傷である。
 伊出は心配そうに一度月を振り返り、硬い表情の模木と連れ立ち刑事達の後を追って行った。

「松田さんも。行ってください‥‥」
「でも‥‥」
「本当に、大丈夫ですから」

 松田は月の指の間からじわりじわり滴り落ちる赤い血に一瞬眩暈を起こしそうになりながらよろめき立った。

「‥‥本当に大丈夫なんだね?」
「車に戻って救急車を呼ぶくらいの余裕はあります」
「月君‥‥」
「僕だって刑事なんですから」

 心配かけまいとニコリと微笑んでみせる月に、松田は込み上げて来る涙をグッと堪えた。

「相沢さん!ニア達を追いますよ!」

 その声に茫然自失の体で地面に伏せていた相沢が顔を上げる。

「もう月君がキラだなんて言わせませんからね!」

 彼を睨みつける松田の目には明らかな憎悪が見て取れた。

「さぁ、早く立って!」

 彼は松田に乱暴に引き立てられ出口へと向かった。

「松田さん、気を付けて‥‥」

 用心のため魅上の両足も手錠で拘束した松田は、そう声を掛けてくれた月に大きく頷き倉庫の外へ出て行った。

「‥‥‥」

 残されたのは腹を撃たれた月と四肢を拘束された魅上。

『月。お前、本当に大丈夫なのか?』
「あぁ、勿論さ」

 それまで弱々しくしゃがみ込んでいた月だったが、彼は死神の声を聞くなり何事も無かったかのように立ち上がった。

『お前、腹は?撃たれたんじゃないのか?』
「撃たれたさ。でも、僕は用心深いからね」

 月は不思議そうに自分を見下ろす死神のために種明かしをしてやった。

「防弾ベストだよ」
『ウホッ』

 死神は月が捲ってみせたワイシャツの下を見るなり丸い目を更に丸くして喜んだ。

「この血は偽物」
『スゴイ、スゴイ!月!みんなすっかり騙されてたぞ!』
「ニア達は銃の携帯には触れなかった。奴らがもし銃を所持していて僕を問答無用で殺す気になったら‥‥なにせ奴らは僕をキラだと信じ微塵も疑ってないからね。証拠が出なかったらそんな暴挙に出てもおかしくないだろ?そう相沢さんに言ってやったら、奴も僕がこれを着用する事を承知したよ」

 彼は服を直しながらそう言って笑った。

「最も、頭を撃たれてたら一巻の終わりだったけどね」
『そりゃぁ、やばい。月は人間だからな。俺なら平気だけど』
「彼らが僕を撃つとしたら、それは彼らの計略が失敗した時。でも、僕を撃ち殺してしまっては『自白』も『自供』も取れなくなる。ノートを持たない僕は無力だから動けなくさせるだけでいい。だから撃っても殺しはしないだろうと思ってね。もっとも、殺される前に殺す、って思ったなら別だけど。まぁ、そこは賭けかな」

 この僕が死ぬなど有りえない――― そんな自信の片鱗が月の冷たくも艶やかな笑みに滲み出ている。リュークには見慣れた微笑だ。

『つまり月は賭けに勝ったって訳だ』
「幸運の女神は僕の味方だったみたいだね」

 当然とばかりに言い切る月自身がその幸運の女神その者のようだと思いながら、死神リュークは見慣れたはずの若者の顔をしげしげと眺めた。
 前のLに月が勝った時、残念ながらリュークは現場に居合わせる事が出来なかった。きっと最高に面白い場面が見られただろうに――― そう思うとリュークは今でも悔しくて堪らない。
 だからニアとの対決には絶対自分も連れて行けと何度も何度も月に約束させた。そのかいあって最高に面白いショウを齧り付きで見ることが出来た。
 月の傍で月のやる事を見ているはずなのに、どんな結果が待ち受けているのかいつもリュークには判らない。リュークの想像の域を超えた事ばかりが起こる。
 月は最高だ、こんな面白い人間は絶対他にいない。リュークは心の内で何度もそう叫んだ。
 死神の自分をちっとも怖がらないばかりか顎でこき使う放漫な奴だけど、機嫌の良い時は高級林檎をポイポイくれるし面白い話を一杯してくれる。頭が良くてユーモアがあって、男にしておくには勿体無い――― と、誰もが言う綺麗な月。

「面白かったかい?リューク」

 人間ではないけれど一応人間の美醜が判るリュークも、確かに月は綺麗な部類の人間に入ると認めていた。怒った顔なんか身震いするほど綺麗だし、でもやっぱりこんなふうに無邪気に笑っている時が一番可愛くて綺麗だと思う。月が笑っていると、自分もちょっと嬉しくなるのが不思議だ。

『ウホッ!最高だァ、月!!』

 その気持ちを行動で表そうと、リュークは月の体を軽々と持ち上げた。

『このまま飛んで帰りたい気分だぞォ!』
「ハハハ、リューク。真っ昼間からそれはやめてくれ」
『じゃぁ夜ならいいのか?月の好きな所へ連れてってやるぞ?お前、言ってたろ、翼が欲しいって。俺がその翼の代わりになって何処へでも飛んでってやる』
「ふふっ、リューク。それは僕の望みを叶える気があるって事かな?」
『おうっ!』

 月を両手に抱いたまま軽く宙に浮いたリュークはその長い舌で彼の頬をベロリと舐めた。

『やっぱり月の方が美味いな。海砂は化粧臭い』
「おいおい、僕は林檎じゃないぞ。それよりリューク。空を飛ぶより今はもっと別の望みを叶えて欲しいんだけどな」
『何だ?何でも聞いてやるぞ』
「じゃぁ、あれをどうにかして」
『あれ?』

 月の赤く汚れた指がさし示す方を振り返ったリュークの表情が、途端に渋いものへと変わる。

『もう嫌だぞ、あいつに憑いてるのは。あいつ、てんで詰まんない人間なんだぜ』

 それは倉庫の床に転がる魅上照。長めの髪の間から覗く目が何とも言えず嫌いで、リュークはプイとそっぽを向いた。何となく前Lを思い出して気に入らない。

「それはもういいよ。今して欲しいのは魅上の手錠を外してくれる事」
『手錠ォ~?』
「できるだろ?」
『う~ん‥‥まぁ、俺にとっちゃ軽い事だけどよォ』
「だったらお願い」

 月のお願いと言うのはそう頻繁にある事ではない。あればあったで中々ハードなお願いだったりするのだが。

『林檎‥‥』
「判ってる。好きなだけ食べさせてやるよ。最後まで噴き出さずにいたご褒美だ」
『おう!笑いを堪えるのが一番辛かった。特に魅上が俺の事なんか見えないって言った時は吹き出しそうだったぞ』
「僕の言うとおり、我慢してとぼけただけの事はあったろ?だから‥‥」
『‥‥わかった。鎖を切ればいいんだろ?月にはホントに敵わないぜ』

 言葉とは裏腹に渋々といった体で月を下ろしたリュークは、拘束され芋虫のように転がる魅上に近付いた。銀色に輝く手錠の鎖に長く鋭い爪を引っ掛けグイと引っ張る。

「‥‥っつ」
『切れたぞ』
「ありがとう、リューク」

 まるで飴のようにあっさり切断された鎖を一瞥し、リュークは月の傍へと戻った。先程まで自分に向けられていた微笑みが今は魅上に向いているのが少々面白くない。

「あぁ、血が出たか」
「だ‥‥大丈夫です‥‥」
「そう」

 ぞんざいに切断したせいで魅上の手首には手錠の跡が残っている。それを目にしても特に何か言うことはせず、いまだ蹲ったままの魅上を見下ろす月。応えた魅上の声は可哀そうなくらい震えていた。

「いい加減立てば?何時までもそんな所に座り込んでいたら、風邪を引くぞ」
「‥‥‥‥!」

 言葉に反し月の口調はとても優しい。
 それに誘われたかのように、皮が擦り剥け薄く血を流す手首をコートの袖口で隠しながら、恐る恐る顔を上げる魅上。

「!」

 目が吸い寄せられる、そう魅上は思った。
 目だけでなく、意識そのものが持って行かれると。
 これが‥‥この方が、キラ‥‥‥‥

「神‥‥」

 光の差し込む倉庫内に佇む若者の、端正で理知的な微笑みを痴呆のように見つめ声を失う。いや、微笑みが美しいだけではない。その瞳の輝きが、凡人には決して持ち得ない煌きを湛えた双眸が、まさに彼を地上に降りた神だと魅上に教えている。

「フッ‥‥僕の名前は見えてるだろうに。夜神でいいぞ、魅上」
「い、いえ。そんな恐れ多い事‥‥‥神」
「神ねぇ」

 今回の作戦の都合上、キラの素性を特別に教えてやったというのに、素で自分を神と呼ぶ魅上に月はこっそりと苦笑を洩らした。そして、この男を選んで間違いなかったと、自分の選択に満足を覚える。

「確かに、新世界の神になると口にしたことはあったけど‥‥」
『時々言ってたよな、月。あれは結構芝居臭かったぞ』
「ハハハ、自分を鼓舞するにはいい動機だからね」

 けれど、誰かに本気でそう呼ばれるのはちょっと気色悪いと思う。
 正直、他人を神と讃え自分の意思を預けてしまう輩など月は好きではなかった。その点では魅上は月の軽蔑の対象に当たる。唯一の救いは知能の高さと忠誠心の厚さだろうか。

「神!神‥‥私の神!」

 そんな月の心中などお構いなく、いきなり地面に平伏した魅上は、地虫のようにいざり月の革靴に恭しく口付けた。

『うわっ、こいつキモッ!けど、時々いるよな、こういう奴。月はもてるから』
「リューク」

 反射的に足を引っ込めるような事はせずそれを平然と受けた月は、小声で囁く死神を軽く窘め魅上の興奮が治まるのを待った。

「神‥‥、あぁ、神!‥‥全て貴方の言われた通りにやりました!‥‥何でも仰って下さい、神。この魅上照、貴方のお役に立てるのならどんな事でもいたします!」
「フフ‥‥そうだな、全て計画通りにいったな」
「神‥‥!」

 恐れ入ったように額づく魅上を見下ろす微笑みは相変わらず艶めかしいほどに綺麗だけれど、その目は喩えようも無く冷たい。

「ニアの名前は判ったか?」
「は、はい!Nate・River、ネイト・リヴァーです!」
「そう」

 フフフと笑う月の声に思わず顔を上げた魅上は、重なった視線に目を奪われながらユルユルと熱い息を吐き出した。

「‥‥キラ、様‥‥神‥‥」

 今日この場で初めて目にしたキラ、神。
 素性を探るなと言われその通りにして来たけれど――― 最終的には神の信頼を勝ち得、何処の誰であるかを教えてもらうことが出来た――― その容姿を想像してこなかった訳ではない。
 電話の声からして若い男性だという事は判っていた。もしかしたら自分より年下かもしれないとも思った。そして、次々と送られて来る想像を超えた指示内容からその知能の高さも容易に窺い知れた。
 だからと言って、まさかこんなに綺麗な若者だとは想像だにしなかった。
 いや、少しはしたかもしれない。
 そうであって欲しいと望んでいたかもしれない。
 神なのだから、知性も美貌も、心の美しささえも兼ね備えていて欲しいと、本気で祈っていたかもしれない。
 それでも魅上は思っていた。
 完璧な人間などこの世にはいないと。
 それが、まさか‥‥‥

「魅上」
「は、はい‥‥!」

 まさか自分の敬愛するキラが、その完璧な人間であろうとは―――

「全てお前のお陰だ」
「!‥‥神、キラ様!」

 魅上はマリアの慈愛にも似た微笑と共に差し出された手を見て、今すぐ死んでもいいと思った。

「お前にはこれからも僕の手伝いをして欲しい」
「は、はい‥‥!」
「共に犯罪の無い社会を、心優しい者が傷つかないですむ世界を創っていこう」

 許されるのなら、この御手にも口付けたい。

「魅上‥‥」

 甘い呼び声に魅上は陶然と神の手を取り押し戴いた。