「こんばんは~」
その夜、まだ日も沈みきらぬ夕刻、山元家を一人の少年が訪れた。
「あら~、月君いらっしゃ~い」
「こんばんは、小母さん」
彼が玄関のチャイムを鳴らすやいなやキッチンから走り出て来たのはこの家の影の支配者、
御歳45歳の専業主婦、山元花子(仮名)だ。
「おほほ。ごめんなさねぇ、月君。うちの子ったらさっきまで寝てて、
今やっと起きた所なのよぉ。こちらで少し待っててくれるぅ?」
「お邪魔します」
「おほほほほ。相変わらず礼儀正しいのねぇ。うちの子にも見習わせたいわ~」
年甲斐もなく薄化粧の彼女は少年をリビングに通すと、
どう考えても予め用意していたと思われる水菓子をブランド物のガラス皿に乗せ、
応接セットに座る少年の前に冷たい麦茶とともに置いた。
背筋を正し浅くソファに腰掛けた少年は、きっちり揃えた両膝に手を置きペコリとお辞儀する。
いや~ん!可愛い!!うちのガサツなクソガキとは大違いよ~~!!!
などと彼女が密かに思っている事に全く気付きもしない少年、その名も夜神月。
彼はこの辺りの暇な専業主婦達のちょっとしたアイドルである。
息子が彼の同級生で、尚且つ頻繁に互いの家を行き来するほど仲が良いのは、
彼女のちょっとした自慢であり、ステータスでもある。
「きゃ~!月君来てたのね~!」
「相変わらず美少年ね~!お姉さん、将来が楽しみよ~~!」
そして、出された水菓子に手をつけるより早くバタバタと階段を駆け下りて来たのは、
この家の長女一美(仮名・23歳)と次女二葉(仮名・19歳)だ。
「こんばんは。一美さん、二葉さん」
「やぁねぇ、呼び捨てでいいっていつも言ってるでしょぉ」
「そうよぉ。月君ほどの美少年だったらもう何て呼ばれたって構わないし~。
いっそのこと、ハニーでも良くってよ~~」
弱冠15歳の少年を間に挟んでソファにどっかり座ったちょっとハデ目な格好の年上二人は、
何処からどう見てもクラブのホステス状態だ。
肌の露出が少しばかり多いのと化粧が濃いのはどうやら彼の訪問に合わせての事らしい。
「ハニーはどうかと思いますが、僕、妹しかいないから、
一美さんや二葉さんみたいに奇麗なお姉さんがいたらなぁって、よく思うんです。
だから、一美お姉様って呼んでもいいですか?」
「い、良いわよぉ!!勿論!!!」
「二葉お姉さま?」
「お、お姉様‥‥なんてステキな響き‥‥!」
しかし、少年もさるもの引っ掻くもの。
胸を擦り付けんばかりに擦り寄ってくる友人の姉達を、
初々しさと爽やかさが絶妙にミックスされた笑顔でサラリとかわしてしまった。
このっ、天然年増殺し!
それをちょうど2階から下りて来て、しっかり目撃してしまった山元(名前募集中!)は、
何度も目にした光景だよなぁ‥‥‥と、
感心するような呆れるような溜息と共に独り言ちるのであった。
はっきり言って友人の夜神月は女顔負けの美少年だ。
2月生まれのせいか幾分背が低く未だ未だ成長の余地あり!な体格は、
中学時代テニスで鍛えたにしては何処もかしこも薄っぺらく、とても華奢に見える。
月の父親は日本人の平均より大柄だから、今後彼も背が伸びる可能性大なのだが、
とりあえず今は未だ美少女で十二分にまかり通る容姿だ。
二人が通う高校には、早くも夜神月ファンクラブ(非公認)が発足しているし、
近場の女子高だけでなく男子校にも、同様のファンクラブ(当然!非公認)が出来ている。
月がニコリと微笑めば堕ちない人間はいないのでは?と言うくらいモテモテだ。
それが証拠に、毎日のように告白されては『ごめんなさい』と返答し続けている。
ただし!本人、注目されている自覚はあっても、全然嬉しがってないのがミソだ。
『人間外見より中味』が信条の月は、
顔の醜悪や体格、成績や周囲の噂、果ては男女の性別や年齢も気にしない。
そこがモテる理由の一つなのだが―――
その根本にあるのが本人の密かな(本人は気付かれていないと思っている所が可愛い)!
身体的コンプレックスだと知っているのは山元だけだったりする。
まぁ、周囲も徐々に気付きつつあるが。
とにかく!月は性別を間違って生まれて来たんじゃないかと思わせる美少年なのだ。
中学時代、月の家へ遊びに行った時妹の粧裕ちゃんにアルバムを見せて貰ったが、
何処ぞのお嬢様?と言うような、可憐で愛くるしい少女の写真がオンパレードだった。
その少女がどれも短パン姿なのに首を傾げながら
『これ誰?従姉妹?お前に似て可愛いよな。今度紹介してくれよ』と感想を述べた山元に、
『‥‥僕だ』と呟きソッポを向いてしまった月の、ちょっと拗ねた顔は殺人的に可愛かった。
『山元も僕の事、女顔だって思ってるんだろ。バカにしてるんだろ』
は?何だそれ?もしかして自分の顔が女顔だから嫌いとか、そんな贅沢な事言わないよな?
顔良し、頭良し、運動神経良し、生まれも良し。おまけに性格も良いくせに、
奇麗な自分の顔が嫌いってあり?と、思わなくもない山元だったが、
変声期前の、うっすら涙目の超カワイ子ちゃんな友人をどうして冷たくあしらえよう。
告白してくる人間の中に男も多数混ざっていた事から、
本気で男っぽい厳めしい顔に整形したいと悩みを打ち明けてきた友人を、
半日がかりで説得したのも今は懐かしい思い出だ。
あれから三年。山元の初恋は一瞬で終ってしまったが、男の熱い友情は今も続いている。
そんな月の事、小学校の頃から、いや、幼稚園の頃からモテまくっていたのは言うまでもない。
だが『博愛精神』が信条の『男女七歳にして席を同じくせず』がモットーの、
いい人だけど堅物の親父さんに蝶よ華よと育てられたせいか、
モテモテ月は誰をも魅了する分、誰にでも愛想が良かった。
良く言えば博愛主義者、悪く言えば八方美人。
今だってそうだ。姉がいたらいいな、というのは本当だろう。
以前確かにそんな事を言っていた。
しかし!『奇麗』とか『お姉様』というのは完全に余計だ。ヨイショだ。
どう言えば相手が喜ぶか計算して、狙って言っているのだ。
更に!しかし!!友人として弁明するなら、月にそんな意識は全くない。
無意識だから悪質で、無意識だから『可愛い』の一言で許されてしまう。
俗にこれを『天然』と言う。もしくは『天性のタラシ』と。
そして、こんな時美人は特だなぁ、とつくづく思う山元、16歳。
しかし、本人は激しく否定するだろう。何せ全国模試1位の超理論派を気取っているから。
「よぉ、月。お迎えご苦労」
「山元、遅い‥‥え?」
まぁ、そんな事はこの際置いといて、
今は二人の姉が友人の毒牙(あくまで武器は笑顔と話術)に掛かるのを防ぐのが先決だろう。
ついでに前々からの計画を実行しなければならない。
そう決心し、色気づいた姉達の黄色い声が響き渡るリビングに足を踏み入れる山元。
「何で浴衣?」
その格好は振り返った月が指摘した通り浴衣姿だ。
マットな黒地に菊柄をあしらった浴衣は最近髭が濃くなった山元にとてもよく似合っている。
黄色の角帯で若さを主張している所が心憎い。
「制服で行くって言ったくせに」
「え?俺そんなこと言ったか?」
「言った‥‥だから僕も制服で来たのに‥‥」
月の向かいにわざと乱暴に(男っぽさの演出だ)腰を下ろし、しれっと嘘をつく山元。
「町内の七夕祭だから制服で行くって言ったじゃないか」
少しむくれた口調は外面の良い月には滅多にない表情。
それを見られるのは、中学3年間で培った熱い男の友情あってこそ!の山元だけの特権だ。
「だったら月も着ればいいじゃないか、浴衣」
「無理だ。母さんはもう粧裕と祭に出かけてる。
それに、今年は浴衣着ないって言ってあるから新調してないんだ」
「あら、だったら私が着せてあげましょうか」
「え?」
おしっ!ジャストタイミング!姉貴その一!!
「私、着物デートが出来るように『着付け』習ったのよね」
「そ、そうなんですか。凄いですね」
「じゃぁ、浴衣は私のを貸してあげる。ちょうど先日新しいのを買ったばかりなのよ。
月君と私、背丈は同じくらいだから着丈はOKよね」
「え?ええっ!?」
いけっ!そのまま押し切れ!!姉貴その二!!!月は意外に押しに弱いんだ!!!!
「で、でも、二葉さんの浴衣は女物‥‥」
「そうと決まれば今持ってくるから!」
「あ‥‥」
月が遠慮する暇もなく、いそいそと立ち上がり二階へと駆けて行く次女。
「あら~、月君。浴衣着るの~?だったら下駄を用意しなくちゃねぇ。
一美、貴方この前、三○デパートで下駄買ったでしょ?
それ、下ろしてあげなさいな」
「は~い」
「う‥‥‥‥」
いや、だから、女物は遠慮します――― と言う隙を月に与えず、
山元家の女3人はやけに張り切って浴衣装着の準備を始めるのだった。
「や、山元‥‥僕、どうしても浴衣着なくちゃいけない?」
「何だよ。着たいって言ったのは月だろ」
その様子をオロオロと眺めるだけの月を、
内心ガッツポーズで見守る山元は今ばかりは悪人仕様だ。
「で、でも、二葉さんの浴衣って、女物だろ?僕、幾らなんでも女物は‥‥」
「大丈夫だって。着物は男物も女物も作りは同じだからさ。
それに、姉貴は黒が好きだから、色的にも問題ないと思うぜ」
作りが同じだろうと、地色が黒だろうと、
柄が派手な花柄なら一般的には何処からどう見ても女物だ。
しかし、その点には決して触れないのが腹黒山元である。
尤も彼にしてみれば、今更そこに拘る月に苦笑いしか浮かばなかったりする。
何故なら、ファッションに無頓着(最近はそうでもないようだ)な月は、
外出着に関して下手をすると、母親と妹の言うがままな事が多いからだ。
本人気付いてないが、スカートとフリルとリボンが付いていないだけで、
その格好は限りなく女装に近かったりする。
夜神家の女二人に慣らされた月のファッションセンスはちょっと何処かずれているのだ。
今回はそれに感謝すべきだろう。
「そりゃぁな、制服ならどんなバカでも月が男だって判るだろうけど、
今時町内会の催しに制服で行く奴なんかいないって」
「で、でも!一緒に制服着てくって、言ったじゃないか!」
「昼間はな。それでもイイかなって思ったの。けど、やっぱ、カッコ悪いからやめた」
「裏切り者~~~~」
「普通のカッコしてもナンパされる自分を怨め」
「あ~~~!言ったな!!言っちゃいけない事、言ったな~~~!!」
どうしていちいち涙目になるかなぁ。こんちくしょう!カワイイぜ!!
そんな本音を隠して麦茶を啜る山元の脳裏には、去年の出来事が走馬灯のように甦っている。
近所の友人数人で冷やかし気分で出かけた町内会の七夕祭。
一人トイレへ行った月が何時まで経っても戻って来ないのを不審に思い探しに行くと、
そこには見るからに頭の悪そうな男二人に絡まれた月がいた。
俗に言うナンパである。
しかし、その時の月はただのTシャツにジーンズだった。
見慣れた山元達にはちゃんと男に見えているのだが、
免疫のないスケベな野郎どもには充分に貧乳美少女に見えたらしい。
『山元のバカ~~!何で僕を一人で行かせるんだよ~~!』などと、
涙目の月に理不尽に詰られたのも、やっぱり今では懐かしい思い出だ。
そんな月も高校1年の冬辺りからメキメキ背が伸び、
3年になる頃には半数近くの男子クラスメイトを見下ろすまでになるのだが、
それだけであっさりコンプレックスを克服してしまうのはどうよ?
しかも、克服したとたん、男を振り回す悪女になっちゃうのもどうよ!?
と、山元が思うのは未だ先の話だったりする。
今はとにかく!計画通り月に女物の浴衣を着させるのが優先事項だ。
「ほら~見て~~~!カワイイでしょ~~~~!」
ウワッ!バカ姉貴その二!そんなこと言ったら幾ら『良い人』月でも警戒するだろ!
「あ、あの僕、やっぱり‥‥」
次女が広げて見せた浴衣は確かに黒地だった。
しかし、色鮮やかなハイビスカス柄は幾ら女顔でも思春期の少年が袖を通すには、
かな~り抵抗があるというもの。
「あらあら、ステキな色ね~。ほらほら月君、立って立って~」
しかし、そこは年の功より亀の甲。
すかさず進み出た山元家の影の総番が笑顔で恐ろしい事を言う。
流石の全国模試1位も暇を持て余す専業主婦には勝てず、
流されるまま浴衣を着せ掛けられ、女三人の玩具にされつつあった。
幾らなんでもそれはヤバイと、山元が男の友情で助け出し、
取り敢えずは別室で服を脱がせ身頃を合わせるまでしてやったが、
帯だけは締められず、長女の出番となる。
「いや~ん!月君、腰細~い!!」
「苦しくな~い?苦しかったら言ってね。お姉さんが、うんと優しく結んであ・げ・る」
「抜きが甘いわ!抜きが!!」
「あぁ‥‥白粉塗りたくなっちゃうステキな襟足!」
「ついでに紅をさしてみようかしら」
「だったら簪も!って、月君の髪じゃ無理か」
「リボンは?リボンなら行けそうじゃない?髪留めもあるし」
「このビーズの帯飾りも付けちゃいましょ」
「これ持って行きなさい。可愛いでしょ?この巾着」
「レースの足袋なんてのもあるんだけど、浴衣には変か。残念」
だが、月が玩具になるのは既に決まっていた事らしく、
(この計画を二人の姉に持ちかけたのは他ならぬ山元自身だったりする)
山元の頑張り虚しく、女三人にもみくちゃにされた月だった。
「いってらっしゃ~い。柄の悪い連中には気をつけるのよ~~」
「バカ息子!ちゃんと月君を守りなさいよ!!」
「盆踊りの時も期待しててね~!新柄浴衣用意しておくわ~~!!」
帯びの苦しさよりも、女三人の傍若無人振りと甲高いトーンのお喋りに、
すっかり体力気力を削られ山元の肩にぐったり凭れ掛かる月。
見た目は儚げな美少女そのものだ!
日が落ち、家々の明かりが灯りだした高級住宅街。
一頻り美少年の女装(?)で遊んだ腐女子三人(うち一人は主腐)は、
満足げな笑顔で自分達の作品を送り出した。
その後ろ手に隠されているのはデジカメ―――
勿論!山元もデジカメを浴衣の袂に隠している。
「ほら、しっかりしろよ、月。粧裕ちゃんが先に行って待ってるんだろ?
夜店で驕ってやるって、約束してるんだろ?」
「はっ‥‥そうだった。早く粧裕に合流しないと、粧裕が危ない‥‥」
いや、それはお前の方だって、とは口が裂けても言わない山元。
友人の名誉のために一応証言しておくが、
妙な事で直ぐに涙ぐむ、見た目美少女な夜神月は実は喧嘩をしたら誰より強い!という、
意外に男らしい一面も持ち合わせているのだ。
従って、山元は月が怒る最後の一線だけは越えないよう気をつけている。
そんなこんなでチンケな町内会主催『七夕祭』に参加した夜神月とその友人山元。
集まったのは顔見知りのご近所ばかりなせいもあり、
月の女物の浴衣を指摘する者は誰一人としていなかった。
下手にそんな事を口にすると、月が拗ねて帰ってしまうのは目に見えていたからだ。
そして粧裕と幸子から、事前に月が浴衣で祭に参加すると聞いていたご近所の主婦の方々は、
(つまり、この計画は山元家と夜神家の共同作戦だったのだ)
やっぱりしっかり!デジカメ持参だった。
「お兄ちゃ~ん!こっちこっちぃ!!」
「粧裕~!変な男にナンパされなかっただろうな~!お兄ちゃん、それが心配で心配で!」
「やだぁ~!それはお兄ちゃんの方でしょ~!」
「キャ~!月様、浴衣がお似合い~~!」
ませた小学生集団に囲まれた男夜神月15歳。しかし、見た目は立派に美少女。
浴衣姿の女の子達に混ざっても、全く違和感なし!は既に犯罪だろう。
周囲のご近所集団も、何にも言わず目の保養に努めている。
そんな中『流石は僕の妹。この中で一番浴衣が似合っているぞ、粧裕!』と、
ホクホクしている脳天気兄貴は、
周囲でやたらとデジカメのフラッシュがたかれている事に全く気付いていなかったりする。
(隠し取りに慣れているせいで無頓着なった、とも言う)
そんな友人の姿を見ていると、何処が全国模試1位なんだ?と思わなくもない山元だったが、
可愛けりゃ全てが許される!の言葉の元、
やっぱり隠していたデジカメで、しっかり友人の艶姿を撮りまくるのだった。
1年後、予想通り背が伸び自分と同じ目の高さになった友人が、
女物は学校行事(その名も関東お月見会参照)だろうと、浴衣だろうと、
『絶対着ない!』と周囲に宣言した時、
あの時撮っておいて良かった!としみじみ思うのは、やっぱり少し先の話である。
「それで?その時の写真が今サイトに載っている物なんですね?」
「そういう事。15歳の月、可愛いだろ?」
「はい、可愛いです。最高です!」
「何処からどう見ても美少女だよな。本人絶対!認めようとしないけど」
「無駄な抵抗だと思います」
「まぁ、今はすっかり成長しちゃって、普通にしてる分にはちゃんと男に見えるし」
「普通に?」
「ハハハ、実は高校卒業の追い出し会で、月の奴、久々にメイクなんかしちゃったんだよな」
「ななな、何ですと~!?」
「いやぁ~、あの時は少し酒が入っちゃって。
まさか月があんなに酒に弱いとは思わなかったよ」
「そそそ、その時の写真は‥‥!」
「あ、それは本人の許可が下りてないから裏にも乗せてない」
「クハッ!残念!!」
2004年7月7日、都内の某所で、世界の切り札などと呼ばれている謎の名探偵Lは、
『関東お月見会』名誉会長と密かな会合を設けていた。
『関東お月見会』は会員制のファンサイトだ。会員数はおよそ400人。
主な活動は夜神月の素晴らしさについて語り合うこと。
それと、名誉会長による夜神月の近況報告。勿論写真入り。
その写真の中でも特に人気なのはメイドコスと浴衣姿。
体操服姿も捨てがたいが、今のLの関心は女物の浴衣を着た月にあった。
「そ、それで?裏にも載せられない写真とはどんな物なんですか?」
「あぁ、これなんだけど‥‥あんまり期待するなよ」
「いえ、月君の写真なら、どんなものでも私には鼻血物‥‥ブッ!こ、これは‥‥!!」
差し出された茶封筒の中身をゆっくりと引き出したとたん、
Lの鼻からタラリと赤いものが垂れ落ちた。そう、鼻血である。
「クッ‥‥グッジョブです!」
「フフフ、いいだろう。それを撮るの苦労したんだぜ。何せ、場所は薄暗い公園の片隅。
アングルとか、露出とか、月の涙目も外せないし。
これが撮れた時は、プロのカメラマンになるのも悪くないと思ったね」
「貴方でしたら、きっと立派なパパラッチになれます!私が保証しまし」
「ハハハ、売ってやらないぞ、流河」
「あぁぁ!返してください!月君の生足!!」
山元に盗られた茶封筒を慌てて取り返し、しっかり胸に抱き締めた鼻血垂れ流しLは、
はっきり言って世界の切り札というより世界の恥部である。
しかし、それは仕方がないことだろう。
なにせ『関東お月見会』名誉会長から渡された写真は、
下ろしたばかりの下駄の鼻緒で擦れ血が滲んだ足の指を治療するため、
公園のオヴジェに腰掛けた月が足を組んだ拍子に、
勢い余って太腿まで浴衣の裾がめくれてしまった瞬間を捉えた物だったのだ。
軽く跳ね上がった左足の指先は『さぁ、私の足をお舐め』と命令する女王様のよう。
舞い上がった浴衣の裾の奥に隠れされた太腿の付け根が、淫らな想像を掻き立てて止まない。
「相変わらず、自分の欲望に正直な奴だな」
「月君に関しては、私は自分を偽りたくありません!」
キラな月が聞いたら『嘘吐き!』と叫びそうな発言だが、
鼻血男の言い分はただただスケベなだけである。
「ハハハ、そういう奴も嫌いじゃないぜ。1枚7万7千円!」
「買った!!」
「毎度あり~~」
それで良いのか?世界の切り札!?
一般人とはいえ、キラ容疑者の月の同級生にそんな頻繁に顔を晒し、
あろう事か月のちょっといけない写真を買い漁るとは。
バレたら殴られるだけでは済まないのでは?
「あぁぁ‥‥私も月君と一緒に行きたいです、七夕祭‥‥」
ホテルに戻り、早速手に入れた秘蔵写真で一発抜いてしまった名探偵。
いったい何処が名探偵なのか判らない。
「でももう、七夕は終ってしまいました‥‥残念です」
「では、仙台の七夕祭に行かれては如何ですか?」
「ワタリ?」
そんな情けない探偵の世話を文句も言わずやいている忠実な老人が、
ベッドの周りに落ちているティッシュを拾いながらふと漏らした言葉にLがすかさず反応する。
「七夕祭というのは、日本全国同じ7月7日にやる訳ではないそうです」
「と、言いますと‥‥?」
「宮城県仙台市の七夕は8月です」
「ワタリ!」
「今からホテルの予約をいたしますと、かなりお金が掛かる事になりますが宜しいですか?」
「勿論です!幾らかかっても構いませんから、
最高級ホテルのスィートルームを押さえてください!」
「承知いたしました」
しかし、仙台の七夕祭といえば、全国区のお祭だ。
祭当日の予約が今から取れるとはとても思えない。
Lの我儘を押し通すために、いったい何人の人間が迷惑を被る事になるのか。
(大金で部屋を譲るのだから迷惑でも何でもないのだが)
その事実を知ったら月がどれだけ怒るか、
月との七夕デートに思い馳せる世界の名探偵には、全くちっとも!判っていないようである。
※15000HI記念の拍手お礼文でした。