月下の蛍

souls in the moonlight

 

 

 


 

それは人と魔が共に存在する世界、時代―――


 人間という脆弱な、けれど群れを成せば空恐ろしい力を発揮する種族が地上に生まれ出でてからどれ程の時が流れたのか。
 爪と牙をもつ獣の遠吠えに怯える夜を過ごしていた人間は『家』を作る事で己が身を守る術を見つけ、やがて数多くの家を一か所に集めて建てる事で『集落』を成し、それらを高く頑丈な塀で囲み『町』を造る事を覚えた。
 他の獣達が恐れる火を手に入れ何とか暗闇を退けた人間は、次に牙や爪を模した武器を作り嘗て自分達を脅かした獣を狩った。人間は徐々にその数を増し、人間以外を寄せ付けない『人の国』を大きくしていった。そうしてあれよあれよと言う間に地上に満ち溢れた。
 そんな人間は自らを霊長類と称し、獣の上に立つ存在であると豪語した。
 それでも未だ人間は暗闇を恐れている。
 何故なら、知恵を持ってして身の安全を図った人間は、それでも一個の生き物としては脆弱なままだったからだ。
 そして、人間が他の生き物を自分達の食糧とするように、人間を食糧とする『魔物』が暗闇に紛れて存在し続けていたから。
 彼ら魔物は数の上では遙かに人間に負けていた。しかし、一個の生き物としての力は人間の比ではなかった。一対一で人間は魔物に勝てない。どんなに強い武器を手にしていても、運がなければあっさり魔物の餌食となった。
 だからと言って人間という種族が魔物に滅ぼされる事はなかった。何故なら、魔物に食われる人間の数より新しく生まれて来る人間の数の方が圧倒的に多かったからだ。
 闇を恐れる人間は必然的に魔物を恐れ、それ故に魔物を忌み嫌っている。魔物など滅んでしまえばいい、と思っている。人間は魔物がいなくなってもなんら困りはしない。むしろいなくなってセイセイする。いない方が幸せである。人間は魔物との共存を望みはしないし、その必要性も認めない。魔物は自然の摂理から外れた、主の恵みを受けられない、人間が言う所の『呪われた存在』『穢れた存在』なのだから。
 従って人間はその呪われた存在を如何にして滅ぼすかに頭を悩ませた。幸い人間には知恵があった。そして、全ての生き物の中で一番好奇心が強かった。闘争心も欲望も弱いくせに強かった。
 自分達を襲う魔物の、人間には到底真似できない『闇の力、魔の力』の数々を、人間は恐れ疎み、そして妬んだ。
 自分達にもあの力があればムザムザ殺され食われる事はないのにと。
 そして人間は持ち前の好奇心で魔物の力を研究し、貪欲な思いの果てに遂にそれに似た力を我がものとした。
 その力を人間は『魔道』と呼ぶ。
 もちろん全ての人間がその人外の力『魔道』を手にし、行使できた訳ではない。ごく一部の限られた人間だけがその力の所有者となり『魔道士』と呼ばれた。
 魔道士は唯一魔物に対抗できる存在として人々に重宝がられ崇められた。力無きその他大勢の人間はそんな彼らに感謝の印として、時には言葉だけでなく金銭的謝礼を支払った。
 それが堕落への第一歩になるとも知らずに―――

 

 


1 ホーリーランド

 


 鐘が鳴る。
 人だけでなく魔物にまで恵みを与える豊かな山の山麓から『驛』と呼ばれる村々を繋ぐ数本の街道が走る平野にかけて。
 厳かに高らかに。
 それは清らかな、心安らぐ音色だった。
 人はそれを『神の声』と呼んだ。
 神――― その存在を生み出したのは人間である。
 それは自然界の創造主と言うより、人間の弱くて愚かな心の飢えを満たすための言わばカンフル剤だ。
 そして、人間が生み出した『神』という概念は非常に便利なものだった。それは力を欲する一部の貪欲な人間の世を統べる手段となり、多くの凡庸な人間の心の拠り所となった。神という概念は宗教へと発展し、それは人間社会を動かす一つの仕組みにまで昇華された。
 そして神は宣言する。
 人間に災いをもたらす魔は呪われた存在、穢れた存在であると。
 よって、魔を討つための力を人間に授ける故に、神の名の元に魔を討て、と。
 それは人を超えた魔道の力が自分達に向けられるのを恐れた時の権力者達の、神を隠れ蓑とした姑息な手段といえた。
 この際、神の実存は問題ではない。神という概念が群れをなす生き物である人間を一つの理念で束ねるのに格好の枠組みだったに過ぎない。
 人間のあくなき欲望――― 人を超えた力を欲する傲慢さ、貪欲な知識欲、人の敵である魔物への本能的な恐怖の克服――― から発見され生み出された力は確かに魔物に対抗する事が出来たが、それと同時に同じ人間を害する力ともなった。人間は心弱きものであるから、その力を利用し己が欲望を満たそうとする身勝手な輩が後を絶たなかった。
 故に、人間は群れを、組織を、国を、つまりは人間達自身を守るために、それらの力を野放しにしない方法として神の概念を利用した。人の本来の力を超えた、魔物の力に近いその力を魔法学や神秘学といった学問に統括する事で管理下に置いた。
 と、言えば聞こえはいいが、要はそれらの力を自分の都合のいいように使いたい時の権力者達の悪知恵だったのだ。彼らは人知を超えた魔道の力による暗殺を恐れた。それと同時にその力が金になる事を知っていた。
 己には使えない力を如何にして己のものとするか。その手段が宗教だった。
 彼らは魔道士達を特別な組織に所属させる事で己が目の届く範囲に置いた。細かな規則を課し、破れば制裁を加えた。そうしておいて、その力の更なる発展と継承を画策した。何故なら人間の寿命は魔物より短く、その力を行使できる時間は更に短かく、そして欲望は果てなく尽きなかったからだ。
 それら全ては神の名の元になされ、神の名の元に許される。権力者の都合のいいように。
 それもまた社会の仕組み、一つの歯車。崇める神の名は違えど、それは何処でも似たようなものだった。
 南の乾いた大陸でも、東の神と魔が共存する怪しげな地でも。
 もちろん、西の広大な大陸でも―――
 西の地でそれらの組織は『教会』や『ギルド』と呼ばれ、そこに所属する魔道士達は『セイント』、そして『エクソシスト』と呼ばれている。
 魔物達にとっては憎んでも憎みきれない存在だった。

 

「あぁ、忌々しい‥‥」

 遠く聞こえる教会の鐘の音に白髪の少年はそう呟いた。
 それは日没を告げる鐘の音。
 と同時に魔物が動き出す時刻を知らせる警告でもある。

「いつ聞いても苛々しますね」

 この西の大陸のそこかしこに存在する教会は、その昔砂漠の国の貧乏な大工の息子が口走った言葉から生まれた、とある宗教を掲げる者達の巣である。彼らが崇める神に名はない。はっきりとした姿もない。神の子と呼ばれる者の最後の姿を模した聖像と、聖書と呼ばれる神と神の子の言葉、そしてその弟子達との間で交わされた問答を信仰の拠り所としている。
 にも拘らずその教えは大陸の西方全土に広がり、更に拡大を図ろうとしていた。それは『布教』と言う名の侵略であった。そんな者どもが崇める神は数多い神の中で最も魔を嫌う神でもある。

「だったら窓閉めろよ。結界は窓を閉めてこそ完璧になるんだぞ」

 その愚痴を耳にしたもう一人の少年が顎の辺りで切り揃えた金髪を揺らし振り返る。

「おや。メロは怖いのですか?あの鐘の音が」
「何ぃ!?」

 メロと呼ばれた金髪に青い目の少年は一瞬眦を釣り上げ白髪の少年を睨みつけたが、それ以上の行動は自重し、まだ閉められていない窓から西の空に沈む夕陽へと視線を移した。それにつられるようにもう一人の少年も外の景色に意識を移す。

「夜が来ます‥‥」
「あぁ」
「今日は何匹の魔物が餌にありつけるのやら」
「さぁな」
「ニ刻毎に鳴らされるあの鐘の音‥‥あの音さえなければ夜は私達の天下なのに‥‥高く頑丈な城壁も私達の前では何の意味もなさないはずなのに‥‥その城壁を超えて聞こえて来るあの鐘の音が私達を‥‥人間を超越した私達を苛むとは‥‥」
「何だ、ニア。お前の方こそあの鐘の音が、『ホーリーランドの神の声』が怖いんじゃないか」

 メロはさもバカにしたようにそう言うと、沈んでしまった太陽から白髪の少年、ニアへと再び視線を移した。

「私をそんじょそこらの魔物と一緒にしないでください、メロ」
「一度も夜のホーリーランドに侵入したことのないお前に言われてもな」

 鼻で笑うメロをキッと睨みつけ、彼より幾分幼く見える白髪の少年ニアは今度こそ窓を閉めカーテンを引いた。

「私だってワタリの許可が下りれば何時でも夜のホーリーランドへ侵入します。あの都市の人間の血を吸ってみせます」
「貧弱なニアには無理だって。色々術は知ってても、体力の方はからっきしだからな」
「私は弱くありません」
「まだ三百年しか生きてないお前にあの呪われた鐘の音はキツイって」
「バカにしないでください。何ですか、メロだって私とそう変わらないじゃないですか」
「俺はお前より百年長く生きてんの。百年の差は大きいんだぜ、ニア。それに、俺とお前じゃ元々の出来が違う」
「フン。そうでした。力技は貴方の十八番でしたね。その有り余る体力でせいぜいホーリーランドをうろついて下さい。どうせうろつくだけで獲物の血にはあり付けないでしょうけど」
「何だと!?」

 売り言葉に甲斐言葉。少年二人は互いの嫌悪感を隠そうともせず、豪奢な部屋の真ん中で今にも掴みかからんばかりの勢いで睨みあう。

 

 二人は魔物である。姿形は何所からどう見ても人間だが、その体から発する禍々しい気は間違いなく魔物のもの。しかも、魔物の中で最も強い魔力を誇る種族の一つヴァンパイア、吸血鬼だ。
 そんな二人が今いるのは近年目覚ましい発展を遂げている某国の一地方都市、金の採掘を生業とする鉱山都市である。そこから少し離れた小さな村に彼らは人の振りをして潜り込んでいた。地主である貴族の別荘の、女主人の遠縁の子供という触れ込みだ。年と共に容色が衰えた女主人は、自分の愛人である貴族から別荘と引き換えに長の暇を出され無駄に熟れた体を持て余していた。そこにメロが付け込み誑かしたのだ。
 そうやって人間の中に紛れ込んだ二人はある目的を持ってこの国の地方都市、『神の声』に守られたホーリーランドに出入りしていた。

「言っておきますけど、あの街の秘密を暴いたのは私ですよ」
「だったら、その秘密の核を突き止めたのは俺だ」

 睨み合うニアとメロは同じ血統の吸血鬼でありながらあまり仲が良くない。メロは今から四百年ほど前、ニアは三百年ほど前吸血鬼となったが、性格がかなり違う上に互いに負けず嫌いなため初対面の時から非常にそりが合わなかった。それに加えて今の二人にはいがみ合う大きな理由がある。

「ハッ!結局それだけでしょ?肝心の『エクソシスト』の居場所が判らなければ意味ありません」
「黙れ!ワタリに言われたのをいい事に、ずっと此処に隠れている臆病者のくせしやがって!ハッ!もっとも?昼間のお前の力じゃ赤子の一人も操れないから仕方ないかもな!」
「!‥‥わ、私が滅多に出て行かないのは、出て行く必要がないからです。私には変わりとなって働く下僕が大勢いますからね!」
「その下僕となる人間を街から連れて来てやったのは俺だろうが!」
「!‥‥くっ」

 魔物の多くはうつしよを流離う不条理な存在である。そして不条理であるが故に常に飢えを抱え、その飢え――― 主に食欲――― を満たす事しか頭にない単純な存在である。
 その多くは夜の世界に生き、日の光を恐れながら暮らしている。日の光に当たると、物理的に強い筈の器が、自然の摂理から外れているが故かもろくも崩れ出してしまうからだ。故に、脆弱でありながら天地の摂理に左右されない人間達は、魔物を呪われた存在、神に見捨てられた存在と呼ぶ。
 だが、魔物の中にも人間と変わらぬ、いや、それ以上の知恵を持ち、飢えを満たす事以外にも意識を向ける輩がいる。
 吸血鬼を初めとする元は人間だった魔物『穢れた魂』と呼ばれる者達だ。
 しかも彼らの中には魔物最大の弱点である太陽の光を浴びても平気な個体――― デイウォーカー――― もいる。流石に日中は人間並みの力しか発揮できないが、しっかりと意識を保ち己が存在を納める肉の器を維持する事が出来る。
 メロとニアもその力の強いデイウォーカーの一人だ。
 人間から吸血鬼となった最初の二百年は陽の光を避け、ひたすら獲物の血を吸って暮らしていたが、二百年と半世紀を経た辺りからそれを克服した。今や二人は押しも押されぬ古参の魔物である。

「ちょっと私より長生きしていると思って‥‥」

 大昔は千年を生きた魔物がたくさんいたという。だが、ここ百年余りでその数は格段に減った。今では五百年生きた魔物すら珍しくなっている。それほど、今の世は魔物にとって生き辛い世の中と言えた。
 人間が夜の闇を恐れ魔物にただ狩られるだけだったのは、もう大昔の話なのだ。
 知恵という大いなる武器を持った人間が群れをなし、村を作り町を作り、そして都市を作るにつれ、魔物はどんどん住処を失いますます夜の闇へと追いやられてしまった。特に、妖魔と呼ばれる原初の魔物はほとんど姿を見なくなってしまったほどに。
 魔物の根源である『闇の力・魔の力』は淀んだ氣溜まりから発生すると言われている。
 朝と夜、生と死、男と女、子供と大人、時の流れ、巡る風、流転する命のもろもろ。そんな世界を取り巻き循環する力――― それを大昔の錬金術師や魔道師達は『世の理・摂理』と呼び、神に仕える者達は『主の恵み』と呼ぶ――― から隔絶された事で変質し、神に敵対する存在『魔』をこの世に呼び込む『門』と化したのだと。
 そんな淀んだ氣溜まりから何時しか生まれ出でた無意識の意識が、原初の魔物『妖魔』である。魂を持たず器すら持たず、ただ漠然とした意識だけを持ち、決して満たされない飢えを満たすためだけに存在する仮初の命。存在はしてもこの世に何の意味も為さない、氣溜まりから離れれば自然消滅してしまう、まさに紛い物と呼ぶに相応しい存在だ。
 そんな原初の妖魔は、己が縄張りに紛れこんで来た生き物を襲うぐらいしか出来ない、こちらから近付きさえしなければさして害の無い魔物である。吹く風の向きや流れる水の方向によっては、広範囲に害を及ぼす事はあるけれど、妖魔の方から生き物を襲う事はまずない。
 だが、中には山野の生き物や古木、巨石に取り憑く事で仮初の器を得た妖魔もいる。それが今広く人間達に知られ畏れられている魔物の始祖だ。それらは器を得た事で氣溜まりの地から移動する事が可能となり、更には取り憑いた生き物の性か食欲に正直であった。
 それでも、魔物は魔物である限り、存在し続ける為には根本的に闇の力を必要とした。故に、多くの魔物は己を生み出す大本となった土地から遠く離れる事が出来ないのである。しかも、そういった魔物の類は『長-おさ』と呼ばれる始祖が分裂するかのようにして数を増やしていく場合が多く、始祖が滅ぶと繁殖力が極端に弱くなってしまう。力の源が弱点という、如何にも穢れた存在らしい理だ。
 そして、子から子へ、人から人へ、己が経験と知恵を伝え続けて来た人間達は、何時しかその事実に気付く事となった。それが、魔物の衰退の始まりだったと言えよう。
 一匹ずつ魔物を退治するより大素を叩いた方が手っ取り早い――― そうと知った人間達は、教会や王の命令で大がかりな討伐隊を組み『魔物の巣』を襲うようになった。勿論、その中心となったのは『エクソシスト』である。そして、教会の支配下にある『セイント』が編み出した白魔道『洗礼』によって、淀んだ氣溜まりは浄化された。
 そうして次第に魔物は追いやられ駆逐され数を減らして行った。今や何とか数を保っているのは人里離れた野山の妖魔か、『汚れた魂』と呼ばれる吸血鬼や人狼、魔女といった元は人間だった魔物ぐらいだろうか。
 彼ら『汚れた魂』は『魔族』とも称され、人間達から他の魔物以上に恐れられている。元は人間であった故に知恵があり、食欲とはまた別の欲望も生前同様持っていたりするからだ。それは主に性欲であったり支配欲であったり、時には攻撃本能を肥大させた残虐性だったりする。
 しかも魔族は余り土地に縛られない。むしろ餌となる人間が大勢いる街中を好む。そして、獲物である人間と交わる事で――― 交わり方は様々。闇に侵された己が血を獲物に注ぎこんだり、子種を仕込んで内側から浸食したり。中には噛みついただけで仲間としてしまうお手軽な種族もいる――― 比較的簡単に仲間を増やす事が出来る。それらの要因が魔物の中の特別な種族『魔族』という地位を彼らに与えているのだ。
 しかし、この大陸の西ではその最強の『魔族』である吸血鬼ですら追われつつあるのが現状だ。それもこれも魔道士を有した教会とギルドのせいである。

「メ、メロだって!あの鐘の音には痛い目に合ったじゃないですか!そんなメロに操れるのは色ボケした中年女ぐらいです!」
「何だとォ!?」
「悔しかったら教会の大司祭を誑かして来て下さい!」
「あぁ、やってやろうじゃないか!あんな腹の出たエロ司祭、ヘでもねぇぜ!俺の魔眼で一瞬のうちに言いなりだ!まだ日が沈んだばかりだしな。今から行ってホーリーランドの司祭から例のエクソシストの居場所を聞き出してやろうじゃないか!!」
「怒りに任せて先走るのは感心しませんね」

 

「!‥‥L!?」
「いらしてたんですか!」

 売り言葉に買い言葉、そうして四百年生き延びたメロが生意気なニアの挑発に乗り結界を張った貴族の別荘から飛び出そうとした矢先、一階の広いリビングの天井辺りから静かな、けれど有無を言わせぬ力強さを秘めた声が聞こえて来た。

「あの鐘の音は私達の力を削ぐ力を持っている。そう報告して来たのはメロではありませんでしたか?」
「L‥‥」

 慌てて振り仰げば薄暗い天井から人間の頭がニョキリと生えていた。
 いや、人間ではない。魔物だ。

「お久しぶりです、メロ、ニア」
「久しぶり‥‥それより、L!あんた何所から入って来るんだよ」
「玄関からでは余り魔物らしく見えないと思い気を使ってみました」
「心臓に悪いですよ、L」
「ば~か。俺達吸血鬼の心臓がビックリしたぐらいで止まるかよ。ってか、初めから止まってるし」

 魔物は中途半端な長さの黒髪をザワリと振り乱し、木から落ちて来る陸蛭のような動きで二人の仲間の間に降り立った。
 人間達が思い描くような黒いマントに黒い服、貴族然とした吸血鬼像とはかけ離れたLと呼ばれたその魔物は、白いシンプルなシャツ一枚に黒い下穿き、裸足の両足という何とも貧乏臭い格好をしている。血色の悪い肌は乾き指で擦ると表皮がポロポロ零れ落ちてきそうだし、光彩まで真っ黒な目はいやに白眼が目立ち目つきも歪だ。しかも目の下には病的な隈があり、魔物と言うより貧乏な田舎の小作農といった風情である。
 だが、その身から発する氣は二人以上に禍々しく、間違いなく人間のものではなかった。
 それもそのはず、彼は正真正銘の魔物、魔族、しかも二人より遙かに長く生きている始祖に近い吸血鬼なのである。

「ところでL。オルレアンはどうだったんだ?あそこのウイッカ達は無事だった?」

 それまで年下の仲間であるニアと今にも取っ組みの喧嘩をしそうなくら険しい顔をしていたメロは、いきなり現れたLを見るなりまるで尻尾を振る犬のように年相応――― といっても、実質年齢は四百とウン十歳だ――― の笑顔を振りまき自分より少し長身のLに擦り寄った。

「彼女達は根っからの『土地憑き』でしたよね。あそこで生まれてあそこで生きて来た。あそこから追い出されたら終わりでしょう」
「ニア!」

 片やニアはと言えば、気配を微塵も感じさせなかったLにこっそり舌打ちすると、いつもの不機嫌そうな、何物にも心動かされないぞというようなLと同じ真っ黒な目で彼を見つめ返した。

「ニアの言う通りです。あそこのウイッカ達は最早滅びたも同然です」
「!そんな‥‥!」
「『オルレアンの底なし井戸』は人間が言う所の『洗礼』を受け、坊主共が言う所の『門』としての力を失いました。あそこから私達の仲間が生まれて来る事はもうないでしょう。魔物狩りから何とか逃れたウイッカも生まれ故郷を離れてそう長く存在できませんし‥‥あれらの一族はもうお終いですね。あの地に代わる『淀み』が見つかればまた別ですが‥‥」
「そんなの簡単に見つかるかよ」
「見つかったとしても、既に別の魔物の住みかでしょうね。一つの穢れた地を争い二つの魔物が争った所で、共倒れがオチでしょう」
「穢れた地なんて言うな、ニア!俺達にとっては穢れた地じゃない!聖地だ!!」

 そして、元は人間のくせに、とさもバカにしたような視線をメロに投げつける。

「それより、先ほど聞こえていたのが例の‥‥?」
「あ、あぁ」
「そうです」

 それは高くも低くも無い、人間が言う所の厳かな鐘の音だった。その音はホーリーランドの山の手から下町までありとあらゆる路地裏に響き、あまつさえ城壁を超えて周囲に静かに浸透していく。

「成るほど‥‥嫌な音色でしたね」

 それを思い出したか、メロとニアがさも忌々しそうに顔を顰めるのに対して、Lは何処吹く風と言うように無表情である。

「ホーリーランドの神の声、でしたか」
「はい」
「いつも鳴っているのですか?それとも何かある時だけ?」
「太陽が出ている間は鳴りません。日没から日の出までです。間隔は二刻毎。ただし毎日。あの鐘が造られてから今日までホーリーランドの神の声が聞こえなかった日はありません」
「造られたのは?」
「三年程前です」
「あれを聞くとたいていの魔物は動けなくなるんだ。中には酷い苦痛を感じる奴や姿を保てなくなる奴もいる。最悪、狂ったように暴れ出して失神しちまう奴もな」
「効果の範囲は?それと持続時間は」
「範囲は鐘の音が聞こえる範囲です。耳がいい魔物ほど分が悪いと言えますね。持続時間は魔物によってまちまちですが、おおむね二刻から二刻半。効果も同じです。力の強い者なら阻害はされてもそれなりに動けますし、使おうと思えば力も使えます。ただし、夜にも拘らず人間に毛が生えた程度に弱体化されてしまいます。けれど、貴方でしたら十分活動できるでしょう」
「俺だって大丈夫だ。変身は‥‥ちょっとキツイけど、魔眼は使えた」
「それは頼もしいですね、メロ」

 Lに誉められニンマリと笑うメロに対し、ニアはますます目つきが怪しくなってくる。

「メロはこう言ってますが、現状は厳しいですよ」
「と、言いますと?」

 ニアはまるでメロに対抗するかのように、そしてLに挑むかのように口を挟んだ。

「力の喪失が肉体にも影響を与えるのです。回復力はどんな魔物も人間以下に落ちます。メロも先日教会に侵入した際僧兵に見つかり怪我を負いました。通常なら直ぐに塞がるはずの傷が三日も塞がりませんでした」
「ほう」
「ニ、ニア!このっ、おしゃべり野郎!」
「大変でしたね、メロ。もう大丈夫ですか?」
「お、おうっ!」

 メロは隠しておきたかった自分の失敗をニアにばらされ悔しさと恥ずかしさから赤くなった顔を俯かせた。その一方で、Lに心配してもらえた事に大きな喜びを感じてもいた。

「メロは運がいい方です。鐘の音のせいで弱っている所を巡回兵に見つかり負傷し、外へ脱出できないまま次の鐘の音にやられて消滅した魔物の数は少なくありません」
「ウエディもアイバーもそれでやられたんだ」
「!‥‥ウエディだけでなく、アイバーもですか?あの頑丈が取り柄の人狼が‥‥」
「あいつらの仲間も全滅さ」
「そうですか‥‥それは残念です。ところで、ノーム達は?」

 ホーリーランドは鉱山都市である。そして、その鉱脈がある背後の山には昔からノーム達が住んでいた。いや、そうではない。もともと山はノームのものだったのだ。

「それは何とか。半分以上が鐘の音にやられて消えちまったけど、生き残った連中は逃げ出せた。ノームは元々が土中に住む魔物、妖魔だから、地脈っていう比較的安全な逃げ道が使えたらしい。もっとも、新しい巣を見つけられたとしても、そこが氣溜まりじゃなかったら繁殖は難しいだろうな」
「人間の女に子を産ませる、という方法もありますよ」
「取り換えっ子とか?」
「ノームは魔物の中でも比較的性質の穏やかな妖魔です。人間を襲って食う、という事もほとんどありません。それどころか、時には人間と取引をし、山の金銀や宝石を人間の作った食料や道具と交換したりもします。そのような人間に利益を齎す魔物であっても、人間に手を出せば狩られるのがオチでしょう‥‥やはり滅びるしかないでしょうね」

 Lの声に感情らしきものは感じられない。そこには憂いよりただ真実を確認する意志だけが感じられた。

「それにしても、人間はいったい何を考えているのでしょうか。ホーリーランドの金が高値で取引されるのは不純物が少ないからです。それはひとえにノームのお陰。ノームがいなくなれば金の価値が下がるかもしれないと言うのに‥‥」

 そんなLの様子を眇めた目で探りながら、ニアはずっと引っかかっていた疑問を口にした。

「それだけ金の精練技術が上がったって事なんじゃねぇの?」
「そうなのですか?メロ」
「五年ほど前、ホーリーランドの領主が東の地から鉱山技師の一行を招いたそうだ。その連中の発掘技術と精練技術は、こっちとは比較にならないほど発達してたとか。いずれにしろ、それ以来金の生産量が増えた事は確かだ」
「東の‥‥そうですか。ならば、あり得ますね」

 その言葉に何を思ったのかLが右手の親指の爪を噛む。それはLが自分の考え事に集中している時の癖だ。
 暫くしてその癖を止めたLは窓辺に近寄り再びカーテンを開けた。半月の下に黒々と聳える山と、その麓から中腹に掛けて建設された都市を遠く眺める。

「鐘の音は城壁を越えてここまで聞こえて来るのですね」
「山の方はもっと酷いぜ。山全体が鐘の音を受けとめて鳴動するんだ。だから地中にいて安全なはずのノームもやられた」
「鳴動、ですか‥‥」
「山腹で反射した音の方も問題です。本来なら相殺されるはずが何故か元々の音に相乗され、より遠くまで音が届くんです」
「この屋敷に結界を張っているのはそのためですか。ここへ来る途中村の中を歩いて来たのですが、魔物の残りカスすら見い出せませんでした‥‥みんなあの鐘の音にやられたのですね?」
「あぁ、弱い奴から次々と‥‥逃げ出せる奴はとっくに逃げちまった。俺達も結界がなかったらもっと遠くに陣を張らなけりゃならなかった」
「窓を開けると結界があるのに音が中まで入って来ます。力の方はかなり弱くなっていますので余り実害はありませんが」

 Lは窓の外の景色に背を向けるとリビングの少し古めかしい椅子に腰をおろし、その椅子の上で両膝を抱え込むという行儀悪さを年下の吸血鬼二人の前で披露した。
 だが、二人は慣れたものでそんなLの様子に眉一つ動かさない。そして、それが合図であるかのようにそれまで固く閉ざされていた厨房へと続く扉が開き、白髪の大柄な老人が美味しそうなお菓子と香り高いワインを三人分運んで来た。

「どうぞ、L様」
「あぁ、ありがとうワタリ」

 ワタリと呼ばれた老人もまた魔族である。ただし、古の吸血鬼が死したばかりの人の器に闇の力でその魂を呼び戻したレブナント『帰参者』だ。その術式は創造主の滅亡と共に失われて久しいが、仮初の生を与えられたワタリは何所ぞの村の共同墓地で干からびたミイラとなって残っていた。それを百五十年ほど前Lが発見し己が血を与える事で復活させたのだ。主の血しか糧に出来ないレブナントは非常に忠実な下僕として良くLに仕えている。
 そんなワタリが持ってきた焼き菓子を頬張ながらLは一杯目のワインを飲みほした。
 吸血鬼である彼らの食糧は人間の血である。それ以外の食糧は本来必要ではない。だが、食の嗜好という意味でなら魔族の彼らも人間の食べ物を口にする。特にLとメロはその傾向が強く、二人が集まると何がしかの人間の食べ物が用意されるのだ。二人ほどその嗜好が強くないニアにはいい迷惑である。そして、こんな嗜好があるLはきっと魂のない『始祖吸血鬼』ではなく、元は自分と同じ人間『穢れた魂』であるに違いないと彼は考えていた。

「とにかく、ここら一帯の魔物がごっそり減ってしまったのは、あの『ホーリーランドの神の声』のせいで間違いないのですね?」

 目の前の焼き菓子を荒方食べ終えた所で徐にLがそう口にする。

「その神の声は大聖堂の四つの塔が鳴らす鐘の音。それも間違いない」

 メロとニア、二人の魔族の体に流れる闇の血の大元である吸血鬼、同朋達の長。

「鐘の音に込められた浄化の祈り、それが私達魔物を狂わせる力の正体‥‥噂を耳にした時からそんな事だろうと予測していましたが、まさかここまでとは‥‥」
「L‥‥」

 千年は生きているだろうと言われている、狡猾で非情な夜の王。それがLだ。

「いったい何人のセイントがその祈りに加わっているのやら」
「一人だよ」
「え?」

 その偉大なる吸血鬼に対するメロの視線には憧れと尊敬の念が含まれている。

「鐘楼の術式に携わっているのはたった一人だ。しかもセイントじゃなくてエクソシスト」
「エクソシスト?‥‥まさか‥‥連中は攻撃専門で防御は不得手なはず‥‥」
「ホーリーランドの神の声は、攻撃と防御が一体になった術式です」
「それは、また‥‥」

 片やニアはと言えば、元は落ちぶれた貴族の遺児だったせいか、それとも元々猜疑心が強かったせいか、小さな体に似合わぬ強い権勢欲を有し、何かあるたび見せつけられるLの力に密やかな嫉妬心を抱いていた。故にその視線は暗く、常にLの隙を窺うようにさもしく輝いている。

「初めてあの鐘楼が出来た時は確かにセイントが中心だったらしい。しかも両手でも足りないくらいの人数で祈ってたって。それが一年前、ギルドの総領がえらく力の強いエクソシストをどっかから連れて来て、そいつを領主と司祭長に売り渡したんだと。今ではそいつ一人で毎晩祈りを捧げてるって話だ」
「‥‥それは確かな情報ですか?メロ」

 空になった菓子皿から視線を外したLが無表情ながら強い好奇心を滲ませた目でメロを見やる。

「教会の奥でふんぞり返ってる高僧連中から聞き出したんだ。間違いない、と思う」
「思う、ですか?」
「うっ‥‥」

 これに関しては自分の目で見た訳ではないので聊か口ごもってしまうメロは、その曖昧さをLに指摘され思わず視線を泳がせてしまった。そこへすかさずニアが鋭い突っ込みを入れる。
 それは仲の悪い二人のいつものパターンだ。

 

 実を言えば、メロとニアは共に次代の長候補である。
 一部の魔物を除けば、魔物のほとんどは同朋意識が弱く単独行動――― 群れをなす魔物達は共感意識で繋がっているため没個性もいいとこである――― が基本だ。大昔はそれで何の問題もなかったが、人間の数が増えるにつれそれは逆に弱点となって行った。肉体的に脆弱なはずの人間が知恵と数で魔物に歯向かうようになったからだ。特に人間達が持ち前の知恵と好奇心から魔道を編み出し、その力で魔物に対抗するようになってから益々それに拍車がかかった。
 そんな時代の流れの中、元は人間であった『魔族』は長を中心に徒党を組み教会やギルドに対抗するようになった。この場合の長は普通の魔物と違い必ずしも始祖である必要はない。個々に同朋を増やす術を持つ魔族にとって重要なのは血ではなく力だからだ。そしてその力は元々の器の良し悪しや魂の貪欲さに影響されるため、直系だからと言って必ずしも長になれるわけではなかった。
 実際、彼らの血統はLを頂点としていてもLの直系は僅か一人しか生き残っておらず、メロもニアも傍系である。しかし、二人ともその力を認められ、何時眠りについてもおかしくない千年を生きたLの後継者候補として日々切磋琢磨しているという訳だ。

「その情報、私は領主が流した偽情報だと思いますね。真実を隠すための。だいいち、あれだけの術式をたった一人のエクソシストで行えるとはとても思えません。ましてや毎晩だなんて‥‥一年三六五日祈り続けるだなんて、体がいくつあっても足りないでしょうよ」

 メロが掴んできた情報の不確かさを指摘するニアの目は隠したつもりの権勢欲に魔物らしく暗く淀んでいる。そこには隙あらばLに取って代わろうという野心が見え隠れしていた。

「確かに‥‥人間は図太いですが、生き物としては決して強い方ではありませんからね」

 それを知ってか知らずかLは普段通り飄々とした態度を崩さない。

「う、嘘じゃねぇって!そりゃぁ俺も『一人だけ』ってのは怪しいと思うけど、ギルドに名前を連ねてないエクソシストがいる事は確かなんだ!」

 焦るあまり大きな声を発したメロに一瞥をくれるL。その顔はあくまで無表情だ。そこには長い年月を生きて来た存在故の無常感のようなものが漂っている。
 魔物は人間と違い力の衰退はあっても老いを知らぬまま長い年月を生きる。だからと言って終わり――― 人間に消される以外でも住み家の力が尽きればやはり消えてしまう――― がない訳ではない。魔物にも一応寿命らしきものが存在する。ただし、それは真っ当な生き物とは全く違う『緩やかな死』といえた。
 飢えに対して常に貪欲で忠実と思われがちな魔物ではあるが、そんな魔物も時の流れには逆らえない。長い年月を生きた魔物は時を重ねれば重ねるほど、この世への関心を失い酷く平らかな精神状態へと移行してしまうのである。五百年、八百年、ましてや千年も生きればその存在意義ともいえる『飢え』さえ感じなくなり、まるで石のように身動き一つしない『仮初の死』と呼ばれる眠りに就いてしまう。
 そうなれば長として同朋を率いる事は叶わず代替わりが必然となって来る。魂を持つ魔族とてその変質からは逃れられず、過去には古代バビロンの王がその道を辿り地下にジッグラドを建設し引き籠ったと言われている。
 もちろん、仮初の死は『仮初』であるからして、目覚めの時もあるにはある。だが、大半は眠ったまま形を失い意識も失って元の淀んだ力へと還ってしまう。中には魔力を秘めた無機物――― それを人間や魔族は魔力を秘めた物質『魔具』として重宝している――― と化す場合もあるがそれはごく稀な現象だ。バビロンの王も石と化し、それが伝説の『賢者の石』であると錬金術師達は説いたが、不死を可能にする石の存在は未だ確認されていない。
 何れにしろ、この世の理から外れた不条理な存在である魔物ですら、永遠に存在し続ける事は不可能なのである。

「誰も貴方の言葉が嘘だとは言ってませんよ。むしろ、そのくらい荒唐無稽な方が逆に信じられるというものです」

 Lは正確な年月は判らないが千年近く生きているのは確かだ。未だ眠りに就く気配はなく時折こうして塒を出て遠出することもあるが、その意識のあり様は魔物の辿る道を確かになぞっているようだった。故に、一族の未来を憂いた者達はLにもっと同朋を増やすよう進言し続けた。
 しかし、その手の事に興味を失ってしまったのかここ三百年程Lは誰一人として新しい同朋を迎えていない。焦った一族が、長としてこれは、と思う者を召し出しLに目合わせたとしても不思議ではなかった。
 つまりそれが、メロとニアなのである。二人は一族を教会やギルドから守り、かつ、如何に優秀な同朋を引き入れるかで競い合った。その争いは未だ決着がつかず、Lが後継者を名指しするその日まで続くのだろう。
 今回のホーリーランド遠征もその後継者争いの一環である。昔からこの地を根城にしていた別血統の吸血鬼ウエディからの救援に応え、現長であるLの命でホーリーランドの様子を調べにメロとニアが差し向けられた。当然ながら同族を苦しめている原因を取り除いた方が『後継者』として決定されるのは暗黙の了解の内だ。
 残念ながら二人がホーリーランドに着いた時には、ウエディとその姉妹達は既に消滅していた。彼女と懇意にしていた人狼のアイバーからその事実を教えられた二人は、ホーリーランドを守る『神の声』とよばれる鐘楼に関する情報をそれぞれ収集し始めた。
 しかし、器の強さでは吸血鬼を凌ぐ人狼のアイバーがウエディと同じ道を辿り、どうやら『ホーリーランドの神の声』には余り仲の良くないはずの教会とギルドの両方が関係していると判明するに到り、二人は長であるLの判断を仰ぐ事にしたのだった。

「ほぉ‥‥ギルドに名前のないエクソシスト、ですか。それはまた、きな臭い話ですね」
「ギルドの総領が連れて来た、ってのも怪しいだろ?」
「総領ねぇ‥‥総領というからには、ギルドの支部長ではなく‥‥」
「フランクギルドの総領だよ」
「大ボスですね」

 それが切っ掛けとなったのだろう。Lは二杯目のワインには最早目もくれず視線を遠くに飛ばしながらムニムニと自分の下唇を弄りだした。それは長い年月を生きて来たLの少し見っとも無い癖の一つで、彼の品性をいくらか貶めているものだった。

「人間の狙いは当然のことながら、あの山で採れる金。金は人間にとって最高の宝の一つ、国を富ませるにはなくてはならない物です。けれど、あの山は大昔からノームの巣でした。ノームだけでなく様々な魔物が住み着いていた。しかも、鉱山として急激に発達したとなると、他所から職を求めて人間が集まると同時に、魔物も多く集まって来ていたはず。その手の土地に縛られない魔物は大食らい、そして悪食と決まっています。襲われた坑夫や女子供の死骸はかなり酷かったはずです。それを見た他の坑夫が逃げ出したいと思うほどに‥‥」
「つまり、人間が金を独り占めするには、ノームより他の魔物の方が邪魔だったって訳ですね」
「そのために形のない力、『神の声』なんて音の武器を創ったって?どれだけ悪知恵が働くんだよ、人間は」
「貴方だって元は人間でしょうに。もっともメロに悪知恵、なんて言葉は似合いませんが」
「何だとぉ!」

 二人の定例の口喧嘩を不機嫌な氣を発する事で止めたLは、何でもない事のように言葉を続けた。

「街を守るためだけならセイントやエクソシストの力だけで十分です。大枚はたいて大そうな鐘楼を立てたりしません。それに、街には人間にとって消したくない魔物もいたはずですからね」
「ウィッチ‥‥魔女達のことですか」
「彼女達の占いは些細な事であれば良く当たりますし、彼女達の作る秘薬は様々な病気に効きます」
「暗殺にももってこい、ですし?」

 ニアの吐き捨てるようなその物言いにLが一瞬ニヤリと笑った。
 世間一般には『ウィッチ』も魔族とされているが、彼女達は不老でも不死でもない、人間離れした力も持たない――― それでも普通の人間よりは老けるのが遅いし長生きをする――― 特殊な魔族である。生まれつき霊能力の強い者がうっかり闇の力に触れ、セイントやエクソシストでもないのに人外の力をささやかながらに手に入れてしまった、云わばイレギュラーな存在だ。故に、精神的変化もほとんどなく、その性質は全く人間のままである事が多い。
 そんなウィッチ達の力は予言や読心といった、権力者達が喉から手が出るほど欲しい力である。『ウィッチ』と発覚した彼女達は速やかに教会に連行され魔女裁判に掛けられ処刑される。だが、それは表向きで、権力者お抱えの占い師、薬師として秘かに生かされる事が多い。肉体的にはほぼ人間のままだから子を産む事も可能で、魔女としての力がその娘にも受け継がれれば、その娘もまた子飼いの魔女となる。
 そうやって細々と血を繋いで来たのが『ウィッチ』と称される魔族だ。代が進めば当然力が薄れるので、中には自ら『淀み・門』に近付き、新たに力を得ようとする魔女もいると聞く。力を失えば用無しとばかりに即刻殺されるのだから、そうせざるを得ないのだろう。大きな街にはそんなウィッチが少なくとも一人や二人いる。恐らくこのホーリーランドもそうだろう。
 ウィッチなら鐘の音に死ぬ事はないだろうが力は失われる筈だ。それは権力者達の不利益にしかならないだろうに、それでも金が欲しいという事か。

「他にも人間の血肉を餌としない、欲望を啜る魔物もいますしね。可愛い贈り物をしてくれる小妖のブラウニーだとか、不能の男を一時絶倫にしてくれるインキュバスだとか」
「あいつらは嫌いだ。品性もへったくれもない」

 ふと飛び出した魔物の名に、メロが思いっきり鼻に皺を寄せる。

「人間の女に子を産ませカンビオンとしない限りは、その生存を街で許されていますよ。金のある者ほど性欲も旺盛ですし、貧乏人は貧乏人で、セックス以外の娯楽を持たなかったりしますからね」
「持たないのではなく、持てないのですよ」

 そんなメロをニアは鼻で笑った。

「とにかく、大きな街には人間に有用な魔物もいるというのに、敢えてそれらの消滅を無視して鐘楼を建てたのは何故か。それは金のためとしか言いようがありません」
「この国の王は戦争でも始めるつもりなのでしょうか」
「軍資金?」

 Lは肩を竦めると、コキリと首を鳴らした。
 すると再び奥の扉が開き、先ほどのワタリと呼ばれた老人が何やら光る物を持って現れた。

「何ですか?これは」
「剣?」
「デュランダルです」
「まさか‥‥!」
「嘘っ!」

 メロとニアはテーブルの上に並べられた大小様々な剣を驚きに満ち溢れた目で見つめた。

「まさか、L‥‥これ全部がデュランダル、だなんて言いませんよね?」
「そのまさかです」

 不信感も露わにニアがそう問えば、帰って来た肯定の言葉にメロが目を剥く。

「それこそまさか、だろっ!?聖剣は何人ものエクソシストが長い年月をかけて創る貴重な代物だぜ!それを、こんなに!?そんなの信じられるかよっ!!」
「Lとあろう者がこんな偽物に引っかかるなんて‥‥耄碌しましたか?」
「メロッ!てめぇ‥‥!!」
「まぁ、聖剣というのは大げさでしたね」
「な、なんだ‥‥嘘かよ」
「いいえ、全てが嘘という訳ではありません」
「?」

 二人はLの勿体ぶった言い方に思わず顔を見合せた。

「エクソシストが私達魔物を狩る時、そのとどめに使う『清められた剣』を『デュランダル』と呼んでいるのは、二人とも知っていますね?」
「あ、あぁ。でも、あれなら一目見りゃわかるぜ。嫌な臭いがプンプンするし、仄かに光ってるし」
「これは、まぁ‥‥何となく光っているような気もしますが、あの嫌な臭いがしませんよ」

 二人は恐る恐るテーブルの上の剣を摘まむと、スンスン鼻を鳴らしその臭いを嗅ごうとした。

「確かにこれらから臭いはしません。力も本物に比べればかなり弱い。しかし、これらは間違いなくデュランダルです。しかも一般兵士用に大量生産された」
「えぇっ!?」
「信じられない!」

 魔物狩りを生業とする魔道士は『エクソシスト』と呼ばれる。彼らは神の教えを説き呪われた魔物から無償で人間を守る教会の『セイント』と違い、金品を得て魔物を退治する狩人である。人としての幸福と引き換えに数多くの研究者達が解き明かした人外の力――― それを習得するのはセイントが祈りの力を手に入れるより難しいとされている――― を使って魔物を追いつめ滅ぼす彼らは、様々な術式の他に呪を施した武器を使う。その武器の中でも魔物にとどめを刺す時に使う物を『デュランダル』聖剣と呼んでいた。

「た、大量生産‥‥って」
「ウェールズの魔物狩りで、数人の僧侶に率いられた兵士団がこれらの武器を手にしていました。しかも全員」
「全員‥‥!」
「エクソシスト、ではなくて?」

 信じられないとばかりに固まるメロとニア。それはそうだろう。僧侶はセイントではない上に、エクソシストのいない魔物狩りなど聞いた事がないからだ。
 魔物狩りは教会が主導となって行われるが、それに参加するセイントは結界を張ったり味方の回復など守護と補助が専門で、攻撃はもっぱら同じ教区のギルドから派遣されたエクソシストが行うのが慣例だ。それを、僧侶が率いた兵士団だけで行うなど、前代未聞の珍事だった。

「これらには特別に精錬された銀が吹き付けられています。その力が傷から『聖なる光』が毒となって入り込み力を殺ぎます。流石に高位の魔物相手にこんな紛い物は効きませんが、力の弱い下っ端連中には十分通用するようです」
「マジかよ‥‥」
「つまりこれがあれば、毎回高い金を払ってエクソシストを雇わなくとも、自前の兵だけで何とか魔物退治が出来る。そういう事ですか?」
「数を揃えるとなるとそれなりに金がかかりますが、何度でも使い回しが利くとなれば元は十分とれるでしょう。ギルドと仲の悪い教会側にしてみれば喉から手が出るほど欲しい武器です」
「教会が抱える僧兵や町の警邏兵にこれらを持たせて魔物狩りに当たらせればエクソシストの出番はぐっと減る。そうなれば民衆の尊敬と感謝は全部教会が一人占め‥‥」
「当然、教会への寄付も増えるでしょうね」
「これだから人間は‥‥!」

 Lとニアの会話にメロは人間の貪欲さを改めて思い知らされ盛大に眉を顰めてみせた。

「それで?貴方が今この場で私達にこれらを見せた意味は?」

 だが、今更人間になど何の感慨もないニアにはそんな事はどうでもいい事だった。彼は冷静に物事を考え探るような視線をLへと向けた。

「まさか、これらの卸元がホーリーランドだ、とでも言うんじゃないでしょうねぇ」

 たぶんそれが真相なのだろうと思いつつ敢えてそう尋ねると、Lはあっさり頷き椅子から立ち上がった。

「この武器に使用されている銀の製錬方法は、本来エクソシストが使うデュランダルのものと似ているようで微妙に異なります。連中が使う黒魔道でも、教会の白魔道でもない第三の力を感じます」
「黒魔道じゃない?」
「第三の力?」
「貴方達の話を聞いて私はそれを確信しました」

 

 教会のセイントが施す聖なる守護の力も、エクソシスト達が行使する攻撃の力も魔道と呼ぶより学問に近く、個人の資質に左右されるきらいはあるが努力次第――― 勿論並みの努力ではすまない――― で誰もが習得できる代物である。深く掘り下げていけば二つの根本は同じであると判るのだが、学の無い民衆には全くの別物と映るらしい。故に彼らは教会側が使う力を白魔道、エクソシストが使う力を黒魔道と呼んで区別している。
 それは双方の力の特色をよく捕らえた表現であり、今では俗語であるその言葉の方が支配者階級達の間でも魔物の間でもまかり通っていた。

「!東から来た鉱山技師!?」
「メロ。あの鐘の音の術式にはギルドに名前を連ねていないエクソシストが関わっていると言いましたね?」
「あ、あぁ」
「それは名前を連ねていないのではなく、連ねられないからではありませんか?」
「え?」

 窓の外に闇にしか生きられない魔物達を見守る月が見える。

「教会とギルドは仲が悪い。それでも両者同じ宗教を信仰しています。従って、セイントもエクソシストも同じ神を崇めている」
「名前を連ねられない、という事は‥‥異教徒?」

 半分に欠けたけぶるような月。
 その月は何度呪われた、聖なる鐘の音を聞いて来たのだろう。

「法術師‥‥」
「え?」

 ニアの漏らした言葉にメロがハッと振り返った。

「もしも、Lの言う通りフランクギルドの総領が連れて来たエクソシストが、実はエクソシストではなく他の教義を戴く組織の術者だとしたら‥‥」
「!‥‥東の‥‥シナのエクソシストか!」
「もしくは、ムーアのバルバロス」
「きっと東に決まってる!鉱山技師達と一緒に来たんだ!そうに違いない‥‥!」
「もしそうなら、ギルドのリストで探しても判らないはずです」

 やられた!とばかりに悔しがるメロと、これからどうするのかと胡乱気にLを見やるニア。

「それが本当なら、鐘楼の力を殺ぐのは難しいかもしれませんね。白魔道と黒魔道は表裏一体の術式。故に白魔道を打ち破る力を黒魔道は持ちえる。しかし、他の教義にのっとった術式となると、その法則が判らなければ破れないかもしれません」

 珍しく忌々しいとはっきり判る表情を晒してLが右手の親指の爪を噛む。

「ホーリーランドは金を独占するためにノームとの共存を止めた。そして、この簡易デュランダルを製造し売りつける事で、純度の落ちた金の価値が下がるリスクを補おうとしている‥‥いえ、神の声はこれを売るための宣伝かもしれません」
「宣伝だぁ?」
「『ホーリーランドの神の声』‥‥その噂が国中、いえ、大陸中に流れれば、そこで製造されたデュランダルに箔が付くというもの。つまり、相手に信用買いさせるための布石です」
「ついでに街と市民を魔物の脅威から守り、金も独り占め‥‥まさに一石二鳥、いいえ、一石三鳥の手ですね」
「マジかよ‥‥」

 人間の強欲さに其々違った反応を見せる自分の後継者候補を尻目に、Lはテーブルに並べた剣を片付けるようワタリに命じた。千年を生きたLには紛い物の聖剣などどうという事はなかったが、不快である事には間違いなかったので。

「この大陸の西側が、近年とても政情不安が続いているのは貴方がたも知っていますね。各国の国境争いは元より国の内外を問わず暗殺が日常茶飯事です。いつ何時大きな戦争が起きても不思議ではありません」
「しかし、戦争をするには金がいる。そう言う事ですか?」

 新しく運ばれてきたワインをチビチビ口にしながら、Lはこれから自分が何をするつもりなのかを二人に語った。

「人間同士が戦争をしようが何をしようが、私達には何の関係もありません。むしろ、その隙に乗じて人間を襲いやすくなるというもの。それに、一昔前に比べて人間は少々増えすぎました。餌は多いに越した事ありませんが、多すぎるのもまた困りもの。ここらで少し数が減ってくれると助かります。そもそも、人間が増えすぎたから、魔物の土地にまで人間が進出せざるを得なくなった訳ですし」

 戦争が起きると活きの良い人間が減るから嫌だ、と愚痴を零すメロに肩を竦め話を続ける。

「人間より、私達の将来です。貴方達も知っていると思いますが、魔物の聖地は人間達にとっても宝の山、という場合が時おりあります。ホーリーランドの金山しかり、オルレアンの底なし井戸しかり。人間は魔物以上に金や宝石に目の無い生き物。それらを手に入れるためならどんな犠牲も払いますし、悪知恵も働かせます。ナイアドが守っている『天使の寝屋』すら欲望のままに奪おうと画策する愚か者どもです」
「ナイアド‥‥え?ナイアドって、ルルドの?」

 先程、オルレアンのウィッカが人間に土地を奪われたという話を聞いたばかりのメロは、Lの言葉に酷く衝撃を受けたように体を強張らせた。

「ナイアドと言えば、珍しく教会が『天使の寝屋』と認定した『淀み』の水妖でしたね」

 それを横目に、ニアが冷めた声を発する。

「ルルドの無病の泉と言えば有名でしょう。メロは彼女達に会った事があるのですか?」
「‥‥ミラーカと一緒に‥‥彼女は綺麗なものが好きだったから‥‥」
「あぁ、ミラーカと。そうですね、彼女は学がありましたから、そんな酔狂な理由で『天使の寝屋』に行ったりするでしょうね」
「ナイアド達はみな、青く透き通ってて綺麗だった‥‥魚の尾鰭のような羽が、月の光を受けて虹色に輝いていたのを覚えている‥‥触る事は出来なかったけど、一晩中、彼女達の踊りをミラーカと見ていた」
「それは、なかなか出来ない経験でしたね」

 Lとメロにだけ判る会話に、二人よりも若いニアの視線は暗い。彼は他の魔物にあまり興味がなく、見識は広くとも直接会った事がそうないのだ。

「ナイアドは私達とは相容れない魔物ですが、同じ、この世の摂理から外れた存在に変わりありません。人間に土地を奪われれば同じように消えてしまう存在です」
「あの、あの綺麗なナイアドから土地を奪う?人間が‥‥?何故!?」

 魔物を生み出す氣溜まり。だが、中には清浄な力に満ちた氣溜まりも僅かだが存在する。それは氣溜まりというより小さな噴水のようなもので、急に現れたり、急に消えてしまったりする不確かな存在、現象だ。
 そのような氣溜まりを教会は『天使の寝屋』と呼び、教会の管轄下にあるべきだとしている。たいていは険しい山間部にあったりするため人の出入りは困難を極める。だが、中には教会の総本山バチカーナのように村中に突然出現し、その後一大宗教都市の中心地となった場所もある。
 そんな『天使の寝屋』にも時おり妖魔が生まれる。それは妖魔とは呼ばれても人間にはほとんど害のない存在だ。それどころか、人間に幸運を齎す事すらある。メロが口にした『ルルド』もまた、そんな妖魔が生まれた氣溜まりである。

「そんな事する必要が何処にあるってんだよ!?彼女達は奇跡を求めてやって来た人間を拒んだりしないだろうが!」
「拒みはしませんが、積極的に受け入れてもいません。泉の水で金儲けを企む強欲な人間には幻覚を仕掛け、泉に辿りつけないようにしています。それが、人間達には面白くないのでしょう」
「だから、ナイアドを退治すると?」
「ギルドのエクソシストなら、ナイアドの幻覚を破り泉に到達する事も可能です。そうなれば、直ぐに道が作られ人間が押し寄せて来ます。ナイアドは逃げるしか有りません」
「逃げても消滅するだけでしょうに」

 ニアが小さく鼻で笑う。それを鋭く睨みつけるメロ。

「運が良ければ花や木にでも宿る事が出来るでしょう‥‥そうなれば、もうナイアドでも妖魔でもなくなりますが」
「‥‥‥‥‥」
「来年あたりルルドへ行けば、珍しい青い花が咲いたと、人間達が騒いでいるかもしれませんよ、メロ。試しに行ってみたらどうですか?」
「てめぇ‥‥!」
「メロ」

 今にもニアに掴みかからんとしたメロをLが止める。

「それが土地を失った妖魔の辿る道です。仮にもしそうなって、その花が泉に供えられれば、彼女達も少しは慰められるでしょう」
「助ける事は‥‥」
「ルルドの事はもう時間の問題です。トロサの領主がギルドと契約し、それをサン・セルナン修道院が後押ししています。私がこちらへ向かっている途中、トロサ軍がルルドへ向けて出発したとの噂を聞きました。今はもう、全てが終わっているかもしれません」
「そんな‥‥!」

 ナイアドの運命を知り表情を硬くするメロは随分と人間めいている。同朋が人間に倒され憤る魔物は多くとも、彼のようにそれを惜しむ魔物は非常に少ない。それは彼を吸血鬼にしたミラーカの性質が彼にも移ったせいかもしれなかった。

「いずれにしろ、人間に土地を奪われた魔物は消滅するのみ、そしてセイントの『洗礼』を受けた土地から再び魔物が生まれて来る事は難しい。同じように『天使の寝屋』の奇跡の力も次第に消えて行くでしょう。人間は弱い生き物であるくせに、本気で奪うとなると、私達魔物以上に残酷になれるのです。此処の山もそうです。現段階ではノームのように地下深く潜る事の出来ない人間も、いずれ知恵を付けてそれを克服する事でしょう。それが、魔物や他の生き物にはない人間だけの力、創造力です。そうして手に入れた金で戦争を起こし領土を広げて行く。人間の敵は人間。彼らにとってもはや、魔物は邪魔なだけの存在なのです」

 魔物はこの世の徒花。あってもなくても困らないもの。人間の過ぎたる欲望はその力を妬み欲したとしても、生存本能はそれの消滅を望む。

「魔物は氣の淀みから生まれた存在。魂を持たず、情けを持たず、ただ飢えを満たすために存在し、何かを崩し壊すことしかできません。ナイアドにした所でほんの少し自然の恵みに色を添えるだけで創造の力そのものは持っていません。いたらラッキーと言うだけの存在です。そんないてもいなくてもどっちでもいい存在だから、人間はナイアドも魔物の類に入れているのでしょう。何も生みださない存在。それはまさに闇の力‥‥闇の存在は、いったい何のために生まれて来るのか‥‥」
「‥‥L?」
「それでも、生まれて来たからには消えたくない。生存本能は私達魔物にも確かにあるのです」

 人間の存在にも何か意味があるのか判らない。だが、人間は常にその意味を探し求めている。その行為そのものにこそ意味があるのだと教会は説き、神はそれを人間に問い己で答えを探せと諭す。
 魂はそうやって一歩一歩神に近付いて行くのだと―――
 ならば、穢れた魂は、神に見捨てられた魂はどうなるのか。その意味に、真理に辿り着いたとしても果たして神に認められるのか、赦されるのか。
 神に赦されて、この忌々しい飢えから解放されるのか。
 魔族――― 哀れで愚かな魔物。魂を持つが故に飢えと、それ以上の苦痛を抱え込んだ存在。運悪く魔物に食われたか呪われたかして自らも魔物に変化してしまった者もいれば、望まずして魔物の生贄にされた犠牲者もいる。そんな魂ですら神は赦さないというのか。
 彼らは魔族に生まれ変わり人間だった頃には望めなかった力を手に入れても、心の奥底では己の運命を嘆いている。そのせいか、その心は常に暗く淀んでいる。
 恨み辛み、妬み嫉妬、そういった暗雲たる思いが決してその心を楽にすることはない。
 死から解放されて幸福だと嘯く口で、短い生しか生きられない人間を心の奥底で妬んでいるのだ。それが欲望を肥大化させたり残虐性を煽る要因となり、ますます神の赦しを得られなくしている。

「例のエクソシストは教会、大聖堂にいるのですね?」
「!‥‥L、まさか‥‥」
「貴方自らが乗りこまずとも‥‥!」
「私しかいないでしょう」
「そ、それは‥‥」

 メロとニアはLの静かな宣言に自然と視線を交わし合い、慌ててLへと向き直った。

「おそらく、デュランダルの術式はそのエクソシストが、実際の製法は鉱山技師達が齎したものです。ギルドは‥‥いえ、教会かもしれませんが、人間どもは本格的に私達を駆逐し、私達の土地を奪おうとしています。己が懐を潤すためだけにね」
「デュランダル以外の武器もあると?」
「あるでしょうね。まだ使われていないだけで準備は終わっているのかもしれません‥‥そうでなければ、一般の兵士だけで私達に挑むのは無謀というものです。人海戦術は地を這うしか出来ない人狼ならともかく、空を飛べるものや地に潜れるものには効きませんからね」

 異端の術がこの西方に浸透する前に心配の種は潰しておくに限ります――― そう言って立ち上がったLは、見た目はともかく何時になく戦闘的な氣を放っていた。

「人間の敵は人間‥‥それは人間の奢りだと、ここらで一つ、知らしめてやりましょう」

 

 

 

 

※ルルドの泉は19世紀中頃に発見された物ですが、この話の中ではもっと早くに発見された事になっています。
ちなみにこの話は15世紀後半から16世紀初頭の世界を念頭に置いていますが、実際の歴史とは微妙に異なっています。
例のペストによるヨーロッパの人口が半分に減ったという歴史的事実はありません。
ペストの流行はあっても散発的なものです。十字軍遠征はありました。
新大陸は発見されておらず、宗教改革もまだ起きていません。むしろ、起きないでしょう。
同じように「フランク」という単語もヨーロッパ系というだけで使用しています。
実在の「フランク王国」とは何ら関係はありません。
強いて言うならその支配地域、フランス、西ドイツ、北イタリアのイメージのみを取り入れています。
「バチカーナ」も同様に、実在の「バチカン」辺りをさすと思って下さい。
バビロンの王の記述もまた、この話の中における伝説です。
その他既存するオカルト的呼び方や地名もただの名称として使用しています。