年に一度のおまじない

    


 「trick or treat」
「は?何だって?」
「何なんですか?急に」

 その日、3時のおやつに舌鼓を打っていた二人の子供は、大きなワークデスクに未処理の書類を積み上げ特注のワークチェアーに両足を上げて座っていた大人の、何だか余り聞きたくない台詞を聞いてしまったばかりに、クリームの付いたデザートスプーンを握り締めたまま、その大人の何処か上の空な仕事なんか手につかないよぉってな顔をまじまじと見る羽目に陥った。

「知りませんか?trick or treat」
「いや、知ってるけどさ」
「もちろん知ってますが」
「知ってて聞くなんて、何て捻くれたガキでしょう」
「はぁ?何言ってやがる。ってか、おれ達ガキなら似あう台詞を‥‥」
「いい年した大人の貴方が口にしても不気味なだけです」

 二人の子供は部屋の中央の結構値段の張りそうなアンティークソファの両端に並んで座っている。向かいには一人掛け用のソファが2脚あるのだが、そこにはデンと本が積まれているため今は座れない。それで仕方なくロングソファの方に二人して座ったのだが、何故だか二人の間は子供が二人座れそうなくらい開いている。それでもって、二人してケーキの皿を手で持ち互いのケーキを隠すようにして食べているのだ。
 一人の口にはチョコレートクリームが、もう一人の口にはカスタードクリームが付いており、時々相手方の手元を覗き込んでは自分のケーキの方が美味しそうだと北叟笑んでいたりする。そう言う意味では二人は正しく子供である。
 そして、10月最後の日にキリスト教圏の街中や各家庭で飛び交うであろう有名な台詞を全くの無表情で呟いた大人はと言えば、大人げなくも両手に某野菜を想像させる赤い色をしたスフレケーキを持ち、やはり大人げなく唇にスフレの欠片を貼り付かせあらぬ方を見つめている。書類や本、ファイルでごった返す乱雑極まりないデスクの中央だけが綺麗に片付けられ――― 余計な物を脇へ押しやった結果だ――― そこにはスフレが3つも4つも乗った皿がデンと置かれていて、おそらく数分も立たないうちにそれらは大人の腹に納まってしまうだろう事が容易に想像された。

「ハァ、仕方ありません。捻くれたガキの情操教育のためにこの私自らが『trick or treat』の意味を説明して差し上げましょう」
「だから、知ってるっての!」
「貴方の口から情操教育、なんて言葉を聞けるとは‥‥!」

 二人の子供は思いっきり眉間に皺を寄せると、一刻も早くこの部屋から出るべく、大急ぎで残りのケーキを平らげにかかった。本当なら心行くまで味わって食べたかったのに、と言う恨みがましい視線で、両手のスフレを口に詰め込み新たなスフレを両手に取った大人を睨みつけながら。

「『trick or treat』それは10月31日にだけ使用可な呪文です。この台詞を言われた者は言った相手にお菓子を与えなければ悪戯されても文句が言えないのです。どうです?素晴らしい呪文でしょう?」
「いや、だから、知ってるって。俺らもちっちゃい頃、無理やり言わされたから」
「言った相手がロジャーだったので面白くも何ともありませんでした」
「しかも、貰ったお菓子が教会のしわくちゃシスターが焼いたクッキー‥‥」
「余計に嬉しくも何ともありませんでした」
「このケーキみたいに美味しいお菓子だったら、毎年喜んでハロウィーンの仮装に参加してたよ、俺」
「天使の輪っかと羽根だって付けます」
「あ~‥‥お前、付けろって言われたの?」
「去年も今年も言われました。銀髪に似あいそうだから、という理由で。もちろん、却下です」
「お前に天使の仮装って勘違いも甚だしい、と俺は思うんだがな」
「貴方にバンパイヤの仮装はお似合いだと思いますよ」
「ヘヘヘヘ‥‥」
「クククク‥‥」
「私はカエルの着ぐるみが似合うと言われました」
「「まんまだろ(でしょ)!!」」

 食べ終わった皿をテーブルに置いて二人の子供は同時に立ち上がった。

「あんたの魂胆は判ってるんだよ!」
「見え透いてます、愚かの極致です!」
「ほぉ、魂胆ですか?何がどう見え透いているのですか?私はただ、今年のハロウィーンパーティーに私も参加しようかな、と思っただけですよ?ワイミーズの子供達に喜んでもらうために、忙しいこの私が一肌脱いで世界中の珍しいお菓子を集めてみただけです」
「もうやったんかい!」
「既に計画は実行されましたか‥‥」

 あっという間にスフレの皿を空にした大人は、両手の指をチュパチュパ舐めながら、唇の両端をグイッと上げて勝ち誇ったように笑って見せた。

「その怖い顔で何度ワイミーズのガキどもに泣かれたと思ってんだよ!この、カエル探偵!!」
「貴方の眉なし仏頂面に耐えられるのは私達後継者候補だけだと、どうして判らないんですか!この、猫背隈顔探偵!!」
「何とでも言いなさい!今年の私は一味も二味も違うのです!!慈善事業に金は出すが実質無関心な金持ちではないのです!名実ともに優しい金持ちお兄さんなのです!!金に物を言わせて世界中の美味しいお菓子を集めさせました!そのお菓子を懐に隠して月君と一緒にワイミーズのハロウィーンパーティーに参加するのです!!そして、月君と一緒に仮装した可愛くも何ともないクソガキどもに『trick or treat』の呪文の後、おもむろにお菓子を配るのです!!!そしてそして、子供達から『Lお兄ちゃんと月お兄ちゃん、お父さんとお母さんみたい』と言われるのです!!!!あぁ、何と素晴らしい呪文でしょうっ!!!!!」
「‥‥カエル‥‥殺す‥‥!」
「クククククク‥‥どうやら下剋上の時が来たようですね」
「かかってきなさい!このヒヨッコどもが!!」

 その後、某国某街の某館の一室が戦場と化した。
 その結果として二人の子供と一人の大人は向こう一週間おやつ禁止となった。

 


 「いえ、まぁ、これは冗談として‥‥」
「本気だったくせに」
「買い集めたお菓子、ロジャーの部屋に隠してあるそうですね」
「悪い事ではありません。立派な慈善事業の一環です。月君にも誉められました」
「もう申告済みかよ!」
「相変わらず根回しに余念のないカエルですね」
「貴方達、喋ってる暇があったらとっとと片付けなさい」
「「同じ台詞をあんた(貴方)にくれてやるよ(くれてやります)!!」」

 大人げない大人と純粋無垢とは言い難い子供二人の罵詈雑言の応酬と物の投げ合いという喧嘩は、開始3分後にお菓子の制作者であり、部屋の主な管理者――― 部屋の主にあらず――― である青年によって止められた。止められついでに『一週間おやつ禁止!』を宣告され『部屋は自分達で片付けるように!』と命じられてしまった。
 手渡されたのは3本の箒に3本のハタキ、氷水かと思うほど冷たい水を入れたバケツ一つと雑巾が3枚。何と用意の良い事か。

『夕方まで片付けないと今夜の夕飯もお預けだから』

 ニッコリ笑ってそう言った青年は、彼の国の空想上の鬼『般若』よりも怖かった。美人は怒っても美人、というのは本当だ。ついでに笑顔で怒られると美人度は天井知らずにアップする。その余りの美しさに怒られた方は天国気分――― 別名、気絶。もしくは昇天――― が味わえると言う。

「私は、甘い物に飢えたガキに『trick or treat』と言って欲しい訳ではありません。そりゃあ、月君と二人でガキどもにお菓子を配るのは楽しそうですよ。何だか夫婦の共同作業みたいでワクワクします」
「誰と誰が夫婦だ!」
「寝言は寝てから言ってください」

 本棚に1冊ずつ本を差し戻していた大人に向かって子供二人がハタキを投げつける。せっかく片付けた物をまた投げないだけましであろう。金髪の子供が投げたハタキは見事に大人の背中にヒットしたが、銀髪の子供が投げたハタキは途中で力なく床に落ちた。

「言っておきますが、月君は私のパートナーです。私が見付け私が手に入れたダイヤの原石です。貴方達のママではありません」
「何か似たような台詞を何年か前に聞いた気がするなぁ、俺」
「そうですね。誰かさんが私達後継者候補を前にしてぶった演説によく似た台詞があったと記憶してます」
「「貴方達はダイヤの原石です。光輝けるどうかは貴方達の努力次第です」」
「あ~、そんな事を言ったかもしれませんねぇ」
「サイテ~」
「月さんが言う通り、碌で無しですね」
「メロ、ニア」
「何だよ、L」
「何ですか、L」

 金髪の子供は胡乱な眼付で本棚の前の大人を睨みつけ、銀髪の子供は大きな目を半分がた眇めて横目で睨みつけている。そして、Lと呼ばれた大人は猫背なまま二人を振り返った。

「いったいどうやったら月君に『trick or treat』と言わせられるか、一緒に考えてください」
「そっちが本命かよ」
「これだから薄汚い大人は‥‥」

 


 床を汚した紅茶を三人して仲良く拭き取りながら、探偵と探偵候補はバカな会話を繰り広げる。

「だからさぁ、無理だって。月にそれ言わせるの」
「そうですね。貴方の魂胆ぐらい、月さんにはお見通しです」
「判ってます。だからこそ貴方達の私に遠く及ばない知恵も借りようと思ったのです」
「それが人にものを頼む態度かっての」
「カエルですから」
「本当に、可愛くないガキどもですね」
「そんな言葉遣いしてると、また月に怒られるぞ」
「『子供の前で汚い言葉は使うな』とか言って、3時のおやつを胡麻尽くしにされるんです」
「あれは‥‥美味しかったですが甘味が足りませんでした。何より、色がイマイチでした」
「俺は気に入った。胡麻団子に胡麻プリンに胡麻アイス。また食べたい」
「私はミタラシダンゴとやらが気に入りました」
「いいですか、何度でも言いますが、月君は私のために!おやつを作ってくれてるんです。3度の食事も部屋の掃除も、全部!私のためです」
「それってパートナーじゃなくて‥‥」
「メイド?」
「「このっ、碌で無し野郎が!!」」
「愛です、愛っ!」

 再び部屋が荒らされなかったのは奇跡と言えた。3人は何とかその衝動を抑え2時間かかって部屋の後片付けを終えた。

「だから、『trick or treat』って言った月に『お菓子はないので悪戯します』と言ってセクハラしまくるっていうあんたの魂胆は、マジで!見え見えなんだって」
「バカですね」
「そうと判ってて月があんたにそれを言うもんか」
「貴方が言うのも問題外です。あの月さんがこっそりハロウィーン用のお菓子を用意しておかない筈がありません」
「あんたがどれだけお菓子を食い尽くしても、ちゃんと用意しておくだろうな。ってか、堂々と作るだろ。ハウスのガキどもがいるんだから」
「間違っても子供達の分まで食べない事ですね。食べたら一巻の終わりです。いえ、私はそれでもいいんですよ。むしろ食べる事を推奨します」
「ニア、根性わるぅ~」
「私は自分に正直に生きているだけです」

 ニヤリと笑い合う金と銀。実にいいコンビだ。

「潰してしまいましょうか‥‥ハウスなんて‥‥」
「いやいや、それやったらあんたが逆に追いだされるだけだって」
「そうですね。もしくは、月さんが子供達を連れここから出て行くか、のどちらかですね」
「!月君が私を置いて行く筈が‥‥」
「とっくに独り立ちしてる大の大人と大勢の親の無い子供」
「月さんがどちらを選ぶかは、火を見るより明らかでしょうに」
「くっ‥‥こんな筈では‥‥日本を発つ前は確かに薔薇色の未来が見えていたのに‥‥」
「自分で潰しといて何言ってるんだか」
「そうですね。月さんを此処へ連れて来た時点でそんな未来は消滅してますね」
「墓穴掘り?」
「己を知らなさ過ぎただけでしょう」

 子供二人に好きかって言われ、けれど反論出来なくて、ガックリと項垂れるL。そんな年長者にメロとニアの二人が同情を抱く事はなく、それどころか、情けない大人だと内心の溜息を止められない。だからつい、前々から思っていた事が言葉として漏れてしまった。

「あんた、もしかして初恋?」
「‥‥‥‥‥」

 返事が無いのは肯定の証。簡単に予想出来た事実に、事実故にしらけた思いが胸の内に去来する。これはもう情けないを通り越し、呆れかえるしかないかもしれない。え?どんだけ引き籠り?彼女いない歴○×年なんて話じゃないだろ、これ。ってなもんである。こんな大人にだけはなりたくない。

「告白したんですか?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥しました」
「で?結果は?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「誘拐紛いに連れて来た、というロジャーの話は本当だったようですね」
「うわ~~~、マジかよ。天下の名探偵Lが初恋に破れて相手を誘拐?それってストーカー野郎の行き着く先だろ?探偵のやることじゃないって!!」
「第1級犯罪者ですね」
「やっぱ下剋上すっか?ニア」
「その方が月さんのためですね」
「ほ、本当に私を嫌いなら、月君はとっくにここから出て行ってます。私は彼を手錠で繋いでいる訳でも監禁している訳でもないのですから!」
「泣きそうな声でそんなこと言われてもなぁ‥‥」
「まさか、天下の名探偵Lを泣かす人間が存在しようとは思いもしませんでした」
「私も思いませんでした」
「何他人事みたいに言ってんの?ってか、Lが泣けるなんて知らなかったぞ、俺」
「私自身ビックリです」
「それより、Lに恋が出来た事自体信じられません。何せ、カエルですからねぇ」
「私をカエルと言っていいのは月君だけです!」
「「いや、みんな言ってるから(ます)」」
「‥‥‥ワイミーズのガキどももですか?」
「「ガキじゃなくて子供達も職員も、教会の牧師やシスターも(です)」」
「‥‥‥‥‥‥誰のお陰で食べていけると思ってるんでしょう、ククククク」
「それ言ったら絶対!月に見捨てられるって」
「ワイミーズの経営権を乗っ取り、株で荒稼ぎしてでも運営するでしょうね、月さんのことなら」
「えぇ、月君ならそれくらい簡単にやってしまうでしょう。既に株に手を出し始めてますし」
「ノロケか?ノロケなんだな?」
「下剋上は生ぬるいです。抹殺しましょう」
「その案には俺も賛成なんだけど、月に嫌われるのはヤダ」
「カエルにまで優しいだなんて‥‥なんて出来た人なんでしょう、月さんは」
「ですから、月君は私のパートナーだと、何度言ったら判るんですか!」

 仕事部屋から食堂までの短い距離をチンタラチンタラ歩く3人の後ろ姿はとてもよく似ている。唯一金髪おかっぱのメロだけが猫背ではないが、歩くリズムはやはり同じだ。それぞれが手にした箒とハタキの揺れ具合まで同じ。バケツの水は窓から外へ捨て雑巾を入れた状態でニアが持っている。おやつセットを乗せたトレイはメロが片手で。

「そもそも、月はキリスト教徒じゃないんだろ?」
「本人は無神論者だと言ってますが、無意識下では仏教徒でしょうね」
「だったら台詞云々の前に、ハロウィーンなんか関係ない、と一言で切って捨てられる可能性が高いんじゃないですか?」
「子供達のハロウィーンパーティーには参加するくせに‥‥」
「無邪気な子供らに罪はないっての」
「汚い大人の罠には容赦なし。流石はキラ、ステキです」
「「それは云わない約束です(だろ)!!」」

 食道の扉の前で三人は一様に固まった。

「今の、聞こえたでしょうか‥‥」
「き、聞こえてない方に一票‥‥」
「聞こえてても笑って無視してもらえる方に一票‥‥」

 三人は慌てて手にした掃除道具を食堂横の物置に片付けると、トイレまで引き返し手を洗った。

「今日の夕飯は何でしょう」
「何だっていいさ。月の作る料理は文句なく美味いから」
「あれで料理歴が1年ちょっとだなんて嘘みたいですね。流石はキ‥‥」
「「シ~~~~ッ」」

 猫背を矯正し背筋を伸ばした大人と、グゥとお腹を鳴らした子供が二人。食堂の扉から漏れて来る美味しそうな匂いにだらしなく頬を緩ませる。

「月君。掃除、終わりました」
「掃除終わったぜ、月」
「お腹がペコペコです、月さん」

 それは、ハロウィーンの1週間前の出来事だった。

 


   
 2


 Lは探偵である。『世界の切り札』とまで称される謎の名探偵である。何故、謎の名探偵なのかと言うと、年齢性別本名出身地等々、何一つプロフィールを公開していないからである。
 Lが取り扱う事件は旦那の浮気調査だとか迷子の猫探しだとか、そんなチャッチイ事件ではない。連続殺人事件や国際的窃盗団だとか、爆弾騒ぎやハイジャックやテロだとか、国境を超えた麻薬密売や人身売買事件だとか、大企業の情報戦争や国家機密漏洩事件だとか。
 とにかく大掛かりなくせに表沙汰にならない、そのくせその被害たるや甚大な、そんな事件ばかりである。当然ながら解決できなければ大問題となること間違いなし!なのに自分達はお手上げな訳だから、依頼側はそれこそLの言い値で金を出す、出させられる。過去の実績という信頼でもって、それぐらいLの能力には価値があると見做されているのである。
 従って、Lのお得意様は大金持ちに限られている。時には大手企業や公的組織、司法警察、軍、一国の大臣や政府そのものが依頼して来る事もある。故に『世界の切り札』などと、スペードのジャック的扱いをされているのである。謎の名探偵のままでも許されているのである。

 切っ掛けは何だったか――― 確か、Lの特別講師の一人が退職したFBI捜査官で、現役の後輩から捜査中の難事件に対して意見を求められ、それをLの前でつい喋ってしまったのがそうではなかっただろうか。
 まだ十代前半だったLはそれに興味を持ち何やかんやと講師から事件の詳細を聞き出し、お礼代わりに自分の推理を話して聞かせた。講師はその推理に大いに納得し、先輩からのアドバイスとして後輩に伝えた。その後事件はスピード解決の運びとなり、講師はそれからもちょくちょく後輩からアドバイスを求められるようになった。
 それで行くと名探偵Lはその講師となっても不思議ではなかったのだが、Lを初めとする孤児達に英才教育を施していた篤志家がそれを聞きつけ、面白がって『探偵L』を創造した。
 つまり、講師を買収し『実は今までのアドバイスは知り合いの探偵の推理を元にしていた』とFBIの後輩に告白させたのである。
 それからはその講師をすっ飛ばして直接Lに依頼が来るようになった。だが、根っからのインドア派で他人とかかわる事を面倒だと考える、どちらかと言えば人間嫌いで他人を見下し易い、十代前半で早くも変人気質バリバリだったLが素直に受けるはずがなかった。『それくらい自分で解決できないんですか?貴方達バカでしょ』と言い捨て相手にもしなかった。だから、当時六十歳になったばかりの篤志家がしゃしゃり出て来て『探偵L』のエージェントとなった。
 彼はあろうことかLに『今まで貴方に掛った資金を働いて私に返してください。謂わばこれは奨学金の返還です』とイケシャアシャアと言ってのけ、勝手に引き受けた依頼をLの前に突き出した。
 そんな奨学金制度にサインした覚えはありません!と、Lが喚いてみた所で相手は海千山千の金持ち篤志家。分厚い面の皮と権力と金に物を言わせLの逃げ道を塞いでしまった。
 知識は豊富だし運動神経も良い方だから篤志家の元を飛び出し何処ぞのお人好しを傀儡にして生計を立てる事も出来なくはなかったが、如何せん篤志家の下での生活は学習環境は元より全てが至れり尽くせり上げ膳据え膳で――― それだけ篤志家はLの才能を高く買っていたと言う事だ――― 十代前半にしてすっかりぐうたら怠け者になっていたLには、そこまで自分自らがお膳立て下準備するだけの根性が決定的に足りなかった。
 一応抵抗らしい抵抗はした。初めてLの代理人ワタリこと篤志家ワイミーに『今日から貴方は探偵Lです。頑張って現代のシャーロック・ホームズと呼ばれるような、私が自慢できるような探偵になってください』と言われた時、勢いで物心つく前から世話になっていた養護施設ワイミーズハウス――― ワイミーが設立し援助していた慈善事業の一つ。そこでLは何人かの子供達と一緒に英才教育を受けていた――― を飛び出したのだ。
 飛び出した時は『この私に出来ない事はありません。一人で生きて行くことくらい造作も有りません』と何の根拠もない自信に満ち満ち溢れていたが、うっかり現金もカードも持って来るのを忘れたため――― そもそもLはネット通販でしか買い物をした事がない。急ぎの時は世話役に買って来てもらうので、外へ出かけて行ってその場で買い物をするという事がなかった――― その自信はたった一日でペシャンコになってしまった。
 腹が減っても食べ物が買えない。だったら盗みの一つでも働くかと軽く考えたのだが、変人Lの見た目はまんま『怪しげなガキ』だったので店に入った途端店員に目を付けられ万引きのまの字も出来ないまま店を出る羽目になった。かといって誰かに物乞いをするにはプライドが高すぎ、レストランのゴミ箱を漁るには口が肥えていて、親切にも声を掛けてくれた人の良さそうな婆さんを誑かそうとしたら態度が横柄過ぎて――― ついでに可愛らしさの欠片もなかったので――― 怒らせてしまった。
 決定打は雨だ。空調完備の贅沢な環境で暮らしていた彼には一晩中降り続く雨は我慢の限界を超えていた。運の悪い事にうっかり(×2)裸足で飛び出していたから尚更だ。何とか見つけた空家の鍵を鍵開け技術でこじ開け入り込もうとしたが、巡回の警官に見つかり這う這うの体で逃げ出さなければならなかった。
 結局篠突く雨の夜を着の身着のまま――― ホームレスとの段ボール収奪合戦にも負けた――― 橋の下で過ごす事となったLは『こんな思いをするくらいなら探偵にでもなった方がましです』と、うかっり(×∞)思ってしまったのである。
 そして、目出度く方向音痴だという事も判明したLは彼の贅沢な巣へ自力で帰り着くことも敵わず、ワタリが手配していたプロのボディガード達によって無事保護されたのだった。ついでに言うと、彼の逃避行は同じくワタリに雇われた探偵によって全て映像記録として残されていた。
 その記録を手にしたワタリの真黒な笑みは今でも名探偵Lのトラウマとなっている。

 とにかくまぁ、そんな自慢できるのか出来ないのかよく判らない切っ掛けで探偵となったLは、これがやってみるとなかなか性に合っていたようで、水を得た魚の如く生き生きと――― 見た目は全然ちっとも変わらないポーカーフェイスな可愛くないガキ――― 探偵業をやり出した。
 それから10年以上の歳月が経ち今やLは押しも押されぬ名探偵。ただし、世間一般での知名度は全くと言っていい程ない裏の名探偵となった。
 何故裏かと言えば、命の危険がどうのこうのと言うよりL本人が人と関わるのを嫌がったのと、ワイミーが『ワタリ』という役柄を気に入ってしまったからだった。
 当時富と名声を十二分に得ていたワイミーはいわゆる成功者で――― 成金とも言う――― 行動派なうえに好奇心旺盛な性格も加わり普通の人間が経験できない事を色々と経験していた。そして、年甲斐もなく更なる刺激に飢えていた。その飢えを満たす素材に選んだのが偶々Lだったという訳だが、裏の名探偵の唯一のエージェントにして協力者、と言う役柄は甚く彼の遊び心を擽ったようだ。結果、70を過ぎた今でもその役柄を楽しんで演じている。ただちょっと70に差し掛かる辺りから流石に体の無理が効かなくなっていたが。
 そんな押しも押されもしない名探偵Lが遭遇した奇妙にして難解な事件が『キラ事件』である。

 


 凶悪犯罪者連続死亡事件――― 殺人犯を筆頭とする凶悪犯が心臓麻痺で次々と死んでいくという、司法関係者にしたら大問題な事象――― 後に巷で『キラ』と名付けられた犯人による連続殺人事件に謎の名探偵Lが興味を抱いたのは当然の事だった。誰かに依頼される前から独自に捜査を開始、一連の事象に何らかの意図を感じこれは殺人事件だと判断するや、殺人であるからには犯人がいるはずだとしてICPOの会議で各国に犯人逮捕の協力を仰いだ。
 その結果、キラは日本にいる事が判明――― ささやかな犠牲者が出た――― それも関東方面と断定された。その際Lは図らずもキラに喧嘩を売る事となり、それを買ったキラが挑発に出た。それによりキラと巷で名付けられた犯人の実在は証明され、Lは容疑者を絞り込むため日本警察捜査陣の身辺調査を密かに行った。まさか調査を頼んだFBI捜査官が全員心臓麻痺でキラに殺される事になろうとは思いもよらず―――
 世界の切り札と言われ調子に乗っていたのかもしれない。自分に解けない謎はない、自分に捕まえられない犯罪者はいない、そう高を括っていたのかもしれない。Lが自分のミスに気付いた時『探偵L』はFBIの信頼を失い個人でキラ捜査を進めざるを得なくなっていた。
 だが、それが幸いした、と今現在Lは神に感謝を捧げたい気分でいっぱいだ。FBI捜査官の死がなかったらL本人が直接キラと接触する事はなかっただろうから。
 とにかく、一連の出来事からキラ容疑者を日本警察幹部二人の近辺に絞り込んだLは、そこで一人の少年を知った。
 それが夜神月だ。

 夜神月は刑事局長夜神総一郎の長男だった。その夜神総一郎は上司の忠告を無視してLとの合同捜査を続けていた刑事の一人だった。彼は容疑者の中に自分の家族がいると知って驚愕し憤慨したが、自宅に監視カメラを設置する事を承知した。清廉潔白な彼にしてみれば自分の家族を信頼しているが故だった。
 結果から言うと、夜神家、同じく疑われていた北村家両家族の中にキラ容疑者を発見する事は出来なかった。
 だが、Lは諦めなかった。諦めるどころか心密かに総一郎の息子、夜神月がキラだと断定していた。
 それは直感、まさに閃きだった。天啓だった。
 監視カメラ越しに夜神月を見ている時に何者かがLの耳元で囁いたのだ。
 夜神月がキラだ、と。
 それからのLは夜神月一直線だった。まさに猫まっしぐら!だった。一応容疑者の一人のはずなのにL自らが接触、尋問紛いの会話を試みるほど彼一筋だった。
 その後『第二のキラ』なる存在も出現し、Lは夜神月を第一の容疑者として確保。しかも、手錠付き監視カメラ付きの個室に監禁する事が出来た。
 はっきり言おう、パラダイスだった。
 夜神月の自室に64個の監視カメラを設置した時もそう感じたが、それより遥かに興奮度は高かった。何故なら彼はもうLの手の中だったからだ。捜査的には謎は何一つ解決せずイライラが募ったが、視覚はハレルヤ!極楽だった。
 そして、Lは思った。夜神月の全てを知りたいと。キラになった理由、キラであり続ける矜持、キラの殺人手口等々。
 それは探偵として当たり前の事だった。当たり前の関心事、興味だった。そのはずだった。
 それがそうではないと自覚したのは、第三のキラが出現し夜神月の監禁を解かざるを得なくなってからだった。
 監禁は解いたものの疑いは晴れていないと、総一郎を初めとする刑事達の反対を無視して夜神月を自分の傍に繋ぎ止めたLは、刑事達の『Lは変人?』という密かな認識を『Lは変態で変人』という認識に改めさせてしまった。それだけちょっと、いや、かなりぶっ飛んだ事をLは夜神月に対して仕出かしたからだ。
 即ち、特別製の手錠で自分と夜神月を繋いだのだ。これを変態と言わずして何と言おう。

 それからのLは、毎日が苦痛と苛立ちと興奮と驚愕と焦りと喜びの連続だった。ポーカーフェイスのお陰で周囲には全く感づかれなかったが、彼は夜神月の一挙手一投足から目が離せなかった。要するに夜神月に夢中だったのだ。
 だが、手錠で繋いでいた時の夜神月はキラではなかった。本当にキラではないのか、それとも演技なのか、ただキラとしての記憶を失っただけなのかLにすら判断できかねたが、とにかくキラではなかった。
 キラではない夜神月は父親の夜神総一郎に性質が似ていた。正義感が強く曲った事が嫌いで真面目で頑固で穏やかで行動的で慎み深く世話焼きで年上を立て何でも出来て几帳面で理性的で感情豊かで頭の回転が速く口が立ち度胸が有り勇気も有り慎重で大胆で‥‥‥とにかく可愛かった。可愛いとしかLには思えなかった。そこからしてもう間違っていると思うが何故かLにはそれを改めようという気が起きなかった。
 理由の一端は判っていた。夜神月はLが初めて出会ったタイプの人間だったからだ。探偵Lに面と向かって意見してくる人間など―――

 彼はLの疑惑に満ちた視線をものともしなかった。初めこそ傷ついた顔をしていたが、直ぐにそれを表に出さなくなった。厚顔無恥とか演技とか言うより、とにかく前向きだった。自分に掛けられた疑いは自分の手で晴らすと決意していた。その決意にLの存在など関係なかった。疑惑を晴らしてもLの考えが変わらない事を彼は理解していたからだ。
 それがLには不満だった。不満だと感じる自分はおかしいと思うった。
 では、何故そうなったのか。それを分析する過程で『恋』という単語が思い浮かんだ。
 そんなバカな!と思った。この自分が恋?
 しかし、その単語を意識した途端Lの動悸は激しくなり体温が上がった。以来、夜神月の体温を感じるたび、彼に話しかけられるたび、彼に見つめられるたび浮足立つ自分を感じずにはいられなかった。
 嬉しいのか怖いのか判らない。ドキドキソワソワワクワクハラハラそしてまたドキドキ。それを隠すためにわざと憎まれ口を叩く。軽く受け流す夜神月。受け流されショックを受けるのはLの方。バカバカしいほどの悪循環。判っていても止まらない。全てがポーカーフェイスの下での独りよがりな葛藤。
 悲しいのか嬉しいのか腹が立つのか判らない、とにかくLの沈着冷静なはずの思考は乱れに乱れた。可愛さ余って憎さ百倍、という言葉すら思い浮かんだ。
 でもやっぱり可愛いかった。人間、見た目も大事だと初めて思った。夜神月が女なら即効襲ってやるのに、と思った。そんな度胸、無いくせに。度胸以前にそんな素振りを見せただけで本人に嫌われるだろうし、堅物の父親が許さないだろう。いやいや、父親なんてどうでもいい。ただ、父親思いの彼は気にするに違いない。何て大きな障害!

『お父さん!息子さんを私に下さい!!』

 そんな恋愛ドラマの定番なんかバカバカしいにも程がある。それでも!
 アイスクリームを舐めるみたいに夜神月のスベスベツルツルした頬にキスしたい。さくらんぼのような唇にはもっとキスしたい。抱き枕よろしくギュっとしたい。とにかく彼の全てが欲しい!物質的に、精神的に!
 あぁ、もうっ!探偵Lが恋をして何処がいけない?何が悪い?探偵と殺人鬼の恋!素晴らしいじゃないか!!
 素知らぬ顔をしてそんな事を内心叫んでみる。
 こういう状態を世間一般では『末期』というらしい――― 死ね、自分。
 恋に障害はつきもの。障害ゆえに燃えるもの。その障害は父親であり、同性というタブーであり、未成年という法的なものであり、それから性格の不一致であり。
 しかし、Lと夜神月ほど気の合う関係はなく、二人の会話に割って入ることも付き合うこともできる人間は他におらず。互いにそれは十二分に判っていた。判っていても『探偵と容疑者』という関係が大きな障害としてLの上に重く圧し掛かっていると、L本人が感じていた。それでも、それでも―――
 幸せで苦しくて、だからずっとこのまま、このままの関係でいてもいいかも‥‥と思ったりした。探偵Lとしては実にお粗末な判断である。
 その思いは苦笑いと共にLの心を深く静かに侵していった。止める術はなかった。止める術がないからこそ恋なのだと理解を深めるだけだった。

 そんなある日『月君、可愛いです』と思わず知らず本音を呟いてしまった瞬間、深い琥珀色の長い睫毛に縁取られたアーモンド形のキラキラとした瞳がしらけた眼差しでLを見返した。
 途端、Lの分厚い面の皮の下で繊細な(?)ハートがブルブルと震えた。気付かれたらどうしようと、泰然自若な態度の裏で心はムンクの叫びの如く狼狽えた。

『変態だ変態だと思ってたけど、本当に変態だったんだな、竜崎。残念ながら?そう言う台詞を男に言われたの初めてじゃないんだ、僕は。だから、そう言う時の対処法も知ってるつもり』

 瞳の持ち主夜神月は、ニッコリ微笑みながらそう言うと慣れた動きでLの股間を蹴り上げた。
 痛かった。もの凄く痛かった。男なら当然だ。だからLは白目を剥いて気絶した。
 目を覚ますとLはベッドに寝ていた。隣には夜神月が居て本を読んでいた。目を覚ましたLに気付いた彼は少し済まなそうに微笑んで『ケーキ食べるか?』と聞いて来た。
 パラダイスだ、と思った。そして、

『困った顔が可愛いです、月君』

 そう意識しないうちに呟いてしまったLの頬を夜神月は『しょうがないカエルだなぁ』と微笑みながら軽く抓ったのだった。

『痛いです、月君』
『痛くないと、お仕置きにならないだろ?はい、ケーキ』
『‥‥美味しいです、月君』
『そう?良かったな』

 少しは赤くなっているかもしれない頬が痛かった。痛いけれど痛くなかった。むしろ、あ~んと開いた口の中にスポリと入れられた苺のショートケーキの甘さと相まって心地よい痺れを感じた。
 視界いっぱいに広がる夜神月の笑顔が何時も以上にキラキラ輝いて見えた。
 あぁ、何と言う幸せ‥‥‥!ベッドに寝ているのに宙に浮いているような感覚、胸が何かで一杯になる感覚。これはそう、きっと『歓喜』と呼ぶ感情に違いない。
 ケーキを咀嚼しながらLはそう思った。思う事でにやける顔を止める事が出来なかった。
 何もかもが初めての経験だった。初めての恋だった。
 その時Lは、20半ばにして初めて自分にも人間らしい感情がある事を知った。人間嫌いだと思っていた自分にも人並みに恋をしたいと願う心があった事を知った。それを知らずに過ごして来たのは、自分が贅沢で我儘だったからだ。自分が恋するからには相手は自分に釣り合う人間でなければと、そう意識する事なく思っていたからだ。そう、認めた。
 夜神月は美人で頭もいい。知識と経験はまだLには及ばないが、知性はLに勝るとも劣らない。そして何よりLを特別視しながら特別には扱わなかった。それどころかLをこっそりカエル呼ばわりし笑った。
 嫌な笑いではなかった。親しみのある明るい笑顔だった。そんな微笑みを向けられた事のない――― ただ気付いていなかっただけかもしれないが――― Lは一発で落ちた。そう、堕ちたのだ。
 だからこれは恋であり、Lにとってキラではない夜神月は可愛い少年なのだ。
 そう、Lが恋した夜神月はキラではない。キラでない限りLには手の出しようがない。手を出せばそれは権力の横暴でしかなく、夜神月に軽蔑されるのは間違いなかった。
 軽蔑を前提とした恋は有り得ない。愛はあっても恋はない。
 そして、夜神月の自分への愛は悲しいかな恋愛感情から発生したものではなかった―――
 それこそが夜神月がキラになり得た理由だとLが漸く納得した時、第三のキラの正体が割れた。

 その後はノンストップで事が進んだ。罠を張り容疑者である火口卿介を追い詰めた。そして、物的証拠ではないが決定的な状況証拠を手に入れた。逃走中の火口が接触した白バイ警官が心臓麻痺で死んだのだ。火口が殺したとしか思えない。
 それが決定打となり火口卿介がキラだと決まった。
 だが、そこまでだった。首都高を逃走していた火口は追い詰められ、車の運転を誤りガードレールに激突した。駆け付けた警察官が火口を救出する前に車は爆発炎上、火口は火にのまれ死亡した。その死体は判別がつかないほど燃え――― 歯形の照合は可能だった――― 車内にあった火口の私物は全て燃えてしまった。
 その後キラによる裁きは一切起きず――― キラの殺人方法はとうとう判らずじまいだったが――― キラ事件は解決したと公に発表された。
 キラは火口卿介で決定、夜神月ともう一人の容疑者弥海砂は無罪放免となった。勿論Lには不満だったがどうしようもなかった。夜神月は警察上層部の関係者だから、弥海砂は目立つから、その理由で火口に利用されたのだろうと結論付けられた。全てはLの捜査を撹乱するために。
 勿論、それでは説明できない事も多々あったが、Lの非人道的捜査に前々から不満を持っていた刑事達は二人の解放を譲らなかった。
 Lも譲らなかった。譲らなかった理由の第一が『夜神月との別れが嫌だから』という自覚がLにはあった。
 だが、別れは容赦なくやって来た。
 手錠はとっくに外されていたが夜神月の左手首には未だうっすら擦れた跡が残っていた。その傷を負う自分の視線をLは抑える事が出来なかった。

『お前と過ごしたこの夏を、僕は一生忘れないだろう』

 これで終わったのだと、綺麗に割り切った顔で夜神月はLを見ていた。その瞳にはほんの少し未練らしきもの――― 完全解決ではないと、夜神月自身判っていたから――― が見受けられたが、彼の胸には新たな未来への思いが生まれていた。それをLはヒシヒシと感じた。
 夜神月の中でこの夏の出来事は貴重な体験の一つとして処理されつつある。それがLには我慢できなかった。しかも傍には自称、命懸けで夜神月を愛する弥海砂が居た。夜神月が彼女に恋愛感情を抱いていないのは判っていたが、同情が何時恋愛に発展するか気が気でなかった。Lは二人の幸せな未来を想像するたび気が狂いそうになった。
 だから、夜神月が大学に復帰する直前、Lは彼を誘拐した。呆れかえる彼に再び手錠を掛けて攫ってしまった。目撃者は大勢いた。大学の校門前でやったのだから当然だ。勿論、圧力は掛けたからマスコミも警察も騒ぐ事はなかった。騒いだのは彼の家族と弥海砂だけだった。
 その後、夜神月自身が家と彼女に連絡を入れ、事は治まった。
 以来、彼はLと一緒にいる。
 夜神月がLの『私のパートナーになってください』という申し込みを受け入れたからだ。
 偶発的な拉致ではない。全てが計画だった。それを夜神月も理解していた。

『しょうがないカエルだなぁ、竜崎は‥‥』

 彼はLの探偵としての能力は高く買っていたが、人間性には懐疑的だった。父親を尊敬する彼にとってLのやり方は容認できかねたのだ。当たり前だろう。だからと言って、Lの全てを否定するような夜神月ではなかった。
 日本を飛び立つ飛行機の中でLに面と向かってはっきり言葉で告白された月は、きっちりLを怒って殴ってから、バカ、と言った。

『ここまでやったのはお前が初めてだよ』

 拒否しても無駄だと月は理解していた。そこまでLを追い詰めたのが自分だとも判っていた。逃げようとすればLが権力にものを言わせる事も、家族に危険が及ぶかもしれない事も――― Lがそういう人間だと、何の遠慮もなく思っている――― 彼は正確に理解していた。

『でも、今度からは人前で暴走しないでくれ。竜崎がどう思っていようと、僕の神経はいたって普通なんだ。ただの善良な一市民なんだ。そりゃぁ、ちょっとは変人探偵の考える事が判ったりするけど、変人探偵のする事なす事に理解を示す事が出来るけど、許せるかどうかはまた別なんだ』

 夜神月はLに恋していなかった。けれど、Lが自分に恋しているのは知っていた。変人の恋を止める手立てはないと、否でも知っていた。Lはそれを利用したのだ。そして、月自身それを察していた。先が読み合えて袋小路にいる二人だった。

『貴方がとても心の広い人だという事に、私は感謝すべきなんでしょうか‥‥』
『さてね』
『けれど、私がこんな暴挙に走ったのは、貴方のその心の広さに恐怖を覚えたからです』
『僕がキラだから?』
『そうです』
『僕はキラじゃない。それはもう証明された』
『けれど、貴方がキラだったのです』
『過去形だな』
『はい。今の貴方はキラではありません。貴方の中からキラは消えました』
『そして何時かまた復活するって?』
『かもしれません。しかし、その前に‥‥貴方が私を貴方の中から消してしまうのが怖かったのです。貴方の人生にこれ以上私が必要とされる事はない‥‥それが、嫌だったのです』
『探偵Lのプライドが許さないと?』
『探偵Lを必要としない貴方のプライドが‥‥』
『‥‥竜崎』
『Lだけではなく、私自信も必要としない貴方が‥‥』
『お前の方が僕より年上のはずなんだけど』
『そうですね‥‥』
『友達いなかった?』
『そう認識した人間は一人もいません』
『ワタリさんは?』
『彼は私の理解者であり、支援者です。私の才能を気に入っていて、私の性格を面白がっています。友達ではありません』
『十分お前を愛してると思うけど?お前だってあの人に親しみを感じてるんだろ?』
『それは理解してます。けれど私が欲しいのは‥‥』
『理解以上のもの?』
『探偵業には直感も必要です。同じく、恋も直感だと、私は思いました』
『そういうのも有りなんだろうな‥‥でも、生憎僕はまだ恋をした事がないんだ。だから、竜崎の気持ちは理解できても‥‥それだけだ』
『そうだと思いました。貴方ならそうだと‥‥きっと貴方は、これからも誰かに恋する事はないのでしょう‥‥貴方はそう言う人です、月君。だから貴方はキラになれた』
『あぁ、結局そこへ行きつくんだな』

 そして月が笑ってLの頬を抓り話は終わった。
 お前の事、嫌いじゃないよ。本当だ‥‥‥
 柔らかな微笑みに激情はなかった。怒りも憎しみさえもなかった。当然、情念も。
 それは決して、恋の告白ではなかった。
 それでも、夜神月の言葉を耳にした瞬間、Lは死んでもいいと思った。
 探偵L、一世一代の不覚である。

 


    


 「それからの事は貴方達も知ってのとおりです。月君は私のパートナー兼ハニーとして、日々私に尽くしてくれてます」
「いや、だから、尽くすって言い方自体月を怒らせるだけだっての」
「そもそもハニーではないでしょう。パートナーと言うのは、まぁ、間違ってませんが‥‥」
「どっちかって言うと、ナニー?」
「ワタリ以上に有能で厳しいエージェントです」
「成功報酬そのものは値下げした代わりに、別途必要経費はしっかり取ってるもんな」
「数をこなして稼ぐ路線に変更ですか。薄利多売で頑張るディスカウントショップのようですね」
「この場合、才能の安売りさせられてるのはL?」
「ついでに私とメロもです」
「いや、でも、ほら。俺達もなんか名前売れて来てるみたいだぜ?」
「某国政府の某機関からLではなく、私とメロに!ブレーンとして引き抜きの話があったとか何とか。ワタリが茶飲み話のついでに言ってましたね」
「月がまだ早すぎるって丁寧に断ったらしいけど」
「もう少し気楽にやっていたいので、それで構いませんよ、私は。子供でいられるのももう後少しでしょうし」
「俺は国に繋がれるのなんてヤダな」
「私は快適に暮らせるならどっちでもいいです」
「それって、Lみたいな上げ膳据膳な生活の事か?」
「Lは上げ膳据膳ですか?まぁ、見た目はそう見えなくもないですが。実情は奥さんの尻に敷かれたゴキブリ亭主のような気が‥‥」
「それって月に失礼だろ」
「そうですね、亭主がゴキブリってのはあんまりですね」
「‥‥貴方達、今は貴方達の将来の話をしているのではないのですが‥‥と言うか、月君が私の奥さん、というのは認めるんですね?」
「言葉のあやだ!」
「月さんが如何に!有能であるかを論じていただけです」

 メロとニア、二代目L候補筆頭にして現助手の二人の子供に白い目で見られても、初代Lであるカエル男は平気の平左だ。この大人の心臓には毛が生えている、と言うのが二人を初めとする子供達の同一見解である。どうしてこんな大人の面倒を月が怒りながらもずっと見るのか、子供達にはキラ事件より難解な謎のように思えた。
 彼らが世話になっている養護施設ワイミーズハウス――― メロとニアは一応まだそこの子供だ――― の隣に構えた屋敷の1階、かなり広いスペースを占める仕事部屋に朝から籠った3人は、現在取りかかっている依頼の資料を広げるだけ広げて、しかし、話す内容はと言えば如何にして彼ら3人が恋する夜神月に『trick or treat』と個人的に言わせるか、という難問題だった。
 しかし、話というものは時として脱線するものである。

「そうとも!月は家事万能なうえに金儲けも上手そうだって事だ!!芸能プロダクションでも始めたらガッポリ儲けるぜ、きっと!本人が一番の稼ぎ手、ってのはガチな」
「ですね。そう言えば、ハウスの年少組に柔軟運動と称してダンスを始めさせたでしょ?その発表会を先日のチャリティの余興で発表してお堅いケーブルTVの取材を受けてたじゃないですか。あれ、演出は特別クラスの演劇コースの子に任せてたんだそうですよ」
「知ってる知ってる。振り付けはガキに合わせてそれなりだけど、演出そのものはプロ張りに凝ってるって誉められてたらしいな。その後だろ?そこの幼児番組にゲスト出演が決まったの。ガキどもがスゲェ張り切ってるみたいだぜ」
「シスター達まで張り切ってますよ。保護者としてTV局に付いて行くそうで、共演役者のサインを貰うとか何とか‥‥」
「リンダの絵もさ、みんなに見てもらおうって、市の教育委員会に掛けあって催した子供絵画展に応募させたんだろ?」
「その副賞、何か知ってますか?」
「金賞受賞者の絵をモチーフにした壁画が駅前に飾られるんだっけ?」
「リンダが除幕式用の晴れ着を月にオネダリしてましたねぇ。あれって、出来レースですか?」
「そんな卑怯な真似、月がするはずないだろ。リンダの実力だよ、実力」
「ですね。失礼しました」
「これでますますリンダが絵画にのめり込むな」
「それはそれで良いんじゃないですか?悪い事ではありません」
「うおっ!?ニアとは思えない発言!」
「ククク‥‥私だって成長するんですよ、メロ」
「人の話を聞け!このガキども!!今は目の前のハロウィーンの話をしとると言っとろうがっ!!」

 脱線した話を元に戻すのもまた、時として困難だったりする。

「だからぁ、無理だって言ってんだろ?」
「そうです、無理です。月さんの中ではカエルなんかよりハウスのガキどもの方が比重は重いんです」
「そういう話をしてただろ?今」
「判らなかったのですか?」
「‥‥月君が如何に施設経営に向いているか、という話かと‥‥」
「「バカ(です)か」」
「貴方達に言われたくありあません。月君ならいいですが‥‥」
「あのなぁ‥‥」
「だから月さんに見限られるんです」
「み、見限られてなんか‥‥!」
「最初のうちはお情けで捜査の方も一緒にやって貰ってたんだっけ?」
「あれは素晴らしい日々でした‥‥」
「それが今はどうですか。完璧!捜査は貴方と私達の三人体制じゃないですか」
「月君以外の助手は要らないと言ったんです、私はっ!」
「でも、仕事中にセクハラするんだろ?」
「集中するまでが大変だって月さんが言ってました。集中さえすれば完璧『L』になれるのにって」
「月君が魅力的過ぎるからいけないのです。良い匂いがするんですよ、月君‥‥」
「それって、あんたのおやつを作ってるからじゃねぇの?」
「日本人は体臭が薄いですからねぇ。この前はシャンプーの匂いがしました。あれは薔薇ですね」
「ななな、何ですとォォォッ!?」
「興奮するな、カエル」
「そうですよ、猫背」
「月君にクンカクンカしていいのは私だけです!」
「黙れ、エロガエル!」
「口を閉じろ、変態猫背!」
「とにかく!月が『L』の捜査活動から降りちゃったのはあんたの自業自得だ!『ワタリ』をやって貰えるだけありがたいと思えっ!!」
「『ワタリ』の引き継ぎは完璧だったと聞いてます。ワイミーがべた褒めでした。事実そうだと私も思います」
「早くもICPOを顎で使ってるとか噂で聞いたな」
「対応も親切丁寧で大好評です。報告書も今まで以上に判り易く証拠もバッチリ揃ってるとかね」
「俺達頑張ってるし」
「その辺りを月さんが依頼主にさり気無くアピールしてくださったようです。実は、Lの助手も将来有望な可愛い豆探偵なんですよって」
「ヘヘヘヘ、豆かぁ」
「クククク、可愛いですか?私」
「ちっとも!可愛くありませんっ!!」
「「あんた(貴方)には聞いてねぇよ(ません)!!」」
「お陰でLだって人望厚い探偵事務所の所長って思われるようになったんだ!俺達に感謝しろ!!」
「実態はあぁですがね。まぁ、月さんサマサマということで」
「わ、私の、私の幸せ探偵生活が‥‥憧れの夫婦探偵が‥‥ガキどものせいで崩れていく~~~~」
「崩したのはあんたのスケベ心だろ」
「人間の本能です!」
「それ、今まであなたが全否定していた事ですね」
「人間、本能のままに生きるべきだと気付いたのです!」
「恋って偉大だな‥‥なぁ、ニア」
「そうですね。そして、恋をすると人間は何処までも愚かになれるようですよ、メロ」
「何故ですかぁ~月く~~~ん!一緒に『L』をやるって言ってくれたじゃないですか~~~」
「だからぁ、やってるじゃん。ワタリになって全面サポートしてるじゃん」
「ワイミーの策略に嵌った気もしないでもないですが‥‥第三の人生を思いっきり謳歌しているジジィを見てると」
「ワタリなんて、ロジャー辺りにやらせとけばいいんですぅ~~」
「いや、それ無理だから。エージェントどころか、あんたの私生活の面倒すら見れないって」
「月さんだから両立させられるんです」
「この家だって私と月君のスィートホームのはずが、お邪魔虫の出入りが多すぎます~~~」
「だったら、ハウスの隣に建てなきゃよかったじゃねぇか」
「ですね。博愛主義の月さんがハウスのガキどもに興味を示さないはずがないじゃないですか」
「ニア、Lの言葉使いが移ってんぞ。月に怒られても知らないからな。それに、一応俺達もそのハウスの『子供達』の中に入ってるから」
「うっ‥‥それはイヤです。あと、十派一絡げも嫌なのですが、そっちの方は修正不可でしょうね」
「だな」
「ふぅ‥‥仕方ありません。では、今の地位を確保しつつ精進あるのみです」
「とっとと出てけ!お邪魔虫筆頭2匹っ!!」
「無理だな」
「貴方にとって残念なことに、私たち二人の存在を月さんも望んでいます」
「ううううぅぅ‥‥だからここに建てるのは嫌だったんですぅ~~~~」
「あ~、やっぱり月の希望だったのか?」
「うっかりハウスの話をしたらもの凄く!興味を持ってしまったんですよ、月君‥‥」
「バカですね。バカとしか言いようがありません」
「今思えばあれはワタリの誘導で言わされたような気が‥‥」
「やっぱりそうか」
「あのジジィ‥‥グッジョブです!」
「捜査の合間にハウスに顔出ししていたはずが、今では日参です。日参ですよ!私の事はほっぽっといて、ガキどもに笑顔を振りまくなんて~~~~!」
「いや、別にほっぽっとかれてる訳じゃないだろ。ちゃんと朝起こしてもらってるし、3度の食事とおやつも作って貰ってるし。風呂にも放り込まれてるし。うっかり椅子に座ったまま寝こけたら毛布とか掛けてもらってるし。至れり尽くせりの生活じゃないか」
「そのうえ『ワタリ』として多方面の情報収集をこなし数多くの依頼を華麗に捌いて。これで捜査まで一緒にやって貰おうだなんて、甘えるのも大概にしたらどうなんですか?」
「ハウスのガキどもに構う時間を削れば一緒に捜査できるんです!」
「「それは絶対無理」」
「や、やっぱりガキどもに情が移って‥‥浮気?浮気ですか!?月君っ!!」
「黙れって言ってんの!この、碌で無しエロガエル!!」
「やっぱり下剋上しましょう!いえ、天誅です!!それが世の為人の為です!!!」
「引っ越します!月君がなんと言おうと引っ越します!!」
「「させるかぁ(させませんっ)!!」」

 遅咲きの初恋に燃える男と、まるで兄貴の嫁さんに恋してしまったノリの子供二人。喧嘩はいつもの事だが、流石に事件の資料をぶちまけるだけぶちまけた場所では取っ組み合いをするのはヤバイ、という理性が働いたのだろう。3人は互いに陣取った場所から動かず――― Lはいつもの特注ワークチェアーにいつもの恰好で座り、メロは中央のソファにふんぞり返り、ニアは二人の中間辺りの床に月お手製クッションを尻に敷いて座り込んでいる――― 言葉の応酬、いわゆる口喧嘩だけに留めていた。
 いずれにしろ、恋のライバル合戦というものは男同士でも醜いものである。

 


 恋、そう恋だ。
 Lだけでなく、メロとニアの二人も夜神月に恋してしまったのが、ややこしい関係の原因なのである。
 そもそもの発端は、月を誘拐同然で自分のパートナーにしたLが、その月を自分の後継者候補に紹介してしまった事にある。しかし、それを今更悔いたところで今現在Lが置かれている不満タラタラな生活環境が改善される見込みは全くと言っていいほどない。むしろ悪化するだろう。それはLの予想範囲内だ。もう泣くしかない。
 後悔先に立たず。全くその通りである。

 1年前、引き籠りの株屋を装いワイミーズハウスの隣に引っ越してきたLは、園長のロジャーと特別英才教育クラスの子供達――― つまりはLに何かあった時のための後継者育成クラスだ――― の前にいきなり夜神月を連れて来て『今日から彼が私のパートナーです』と紹介した。月がぜひ紹介してくれと言ったのもあるが、Lが月を自慢したかったのも正直な理由の一つである。Lが自慢できる相手が子供達しかいなかった、という可哀そうな事実は取り敢えず置いておこう。
 この時、ついつい口を滑らせ――― いや、かなり意図的に――― 『私のハニーです』と言ってしまったのがそもそもの間違いだった。言った途端、顔面に月のストレートパンチを喰らったLは幸せに顔を笑み崩れさせ、何人かの子供達から『Mな人』の認識を貰ってしまった。ついでに恋のライバルを増やしてしまった。
 綺麗で強くて賢いお兄さんは好きですか?
 好きだとも!!
 こうして夜神月との出会いは、あまり純粋とはいえない子供達にとって衝撃的な出会いとなった。

 掻い摘んで言うなら、あの変人Lが東洋の神秘と言われる国から連れて来た超美人さんのLをLとも思わない態度に、幾らかLを尊敬していた子供達は心を鷲掴みにされたのだ。
 痛いです月君、お前が変な事を言うからだ、私は本当の事を言ったまでです、お前とは手を繋いだ事はあってもそれ以上の事をした覚えはない、一緒のベッドで寝ていた仲じゃないですか、子供達の前でそんなふしだらな事を言う奴はこの僕が許さない、叩きましたね?蹴りましたね?一回は一回ですよ?教育的指導にそれは適用されない、指導ならぜひベッドで‥‥
 そこでLを蹴り飛ばしたのはメロとマットだった。他の子供達も出遅れはしたが、気持ち、似たようなものだった。
 Lの後継者として教育されている自分達の眼の前で平然とLと舌戦を繰り広げる月を見て、頭の良い子供達はどちらが『上』なのか瞬時に理解した。
 強いものには巻かれろ――― 特にそう言う事の理に敏いメロが、売り込むなら今がチャンスとばかりに仲の良いマットを誘って月への恭順を真っ先に示した。そこにはピンク色の思惑も見え隠れしていた。思春期真っ最中のメロは仲間内では珍しく恋愛に興味を持っていたからだ。
 はっきり言ってメンクイのメロは一目で月を気に入った。常々初めての相手は絶対美人に限ると思っていたメロにの目に月はとびっきり輝いて見えた。この際、性別は関係ない。要は中身だ。Lがパートナーに選んだのなら月の頭脳は折り紙つき――― ここ重要――― しかもLに真っ向歯向かえる度胸はメロの好みにドンピシャ!この出会いを逃すほどメロは頭デッカチの変人ではない。だからこそ行動に移した。飛び蹴りという行動に。
 メロはLと違って自分の好みをちゃんと判っていたのだ。
 知的で気の強い美人――― まさかLの好みが自分と同じだったとは!これをラッキーな巡り合わせとしなければ俺は一生後悔する!!打倒、初代L!!!
 メロにとっても恋はやはり直感だった。

 その後、1ヶ月もしないうちに特別クラスの後継者候補の子供達は月に陥落した。世話好きで優しくて綺麗なお兄さんに懐かない子供はいない。何と言っても月は子供達を満足させられるだけの知能を有していた。そこが決定打となった。子供達もL同様、凡人をバカにするきらいがあったからだ。
 その中でニアだけが最後まで月の魅力に抵抗した。彼は子供達の中で一番の捻くれ者だった。Lに輪をかけて口が悪く我儘で自尊心が高かった。厭味が大得意だった。しかし、月はその厭味さえ『子供の可愛い我儘』で済ませてしまった。済ませるだけの知性と心の広さを持っていた。ニアはそんな人間に会った事がなかった。これからも会えるとは思っていなかった。そもそも存在する事さえ考えもしなかった。
 何をしても笑って言い返される、それどころかぐうの音も出ないほど言い負かされただ働きさせられる。それに疳癪を起せば『口がひん曲がっても知らないよ』と月に頭を撫でられハグされ脇を擽られ持ち上げられておやつの前に座らされた。美味しかった。
 何時しかニアは、月の作る料理に絆されたのだと言い訳するようになった。そうでない事はハウスの誰もが知るところだったが。
 ニアの恋は体で感じる恋だった。それも言わば直感だ。

 二人はLの屋敷に押しかけむりやり捜査の手伝いをするようになった。当然Lは良い顔をしなかったが、月は子供達の自主性を尊重すると言って歓迎した。
 ここから恋のさや当てが始まった。
 今の所、軍配はLに上がっていると言えるだろう。何だかんだと月はLを気に入っている。月はLの頭脳を高く評価しているし、彼のろくでなしな所も痘痕も笑窪で気に入っている。そう、月は意外にも――― それとも順当?――― ゲテモノ好きだったのだ。
 美女と野獣。これほどピッタリな組み合わせはない。しかし、月とLが未だ一線を超えていない事に子供達は薄々勘付いていた。せいぜいキス止まりだろう、それでも大進歩だ、等々彼らは好き勝手言い合った。
 このまま時と共にLと月の関係が深まり、何時かは月がLに美味しく食べられてしまう日が来るのだろうかと――― 誰もLが月に食べられるとは想像しなかった――― 子供達がやきもきする中、Lと大喧嘩した月がハウスの教会に逃げ込む事件が起きた。
 なにも言わず静かに泣くだけの月を見てDVだと大騒ぎしたシスター達がLの屋敷に怒鳴り込み――― その後ろで終始黒い笑みを浮かべていた月をLと二人の子供達は確かに目撃した――― メロとニアは正式にLの助手として迎えられることとなった。そして月はハウスの子供達におやつを作る時間を確保したのである。
 この時、月がキラだというLの打ち明け話を、メロとニアは初めて信じる気になった。
 一応Lの名誉の為に言っておくが、この時の喧嘩の理由は、月が日本から取り寄せた納豆をLの前で食べたから、と言うものである。
 そんな腐った物よく食べられますね、健康にいいんだぞお前も食べれば?イヤですよ、いいから食べてみろって、絶対イヤです!食べろ、この偏食カエル!イヤだと言ったらイヤです!!――― そうして始まった喧嘩は文化の違いを論ずるにまで至り、月が強硬手段に訴えたという訳である。ワイミーズハウスにおいて、もはやLの味方は一人もいないと知らしめる事件でもあった。

「くっ‥‥判りました。引っ越しは諦めます。しかし、ハロウィーンの件は諦めません!」
「だからさぁ、無理だって」
「嫌です。絶対、月君に『trick or treat』と言わせるんです!」
「強請はよくありません。下手をすると寝室をハウスの方に移されますよ?貴方の、寝室をね」
「そ、それは‥‥」
「もっと下手すると、月のやつ日本に帰っちゃうかもな」
「うぅぅ‥‥」
「それ知ってます。『実家に帰らせてもらいます』ってやつですね」
「月君が私の奥さんだということは認め‥‥」
「「認めねぇよ(ません)!!」」
「とにかく、一緒にお菓子を配る方で我慢した方がいいって」
「子供達に愛想振り撒いておけば、一応月さんの好感度も上がりますよ。上がらなくてもいいですが」
「私にはガキに愛想振り撒く趣味はありません」
「でも、月も未成年なんだろ?日本じゃ。だったら月もガキじゃん?つまり、Lは月に愛想振り撒くつもりはない、と」
「この国では大人です!あの無駄に色っぽい月君の何処がガキに見えると!?それに、私は何時も月君には紳士です!!」
「貴方の何処が紳士ですか!‥‥ふぅ‥‥確かに、日頃は優しいナニーか鬼軍曹な月さんですが、時々無駄に色気を振り撒く事がありますね」
「そうそう、近所のマーケットに買い物に行った時なんか特にそうだよな」
「な、なな、な、何ですって!?」
「お陰で何時ぞやは予定の半額でフルーツケーキの材料が買えたと、ホクホク顔でしたっけ」
「月君!貴方外で何してるんですかっ!!」
「ワイミーズの大蔵大臣として頑張ってるんじゃないか」
「月君は私の奥さんですから!月君が管理するのは私の財産だけでいいんです~~~~!!」
「だからそれは認めない、と‥‥そういえば、この国では同性婚が認められてましたね‥‥」
「それ、やべぇじゃん!」
「やはり抹殺です。それしかありません」
「貴方達!私を殺して傷心の月君を慰め、あわよくば私の後釜に座ろうという魂胆ですか!?そうなんですね!?後家の月君の色気をまったりたっぶりメロメロになるまで堪能するつもりですねっ!!??」
「「L‥‥あんた(貴方)、想像力過多じゃね(でしょ)?」」

 そうしてその日も下らない会話で時間が潰れた。捜査はちっとも進展しなかった。
 どうやらハロウィーンが終わるまでそれは続きそうだ。
 一方、LとLの助手達が仕事もしないで怠けさくっている間、月はハロウィーンで配るクッキーをせっせと焼いていた。

「どうするの?月お兄ちゃん。白雪姫の仮装するの?」
「僕の髪は黒じゃないからね」
「月お兄ちゃんはシンデレラのコスプレするんだよね~~~?」
「ガラスの靴は転びそうだな」
「オーロラ姫の方が似合うと思うなぁ」
「眠ってばかりじゃ皆にお菓子を配れないよ。そもそも、僕は仮装しないから」
「え?~やらないのぉ?月お兄ちゃんなら『鉄のハインリヒ』の金の毬を失くしたお姫様が似合うよぉ~」
「「「何それ?」」」
「うふふふふ‥‥グリム童話の『カエルの王子様』だね‥‥そんなイケナイ情報、何処で仕入れて来たんだい?冷蔵庫のバノフィーパイ、一番に試食したかったら僕にちょ~っと教えてくれるかな?」
「カエルのお兄ちゃんが言ってたの!」
「うふふふふふふ‥‥そ~ぅなんだぁ‥‥」
「「「「月お兄ちゃん?何だか怖い顔してる?」」」」
「そんな事ないよ~。みんなバノフィーパイ食べるかなぁ~?」
「「「「食べる、食べる!」」」」
「じゃぁ、今の話は内緒だよ~」
「「「「は~~~~い」」」」

 そこで交わされる会話は3人とは比べ物にならないほど有意義(?)である。

 


    


 そんなこんなで時間ばかりが無駄に過ぎ、とうとうハロウィーン当日がやって来た。
 その日は朝からワイミーズハウス全体が浮ついていた。今日はどんなお菓子が貰えるか、どの家へ貰いに行くか、朝食時から子供達のお喋りはそれ一色だった。そんな子供達が学校から帰ると、ハウスのあちこちにハロウィーンの飾りが飾られていた。それは子供達がこの日のために作った飾りだった。食堂にはLが金にものを言わせて買い集めた世界中の珍しいお菓子――― 甘いもの限定――― が巨大バスケットに入れられ子供達の帰りを待っていた。
 一頻り騒いでお菓子を取り合い分け合いした子供達は、やはりこの日のために用意しておいた思い思いの仮装に着替え町へと繰り出していった。大きな子達がリーダーとなり幾つかのグループに分かれお菓子を貰いに行ったのだ。町はそんな子供達でいっぱいだった。
 そうして楽しいハロウィーンは過ぎ、ワイミーズハウスのパーティは夕方から始まった。早めに夕食を済ませた子供達は合図があるまで食堂でじっと待った。暫くしてスピーカーから最年長シスターの『trick or treat』という声が流れるや、子供達は一斉に食堂から飛び出していった。園内の何処かに隠れている大人達を探し出してお菓子を貰うためである。
 ワーワーキャーキャー、無邪気な声が園内全体に広がって行く。大人達全員を探し出してお菓子を沢山せしめる気の子もいれば、特定の大人だけを狙っている子もいる。その誰もが夜神月からお菓子をもらいたいと思っていた。
 その月はと言えば、ハウス付属のローズガーデンの奥にいた。長い棒の先に小さなジャックオーランタンを掲げ、オレンジの灯りがよく映える白いケープを羽織り子供達が来るのを待っていた。月がせっせと作ったクッキーは可愛いラッピングを施され大きなバスケットに入れられベンチの裏に隠してある。包みには必ず一つアルファベットクッキーが入っていて、それはハウスの子供達の名前の頭文字だった。
 そうして準備万端待っていると、一人二人と子供達がやって来た。

「trick or treat!」

 年に一度の呪文を口々に唱えながら駆け寄って来る子供達を優しい笑顔で迎える月の隣には、相変わらずの仏頂面を晒すカエル男が一人。言わずと知れたLである。

「はい、どうぞ」
「‥‥‥‥」
「ありがとう、月兄ちゃん!」
「あ、ありがとう、L兄ちゃん‥‥」

 子供の躾に悪いからと月に後頭部をはたかれ、ついつい抱えてしまいそうになる両足を必死の思いで地面に下ろしたLは、いつもながらの長袖Tシャツにジーンズ、その上に月と色違いの黒いケープを羽織っている。
 ペアルック!と、本人は大喜びだが、当然ながらメロとニアを初めとする周囲の反感は凄まじかった。もしかしたら無事に明日の朝日を拝めなくなるかもしれないほどに。
 しかし、それを知ってか知らずか『何かもう一つ足りない気がする』と言い切った月によって、Lの首には仮装用の大きな蝶ネクタイが結わえられた。一つ足りないどころか、ついでとばかりに仮装用のメイクアップセットで自前の隈をさらに大きく描かれ、頬に赤い丸まで描かれ、頭には某ネズミの耳まで付けられた。その姿はもはやペアルックとは言い難く――― 
 とにかく、そこまでして漸く納得した月に手を引かれ、空いた方の手にお菓子のバスケットをぶら下げたLが何処かへと去って行く姿には『世界の切り札』の威厳は微塵もなかった。見送ったメロやニアを初めとするLの後継者候補の子供達が『あんな男の後を継ぐのはちょっとイヤかも‥‥』と思ってしまったのは仕方ないだろう。
 そんな、可愛らしさや面白さからは程遠い、どちらかといえばキモイ姿のLから無言でお菓子の包みを差し出された子供達が一様に笑顔を引き攣らせるのもまた、仕方のないことだった。
 夜のローズガーデンの美女と野獣――― この場合は美青年と齧歯類――― は、それでも小さな幸せの欠片を手渡し続けた。

「ハウスの子供達の顔と名前、みんな覚えてるんですか?」

 一通りハウスの子供達にお菓子を渡し終え、ついでにパーティーに紛れ込んでいた近所の子供達にもお菓子を渡し、いたくご満悦の月の隣でLはちょっぴり不満そうだ。

「当然だろ?お前だって覚えてるくせに」
「それはLとして当然のことです。自分のテリトリーの詳細を知らずしてLの名を名乗る資格はありません」
「だったら、お互い様という事でいいじゃないか。何を拗ねてるんだ?」
「拗ねてなんかいません」

 空になったバスケットを抱えハウスに隣接した我が家へと帰る道すがら、Lは小さな子供のように唇を突き出し得意のジト目で隣を歩く月を見つめている。そんなによそ見して歩いてよく転ばないなぁと、内心呆れられているとも知らずに。

「‥‥仮装していたのに、誰が誰かピタリと当てました‥‥」
「あれくらいの仮装ならね」
「子供達の顔を見て名前を思い出すまで、私は少なくとも5秒はかかりました。でも、月君は直ぐに判った‥‥」
「お前よりずっと多く接してるんだから当然だろ?」
「お菓子の好みまで知ってました‥‥クッキーが余り好きでない子には別にキャンディーを用意してました」
「何度もおやつを作ってたらいやでも覚えるよ?」
「‥‥‥‥‥」
「ちゃんと良い大人してたな」
「‥‥‥‥‥‥‥」
「足、下ろしてたし。背中、伸ばしてたし。何より、ガキって言わなかった」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「竜崎」

 二人きりの時だけ、月はLのことを『竜崎』と呼ぶ。そこにどんな意味があるのか、実のところLはよく判っていない。
 それでも、Lは月に竜崎と呼ばれるのが好きだ。二人だけの秘密のようで好きだ。その時間は特別な感じがして好きだ。特別な響きを持って耳を打つから好きだ。月の『竜崎』と囁く吐息が特別な香りがして好きだ‥‥‥

「来年は一緒にお菓子作ろうか」

 疑問形ではなく肯定でそう言われLはポカンと月の微笑みを見つめ返した。

「私‥‥食べる専門なんですが‥‥」
「知ってる」

 いつの間にか足が止まり、猫背が自然と伸びている。

「私、結構ぶきっちょですよ?」
「それも知ってる。器用さが偏ってるよな」

 ティーカップとかは凄く器用に持てるのに――― そう言って笑った笑顔が玄関の灯りの下で星のように輝いている。いや、星ではなく月か?いやいや太陽か?
 好きな人の笑顔が太陽のようだ、というのはどうやら本当のことらしい。

「でも、僕と一緒なら大丈夫。だろ?」
「‥‥‥‥‥」

 直ぐには言葉が出なくて、暫くしてLは出来の悪い首振り人形のようにカクカクと上下に頭を揺らした。

「私に‥‥できるでしょうか」

 ポツリと呟かれた言葉はLにしては遠慮がちで、何処か気恥ずかしそうで嬉しそうだった。

「僕が手取り足取り教えてやるよ」

 繋いでいた手をギュッと握り締められ頬に熱が集まる。

「できればベッドの中で、がいいんですけど。いえ、その場合は私が教える立場で‥‥」

 それを誤魔化そうと、Lがいつもの下らない台詞を口にした矢先、

「「何バカな事言ってんだよ(るんですか)」」

 いきなり玄関のドアがバタンと開き、不機嫌マックスな顔をしたメロとニアがLの貴重なデート時間を粉砕してくれた。

「あ、あなた達‥‥!せっかくいい雰囲気だったのに‥‥っ!!」
「ははは、馬鹿言ってないで入るぞ」

 無表情に悔しがるLをバカ呼ばわりした彼の思い人である月は、わざわざ出迎えに出て来てくれたメロとニアの頭を撫でてから、さっさと家の中へ入ってしまう。その後をあわてて追い駆けようとするLは間違いなく恋に夢中なただの男である。

「チェッ、俺が一番に月からお菓子を貰うはずだったのにな」
「一番は私です、メロ」
「うるせぇ!お前だって一番に月を見つけられなかったくせに!」
「まさか、ローズガーデンなんて定番デートスポットをチョイスするとは思わなかったのですよ」
「だよな。Lのことだから、てっきり厨房を隠れ場所に選ぶと思ったのにさ」
「冷蔵庫の食べ残しケーキにつられないだなんて‥‥」
「「そんなの、俺(私)達の知ってるLじゃないぜ(ではありません)」」
「貴方達、さっきから黙って聞いていれば何ですか!私のことを何だと思ってるんですか!」
「「いやしんぼのカエル」」
「‥‥‥‥この、クソガキ‥‥!」
「ウフフ、子供達の前で汚い言葉は使わない約束だろ?」
「すみません、月君‥‥」

 ケープを羽織っていたとはいえ、初秋の夜風に1時間以上も晒されていた月とLの体はそれなりに冷えていた。
 そんな冷えた月の体を温めるかのように両側から素早く彼の腕に抱き付いたメロとニアを、それは自分の役目だと言わんばかりの恨みがましい目でLが睨みつける。本当なら今がチャンスとばかりにLが月の体を抱き込み温めるはずだった。その下心を前もって察知し寸での所で邪魔に入ったメロとニアは、流石は後継者候補№1と№2である。
 ちなみに、どちらが№1でどちらが№2かは言わぬが花、であろう。どちらにしても月にとっては可愛い子供達なのだから。

「ローズガーデンを選んだのは月なのか?」
「違うよ、Lだよ」
「まさに、下心満載の選択ですね」
「Lはこう見えて結構ロマンチストだからね」
「「何処が!?」」

 温かい家の中に入りLの脱ぎ散らかしたコートを拾い上げた月が笑いながらそう言った瞬間、おませな子供二人は疑心暗鬼に満ちた視線で『ロマンチスト』と称された『ロマンチスト』からは程遠い大人を振り返っていた。

「ラ、月君‥‥貴方はやっぱり私のこと‥‥」

 そして、捲れた下唇に右手の親指を乗せたままチョロリと涎を垂らした、かつては尊敬していた世界の切り札の、幸せダダ漏れのだらしなくも緩みきった無表情アホ面を目にしてしまい、思いっきりしかめっ面を作ったのだった。

「こ、これの何処がロマンチストだって!?」
「月さん‥‥腕のいい眼科を紹介しましょうか?」

 玄関ロビーの市松模様の床にLの涎がポトリと落ちて、メロとニアはぞっと背筋を震わせた。絶対こんな大人になるもんか!と、もう何度誓い直したか判らない誓いを再度誓う。そして、月の目を覚まさせるのはこの自分だ!!と、硬く硬く決心する。
 しかし、そこはやはり二人が惚れた、美人で気が強くて世話好きで優しくて天使で女王様でキラ様な夜神月だった。

「だって、今のLの頭の中、春だもん。仕方ないって」
「「「‥‥‥‥‥‥‥‥」」」

 一瞬で世界の切り札こと名探偵Lとその後継者候補の二人の頭の中を真っ白にしてしまった。

「マニュアル通り過ぎてつまらなかったけど、Lにしては上出来だったかな?」

 美人に微笑み付きでそう言われてしまっては怒るに怒れない。と言うか、三人して思う所があり固まってしまった、という方が正しい。そんな三人にニッコリ笑いかけ、月はさっさと奥へ行ってしまう。

「Lって、告白したんだったよな?」
「でもって、振られたはず‥‥」

 玄関に残された二人の子供は、唖然呆然と立ち尽くす男を見上げた。

「でも、今の月の言い方は‥‥」
「ラ、月君‥‥それは私が貴方を‥‥」
「答えは保留、という感じが‥‥」
「貴方を好きでいて良い、ということですか?そうなんですね?!」
「「Lとの同居はボランティアじゃなかったのかよ(ようですね)」」

 遅咲きの初恋に夢中な男の急性ロマンチスト病に付き合ってやるだけの心の広さを持ち合わせた夜神月。どうやら彼自身も満更ではないらしいと思い至った三人。確かにそうだろう。そうでなければ自分に告白までした男と一緒に暮らせるはずがない。

「くそっ、やっぱり月はゲテモノ好きか‥‥!」
「美人が陥りやすい罠ですね‥‥」
「そうなんです!男の幸せは、愛した相手と結婚するより愛された相手と結婚することにあるんです!!」
「それって女の幸せじゃないのかよ」
「月さんが聞いたら笑顔でゲンコツですね」
「月、見た目は優男だけど、中身はがっつり『漢』だかなら」
「L相手ならいくらでも悪魔になれる天使ですから」
「二人とも!今のはオフレコですよ、いいですねっ!!」
「だから、冷や汗垂らすくらいなら口にするなっての」
「冷や汗というよりガマの油でしょう」
「ニア、えらいマニアックな喩だな」
「月さんのために日本の事を多少勉強しましたので」
「可愛くないガキどもです!」
「「可愛くなくて結構」」

 玄関フロアで暫し睨みあう大人と子供。そんな三人にいったん奥へと引っ込んでいた月が再び顔を出し声をかける。一人だけ先にケープを片付け靴も内履きに変えてきたようだ。

「何してんだ、そんな寒い処で」
「「「何でもありません(ないよ)」」」

 三人は嘘くさい笑顔を浮かべると、月が待つ奥の、リビングへと我先に急いだ。
 そして―――
 Happy Birthday!
 思いもかけない言葉がLを待っていた。

 


 それは何時の事だったろう。
 春の終わり、酷く冷たい風が吹いた日の次の日だったと記憶している。依頼されていた捜査が完了し証拠や必要書類と一緒に報告書を依頼主に送った後の、心地よい疲労感にまったりとしていた日の事だ。
 雲の間から差し込んで来た陽の光に気づいた月が、薔薇の様子を見てくると言ってLの傍を離れた。その時月は読みかけの本を愛用している一人掛けソファの上にそっと置いて行った。その本の栞代わりに1枚の写真が使われていたのが切っ掛けだったと思う。
 それは、とある国のとあるアイドルスターのプライベートな写真だった。
 月はそれを隠そうとはしなかった。しなかったが、見せびらかす事もしなかった。云わば暗黙の了解がそこにはあった。

 弥海砂――― それが写真に写っていたアイドルスターである。かつてLが第二のキラとして監禁拘束した、事件被害者の遺族にしてキラ賛成派だった少女。彼女の活躍でキラ事件解決の糸口を掴んだ記憶は新しいが、出来る事なら二度と会いたくないと思っている相手でもある。そうなるように月を彼女の視界から隠してしまった。
 その弥海砂の写真を何故月が持っているかと言えば、Lが知らない間にワタリに頼んで手に入れたらしかった。ワタリが時折月の家族の近況を知らせていたのは知っていたが、まさか弥海砂の事まで知らせているとは思いもしなかった。その事実を知った時信じていた相手に裏切られたような気持ちになったが、ワタリも月も実に平然としていた。ワタリなどは『男の嫉妬は醜いですぞ』と笑ってさえいた。
 判っている。月を無理やり家族から引き離したのはLである。月のためなら自分の命も惜しくないほど月に恋していた弥海砂に会わせまいとしたのもLである。月には家族に会う権利があるし、月の交友関係に口出しする権利はLにはない。
 ただ、弥海砂の事だけは忘れて欲しかった。
 積極的過ぎるのが玉に瑕だが、彼女の一途さを月は認めていた。家族を殺された犯罪被害者遺族という立場も月の同情を引いた。そしてLが意図した事だが、軟禁生活を強いられた者同士という立場が、月の中の弥海砂の地位をその他大勢の女友達達より高くしていた。

 監禁する前から薄々感じてはいたのだ。父親の教育の賜物か、月は博愛主義であると。そんな高尚な単語を使わずとも誰にでも公平であろうと努めていると。それはLと共にワイミーズハウスに来てからも変わらない。むしろ、ハウスの子供達と出会ってその傾向に拍車がかかった気がする。もちろん若者特有の潔癖な思考から腐敗した社会を蔑んでいた時期もあったが、今は『自分にも何かできる事があるんだ』という自信がそんな思い上がった気持ちを払拭していた。
 要は頭脳労働派の振りをして、意外に肉体労働派でもあったのだ、夜神月は。自ら行動する方が性に合っているらしい。Lとは正反対である。
 そんな月にとって同じく行動派な弥海砂はそれなりに好感の持てる相手だったのだろう。ましてやそれが自分を思っての事なら無碍にはできない。夜神月はそう言う人間だ。そんなこんなでキラ事件が解決した時、月の中で彼女は家族と同等の位置にまで上り詰めていた。
 夜神月、いや、キラにとって弥海砂は只の駒――― そう思っていたLにしてみれば、その事実は大きな誤算だった。ギリギリ歯軋りするほど忌々しい事実だった。そして、人間関係というものはやはり面倒極まりないものなのだと改めて思い知らされたのだった。

 夜神月という人間は酷く心の広い人間だが、別の意味で心の狭い人間でもある。彼の中で他者は家族とそれ以外の二種類に大きく分類されていたからだ。ただし、比重の偏りはあまり見受けられない。Lはそう分析していた。実際それを口にすると、月は苦笑いこそすれ強く反論しなかった。本人にもそれなりに自覚はあったのだろう。だから彼はあっさりとLについて来た。この先いつまた家族に会えるか判らないと言うのに。
 だが、その実に曖昧な枠組みこそが他者には大きな意味を持つのだと、弥海砂の自信に満ち溢れた笑顔を見てLは知った。家族とか恋人とか夫婦とか、そんな続柄を気にする人間の心理をLは漸くにして理解した。月の事を『パートナー』だとか『ハニー』だとか、嬉々として呼ぶ自分のバカさ加減に理解せざるを得なかった。
 その一方で、場合によっては幾らでも家族に背を向けてしまえる月の冷静な理性に言葉に出来ない寒さを感じた。

『野に咲く花に名前は要らないよ、竜崎』
『名前を知り特性を知る事で、よりその花を愛でられるのではないですか?』
『一緒に日の光を浴びて風に吹かれ、種を飛ばして大地に還る。その何処に名前が必要だい?』

 あぁ、嘘ばっかり――― Lは彼の言葉に、微笑みに、その思いを胸の内にしまうしかなかった。
 神と迷える子羊の群。
 言葉とは裏腹なその視点が夜神月の中の『キラ』である。Lはそう確信した。
 そして、それは苦も無く何でも出来てしまう夜神月の拭い切れない才能の弊害だと、Lは思っている。
 彼はある意味、自分より淋しい人間なのかもしれない。
 とにかく、恋人にはなれずとも家族以外の特別な女の子にはなった弥海砂の別れてからの日々を月が知っているのは、知りたいと思うのは、Lにはどうにも我慢できない事だった。いや、不安で不安で堪らない事だった。
 だから、月がPCの画像データーから彼女のフォトを一枚とはいえプリントアウトした事は悲鳴を上げたいくらい大事件だった。それをたまたま読んでいた本の間に挟み、本を開くたび目にして微笑むなど、思わず飛びついてその写真を破り捨ててしまいたいくらい嫌な事だった。
 だが、現実にLに出来た事と言えば無視する事だけだった。気付かない振りをする事だけだった。それに気付いているのかいないのか、月は写真を本に挟んだままである。実際、月がその本を開いたのは未だ三回しかないのだから大げさと言えば大げさなのだが。
 それでもLは嫌だった。
 だからだろうか。月が本を置いて席を立ち、その姿が垣根の向こうに消えたのを見送ってから、弥海砂に電話をしようと思ったのは。
 Lはフラリと立ちあがるや、いつもの椅子に腰かけパソコンを起動させた。金にあかせて設置した通信機能を駆使して日本にいる弥海砂に電話を掛ける。今は昼過ぎ、日本は早朝。5回待とう。そう思った。
 5回コールして出なかったら電話を切ろう。
 そう思っていたのに、相手はたったの2回で電話に気付いてしまった。

 


『はい』
「‥‥‥‥」

 一時期毎日のように聞いていたちょっと甲高い女の声がPCのスピーカーから聞こえてきた。

『誰?』

 名前は言わない。こちらも向こうも。

『‥‥もしかして、竜崎さん?』
「‥‥‥」

 月以外の人間に『竜崎』と呼ばれて眉を顰める。

『竜崎さんでしょ?隠しても駄目、息遣いで判るんだから』
「‥‥‥嘘です」
『ほら、やっぱり竜崎さんだ』

 思わず声を出してしまったLに、彼女はしてやったりとばかりに自慢げに言った。

『何?ミサに何か用?まさか月に何か‥‥なんてこと、無いわよね。月に何かあっても竜崎さんがミサに連絡してくるはずないもん』
「‥‥月君は、元気です」

 誤魔化す気も起きなくてそう答えていた。

『うん、知ってる』
「知ってる?」
『ミサのブログに時々書き込みしてくれてるから、月』
「な‥‥っ!」

 し、知らなかった!!軽いショックに眩暈がしそうだ。まさか月がアイドルタレント『ミサミサ』のブログにアクセスしていたとは!何時?何時だ!?何を書きこんだ!?

『ボランティア活動してるって書いてあったけど、そうなの?』
「え、えぇ、まぁ‥‥」

 ワイミーズハウスの子供達におやつを作ってやることがボランティアと言うのならそうなのだろう。決して間違ってはいない。

『ふ~ん、月らしいね。キラ事件がなくても、月なら青年海外協力隊ぐらい入ってただろうから。警察官じゃなくて医者になってたら、国境なき医師団に入ってたよ、きっと』
「‥‥‥‥」

 あぁ、彼女の認識も自分と似たようなものだったのかと、Lはぼんやり思った。

『で?そんな優しい月の一人占めを企んだ竜崎さんが、どうしてミサに電話なんかしてきたの?』
「‥‥それは‥‥」
『何?もしかして、月がミサの事恋しがってるとか?それに嫉妬して、月と別れてください!とか言うつもりだった?』
「恋しがってなんかいません!貴方なんかを月君が恋しがるはずないじゃないですか!!」

 凡人のくせに、と最後に低く小さく呟けば、電話の向こうで海砂が軽く笑った。

『自分は月とタメ張るくらい頭いいから月に見捨てられないって?ヤァダ~、その自信、何処から来るのぉ』

 はっきり言われ笑い飛ばされ、Lはいつもの癖で右手の親指の爪をガシリと噛んだ。

『あのね、月はね、頭がいいの。でもって竜崎さんと違って何でもできるの。性格も顔もいいから友達がいっぱいいるの。人とも直ぐ仲良くなれるの。引き籠りの変態竜崎さんとは違うんだよ、判ってる?』

 判ってます、と胸の内で苦々しく呟く。

『だからね、竜崎さんがいなくっても月はいくらでも一人でやっていけるの。そこんとこ、本当に判ってる?竜崎さん』
「‥‥判っています、それくらい‥‥」
『ふ~ん、そうかなぁ?』

 疑わし気と言うよりは呆れたようなその口調にLは苛立った。あぁ、どうして電話なんか掛けてしまったのだろう。

『ねぇ、竜崎さん。ミサ、今でも竜崎さんの事怒ってるんだよ。判ってる?』
「だから何ですか?私はもう月君を監禁してませんよ。軟禁も監視もしてません。月君はお金に不自由してませんし、パスポートだってちゃんと正規の手続きで収得してます。そりゃぁちょっと不正な方法で作りましたが‥‥とにかく、月君がその気なら、彼は何時でも日本に帰れるんです。帰らないのは月君にその気がないからです」
『知ってるわよ、そんなの』

 怒っていると言われ『貴女の事などヘとも思ってません』という意味を込めて言い募れば、一刀両断されて二の句が継げなくなってしまう。

『日本にいるより竜崎さんの処にいる方が月の為だって事ぐらい、ミサにも判ってるんだから』
「‥‥‥‥‥」
『日本にいたら月、ただの学生だし。お父さんの後継いで普通に警察官になっちゃうだろうし。ううん、それが悪いって言ってるんじゃないよ。大学生でも出来ることは一杯あると思うし、学ぶ事だっていっぱいできると思う。月なら立派な警察官になると思うし、出世もすると思う。でも、月にはさ、もっとデッカイ事して貰いたいじゃない?だからね、日本で小さく纏まるより、竜崎さんに付いて行ってLの処で勉強した方が良いと思うんだ』

 言い返す言葉が見つからなかった。

『日本の警察で出世するにもね、やっぱ時間かるじゃない?その時間がね、無駄だと思うの。でも、そっちにいれば結構短縮できそうじゃない?竜崎があんなに横暴だったのも権力とお金があったからでしょ?月なら竜崎さんみたいに権力を笠に着たりしないから、きっと良い事いっぱいしてくれるよ』
「良い事って‥‥何ですか?」
『良い事は良い事だよ。みんなが喜ぶ事』
「キラのように犯罪者を裁く事ですか?」
『竜崎さん、まだ言ってんだ‥‥』

 今度こそ、本当に呆れられてしまったようだ。

『あぁ、でも、そんなだから月は帰って来ないんだろうなぁ』
「?」

 良いなぁ、ミサも竜崎さんみたいに傍若無人になりたいよぉ。猫まっしぐらな性格になりたいよ。歩く傍迷惑になりたい――― それから随分と酷い事を言われたと思う。
 変態から始まり横暴、慇懃無礼、嫌味の塊、頭でっかち、偏屈、偏食、ホモ、ロリコン、ショタコン、疑り深い男はモテナイ、等々。他に身体的特徴もあげつらって貶められた。
 しかし、最後には‥‥‥

『でも、それくらいでないと、月の気は惹けないんだよね』

 そう、溜息と共に言われてしまった。

『海砂ね、結構月に気にして貰ってると思うんだ。どんな女が月に言い寄ったって月は靡かない、月の特別な女の子は海砂だけ。その自信が海砂にはあるよ。そういう意味ではね、海砂、竜崎さんに感謝してる。月の懐に飛び込むチャンスを作ってくれたから』

 その意味がLには判った。キラ事件がなかったら、彼女は月に一目惚れして自宅まで押し掛けて来た迷惑な女の子でしかなかっただろう。百歩譲って友人になれたとしても、その他大勢の女友達と同じだったに違いない。キスしたりセックスしたりは出来ても、決して月の恋人にはなれなかった。
 だが、あの事件を切っ掛けに二人は同じ境遇を味わった。そして海砂は無謀にも敵の懐に飛び込みヨツバキラが誰であるかを突き止めた。それもこれも月の為だった。月は、自分の為にそこまでしてくれた相手に冷たく出来る人間ではなかった。だから、弥海砂は夜神月の特別な女友達となった。

『月はね、恋愛にうつつを抜かすような男じゃないの。恋愛と仕事、って言われたら迷わず仕事を取っちゃうんだ。え?夢見てる?違うよぉ~、真実だよぉ~。もちろん!海砂は恋愛を取る方ね。でも、日頃はちゃ~んと仕事も大事にする。月はきっと、恋愛のせいで仕事を疎かにする女が嫌いだろうから。それに、海砂だって仕事に対するプライドあるし。竜崎さんはどう?自分の仕事にプライドある?自分のやってることに誇りが持てる?』
「‥‥私は‥‥」
『海砂にはあるよ。プライドも誇りも。それを形あるものにしようと毎日頑張ってる。だから、月は姿消しちゃっても海砂に連絡くれるんだ。海砂を誉めてくれるし励ましてくれる。海砂、月に認められたらメチャクチャ嬉しくなるんだ。これで会いに来てくれたらもっと嬉しいんだけど、我儘は言わない。そう決めたの。月の邪魔はしたくないからね。せっかく狭い日本から外に出たんだもん。さっきも言った通り月にはデッカイ事して欲しい。それで何時か竜崎みたいにコソコソしないで、堂々と世間に出て来て欲しい。そしたら海砂、自慢するの!あの人が海砂の大好きな人だって!そう言ったら、月なら絶対!ありがとう海砂、嬉しいよ、って言ってくれる!!』

 あぁ~、今から楽しみぃ!
 そう言って黄色い声を上げた彼女は、あの夏の日のままの恋するミサミサだった。
 月が家族や彼女を説得するために使った『広い世界に出て自分に出来る事を探したい』という言葉を彼女は信じているのだ。いや、信じるしか吹っ切る術はなかったのだろう。
 竜崎がLとは知らなくとも、彼が物凄い金持ちで相当の権力を握っている事を思い出した彼女は、月が抵抗すれば被害が拡大するだけだと気付いた。月が竜崎の元にいるのは家族や自分に迷惑をかけないためだと察した。だから泣く泣く月との別れを認めた。それでも、サヨナラとは決して言わず『またね、元気でね』と言った。
 そして、信じているのだ。月の言葉が真実となる日を。
 月が『L』ではない遣り甲斐を見つける日を―――
 そんな事‥‥そんな事!認められる訳がない!夜神月が自分の元から去っていくなど!!

『あ~あ、言葉出なくなっちゃった?頭が良いのだけが取り柄の竜崎さんが口で負けたら月に見捨てられちゃうよ』
「!‥‥私はっ‥‥!」
『あぁ、うそうそ。今の嘘。安心して、月は竜崎さんの事好きだから。自分がいないとこいつはダメだ、って思うくらいには好いてるから』
「‥‥それ、慰めの言葉になってませんが」
『え?慰めて欲しかったの?海砂に?』
「私が慰められて嬉しいのは月君だけですっ!」
『あ~、それそれ。その図々しさとヘタレさがあれば大丈夫。月は見捨てないよ』
「ですからっ!私が月君に見捨てられるなんて事はあり‥‥!」
『だからね、竜崎さん。真っ当な人間になろうなんて思わない方がいいよ』
「ま‥‥せ‥‥は?」
『ヤダ、判ってなかったの?だから言ったでしょ?これだけ海砂は頑張ってるのに月は海砂の所に戻って来てくれないって。それってどうしてだと思う?』
「どうして、と、言われても‥‥」
『それと同じ理屈で、竜崎さんが真っ当な人間になったら月は竜崎さんに興味無くしちゃうから』
「!‥‥‥」
『だって、頭の良い人間なんてゴマンといるんだよ。変人じゃない竜崎さんなんて只の博学なカエルってだけじゃない。それじゃぁ、月にとってはその他大勢と同じだよ。それに、同じレベルで物事を考えられる人間とビジネスでもプライベートでも付き合うのって、良い事もあるだろうけど嫌な事もあるんじゃない?そういう嫌な処や気の合わない処は、竜崎さんが変人だって思えばこそ月も気にしないんだよ。月、その点物凄~く、心が広いから。竜崎さんの場合は月の顔に惚れてるから気にならないんだよね?』

 彼女の指摘があながち外れているとも言えず、Lは黙り続けるしかなかった。

『あ~あ、こ~んなヘタレ探偵に負けちゃったかと思うと、海砂、悔しいより悲しいよ』

 Lは知らない。弥海砂が『キラ』の真実を知っている事を。
 キラの力が『デスノート』と呼ばれる人外の力を秘めたノートにあった事を。それを夜神月に齎し、彼をキラにしたのが『死神』と呼ばれる異世界の存在である事を。彼女もまたその死神の一人と出会いデスノートを渡され、そしてキラの手助けがしたいと自ら第二のキラになった事を。
 彼女はヨツバと接触した折その死神『レム』と再会し、失った記憶を取り戻すことはなかったものの死神から真実を聞かされた。愛する夜神月と自分がキラだった事に大喜びした彼女は、だからこそ危険な賭けに打って出て、火口が第三のキラである証拠を掴んだ。全て、月の計画通りLを倒すために。
 しかし、正体が発覚し逃走を試みた樋口は自動車事故を起こし、何一つ口を割る事無く死んでしまった。火口が持っていたデスノートは燃え上がった自動車とともに焼失し、月がキラに戻るチャンスまで失われてしまった。残るは月が何処かに隠したもう一冊のデスノートだが、それは月の記憶が戻らない限り世に出る可能性は限りなく低い。そのノートがない限り月のキラの記憶は戻らない。
 ならばこのままキラを消してしまってはどうだ?その方が命の危険はないのではないか?――― そう言って海砂を説得したのは、デスノートが焼失したから『死神界』に帰らなければならないと、わざわざ別れを言いに来たレムだった。
 月ほど『キラ』の思想的重要性を認識していなかった海砂は、それで自分と月が普通の生活に戻れるならと納得し、月に自分達二人がキラだったということを告白する事をやめた。月が最初の頃より自分を気にしている事を、その違いに気付いたせいもある。このままいけば恋人同士になれる!そう期待した。
 だが、それは竜崎によって砕かれてしまった。変人で変態でホモなカエル探偵が月を掻っ攫ってしまったのだ。海砂が激怒し竜崎を、Lを憎んだ事は言うまでもない。しかし、その時はもうレムは死神界に帰った後だったし、デスノートは手元になかった。彼女には月を取り返す術がなかったのである。
 おまけに、何となく感じていた月の『ゲテモノ好き』は本物だったらしく、Lと行動を共にする意思を月自らが彼女に伝えて来た。抵抗すれば恋に狂ったLが何をするか判らない。そんな状況も見えて来て、海砂は月の父親譲りの公明正大な性格に賭けることにした。
 月の事だ、絶対裏社会で暗躍する事を良しはしない――― 月は探偵になり金を貰って事件を解決したいのではない。Lのように謎解きを楽しみたいのではない。
 彼は、誰かの為に自分が出来る事をしたいのだ。それは、決して人に言えない事ではなく――― キラは特別な状況だったのだと、都合良く彼女の中で処理されていた――― 堂々と胸を張れる事なのだ。
 だから、月がLの執着をものともしなくなる日が来る事に賭けたのである。
 それまで待てる自信が弥海砂にはある。

『そういう事でね、竜崎さん』
「‥‥‥な、なんです、か?」

 それまでは竜崎に貸しを作ってもいいだろう。嫌味の一つも言っていいだろう。

『月が、自分は一人でも大丈夫だ、と思えるようになるまで、せいぜい月を繋ぎとめておいてね。少なくとも竜崎さんといれば月に悪い虫がつく心配は無いから』

 電話の向こうで絶句しているだろう猫背隈男の顔を想像して弥海砂は北叟笑む。
 何も知らないLを憐れむ。

『じゃぁね、ヘタレ探偵さん。月によろしく』

 そう言って彼女が電話を切った後も、ヘタレ探偵は暫く身動き一つする事が出来ずにいた。

 


「な、な、な‥‥‥何なんですか?今の‥‥」

 ようやく動きを取り戻したLが発した言葉は、頭脳派の彼には不似合いな、酷く混乱した代物だった。

「わ、私が、真っ当に?私は、初めから真っ当ですよ?その私を月君は‥‥‥!」

 プルプル震える手でPCの電源を切り、言葉の割に蒼褪めた顔で庭の向こうに視線をやったLは、月を失うかもしれない恐怖に苛々と爪を噛んでいた。
 月が今自分といる理由が、海砂の指摘したとおりだと気付いていたから。月はその名前に反して日の下こそが相応しい人間だと知っているから。
 キラになれるだけの非情さと合理性を持っていながら、キラの力で私腹を肥やそうなどと微塵も思わない慎ましさを持つ人間である、と知っているから。
 月が『L』だけで満足しなくなったら自分達の別れは来ると、Lは無意識に結論付けていた。

「竜崎?どうしたんだ?」

 どうしよう、どうしよう‥‥月君は真っ当な事が好きなのに、真っ当な人間が好きなのに‥‥私はこんなに変人で偏屈で偏食で月君の好きなガキどもをちっとも可愛いと思えなくて、謎解きが出来るからLをやっているのであって正義なんてものは心の底では信じていなくて、世の中支配する者と支配される者、力ある者と弱い者、搾取する側と搾取される側の二種類しかないと思っていて‥‥とにかく、自分の好きなように生きていければそれでいいと思っているだけの他人なんて全くどうでもいい薄情な奴なのに‥‥‥‥‥こんなの普通、嫌われて当然なのに‥‥‥‥‥!
 どうしよう、真っ当でないのに月君が傍にいてくれだなんて‥‥‥それって月君にとって迷惑極まりない事なんじゃないか?
 どうしよう、どうしよう、どうしたらいい?

「竜崎。さては知恵熱が出たな?」
「‥‥月く、ん?」
「何だ?竜崎」

 数本の切り花を抱えて何時の間にか戻っていた月が、それをテーブルに置いて竜崎の傍へと歩み寄って来る。少し薔薇の刺で傷つけたのを気にしてLに触れることを躊躇っていた手を、それでも最終的にはLの額に当て熱を測る仕草をする。
 それまでは珍しくも殊勝な事を考えていたくせに、たったそれだけの事で舞い上がってしまったLは、どうせならオデコとオデコをくっ付けて熱を測ってくれればいいのにぃと、メロメロに思ってしまう。

「風邪ではなさそうだけど‥‥」
「ラ、月君‥‥」

 熱を測って貰い喉を擦られ、それから目蓋までちょっとばかり捲られて。それでも月に構ってもらえるのが嬉しくて、カエルならぬ犬のように架空の尻尾を激しく振り、Lは月に甘えた。
 誰かに甘えたいなどと、思ったのは月が初めてである。
 ハウスの養護教師にもシスターにも、ワタリにも甘えたいなどと思わなかった頭の良すぎる理屈大好きそのくせ直感も信じる子供は、恋という最高の直感に現在進行形で支配されている。

「ケーキ、食べるか?」
「は、はいっ!」

 どうしよう、どうしよう‥‥月君が優しいです。いえ、何時も優しいですが、何だか今は特別優しく感じます。私が風邪を引いて熱を出せる真っ当な人間だと判ってくださったからでしょうか?真っ当でもいいと、思ってくださったからでしょうか?あぁ、でも、真っ当だと世話を焼かなくてもいいと思われてしまうかもしれませんね。そうなったら月君、いなくなっちゃうかもしれません、ど、ど、ど、どうしたら‥‥!?

「次の依頼、もう決まってるんだけど、資料見る?ケーキ食べながら」
「は、は、はいっ!」
「連続幼児誘拐犯‥‥絶対!僕とお前で捕まえような」
「!‥‥‥‥はいっ!!」

 月がケーキを持って来てくれるのが待てなくて、Lは月にくっ付いてキッチンへと向かった。右手を月の左手でしっかりと握られて。
 海砂の言うことはもっともで、きっと真実だろう。何時か月は表の世界へと出て行くかもしれない。いや、きっとそうなるだろう。
 その時は、自分が裏から月を支えれば良いだけだ。
 裏から出ようとしない自分を月は決して否定しないだろう。否定しない。
 Lが好きになった夜神月とはそういう人間だ。そういう、どうにも歯痒い理想的な人間なのだ。
 だから、弥海砂は月の意思を優先し自分も仕事を頑張っている、とアピールし続けている。
 だったら自分も『月君好きです、愛してます』と連呼しよう。
 その時のLはそれしか思いつかなかった。

 


    


 私が先です!と、二人の子供を牽制しつつ微かに開いていたリビングの扉を勢い良く押し開けたLは、パンパンという軽やかな音を響かせ舞い散った紙吹雪の嵐に内心ビックリドッキリ飛び上がらんばかりに驚いて、しかし、見た目は片手をジーンズのポケットに突っ込んだいつもの猫背にガニ股の恰好のまま、彫像よろしくピタリと動きを止めていた。いや、動くのも忘れて目の前の光景に見入っていた。

「おめでと~う!」
「おめでとう、L!」
「おめでとさん!!」
「おめでとうねぇ~!」
「L、おめでとう!」

 何事!?と、意識する前に耳に飛び込んできたのはLとはあまり縁のなかった言葉の数々。おまけに目の前にはハロウィーンの仮装を解いた己の後継者候補の孤児達がズラリと並んでいる。
 それだけでなく、彼らは大きい子達はまだしも、小さい子達は何だか何処かで見たカラフルな三角帽子を被っていて、Lの理性を奪うには十分なインパクトだ。しかも、その列の端には旅行に行っているはずのワタリがニコニコ顔で立っているではないか。

「ほらほらぁ!主役はこっちこっちぃ!!」

 状況は明らかでありながらその原因がどうにも思い至らなくて、珍しくもアホ面晒して立ち尽くすLの両手を、後継者候補の中で一番幼い子供が二人進み出て来てハッシと握る。

「Lお兄ちゃんが席に着かないとメインイベントができないよ!」
「フゥ~するんだよ、フゥ~!」

 何を?と聞かなくてもLには判っていた。判ってはいたが、やはり理性が認めようとしない。いやいや、働かない。
 二人の子供――― 確か、六歳と八歳だったか?――― に両手を掴まれリビングの中央に引っ張り出されたLは、白いクロスの掛ったいつもより大きなテーブルに並べられた料理の数々と、その中でひときわ目立っているデコレーションケーキに気づくや、そこから目が外せなくなってしまった。
 直径30インチはありそうな大きな大きなデコレーションケーキ。そこには26本の――― 数えなくてもLにはその数が判っていた――― 色鮮やかなロウソクが立てられ、小さくて暖かな炎を揺らしてる。おまけにケーキの中央にはカエルのチョコレートプレートが飾られ、同じくチョコレートで『HAPPY BIRTHDAY L』と書かれているではないか!
 しかも!ケーキのまん前にはL愛用の椅子がデンと置かれ、誰が作ったのか少し形が歪なキルティングクッションまでセットされている。

「早く早く!」
「座って座って!!」
「一吹きで消すんだよ、一吹きで!」

 これらの全てが何を意味するか判っているのに、それが自分の身に起きているという現実がどうしても受け入れられなくて、何も出来ずにいるLの背を誰かが力強く、そして優しく押した。
 びっくりして振り返れば、それはニヤニヤ人の悪い笑みを浮かべたメロとニアだった。

「ほら、座れよ、L」
「そうですよ。みんな待ってるんですから」
「‥‥‥‥‥」

 寄ってたかって椅子に座らされ、キャッキャキャッキャ煩い子供達の誰かに三角帽子を被らされ、同じく手作りと思しき不揃いなペーパーフラワーのレイを首に掛けられ。
 それから視界の片隅を掠めたワタリにあわてて視線を送って、Lは老人の満足げな笑みを見たとたん心の内で『あぁ‥‥』と感極まった声を上げていた。それはLが今まで生きてきた中で漏らした、数少ない嘆息であり溜息であり感動の声だった。

「誕生日おめでとう、L」

 直ぐ傍らで囁かれた言葉を皮切りに、再び今夜この時、Lを出迎えの言葉が彼を取り巻く。
 おめでとう、おめでとう、おめでとう―――
 誕生日おめでとう、L!
 変声期前の子供達の誕生日を祝う歌声が耳鳴りのように頭の中に響き渡る。
 何時の間にか部屋の電気は消され、Lの目の前の、Lのための特別なケーキの、26の小さな炎の群だけがLの無表情なくせに何処か泣きそうで嬉しそうな、何処か呆然とした顔を照らし出す。
 囃したてられけし掛けられ、

「一息で吹き消すんだ、L。それが決まりだぞ」

 やっぱり直ぐ傍でそう優しく囁きかけられ、Lは何も考えることなく胸いっぱいに息を吸い込んでいた。
 フゥゥゥゥ‥‥‥‥‥!
 テーブルに両手を付き前のめりになって、まるで壊れた扇風機のように首を振る。限りある息を肺から胃から、体全体から絞り出し、丸く円を描く26本のロウソクの小さくて暖かな炎を吹き消していく。一つも残すものかとそれこそ必死に息の続く限り。
 その甲斐あって26の炎は無事一息で吹き消えた。途端にワッと周囲から歓声が上がる。部屋には明かりが戻り、お祝いの拍手と言葉が再びLを包む。
 薄く煙が立ち上る26本のロウソクを暫し見つめ、それからゆっくりと周囲を見渡して、Lはそれが間違いなく自分に贈られた言葉なのだと実感した。
 拍手と笑顔と言葉と。
 それは今ここでこの瞬間、Lのためにだけ存在している。

「おめでとう、L」
「‥‥月、君‥‥」

 半ば脱力して椅子に座りこむLの肩に暖かな手が置かれた。

「今日だろ、お前の誕生日」
「‥‥‥‥月君‥‥」

 それはLが、それこそ誘拐同然に日本から連れて来た、Lがキラと信じて疑わない、Lが好きで好きで堪らない、Lが欲しくて欲しくて堪らない夜神月の手だった。

「ハロウィーンが誕生日だなんて、如何にも捻くれたお前らしいな」
「‥‥‥‥」
「おっと、今更キラだとか何とか言うなよ。せっかく教えてくれたワタリさんの好意を無にするなんて僕が許さないからな」

 ワタリの名にハッとして、かの老人の姿を探す。あろうことか探偵Lのプロフィールをキラに漏らしたLの後援者にして理解者は、彼の協力者であるワイミーズハウス園長のロジャーと何事か楽しそうに話しこんでいた。事の重大さなど何処吹く風というその笑顔に何を言っていいか判らずただ口をパクパクさせるL。

「おめでとう、L!はいこれ、僕からのプレゼント!」
「これは私!私が作ったのよ!!」
「おめでとう、Lゥ!」

 そして何も言えないままLの周りには子供達が群がり、Lの手にプレゼントの箱が押しつけられた。バースデイケーキはいつの間にか隅に追いやられ、Lの目の前にはプレゼントの箱が山積みにされ、開けて開けてとせっつく子供達の声がLを押し流していく。
 子供達の不安と期待の入り混じった瞳に返す言葉は一つしか思いつかない。

「‥‥ありがとう、ございます」

 ありがとう、ありがとう、ありがとう―――
 ただただ無表情にそう繰り返すだけなのに、子供達は嬉しそうに満足そうにLに抱き付き離れていく。時には頬にキスをして。
 ありがとう、と唯それだけなのに。
 おめでとう、ありがとう。
 そして笑顔。花のように咲き乱れる笑顔、笑顔、笑顔―――
 あぁ‥‥どうしてこんなに私の表情筋は動かないのだろう。なぜ、こんなにも無表情なのだろう。
 どうして私の声はこんなにも単調なのだろう。

「そうでもないさ。大丈夫。ちゃんと笑ってるよ」
「‥‥‥!」

 嬉しいのに何故だか泣きたくなっていたLは、思わずその言葉に顔を上げた。
 そこにはLの大好きな月のいつもの柔らかな笑顔があった。
 深い琥珀色の瞳がワタリと同じように満足げにLを見つめていた。
 これが月と出会う前なら、恋を自覚する前なら、きっと言葉だけの感謝しか返せなかっただろう。気持は籠らなかっただろう。喜びも感じなかっただろう。お返しなんて物だけで終わっていただろう。
 それが、たった一人の存在が加わっただけで、こんなにも変わってしまった。自分は、変わってしまった。
 それを忌々しいとは思わない。決して思いはしない‥‥‥

「次は僕の誕生日だからね!」
「判ってるよ」
「その次はあたしなの~!」
「もちろん、忘れてないよ」

 月の魔法のような手で切り分けられたケーキが次々と子供達に配られて行く様子をLは黙って見つめていた。Lの前にももちろんケーキの乗った皿が置かれている。それはちゃんと一番最初に切り分けられたケーキだ。

「12月は俺の誕生月だからな。Lのよりデッカイ!チョコレートケーキ!!作ってくれよな、月」
「チャンとLの助手を務めたらね」
「ちゃんとしてるじゃん!」
「そうだね、メロは頑張ってるね」
「へへへへ」
「私も頑張っていますよ、月さん。ただ、悲しいことに私の誕生日はもう過ぎてしまいました‥‥」
「大丈夫。来年があるだろ?来年だけでなくその次だって」
「では、来年は2年分のお祝いを戴きましょうか?」
「バカ言ってんじゃねぇよ!誰が許すか!!」
「貴方には言ってません、メロ。私は月さんに言ってるんです」
「ニア~~~~~!!」

 そのケーキにフォークを突き刺したまま、Lはもはや見慣れた二人の後継者候補の喧嘩という名のじゃれあいをじっと眺めやった。

「今度から、特別クラスの子達の誕生日パーティーも普通クラスの子達のようにする事になったんだ」

 そして、直ぐ隣りから聞こえて来た声にユルユルと首を巡らせた。
 Lの右隣に座った月。それもまた見慣れた光景である。あの初夏から始まった、永遠であれと願った光景―――

「あの子達、ずっと誕生日を祝ってもらってなかったんだろ?機密保持とか何とか言って本名も誕生日も隠してたから」
「‥‥えぇ」
「それって、お前だけでいいと思うんだ、僕は。お前の場合はもう、ほら、過ぎたことだから」
「‥‥酷い言い草、ですね」
「そう?当然って、思ってたんだろ?今までは」
「‥‥‥はい」

 ふと周囲を見回せば、集まった子供達が思い思いの席について取り分けた料理に舌鼓を打っている。年相応にワイワイ騒ぎながら食事をする様子はこの1年で漸く見慣れてきた光景だ。それまでは食堂に一堂が集まることすら稀で、共同生活とは名ばかりの超個人主義が罷り通った集団生活を彼らは送っていた。それもこれも誰もがLの後継者を目指すライバルだったからだ。
 だが、月がLのパートナーになった事で――― それを主張しているのはL本人だけで月自身は只の世話係だと公言している――― その図式は徐々に崩れていった。

『こんな一回りも離れていない子供達が後継者?4半世紀生きたかどうかも判らない若造のくせに、なに早死に宣言してるんだ、お前は!』

 Lによって子供達を紹介された月が、子供達のまん前でそう怒鳴りつけながらLの後頭部をはたいたのが最初の切っ掛けだった。その前にLの『マイハニー』発言にストレートパンチをお見舞いしていた月だったが、それはそれ以上に衝撃的な張り手だった。

『カエルのくせに惰弱な!私はしぶとく100歳まで生きる!!ぐらい言えないのか、この碌で無しが!!』
『そ、それは、共に白髪の生えるまで、と言うやつですか?もしくは、お前百までわしゃ九十九まで、と言うやつですか!?そうなんですか?そうなんですね!?月君っ!!』
『それは同じ諺だろ!しかも順序が逆だ!!』
『嬉しいです、月君!末永く一緒に探偵しましょうっ!!』
『ぼ、僕より先に死んだら許さないからな!!』
『ツンデレ!?ツンデレですか?月君!これがジャパニーズ萌、ツンデレなんですね!?私、感激で‥‥!』
『黙れ!軟弱カエルッ!!』

 メロの飛び蹴りよりも強力な踵落としがLの頭上に落とされ、気絶したLを引き摺って月が退場したことで彼らの初めての出会いは終了した。
 子供達の前で子供達を無視して延々続けられたド突き漫才はその時から既に夫婦漫才の域に達していたと、後にメロとニアは遠い目をしながら語った。
 とにかく、子供達が尊敬し憧れ、そして乗り越えなければならない壁としてある意味敵愾心を抱いていた存在『L』を、夜神月は何時でも何処でもただの一人の人間として扱った。その態度は何処かぞんざいで、それでいて優しさに満ちていて、何時しかそれは子供達にも伝播して行った。

『子供は未来の宝なんだよ』

 特別英才クラスの子供達と顔を会わせるたび、月はそう言って子供達の頭を優しく撫でた。
 そう言う本人も未だ二十歳になっていないというのだからどうかと思うが、それでも周囲の大人達から大なり小なり敬遠されていた子供達は、自分と同じ目線で自分の話を聞いてくれる、自分の話を理解できる月の言葉に耳を傾けるようになり、そうして懐いて行った。加えて、月が子供達を可愛がれば可愛がるほどLは嫉妬むき出しで拗ねまくり、子供達とLの関係は変化して行くこととなった。
 今はもうLは子供達にとって絶対の存在ではない。たった一つの目指すべき道ではない。

『夢があるってのは楽しいことだよ』

 Lは数多くある憧れの未来の一つである。

『どうせならいっぱい夢を持とうよ』

 かつてワタリが画策した『Lの後継者を育てる』という試みは、こうして済し崩しに崩れていったのだった。だが、それはワタリも望んでのことだと、ロジャーやLには判っていた。
 そして何より、L自身がそれを受け入れていた。今助手をしてくれているメロやニアが何時か自分も探偵になりたいと言い出したら、心から彼らの独立を応援しよう。そう思えるようになっていた。他の道へ進みたいというのなら、それもまた応援しよう。それこそが大人が子供にしてやるべき事なのだから―――
 それは、あの春の日に、月の未来を認めようと思った気持と同じだった。

『お前の夢はなんだい?まだ子供の竜崎?』
『‥‥‥私の夢を、聞いてくれますか?‥‥私より子供の月君?』

 料理を囲み、お菓子を囲み、笑顔を囲み。大人達の優しい視線に見守られてはしゃぐ子供達。
 僕の誕生日には本が欲しいなぁ‥‥‥
 私はメイク道具が欲しいの‥‥‥
 犬が欲しい‥‥猫の方がいいよ‥‥でっかいケーキが食べたい‥‥‥
 試しに大学受験なんかしてみたいのですが‥‥‥
 俺はバイクに乗りたい‥‥

「ワタリが‥‥貴方に?」
「別に僕だけにって訳じゃない。ハロウィーンの仮装の事で子供達が集まってる所にワタリさんが来て、そう言えばその日はLの誕生日でした、ってサラっと言っちゃったんだ」
「‥‥食えないジジイです」
「好々爺って言わなくっちゃ」

 次は誰々の誕生日だと嬉しそうに話し合っている特別英才クラスの子供達は、Lの誕生日解禁によって初めて『お祝い』を許された。それまで普通クラスの子供達が誕生日を祝ってもらっているのを――― パーティーは月毎にまとめて行い、個々には当日小さなバースデイケーキが贈られていた――― 冷めた目で眺めていたのだが、本心は羨ましかったらしい。当然だろう。どんなにIQが高くともいずれも10代前半、または10歳未満の子供なのだ。

「せめて、偽りの誕生日にでも、祝ってやれば良かったですかね‥‥」
「それ、嬉しいか?」
「‥‥野暮な事を言いました」

 メロやニアまでもが心なしか興奮に頬を染め自分の誕生パーティーはこんな風にしたいと話している様子に、たかが誕生日がこんなにも特別なものだったとは、と今更ながら思わずにいられない。
 1年にたった1日、自分にとって特別な日。
 10月31日はLにとっての特別な日―――

「お前だけに特別な日じゃないぞ」
「月君‥‥」

 


 自分にも真っ当な感情があるのだと、再びLは知った。
 月への恋を自覚した時と同じように、知り合いに囲まれる時間が暖かいと感じ混乱した。おめでとうと祝われて胸が震えた。笑顔でプレゼントを渡されてワクワクした。
 そして、自分は何を頑なに人嫌いを演じていたのだろう、と思った。
 いや、もちろん今でも人間は愚かだと思っている。けれど、今なら分かる。愚かだけではないのだと。
 愚かだったら、どうして他人の幸せを祝福できよう。祝福されて嬉しいと感じられよう。

「理論立てないと納得しないからな、竜崎は」

 そんな事を考えていると、隣で月が笑いながらそう言った。そう言ってLのグラスにワインを注いでくれた。Lのフルーツソースで汚れた口の周りをナプキンで拭いてくれた。

「月兄ちゃんとL兄ちゃん、いっつも仲良しさんだね」
「知ってるよ、そういうの恋人同士って言うんだろ?」
「違うよ~、夫婦みたいって言うんだぜ」
「「それは絶対認めねぇ(ません)!!」」

 それから、図らずも望み通りの事を小さな子供達に言ってもらえて、Lは天にも昇る気持ちになった。メロやニアを初めとする大きな子供達には血走った眼で睨まれてしまったが、今ばかりは反撃しない。
 だって、それでは勿体なさすぎる。この楽しい時間をもっと続けていたいじゃないか!
 その楽しいパーティーも何時しかお開きとなった。時間が経つのが早いと、秘かにがっかりした。
 おめでとう、おやすみ、また明日‥‥‥そんな言葉を口にしながら隣のハウスへと帰って行く子供達を、Lはわざわざ玄関先まで出て月と一緒に見送った。最高に楽しい夜だった。
 それから、片付けは明日するからと、早々にLをバスルームへ押しやった月が珍しくも彼の体を洗ってくれた。以前はカラスならぬカエルの行水だったLを見かねて最初から最後まで見張っていた月だったが、最近はとんと入浴の面倒を見てくれなくなっていた。
 それが、今日はLの誕生日だからだろうか、服の袖や裾を折り曲げスポンジを手に取り率先してLの体を洗ってくれた。それこそ『痒い所はありませんか?お客さん』のノリで。できれば『お客さん』を『ダーリン』にしてもらえるともっと良かったが。何れにしろLは天国気分を味わった。
 暖かい湯。優しい手。時折耳を掠めるハミング。そして他愛ない会話のやり取り。
 それは決して『L』でなければ得られない幸せの時ではない。

「今日はワタリさんにとっても、ロジャーさんにとっても、メロやニアにとっても。そして、僕にとっても特別な日だ」

 湯上りの渇いた喉を潤すホットレモンが甘くて酸っぱい。

「‥‥‥在り来たりな口説き文句ですね」
「それでも、今日はお前を知るみんなの、特別な日だ」
「‥‥‥‥‥」

 乱暴に、そして優しくタオルで髪を擦られ、Lはぼんやりと宙を見つめた。

「では、言ってください‥‥月君‥‥」

 スプリングの利いたベッドに潜り込み、口の辺りまでシーツを被った自分の頭を優しく撫でてくれるその手が‥‥‥

「在り来たりはイヤなんじゃないのか?」
「‥‥貴方の口から聞けるのなら‥‥それさえも特別になります‥‥」

 この世で大切なものはお前だけだと言うような優しい眼差しが‥‥‥
 ベッドに腰をおろし何時までも傍にいてやると、今にもそう囁きそうな唇が‥‥‥

「生まれて来てくれてありがとう、竜崎」
「‥‥!」

 こんな、こんな言葉一つが‥‥ただの感謝の言葉が‥‥‥‥!

「私は‥‥‥」

 こんなにも嬉しいものだったとは‥‥‥!!

「私はずっと‥‥誕生日など、何の意味もないと、思っていました‥‥ただの、記録でしかないと‥‥成長の記録を図る、一基準でしかないと‥‥そう、思っていました」
「そう思う人もいるだろうな」
「生まれた日よりも、生まれて来た意味こそが重要だと‥‥そう思っていました‥‥」
「結果的には、そう見る人もいるだろうけど‥‥僕は、人ってのは意味を探して生きていくのだと思う。だから色々迷って苦しんだりするんだろうな」
「私は親を知りません‥‥ワタリは私の後見ですが親代わりではありません‥‥私は只の、マルチな才能を持て余した無気力な子供でした‥‥親に捨てられたと世を拗ねて、何に対しても無関心な子供でした‥‥Lになったのだって、偶然とワタリの作為の賜物で‥‥私の意志ではありませんでした‥‥正義など、私には‥‥」
「マルチねぇ‥‥うん、否定はしない。竜崎は本当はやればできる子だと思う。ちょっとぐうたらなだけで。でも、ほら、頑張ってるだろ?『L』を。お前が頑張った分、ちゃんと『L』は世間に認められてるぞ。お前は、自分の頭脳だけでなく、自分の為した事に誇りを持っていいんだ」
「私は‥‥そんな立派な人間では‥‥」
「今のワイミーズハウスを支えてるのはお前が稼いだお金だろ?足長おじさんな竜崎」
「‥‥私は‥‥Lになる為に生まれて‥‥」
「子供達はみんなお前に感謝しているよ。Lで、足長おじさんで、碌で無しで、ヘタレな竜崎」

 どんなお前でもいいんだよと言われているようで、Lはシーツの下でしゃくり上がるものを必死に堪えた。

「たった1年で、変わるはずが‥‥」
「時間は関係ない。だってお前は僕を知った瞬間、僕に恋したんだろ?」

 あぁ‥‥そうかもしれない、とLは思った。キラでなくなった月を可愛いと思ったから恋に落ちたのではなく、彼ならキラであってもおかしくないと思ったその時に、夢見るように恋していたのかもしれない。
 そしてその夢は、夜神月と言う触れる事の出来る存在としてLの傍らに佇んだ。

「長かろうが短かろうが人と人が関わって行くとそこには何がしかの関係と思いが生まれるものさ。子供でも大人でも、学校でも会社でも、教会でもハウスでも。人間は結局集団で活動する生き物だからな。煩わしい関係も憎たらしい関係も、好ましい関係も無くしたくない関係も、何一つ意味のないものはない。僕は、そう思うよ。20年と生きていない僕でも、それぐらいは感じて来たんだ‥‥だから、本当はお前だって感じて来たはずなんだ。そうだろう?竜崎」
「‥‥月君‥‥‥」
「僕は、お前と出会った事を、嫌な事だとは思ってない。本当だぞ、竜崎」
「私にとって、貴方と出会った事は‥‥偶然ではなく必然だったと、思いたいです」
「お前が今でも僕をキラだと思っていることぐらい知ってる。それなのに僕を好きな事も‥‥」
「神に‥‥神に、感謝しています‥‥本当です」
「バカな奴だと思うけど、前にも言った通り、そんなお前が僕は嫌いじゃない」
「‥‥‥‥‥‥」
「お前の誕生日を知って、おめでとうと言うくらいは好意を持っている」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「お前が生まれて来た事を、嬉しいと思うくらいは‥‥好きだ。本当なんだぞ、竜崎?」

 とっさにシーツを頭まで被り、それからゆっくりと下げて、Lは逆光で陰った月の微笑みをじっと見上げた。嬉しさと恥ずかしさで眩しくて仕方がない微笑みを決し見逃すまいと思った。

「みんな、お前が好きなんだよ、竜崎」
「あ‥‥とう‥‥」
「お前にはどうでもいい人達でも、お前と関わって来るからには何処かで好き嫌いの感情が生まれて、その人達の中の何人かはちゃんとお前を好きになってくれるんだ。それは、お前の後継者と言われていた子供達も同じなんだ」

 ジワリと目頭が熱い。

「探偵Lでなく、ただのお前でも、ちゃんと好きになる人がいるんだ」
「ありがとう、ございます‥‥」
「だから僕もお前が好きだよ、竜崎」

 たとえそれが恋心からでなくとも、今のLには大切な月からの言葉だ。

「誕生日、おめでとう‥‥竜崎」
「‥‥ありがとうございます、月君‥‥ありがとう‥‥」
「人嫌いと言う割にええかっこしいで、何でも知ってるくせに心が狭くて、大胆で臆病で、誰より頭がいいくせに自分の事にはどうしようもないバカな竜崎」

 今はただ、傍にいてくれるだけで嬉しい。
 バカだと言いながら笑ってくれるだけで嬉しい‥‥‥
 パートナーでなくてもナニーでなくてもハニーでなくても。
 ただ、傍で見ていてくれるだけで‥‥‥‥‥

 


 「できれば、名前はお前自身から教えてもらった方が僕は嬉しいな‥‥な?竜崎」

 暖かい視線に見守られ何時しか素直に寝入ってしまったLの額にそっと触れた唇。
 それはLが夢見る恋人の口付けには未だ未だ遠かったが、親しみの籠った熱は確かにあった。
 世界の切り札と称される自称名探偵は、そうして初恋の道をひた走って行く。
 恋人に『L』であることを自慢できるようになる日が来ることを夢見て。そして、恋人と『L』を続ける日を夢見て、来年もまた誕生日を迎える。
 この先ずっと、その特別な日を好きな人と一緒に喜びで迎えられますように‥‥‥

 


「そうでした!月君の誕生日も祝わなくては!!」

 次の日の朝、飛び起きた名探偵の第一声はそれだった。
 カエルはやっぱり碌で無しである。

 

 


       

 


後記

 途中仕事に追われ何度か中断していた「L誕2009」です。
同じく日記連載していた「恋する名探偵は愛を知らない」(未完(>_<))と設定がかなり被っています。
というか「恋する~」の焼き直しALLハッピーエンド版がこの話な様なものです。
「恋する~」は出来ちゃってる二人ですが、円満解決した二人な訳ではありません。
最後は丸く収まりハッピーエンドですが、色々やりあっての二人です。
かたや「年に一度のおまじない」は未だ清い関係ですが、Lのダダごね勝ちです。月、絆され負けです。
なんだか内容的にはLがグダグダ考えてるだけの話になってしまった気がします。
要は孤高を気取っていたエエカッコシィなLが「そんな人生、損するばかりじゃないですか!」と気付く話です。
これからは月と二人で遅い青春(月には今が青春)を謳歌し、後輩をいびりつつ可愛がり、
美人な奥さんのいるヒッキーなホモ株屋としてご近所の噂の種の一つになって行く事でしょう。
「僕はホモじゃない!」と月が反論しそうですが、
碌で無しカエルの世話が楽しいと思っているうちは、ホモで良いと思います。
手間のかかる恋人がいるから、自分の幸せもついでに考えられる月です。
どうやらNの中で、Lはぐうたら碌で無し我儘強引ヘタレカエル名探偵、
月は見た目完璧でも本当はちょっと浮世離れした精神の持ち主、なようです。
「割れ鍋に綴じ蓋」な夫婦探偵が二人の幸せの形だと思っているようです。