※この話では、第二のキラはまだ現われていません。
竜崎(L)と月(キラ)は楽しい腹の探り合いキャンパスライフ&共同捜査を送ってます。
その日、外回りからL率いるキラ捜査本部(都内某高級ホテルのスィートルーム)に戻って来た、
捜査員の中で一番若い体力だけが取り柄のちょっと天然入った刑事松田桃太は、
ドアを開けたとたんいつもなら鼻先を擽るはずの甘ったるい匂いが、
今日に限ってしない事に気付き大いに首を傾げた。
「ご苦労様です、松田さん。外は暑かったでしょ」
変だなぁと思いながら奥に進んで行くと、
豪華なソファに優雅に座る若者の姿が目に入り我知らず胸を躍らせた。
「あ、月君!もう来てたんだ」
「えぇ、こんにちは。今日もお邪魔しに来ました」
「邪魔だなんて、やだなぁ」
それは尊敬する上司、夜神総一郎刑事局長の長男、夜神月だった。
日本最高峰の大学にこの春首席で入学した彼は、
ダンディだがタフガイなイメージの強い上司に似合わず(おい)、
線が細く(しかし、松田より背が高い)、
下手なイケメンタレントなぞ裸足で逃げ出すほど清廉で端正な容貌をしている。
つまり、男にしておくのは実に勿体ない美人さんということだ。
「今、冷たい物でも持ってきますね。アイスコーヒーでいいですか?」
「え?そ、そんな!いいよ、自分でやるからっ!」
「遠慮なさらず松田さんは座っててください。そこに汗を拭くタオルもありますよ」
おまけにメイド喫茶のブリブリブリッコな似非メイドなんか足元にも及ばないほど気が利くし、
同僚や某いけ好かない変人探偵に半人前扱いされている彼の事も、
目上だからとちゃんと敬ってくれる礼儀正しさも持ち合わせた、
今時そうそういない性格美人さんだ。
そんな彼がわざわざ用意してくれていた、
真っ白洗いたてフェイスタオル(ホテルが用意しました)を手に、
『僕は月君に好かれてる!』
と大勘違いしながら、松田桃太は言われた通りソファに腰を下ろした。
たった今まで彼が座っていた、ちょっとへこんだ跡のある、ちょっと暖かい場所に(無意識だ)。
この暑い季節に『あぁ、月君の温もりを感じるぅ』などとうっとり呟きながら(やはり無意識だ)。
(その様子を某所からじっと観察している目がある事を松田は知らない‥‥フォッフォッフォッ)
「ところで月君、竜崎は何処行ったの?寝室?」
「いいえ。竜崎なら野暮用で席を外してます。もう暫くしたら戻って来ると思いますよ」
「え?いないの?まさか出かけた?へぇ、珍しい事もあるもんだなぁ。
むしろ初めて?で?相沢さんは?」
「相沢さんと父さんは下の階です。模木さんは松田さんと入れ違いに外へ出かけられました」
「そうなんだ(え?何?すると今この部屋には僕と月君の二人っきり!?)‥‥」
(だからぁ、監視してる目があるんだって)
ソファをキシキシ言わせながら周囲を見回し、
どういう訳か他に誰もいない事を不思議に思った彼は、
ミニキッチンの奥から聞こえて来た月の言葉で一気に頭に血が昇るのを感じた。
『こ、こ、こ‥‥!これは千載一遇のチャンス!?』
そう、彼は夜神月に惚れていた。
月が男だろうが上司の息子だろうが関係なく惚れていた。正直一目惚れだ。
外見はモロ!ストライクゾーン!!
中身は言うに及ばずまさに理想の女性!!いや、夜神月は男だが。
たとえ男でも!月の人当たりの良さ、気配りの良さは、
大和撫子を彷彿とさせるのだから仕方がない。
俗にいう人柄に惚れた、というやつだ(ストライクゾーンとか言った口でそれを言うな)。
当然のことながら彼はもてる。老若男女にもてる。そう、ライバルがいっぱいだ。
一通り彼の身辺調査したところ、出るわ出るわ!
彼に告白した女の子は両の手ではとっくに足りず、
男の方も足の指を使っても足りず、ついでに言うならそれなりにお付き合いもしているので、
彼が付き合った男女の身辺調査をするだけでも非常に大変だったりする。
何故、上司の息子の身辺調査をしているのかと言えば、
世界の切り札と呼ばれる正体不明の探偵Lが、
現在世界を騒がせている殺人鬼キラの正体が、彼、夜神月だと言って憚らないからだ。
勿論松田は信じていない。信じてないがLが示した状況証拠に凡人の彼は反論できなかった。
父親である上司もそれは同じで、仕方なく彼らはキラの第一容疑者として、
夜神月を秘密裏に調べているのである。
秘密裏にと言いつつ、当のLは堂々と彼の前に姿を晒している。
流河旱樹などと言う巫山戯た名前で月とキャンパスライフを楽しみ、ついでに、
『キラ捜査を手伝ってください』
と持ちかけ、このキラ捜査本部に彼の出入りを許してもいる。
ボロを出さないか身近で観察するためだとは本人の談だ。
だが、今では誰もその言葉を信じちゃいない。信じるには余りにLの態度が悪すぎた。
どう悪いかと言えば、視線も言動も顔も手癖も、全てが悪い。
月の父親である総一郎が脳溢血を起しそうなくらい悪い。
何時セクハラで訴えられても不思議じゃないくらい悪い。
つまりはそう言う事だ。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう、月君」
ハッと気付くと、目の前のテーブルに、
冷たいアイスコーヒーの入ったグラスがちょこんと乗っていた。
おまけに冷たいおしぼりまで付いている。
この気配りの良さは並みの18歳男子とはとても思えない。
松田は幸せを噛みしめながらそのおしぼりを自分の顔に押し当てた。
(やっぱり松田さんもオヤジ‥‥と月に思われていた事は知らぬが仏だ)
その間に当の夜神月はごく自然に松田の向かいに腰を下ろした。
言っておくが、月は松田が自分の坐っていた場所を占領してしまった事に気付いている。
何せ、松田の直ぐ脇には彼の読みかけの本が栞を挟んだ状態で置いてあるのだから。
だが敢えて月は何も言わなかった。言えば松田がオタオタしだすのは目に見えていたので。
父親の部下とは思えない、年上とは思えない松田の落ち着きのなさを月はとっくに看破していた。
しかし、そこは持ち前の人当たりの良さと綺麗な微笑みの下に隠している。
「プハ~~ッ!生き返ったぁ~」
「大げさですねぇ、松田さん」
一気にアイスコーヒーを飲み干すや、
良いとこのお坊ちゃんに似つかわしくない台詞を吐く松田桃太。
その実、彼の心臓は爆発しそうな程ドキドキドキドキ脈打っている!
『月君に聞かれた!どうしよう!』
と内心焦っている彼は、自分の顔が真っ赤な事に気付いていない。
月君と二人きり月君と二人きり月君と二人きり‥‥――― そして頭の中にはそんな呪文が。
「お、大げさじゃない、ホントに生き帰る心地がしたんだ。
だって、月君が淹れてくれたコーヒーだから‥‥!」
松田桃太25歳!男になりまっす!!(誰に宣言してる)
「ただのアイスコーヒーですよ(インスタントじゃないのは密かな僕のこだわりだけど)」
「そんな事ないってば!月君のは特別製!!」
「アハハ、相変わらずですねぇ、松田さんは」
「え?」
「初めてお会いした時も、確か同じような事を仰ってました」
「そ、それって‥‥え?お、覚えてたの‥‥?」
その瞬間、何やら口説き文句まがいの台詞を実は意識して口にしていた松田は、
真向かいに座る月がいつも以上に(気のせいです)柔らかな微笑みを湛えている事に気付き、
『こ、これはもしかして脈ありっ!?』
と天にも昇る心地に陥ってしまった。
「松田さんが初めて我が家にいらっしゃった時、
確か母がちょうど外出中で、僕がお茶をお出しした覚えがあるんですが‥‥違いました?」
「ち、違わない!違わないっ!!」
「その時も、同じような事を仰ってましたよね、松田さん。あの時は熱い緑茶でしたが」
「そ、そそそ、そうだったかなぁ?」
「ふふふ、そうでしたよ」
そうだ、彼の言う通りだ。
コネで警視庁に入庁した(と言っても一応キャリアだ)松田は入庁1年目ながら語学力を買われ、
若い身空で刑事局長の海外出張のお伴を言い遣った(その辺りがコネな訳だ)。
そして出発当日、来なくていいと言われていたのにノコノコ上司の家へお迎えに行き、
早く来すぎて夜神家の居間で上司の準備を待つこととなった。
その時、たまたま外出中だった夫人に代ってお茶を出してくれたのが、
上司の長男だったのだが‥‥‥
松田は今でもあの時の感動を忘れていなかった。
上司(しかも刑事局長)宅の居間のソファで、
借りて来た猫よろしくカチコチに固まっていた彼の目の前に、
今日みたいにさり気なく出された緑茶。
ハッとなって顔を上げれば、そこには微笑みの天使が佇んでいた。
『外、寒かったでしょう。冷めないうちにどうぞ』
そう勧められたにも拘らず天使の頬笑みに見惚れて全く動けなかったのは他でもない自分だ。
その綺麗な微笑みを自分がちょっと胡乱気な微笑みに変えてしまった事にも気付かず、
天使が廊下の向こうに消えて行くのをやっぱり黙って見送ってしまう。
暫くしてやって来た上司に天使の事を聞きたいと思いつつ、
やっぱりやっぱり!何も言えなかった。
『何をボ~ッとしとるか。行くぞ、松田』
『は、はいっ!』
そんなヘタレ全開な松田を正気に戻したのは尊敬する上司。
その上司宅で出会った天使なのだから、
天使は上司の家族、子供だと、気付いて当然のはずなのに。
そこまで全くちっとも気が回らなかった男松田桃太、彼女いない歴?年。
上司の言葉にすっかり冷めてしまったお茶を一気に飲み干した彼は、
遠慮する上司の手から荷物を奪い革靴を引っ掛け玄関のドアを開けた。その時、
『行ってらっしゃい父さん。気を付けて』
先程の天使が再び現れた。
『あぁ、行って来る』
とたんに松田の心拍数は10倍に跳ね上がった。
父さん父さん父さん父さん、父さんっ!?って事は、天使は局長の娘さんっ!!
(ブ~~~~~ッ。娘さんではありません。眼科に行く事をお勧めします)
今初めて明かされる真実!(大げさな‥‥)これぞ運命の出会いっ!?
あああああ、あ、あ、挨拶しなければっ!!
『父の事宜しくお願いします』
『!‥‥は、はいっ!』
うぉぉぉぉっ!、声掛けて貰っちゃったよ!!もしかして脈ありっ!?
(ないない。ただの慣習、決まりごとです)
何か言え!自分!!きっかけを作れ!!!自己アピールだっ!!!!
『さ、さっきのお茶!美味しかったです!い、生き帰りました!』
『‥‥‥はは、そうですか。それは良かったです(大げさな人だな)』
焦る気持ちのまま上擦った声でそう言えば、優しい天使は極上の微笑みを返してくれた。
まさに天にも昇る心地とはこの事か!
ちなみに、上司は地獄の鬼の如き形相で彼を睨んでいた。
『そそそ、そんな事ないです!あ、あ、貴女が淹れてくれたお茶だからですっ!!』
『『‥‥‥‥‥‥‥』』
一瞬、上司宅の玄関に沈黙が降り、上司の鬼の形相は閻魔大王のそれにランクアップした。
再びの天使との邂逅に頭が沸騰していた松田は当然ながら全く気付かない。
そして、当の天使が『お父さん落ち着いて』と、目で合図を送っていた事にも。
気付かないのも当然。彼はその時点でまだ知らなかったのだ。
上司の口癖が『私の目が黒いうちは息子も娘も嫁にはやらん!』という、
世の父親族共通(?)の決まり文句だった事を。
『あらあらごめんなさい。大変な時に空けちゃって。あら、貴方。もう出発なの?』
まさに一触即発、危機一髪!なその瞬間に、
ご近所へ野暮用で出かけていた上司の奥さんが戻って来て、松田桃太の命は繋がった。
(出張中、天使の微笑みを思い出してはニヤニヤ笑いを繰り返し、
上司にもの凄い目で睨みつけられていたのだが、やはり彼は全く気付かなかった)
あぁ、それは何と甘酸っぱい思い出だろう。
「あの時のお茶も美味しかったなぁ‥‥」
懐かしさに意識を飛ばしそんな事を呟く松田を、
当時天使だった若者が生温かい目で見守っている。
密かに背が低く女顔である事をコンプレックスに思っていた月少年は、
今や誰もが羨むイケメン君だ。
希望どおり(周囲はガッカリした)背も伸び、顔も精悍さが増し(本人判断)、
流石にもう誰も彼を女と勘違いする事はない。
女王様と勘違いされる事はあるが(本人は知らない)。
それでも、未だに男から告白される事があるのには閉口している(対処法は既にマスター済み)。
本人その点、至ってノーマルなのだ。
「そう言えば、2度目に月君に会った時もお茶を出して貰ったよね」
「‥‥あぁ、お正月に‥‥確か先輩方と一緒に年始の挨拶にいらっしゃったんですよね?」
「うん、そう」
その時の事を思い出して松田の顔が更にだらしなく崩れる。
「結構な人数でいらっしゃったから、母を手伝って僕もお茶をお出しした覚えがあります。
馴染みの刑事さん達ばかりで新年の挨拶もそこそこ、部屋に引き揚げた覚えが‥‥
あぁ、そう言えば、松田さんの紹介は特にされませんでしたねぇ」
「う‥‥‥‥っ(グサッ!)」
嫌な事を思い出した、と松田は思った。
そうなのだ。2年前の冬に初めて会った時も、昨年のお正月に会った時も、
松田は正式に月に紹介されなかったのだ。
(月の方は後から母に聞いて松田の事を知った。
あくまで母からであって、父からでないのがミソ)
そこに上司の、夜神総一郎の作為があった事に松田だけ気付いていない。
(一緒に年始の挨拶に訪れた先輩刑事達は当然上司の口癖を知っていたので、
新年の挨拶もそこそこ父親から自分の部屋へ戻れ、
と言われた月少年に何となくピンと来たらしい)
「でも、今はこうして知り合いになれました」
その暗い思い出が元天使、今は女王様(?)な上司の息子さんの綺麗な微笑みで払拭される。
「そ、そうだよね!今はもう知り合いだよね!それどころか、友達だよね!!」
「えぇ」
(友達宣言したのは某カエル探偵である)
「嬉しいよ、僕!」
「大げさですね、松田さんは」
「だって、僕が月君に合った回数なんて数えるほどしかないんだよ!
先輩は年に何度か会ったって言ってたのに!!」
「はぁ‥‥(先輩って誰の事だ?相沢さんと模木さんには余り会った事ないはずだし)」
「それなのに僕はっ!年に1度のチャンスの年始の挨拶にも行けなかったんだ!!」
「仕方ありませんよ。今年はキラ事件で大変だったんですから」
(その分監視カメラで見てたんじゃないのか?とは月の、いやいや、キラの心の反論だ)
「だってだって!年に1回だよ、1回!!僕と月君が会った回数って‥‥!!!」
「‥‥‥そうですね」
何とも情けない顔で、それでいて何処か興奮気味な様子で大声を張り上げる松田を、
更に更に!生温か~~~~い眼差しで見返すキラ様。
何やら過去に何度か経験したパターンだなぁと頭の隅で思ったり。
どうしてこう僕ってヘタレ男に好かれるんだろう、とも思ったりなんかしてみたり。
それで行くと竜崎もヘタレ属性なのかぁ、とちょっと確信込みで思ってみたり~~~~。
あれ?これってもしかしてLの名前をゲット出来なくても勝てちゃったりする?とかとか。
そんな事をうっかり考え、一瞬とはいえ気が緩んでしまったのだろうか。
ここで夜神月は、いやいやキラ様は小さな失言をしてしまった。
「年に1回ですか‥‥(まぁ、それでも多い方だと思うけど)そう言えば今日は七夕、
ははは、何だか因縁のありそうな数字ですね」
「七夕?あぁ、今日は7月7日だっけ」
「えぇ」
軽くそう答えれば、何を思ったか『七夕七夕‥‥』とブツブツ呟き始めたヘタレ刑事松田桃太。
「松田さん?」
でもってキラ様も、そこはかとなく嫌な予感を覚え出す。
「えへへへへへへへへへ‥‥」
そして、突然デレデレッと鼻の下を伸ばし不気味な笑い声を漏らし始めた松田にギョッとなる。
「なんだか僕と月君って、牽牛と織姫みたいだねぇ~」
「‥‥‥‥‥‥はい?」
おまけに何やら意味不明な言葉も聞こえて来て―――
「うん、だからね。年に1回しか会えない僕達って、
同じく7月7日にしか会えない牽牛と織姫みたいだなぁ~って‥‥えへへ、えへへへへへ」
ゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾッッ‥‥‥!!!
その瞬間、夜神月=キラ様の背筋に悪寒が走った。
不快指数120%な、恐怖と言うよりは嫌悪感。
そして、次の瞬間、それは静かな怒りへと変わっていった。
「‥‥‥松田さん。仮にその例えが成り立ったとして‥‥その場合、牽牛は僕ですか?」
「え~?違うよぉ~~~、牽牛は僕でぇ、月君はもちろん織姫様だよぉ」
「‥‥‥‥‥‥もちろん、ですか‥‥‥」
己を弁えない、かって極まりない妄想にヤニ下がった松田は気付かなかった。
月の人形のように整った花のかんばせからニコヤカな微笑みが消えてしまった事に。
いや、一応笑ってはいる。負の感情など微塵も感じさせない綺麗な微笑みで。
しかし!目は全く全然ちっとも!!笑っていない。
キラ様全開、女王様笑い寸前の一歩手前――― !!!
「では、百歩譲って僕が織姫だとして‥‥それってつまり、
僕は自分のやるべき仕事を放り出し恋愛に溺れた愚か者、という事ですね?」
「は?え?仕事?‥‥」
「織姫の仕事は機織りでしょう?」
「ハタオリ?ハタ、ハタ‥‥あぁ、うん。確かそうだった。でもって、牽牛は‥‥牛飼い?」
「えぇ、そうです。流石の松田さんでもそれぐらいはご存知でしたか。
ではね、松田さん。
どうしてこの二人が年に一度しか会えないのか、その理由はご存知ですか?」
「理由?え?そんなのあるの?単に遠距離恋愛の恋人同士ってだけじゃないの?」
「うふふふふふふふふ‥‥違いますよ、松田さん。
二人はね、ちゃんと仕事を持っていたのに、その仕事をさぼって、
イチャついてばっかりいたから天帝に怒られお仕置きされちゃったんですよ」
「へぇ~、そうだったんだ~」
流石は月君、物知りだね~――― などと、ここに来てもやはり呑気に感心している松田。
しかし、その真向かいに座るキラ様の周囲は今や絶対零度の危険地帯になりつつあった。
「でね?松田さん。この僕が織姫って事は、
僕は仕事をさぼってばっかりのダメ人間だって、松田さんは言いたい訳ですよね?」
「え~~、まっさかぁ(^O^)違うよぉ~。月君は僕なんかと違ってとっても真面目な‥‥」
「でも、僕は織姫なんでしょ?」
「そりゃぁ、月君は美人さんだからぁ~」
「うふふふふふふふふふふふふふふ‥‥その言い方、実は僕‥‥(嫌いなんですけど)」
「僕の理想のタイ‥‥」
「さぼり魔だから織姫だ、と言いたいのでなかったら、
まさか!とは思いますが、恋人同士だから織姫だ、とでもいう気ですか?まぁつぅだぁ~~」
「!?りゅ‥‥竜崎っ!?」
その絶対零度に更に殺気が加わった。
「いいいい、何時っ‥‥!?何時、帰って来たんですかぁっ!?」
「帰って来たも何も、私は初めからここにいました」
「え?でも、月君が‥‥」
それは、音もなく松田の背後に立っていた竜崎ことLが吐き出した、
恨み辛み憎しみの籠った吐息だった。
慌てて立ち上がろうとする松田の両肩を、
肉の薄い少々節くれ気味の手で上からがっしり抑えつけ、
猫背なせいで覆いかぶさるようにその頭の上に顎を置いたLは、
「月君は席を外した、と言っただけで外出したとは言ってませんよ」
「そ、そ、そ‥‥そうでした、ね?(えぇぇ~~っ!?じゃぁ、何処にいたのぉ!?)」
「まぁ~つぅ~だぁ~~~~」
「は、はいぃぃっ!?」
いつもの抑揚を抑えた無感動な声に、
今日ばかりはそれと判る怒りをふんだんに籠めて松田の名を呼ぶL。
「知っていましたか?松田‥‥」
「な、な、何を、でしょう?」
「牽牛と織姫は、実は恋人同士どころか『夫婦』だったという事」
「へ?え?夫婦!?そうなんですか?」
そして噛んで含めるように言ったその一言に、何にも考えず素直に驚いてみせる松田に、
『無知は罪なり』という言葉を心の中で贈りつけるL。
それに気づいたのは真正面でこのやり取りを見ていた月(キラ様)だけだったが、
彼はこの時ばかりは松田のフォローに回る事はなかった。
その結果、松田桃太は踏んではならない地雷を踏む事となった。
「それを踏まえて、先程の話をすると、松田と月君は『夫婦』という事になりますね?」
「え?僕と月君が夫婦?え~?まっさかぁ~、そんな訳ないですよぉ~」
逃がすものか!とばかりに上から押さえこんでいるLの顔が見えなかったせいだろうか。
それともLの口調が何時も通り抑揚のない平坦なものだったからだろうか。
松田はやはり何も考えることなく、ごくごく反射的にその例えを否定した。
しかし、否定しつつもその顔は、
憧れの上司の息子と夫婦だと言われ消すに消せない喜びに満ち満ちていた。
「え~、そんなぁ~。僕と月君が夫婦ですかぁ~。
やだなぁ、竜崎。そんな事言ったら月君に失礼ですよぉ。
僕と月君じゃぁ釣り合いません~。
あ~、でも~~~、いいですよねぇ、月君と夫婦。
毎日が天国にいるみたいに幸せだろうなぁ。
月君美人だし気が利くし、いいお嫁さんになるだろうなぁ~~えへへ、えへへへへへ」
もうっ、竜崎ったら、嬉しい事言ってくれちゃってぇ~!
呑気にぺらぺら喋り続けた彼は気付いていなかった。
竜崎ことLの自慢のポーカーフェイスを彩る目の下の隈が、今日は何故か一段と濃い事に。
そして心なし頬の辺りがゲッソリやつれている事に。
そしてそして!そんなLの背後に更にやつれた様子の尊敬する上司の姿が現れた事に‥‥
「松田と月君が夫婦?ちゃんちゃらおかし‥‥‥」
「松田ぁぁぁぁぁぁぁぁぁつ!!!!!」
その瞬間、Lの体が横っ飛びに吹っ飛んだ。
そりゃもう綺麗に吹っ飛んだ。いや、薙ぎ払われた。
「誰と誰が夫婦だとォォォッ!?貴様如きがうちの月と釣り合うかぁぁぁぁっ!!」
「きょきょきょきょきょっ、局長~~~~っ!?」
それは正に鬼の如き形相の夜神総一郎刑事局長の仕業だった。
彼は邪魔なLを有無を言わさず自分の前から排除すると、
とんでもない暴言を吐いた部下の首を締め上げ、
何処にそんな力があったか高々とソファから釣り上げるや問答無用、
得意の一本背負いで高級絨毯の上に叩きつけた。
「松田ぁぁぁぁっ!貴様、前から怪しい怪しいとは思っていたが、
貴様もうちの月を狙っていたのかぁぁぁぁっ!!!
何処の馬ともしれぬカエルの滅殺計画だけで手一杯だというのに!
貴様まで私の手を煩わせるつもりかぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「きょ、局長っ!お怒りは御尤もです!しかし、ここは抑えてください~~っ!!」
上司から不意打ちを食らい受け身も取れず床に叩きつけられた松田は堪らず気を失ったが、
次の瞬間にはやはり上司に馬乗りにされ、そのまま気絶していればいいのに、
『グェッ』とカエルが踏みつぶされたような声を上げて意識を取り戻していた。
「私の目が黒いうちは、うちの息子と娘は嫁にはやら~~~~~~んっ!!!」
「局長~~~っ!!首締まってます、締まってますぅぅっ!!!
こらっ、バカ松田!謝れっ!!何でもいいから謝れ~~っ!!!
局長を人殺しにしたいのかぁぁぁっ!!!!」
放っておけば松田は半死半生の目にあわされた事だろう。
だが、そこは悪運が強かったか、
上司思いの(決して松田を思っての事ではない)相沢によって救われた。
単身赴任中の相沢は何故かやはり同じようにやつれた顔で上司を松田から引き剥がし、
息子の月と一緒に怒り爆発怒髪天の総一郎を必死に押しとどめた。
心の中で、何人目の被害者だろうと思いつつ‥‥‥
★ ☆ ★ ☆ ★
相沢は上司の長男の事はあまり良く知らなかった。顔を合わせたのも松田並みに少なかった。
それでも、松田より上司と付き合いの長い分、上司の口癖の事は知っていた。
それに纏わる恐ろしい噂、エピソードの数々も。
『上司に気に入られ自宅に招かれた独身刑事は、時を置かずしてこき使われる運命に陥る』
初めてそれを聞いた時はさして疑問に思う事はなかった。
気に入られ能力を買われ、色々仕事を言い渡されるのだろうなぁ、ぐらいにしか。
実際、彼らは頑張って仕事をこなしどんどん出世していった。
それにつれて上司の株も上がって行った。
夜神局長は公明正大な上司である。私利私欲に走る事のない部下思いの上司だと。
だが、何故か出世した刑事達は陰で泣いていた。嬉し泣きではない、悲しみの涙だ。
その理由をひょんなことから知った相沢は、早くに結婚してて良かったぁ!と真剣に思った。
噂曰く、出世した刑事には、
すべからくお見合い話が持ち込まれ、断るに断れないまま結婚させられる。
持ちこむのは夜神局長ではなく配属先の直接上司。毎日せっつかれて断り切れる訳がない。
そして彼らは口々に言うのだ。
『直ぐ近くに理想がいると判ってるのにぃぃぃ‥‥』と。
どうやら上司の仲人で結婚した刑事達には、憧れの彼女がいたらしい。
だが、泣く泣く諦めざるを得なかったらしい‥‥‥‥‥
そんな哀愁漂う噂が何故か夜神局長絡みで聞こえてくるのだ。
いったいどういう事かと不思議に思った相沢は、ある日決定的な噂を耳にしてしまった。
それは主に、上司の家族、とりわけ優秀だと評判の息子さんに関する噂だった。
夜神局長の前で家族の話をしてはいけない。夜神局長に家族の事を聞いてはいけない。
特にご自慢の息子さんの話は、向こうから振って来ても、
頷くだけで詳しく聞き返してはいけない。
下手に聞き返すと、息子さんに気があると思われ『悪い虫』扱いされる。
取り敢えず仕事上は何ら変わりなく接してもらえるが、
時折思い出したように怒りと恨みの籠った視線を向けられる。
それは正に針の筵状態に近いと言う。
何だそれはぁ!?と、当時の相沢は混乱したものだ。
幸か不幸か、彼が上司と深く付き合うようになったのは、
上司が『局長』という地位に就いてからだった。
そんな彼に上司の家族の事を知る同僚達は不憫そうに、かつ羨ましそうに語ったものだ。
『そうか、お前知らないのか‥‥そうだよな。局長とは違う部署にいたもんな』
『うんうん。知らないのならその方がいいぞ。下手に知って口を滑らすよりはずっと良い』
『この先局長に家に誘われる事があっても、お前は絶対行くなよ。
飲みに誘われるくらいならまだしも、酔いに託けて家まで、なんてのは絶対避けろ』
『妻子持ちだからって安心できないのが局長の息子さんだからな』
『自分も局長の息子さんみたいな子供が欲しい、ってとこから始まって、
もう十年若かったら俺も‥‥ってなるんだよな』
『あの、オジサマ攻撃に耐えられるのは長官や局長クラスぐらいだろう』
『いやぁ、長官も危ないって話だそ』
うわぁ~、流石は月君!オヤジキラ―炸裂だな。
(局長の息子さんがライトという名だと言う事を相沢はそこで初めて知った)
噂は噂、されど噂。ついでに長官って誰?まさか一番偉い長官?
とにかく、当時深まり行く相沢の疑問にまともに答えてくれる者は何故か一人もいなかった。
ただ判った事は、局長の自慢の息子さんは『美人』らしい、という事だけ。
美人?だから悪い虫?え?でも、息子って事は男だよな?え?え???????
それ以上考えたらドツボに嵌まりそうな気がして、
相沢はそれマジでそれ以上考えるのを放棄した。
どうせ俺は美人とは縁がないさ、と知らんぷりを決め込んだ。
そう愚痴って、噂なんか俺には関係ない!
と思ったあの時の自分を後々後悔する事になろうとは‥‥‥
あれは何時の事だったろう。確か3~4年前の春だったと思う。
部下の一人が職場結婚をした。結構上司に気に入られていた有能な刑事だった。
当然のように仲人は上司がかって出た。新婚の部下は張り切って仕事をしていた。
だが、それから僅か2カ月後、思わぬ事態が起きた。
とある事件の合同捜査会議の後、
ふとした弾みでかの上司が上司らしからぬ言葉を口にしたのだ。
『浮気してる暇があったらとっとと働け』
そんな言葉があの上司の口から飛び出すとは思ってもいなかった相沢は、
数秒間動く事が出来なかった。
言われた新婚刑事も当然驚いていたが、それより何より、
居合わせたベテラン刑事達が、お前が悪いと口々に言うのがまた信じられなかった。
『やっちまったな』
『お、俺は何もしてません‥‥‥っ!』
『いや、お前はやっちまったんだ。局長の差し入れに箸を付けてしまった』
『あ、あれは!局長がお前も食べてみるか、って言うから‥‥!』
『二段重箱の差し入れには手を出すなって、暗黙のルールを知らないのか』
『し、知ってましたよ!でも、あの時は気付かなかったんですっ!!』
『局長の大好物の肉ジャガ‥‥半分近く食べたんだってな』
『うぅぅぅ‥‥あんまり美味しかったから、つい‥‥』
部下とベテラン刑事達の会話に一人付いて行けなかった相沢。
整理すると、こういう事らしい。
合同捜査で何日か家に帰っていなかった上司の元に、着替えとお弁当が届いた。
しかも、輪島塗の二段重箱が。
それは時々ある事らしく、上司は嬉々として受け取り、かつ周囲に自慢したらしい。
ベテラン刑事は『あぁ、またか』と軽く受け流し、
相沢を初めとする馴染みのない者はマメな奥さんだなぁと感心した。
そして、昼食に差し入れの重箱を開いた上司は、
直ぐ傍にいた新婚の彼に自慢する意味も込めて味見を進めたらしい。
それが、悲劇の始まりだった―――
『あれが、局長の奥さんが作った肉ジャガだったら問題はなかったんだ』
は?どういう事?――― その発言に相沢は首を傾げた。
そして、次の言葉に度肝を抜かれた。
『だが、運の悪い事に、あれは局長の息子さんが作った肉ジャガだった』
『うわぁ~~~~ん!俺は無実ですぅぅぅ~~!!』
『嫁さんの作った肉ジャガより美味い、って感想はまだセーフだったんだがな』
『よりによって、
こんな美味しい肉ジャガを作れる子となら浮気してもいいかも、
ってのは言い過ぎだ』
『く、口が滑ったんです~~~~!魔が差して、
ついつい、月君がフリルのエプロン着けて料理してる姿を想像しちゃったんです~~~』
『お前、月君に会ったことあるもんな』
『俺は悪くないです~!
あんな厳つい顔して、あんな可愛い子を産んじゃう局長が悪いんです~~!』
『いや、産んだのは奥さんだから』
『うわぁぁ~~!もうお終いだぁぁ~~!局長のブラックリストに載っちまったよぉ~~!』
暫くの間相沢は何も考えられなかった。
その後、上司の事をよく知るベテラン刑事達から詳しく話を聞いた彼は、
上司こと、夜神総一郎刑事局長の認識を一部改めたる事となった。
仕事熱心だが家族思い――― その噂には裏がある。
夜神局長は親バカだ。超が付くほどの親バカだ。
特に、最近美人度が増した息子さんに関して神経質過ぎる程の親バカだ。
曰く、夜神局長の前で息子さんの事を誉める事はあっても、
決して行き過ぎた好意を見せてはいけない。
間違っても!『月君が女だったら良かったのに』とか、
口が変曲がっても!『月君が恋人だったら皆に自慢できるのに』とかとか、
たとえその道に目覚めてしまっても!!
『月君みたいな女の子と結婚したいです』とか言ってはいけない。
『ちなみに、三段重箱は奥さん作、二段重箱は息子さん作、一段重箱は娘さん作だ』
『娘さんからの差し入れは滅多にないから話題に上らないってだけで、
局長の親バカぶりは当然、娘さんにも適用される。
二段重箱同様、一段重箱も誉めすぎは厳禁だ』
あの頃の相沢はまだ上司の息子さんの事をよく知らなかった。
とても優秀で、将来は父親のような刑事になりたいと言って、
上司を喜ばせている事ぐらいしか知らなかった。
美人だと、チラホラ噂に聞いてはいても、言葉半分にしか信じてはいなかった。
あぁ、それが、それが‥‥‥ここに来てこんな事態になろうとは‥‥‥‥
「父さん落ち着いて。まだお腹の調子悪いんでしょ?あんまり力んだらまたお腹が痛くなるよ。
それに心臓の方だって‥‥最近暑くなってきたし、僕、父さんの体が心配なんだ。
ほら、父さん責任感強いから。
でも、仕事に入れ込み過ぎて体を壊したら元も子もないよ。ね?」
興奮して暴れる上司を抑えながら、
過去のイタイ思い出を走馬灯のように思い出してしまった相沢は、
一瞬思考を飛ばして現実逃避を試みてしまった。
それくらい、今現在の探偵L率いるキラ捜査本部の現状はちょっとおかしな状況にあった。
何がいけなかったかと言えば、おそらくここが男所帯だ、と言う事だろう。
警察庁の捜査現場より潤いのない、花のない環境がいけないのだ。
そして、唯一の潤い、花が、上司の息子さんだと言うのが‥‥‥‥‥‥‥(>_<)
「何を言うんだ、月!手遅れになってからでは遅いんだぞ!!」
「僕は大丈夫だから。ね、父さん。とにかく今は落ち着いて、安静にしてなくちゃ」
実の父を抑えこみながらそんな言葉で宥めすかす夜神月は間違いなく上司の息子だ、男だ。
彼は親を心配する子供として当然の事を言っている。
しかし何故だろう。彼は間違いなく男なのに、
何だか嫁入り前の番茶も出花な娘さんが甲斐甲斐しく父親の世話をしているように見えるのは。
超が付くほど親バカ上司同様、
自分の目にも何らかのフィルターが掛かってでもいるのだろうか。
あぁ、そうだ。たぶん、彼が芸能人張りにイケメンなのがいけないのだ。
相沢の妻が思わず黄色い悲鳴を上げそうなくらい甘いマスクなのが拙いのだ。
そうだ、そうに違いない。
今なら判る。上司の息子さんに会った刑事達の誰もが、彼を『美人』と言った訳が。
あれは外見だけでなく、中身も含めて『美人』と言っていたのだ。
そうとも!ただのイケメンだったらそこまで言わない。言わないだろう。
だって相手は男なのだから!
しかし!ちょっとでも彼の中身を知ってしまったら、
ついつい言ってしまうのは仕方ない事だったのだ。
そう言う事にしておこう!こんちくしょ~~~~~~~っ!!
まさか、まさか!上司の息子さんが!!
事もあろうに家事万能、世話好きの、とっても気の利く大和撫子属性だと誰が思うかっ!!!
何処のドッキリだ!!!!
理想の嫁さんがまさかこんな身近にいたなんて!と、
世の男どもが思ったって仕方ないだろっ!!
問題は、その理想の嫁さん本人も男だと言う事と、
彼の父親がものすごい親バカだと言う事だ!!!
『局長!息子は嫁には行きませんから~~~~っ!!!!!!』
この捜査が始まってから何度そう叫びたいと思った事か!
もう相沢は数える気も起きなくなっていた。
キラ事件で共に捜査をする事となった世界の切り札こと探偵L。
何処からどう見ても引き籠りの、金持ちの道楽で探偵をやっているとしか思えない変人。
能力的に文句はないし、
正義感(本当にそうか?と今では多少疑っているが)もそこそこ有りそうだ。
だが、今になって思えば監視カメラを設置した時に気付くべきだったのだ。
高3男子の部屋に64個もの監視カメラは行き過ぎだと。
そして、今まで表に出る事のなかった探偵Lが、いくら人手が足りないとはいえ、
自ら容疑者の前に姿を晒すなんて有り得ない、と。
むさ苦しい男所帯に突如現れた可憐な花(見た目じゃない、見た目じゃないんだ!)。
彼の笑顔に仕事の疲れも吹き飛ぶ、なんて俺は思ってないぞ~~!
思ってるもんかぁぁ~~~!!
俺はノーマルだぁぁぁ~~~~!!!!!妻も子供もいるんだ~~~~~~!!!!!!
名探偵L率いるキラ捜査本部の運命は、
松田の『局長の息子さんって美人さんですね』の一言に始まり、
Lの『月君は完璧です』のいろんな意味で問題有りな発言に終わった。
若干18歳の花も恥じらう青年の出方しだいで全てが決まると言っても過言ではなかった。
今現在のキラ捜査本部は高級ホテルのスィートルームは、
何度も言うがむさ苦しい男所帯である。
いや、判っている、判っているのだ。
それもこれも今現在自分達が置かれている特殊な環境のせいだと。
それでもやっぱり!警察庁以上にむさ苦しい男所帯なのがいけないのだと。
「月ォォォっ!お前の事は父さんが守ってやるからなぁぁぁっ!!」
「はいはい、それは粧裕に言おうね、父さん」
「粧裕だって当然‥‥!?うおっ!?」
「あぁ、ほらほら。無理しないで‥‥相沢さん」
「お、おう」
無駄に豪華で贅沢な高級ホテルの高級スィートルーム。
贅沢嗜好(一応セキュリティも考慮して)のLがそこにキラ捜査本部を置いている。
そこに寝泊まりしている夜神総一郎を初めとする刑事達。
捜査機密を守る以上ホテルの従業員を出入りさせる訳にはいかない。
今現在の状況は、それが引き起こした弊害だと言えない事もない。
衣食住――― 人が生きて行くために必要なもの。快適な仕事環境を生み出す生活習慣。
掃除洗濯料理、つまりは家事。
ホテルの従業員が出入りできない状態でそれを賄うのは一体誰か。
この捜査が始まって以来、それらが微妙に彼ら刑事達の神経を苛んでいた。
洗濯はクリーニングに出せば済む。料理は外で食べてくればいいしルームサービスもある。
しかし、掃除だけはどうしても自分達でやらなければならなかった
SUITE ROOM――― 2部屋以上の続き部屋がある部屋。
今捜査本部が使っているスィートは、
寝室2部屋にリビング2部屋(寝室はLしか入れない)の計4部屋。
刑事達が寝泊まりしている1階下のジュニアスィートだって3部屋もある。
Lの寝室を抜かしても最低5部屋は自分達で掃除しなければならないのだ。
当然の事ながら、ミニバーミニキッチン、トイレにバス、クローゼットの掃除も全てセルフだ。
ただでさえ少数精鋭(?)で人手が足りないのに掃除なんかで時間を割く余裕はない。
掃除より仕事優先。それが働く男と言うもの。
そうなると必然的に掃除の役目は下っ端に回る事となる。
つまりは一番若くて地位の低い松田桃太だ。
独身で一人暮らしだと聞いていたから掃除ぐらいできるだろうと誰もが思った。
本人も任せてください!と胸を張って答えた。
しかし、刑事達は忘れていた。彼が良いとこのお坊ちゃんである事を。
掃除機の使い方は知ってると言うから安心していたら、
彼は雑巾も絞れない、ハタキも知らない見事な今時の若造だった。
初回の余りに杜撰な掃除に呆れた先輩達がよくよく聞いてみれば、
自宅マンションの掃除は週1回やって来る、
親が雇った家政婦がしてくれていた、と言うではないか。
このっ!ボンボン刑事がっ!!甘ったれるなセレブ!!!
(しかし、更によく聞けば家政婦は50過ぎのおばちゃんとの事。羨む気持ちは一気に冷めた)
そんな松田桃太にどんな期待が出来るというのか。そこで刑事達は掃除に関して諦めた。
実際の所、捜査本部メンバー(?)内で一番掃除スキルが高いのはLの執事(?)ワタリである。
しかしワタリは基本、Lの世話しかしない。
そう、かの老人が掃除をするのはLだけが使っている寝室の2部屋だけなのだ。
時折リビングの掃除もしてくれるが、
本当にごくごく稀で、それは今まででたった1度しかなかった。
夜神月が初めて捜査本部へ来ると決まった日の事だ。あぁ、懐かしい。
それ以外は、やはり松田がやるしかなかったのである。
チョコマカ動くくせにやる気が空回りし細部まで気が回らないから何事も中途半端な松田が。
どんなに捜査資料が散らばっていても、どんなにLがお菓子を食べ散らかしていても、
『後で纏めて片付ければいいや』と呑気に構えて何時の間にかすっかり忘れてしまう松田が。
結果は‥‥‥考えなくても判るだろう。
ここだけの話、Lが捜査本部を転々と移動させているのは安全のためばかりではない。
部屋の汚れが目も当てられなくなる前に元凶を他へ移すためだ。
元凶とは勿論、L(原因80%)と松田(原因15%)のことである。
(ソファの汚れは当然、絨毯の類も何枚ダメにしたか判らない)
そんな訳だから刑事達はキラを捕まえるまで、
このむさ苦しさから解放される事はないだろうと諦めていた。
「わ、私の目が黒いうちは‥‥うぐぐっ‥‥!」
「父さんを宜しくお願いします。何でしたら相沢さんもそのまま暫く休んでてください。
後は僕がやっておきますから」
「そ、そうか?助かるよ、月君。俺ももう少し具合が‥‥」
そんな絶望的な環境に慣れざるを得なかった刑事達の元に、
松田ではないが一人の天使が舞い降りた。
「その間に僕はこっちの二人を何とかしておきます」
「月ォォォォッ!男はみんなオオカミなんだぁぁぁぁっ!!」
「大丈夫だよ。ここにいるのはカエルと駄犬だから」
天使は正に男所帯に咲いた花だった。女神だった。いや、現在進行形で女王様だ。え?
刑事局長夜神総一郎の長男、夜神月。
幾つかの状況証拠からLに最も有力なキラ容疑者と目されている若者。花も恥じらう18歳。
捜査協力の名の下『油断させて尻尾を掴め』作戦に出たLは、
夜神月を自ら捜査陣に誘いアジト(?)へと連れて来た。
だが、Lは彼を甘く見ていた。
夜神家の彼の自室に監視カメラを取り付けた時気付くべきだった。
高3男子にしては異様に綺麗だった室内。あれは今現在の伏線だったのだ。
とにかく、初日にしっかり手土産持参で来た上司の息子さんは、
そこで早くも繊細な気配りを披露した。
松田より役に立つかも‥‥とつい思ってしまった年配刑事達を怒ってはいけない。
年寄りは良い子に弱いものなのだ。
そして、少なくとも週5日は捜査本部を訪れるようになった夜神月は、
3度目の訪問で早くもこの捜査本部がむさ苦しい男所帯である事を見破った。
どんなホテルに移ろうとも三日の内にはその証拠を見つけ眉間に深い皺を作った。
『あぁぁぁっ!もう我慢できないっ!!』
そしてある時、彼の堪忍袋の緒がプチッ!と見事な音を立ててぶち切れた。
『父さん!テーブルの資料を片付けて!!』
『ラ、月?』
『相沢さんは窓を開けて空気を入れ替えてください!!』
『は?』
『松田さん!掃除道具は何処ですか!?』
『え?え?月君?』
『模木さん!その小汚いカエルの置物を今直ぐトイレに放り込んで来てくださいっ!!』
『オ、オォッス!?』
右手にマドレーヌ、左手にマカロンを持ちテーブルに広げた捜査資料に目を通していたLが、
何かの拍子に飲み残しの紅茶の入ったカップを倒し、捜査資料を茶色に染めてしまった瞬間、
Lの向かいでその資料に手を伸ばそうとしていた夜神月に何かが降臨した。
美しくも冷たい微笑みには鬼気迫るものがあり、
その座った目は有無を言わせぬ迫力に満ちていた。
後に、その時の事を回想したLは『あれこそキラの本性です』と無表情ながらも嬉しそうに断じ、
総一郎と相沢は仕事で家庭をほったらかしにした時の妻の姿を思い重ね、
模木は懐かしい小学校の担任を、
松田は一度行った事のあるSMの館の女王様を思い出したりした。
『も~う、我慢できない!何なんだ?この散らかし放題の部屋はっ!!
竜崎の足元はお菓子の屑と零した飲み物の染みで目も当てられないし!
テーブルにはいっつも!零れた粉砂糖で白いし!!
ソファにも捜査資料にもチョコレートの指紋が付いてるし!
パソコンのキーボードやマウスは飴でも付いたみたいにベタベタ!
床に積み上げたまま片付けた様子もない資料の山には食べ掛けのお菓子が乗ってるし!
いったいここは何なんだっ!
これでも世界の切り札と言われる探偵Lの捜査本部なのかっ!?
掃除だ掃除!掃除するぞ!!ついでに消毒もっ!!!
隅から隅までゴミというゴミ、お菓子の屑という屑を、全部!綺麗に!!片づけてやるっ!!!
松田ぁぁぁっ!箒と雑巾はまだか~~~~!?』
『はいぃぃぃっ!た、ただいま~~~~~~っ!!』
次の瞬間、無表情に茫然となっていたLを、
いつものお坐りの格好のままトイレの個室に運んだ模木は、
彼を便器の上に錘よろしく放置するや素早く月の元へ戻って次の指示を仰いだ。
総一郎はテーブルの資料を片付け、相沢は窓を開き、
松田は月がホテル側に用意させた掃除機をフロントまで取りに行った。
それから約1時間、キラ捜査本部は突如お掃除タイムへと突入したのだった。
『ハァ~、すっきりした(^O^)やっぱり整理整頓は生活における基本中の基本だな』
最後にトイレからカエルの置物をソファまで運ばせて、お掃除タイム終了。
お決まりの、手の甲で額の汗を拭う仕草を完了の合図にして、
月が爽やかさ120%の微笑みを振りまく。
掃除下僕としてこき使うだけこき使った刑事達を振り返った時、
その微笑みは磨き上げられた鏡のようにキラキラ輝いていた。マジで。
『さっ、捜査を再開しましょうか』
再びソファに戻されたカエルの置物、もとい探偵Lの隣にちゃっかり座り、
ニッコリ微笑んだキラ容疑者はテーブル上から片付けたお菓子の山を元に戻す事はなかった。
それらは冷蔵庫にしまわれたまま月が帰るまでお預けとなり、
この部屋の主であり、捜査本部の云わば長であるLが何を言おうと出て来る事はなかった。
『月君、貴方やっぱりキラですね。この私を兵糧攻めにしようと‥‥』
『うふふふふふ‥‥そんなくだらない事言ってる暇あったらちゃっちゃと仕事する!』
『‥‥‥はい』
お菓子を求めてワキワキ動くLの手を問答無用でピシャリと叩き落とした時も、
その完璧な微笑みは決して崩れる事はなかった。
以来、週に1度、夜神月に何かが降臨した。
捜査本部内が綺麗な間は彼もいたって普通の若者だ。議論以外でLに逆らう事はあまりない。
父親を初めとする刑事達にも丁寧に対応し、松田にさえ敬語を使う今時珍しい若者だ。
『母に頼まれました』と言っては、重箱一杯の手料理を小皿に取り分け配ったりしてくれるし、
(時々三段重箱が二段重箱になると言う事は‥‥)
『○○の資料は何処だ?』と誰かが言えば、松田なんかより先に見付けて持って来てくれるし、
『すまん、月。ちょっとPCの使い方が判らんのだが‥‥』と総一郎が言えば、
『あぁ、それはね、父さん‥‥』と、仲陸奥まじい親子の微笑ましい一幕も見せてくれる。
(その間、Lが羨ましそうにジ~ットリした目で二人を見ているのはまるっと無視)
しかし、それも部屋の中が綺麗に見える(ここ重要)間だけだ。
彼の中にある一定ラインを超えると、彼の態度は激変する。
平気でLをカエル呼ばわりし、役立たずのぐうたら男と罵り、
Lのやる事なす事に口を挟みだす。
手を叩くなんてまだ可愛い方だ。
ある時は後頭部にチョップを入れ、ある時は耳を引っ張りさくり、
そしてある時は平気で股間に蹴りを入れたりする。
その姿は正に嫉妬深い恋人か躾に五月蠅い母親か何かのよう。
『うふふふふふふ‥‥この僕に捜査協力を要求するんだったら、
僕が気持ちよく作業できる環境を整えておくのも竜崎の仕事だと思うんだよねぇ。
それが誘った側の最低限のマナーだと思わない?この、ごくつぶし!』
『やはり貴方のその潔癖症がキラとなって表れ犯罪者の粛清に走らせ‥‥
イタタ、痛いです月君』
『僕はいたって普通の綺麗好きだ!お前が異常なんだよ!!
汚すだけ汚して後始末もしない奴に言われたくない!
はぁ?誰が謎の名探偵だって?正体は秘密だぁ!?
資料にベッタリチョコレートの指紋が付いてるのを見た時は、
1分近くもフリーズしちゃったよ!
冷蔵庫の前にアイスクリームの足形を発見した時も、
その冷蔵庫の中のデコレーションケーキに見事な歯型が付いているのを発見した時も!
僕は本気で!探偵Lのお先は真っ暗だ!!と思ったね!!!』
『!ラ、月君!それは私の事が心配だ、という事ですか?さては私に惚れ‥‥フゴッ!』
『そんな戯言を言うのはこの口か!この口なんだな!?お菓子魔人!!』
耳どころか唇を情け容赦なく引っ張ったあげく、
高価な絨毯の上に倒れたLの背中を思いっきりゲシゲシ足蹴にする最有力キラ容疑者夜神月。
『この猫背もついでに矯正してやるっ!』
『あぁぁぁ‥‥っ、月君!その傍若無人っぷりはやっぱりキラ‥‥』
白い靴下が最高です!と、その足の下でボキボキ背骨を鳴らし無表情に喜び悶える探偵の姿に、
総一郎が真っ白になったのも今はもう懐かしい思い出だ。
(刑事局長様は気付いていなかった。
極々平凡だと思っていた自分の奥さんが家事に関しては完璧主義である事に。
その息子がその性質を多大に受け継いでいる事に)
『え?僕が家の掃除を?しませんよ。だって母がいますから。
自分の部屋ぐらいは自分で掃除しますけどね』
それは本当にいたって普通な18歳男子の弁だろう。それは間違いない。
間違いないが、
本棚の本の乱れ一つない並び具合や、出かける時の椅子の角度調節への拘りなど、
やはり夜神月は何処か普通ではなかったようだ。
竜崎が羨ましい‥‥と松田に言わせしめる何かが、彼にはあるのだろう。
そして何時しか彼らは(総一郎も)思うようになった。
もしかしたら本当に夜神月がキラかもしれないと。
しかし、その恐怖の方向性が何だかとってもズレてるような気がする、とも。
★ ☆ ★ ☆ ★
あぁ、長い回想だった。
とにかく、たった今までの勢いは何処へやら、
相沢は急に力を失くした上司に肩を貸し、これから展開されるだろう修羅場を後にした。
「ラ、月君~~~~~っ、酷いですぅぅぅぅ」
「僕がやったんじゃないだろ?父さんの仕業だ」
「父親の罪は息子の罪‥‥ここはやはり月君に償って貰わないと‥‥」
「あははは、バカな事言ってないで早く座ったら?それより、お腹はもう大丈夫なのか?」
「あぁ、やっぱり月君は私に惚れてるんですね。
私の身を気遣う貴方の言葉が仕事に疲れた私の心を癒してくれます」
「はいはい。それだけ口が回ればもう大丈夫だな」
「あ、あのぉ~‥‥」
何時もならカエル跳びで月のとこまですっ飛んで行くLなのに、何故か今日は元気がない。
大丈夫とはほど遠い匍匐前進でソファににじり寄り、
高々と組んだ月の脚にスリスリ頬擦りするだけで抱きつこうとしないLなんてLではない。
(総一郎が目を光らせていなかったらLはただのセクハラ上司、というのが皆の見解だ)
月と相沢に助けられ何とか命を繋いだ松田は、まだ痛む喉を摩りながら声をかけた。
「松田さんも災難でしたね。でも、松田さんが悪いんですよ。
父がいる所であんな冗談を言うから。もうご存知すよね?父のあの口癖」
「う、うん」
「僕もいい加減困ってるんですよ。妹が面白がって、
『私もお兄ちゃんもお嫁に行かないよ。ずっとお父さんの傍にいる』
なんて言うもんですから、
ますます拍車がかかってしまって‥‥」
ニッコリ微笑みながらそう言われては『冗談じゃないのに』とは言いだせないヘタレ松田。
「リュ、竜崎、大丈夫なの?何だかいつもほど元気ないみたいだけど。
僕が出かける前はいつも通りだったのに。いったい何が‥‥」
まさか『キラ』な月君が何かした?なんて、チラッと頭の片隅で思ってみたり。
しかし、それは直ぐに当の月の溜息とLの射殺さんばかりの視線で否定された。
「ま~~~つ~~~~だ~~~~‥‥許すまじぃぃぃ~~~~」
「?????え?」
「うんうん。判ってるから。でも、竜崎も悪いんだからね。
僕に隠れてこっそり貰い食いなんかするから」
「??????????はい?」
良し良しと、自分の足に懐くLの頭を撫でてやる月は、
珍しく癒しの女神様モードに入っている。
(Lに対して10回に1回現れるかどうかのこのモードは総一郎に関してのみデフォルトである)
貰い食いって何?拾い食いの間違いじゃないの?
と思った松田も思わず女神様の微笑みに目が吸い寄せられた。
それくらい、今の月からは後光が差して見える。
(ちなみにお掃除タイムは女王様モードだ)
「松田さん。そこの紙バッグ、取ってもらえませんか?」
「え?これ?」
そう言われて月が座るソファの横を見れば、東急ハ○ズの紙バッグがちょこんと置かれている。
首を傾げながら手に取ると意外にズシリと重い。
「これって‥‥」
取り出したのは東京では珍しい『家庭用タコ焼き機』―――
そう言えば、先日捜査の合間にLと日本の夏祭りの話をしていて、
屋台の食べ歩きで盛り上がった事を思い出す。
(この時はまだ部屋が綺麗だったので月は笑って話を聞いていた)
「昨日松田さん、外へ出たついでにタコ焼きを何パックか買って来たそうですね」
「あ、うん。竜崎が屋台のタコ焼きを食べたがってたの思い出して、
冷凍タコ焼きでも買って帰ろうと思ってスーパーに寄ったら、
タコ焼き屋に行列が並んでてさ。
ここ美味しいのかなぁって思って、お土産に買ったんだ」
「それ、みんなで食べたんですよね?珍しく父さんも」
「?うん。局長も食べてた。もちろん竜崎が一番たくさん食べたかな」
「買って戻って来るまでの時間は?昨日は何ヶ所も寄る所があったって聞きましたけど」
「?うん。そうだなぁ、3時間ぐらいかなぁ」
「その間、松田さんが持ち歩いてたんですよね?タコ焼き」
「そうだねぇ。持ち歩いてたねぇ」
「昨日、暑かったでしょ。しかも湿気も凄かった。梅雨ですもんね」
「‥‥う、うん」
何だかちょっと嫌な予感がしてきた松田桃太。
「その中にちょっと生焼けの物があったの、気付いてました?」
「え?そうだったの?」
「生焼けで、夏で、真昼間に持ち歩いた。結果は子供だって判りますよね?」
その時突然、ギュルルルッ‥‥と言う何とも言えない音が小さく響き渡った。
これはあれだ、あの音だ。
松田は引き攣る笑顔を抑えられないままゴクリと唾を飲み込んだ。
「え、えっと‥‥電車に乗ったよ?車内冷房、効いてた、と思う」
「ホームは暑いですよね?」
「そそそ、そうだね?」
再度、キュル、ギュルルル~ッと音が鳴る。
誰が聞いても何処で聞いてもこれは間違いなく腹が鳴る音だ。
「ま~~つ~~~だ~~~~‥‥‥っ!」
声のした方を恐る恐る見やれば、
いつも以上に顔色の悪いLが脂汗を流しながら腹を抱えていた。
「竜崎、出かけてたんじゃないんですよ。
ずっと此処にいたんです。ここの何処にいたか判りますか?」
「え~‥‥と、そのぉ~~‥‥」
「どぉ~して、くれよぉ~~~‥‥むぁ~つぅ~どぅぁぁぁ~~~~~~~‥‥!」
ズルリと這って松田ににじり寄ろうとするLはゾンビにしか見えなかった。
ヒィ‥‥ッと、思わず悲鳴を上げて1歩も2歩も飛び退った松田に、
女神様の微笑みが追い打ちをかける。
「トイレです」
「え?は?え?」
「ちなみに父さんと相沢さんは下の階のトイレに籠ってました」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「生焼けのタコ焼きに中ったみたいですよ、3人とも。
幸い模木さんは無事でしたけど。松田さんは大丈夫ですか?
怖いですよねぇ、梅雨時の食中毒って」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥(>_<)」
「うふふふふふ、竜崎はいいんですよ、竜崎は。
僕がわざわざ!タコ焼き機を買いに行ってる間に、
勝手に貰い食いなんかしちゃったんですから。
腹を下そうが糞詰まりになろうが竜崎の自業自得って奴です。
でも、僕の父さんまで被害に合うなんて‥‥そんな事、許されると思ってます?
松田さん?」
「ラ、月君‥‥月君にフンヅマリなんて言葉は似合いま‥‥フゲッ!」
「うふふふふふふふふふふふ‥‥今日買って来たタコが駄目になる前に治さないと、
僕、もう2度と!竜崎にタコ焼き作ってあげないからね。判ってる?」
「治します、治しますからぁぁ~、タコ焼き作ってくださぁ~~~~い」
「あ、あの‥‥‥」
「松田さんもね、これから気を付けてくださいね。
竜崎に食べ物をやっていいのは僕だけなんですから」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
え~~っと、これはどう解釈すればいいんでしょうかぁ~?局長、せんぱ~~い。
月君、月君。待っててくださいね、何処にも行かないでくださいね!と、
妙にひっくり返った声で叫びながら奇妙奇天烈な歩き方で再びトイレに行ってしまった竜崎。
それを微笑みを浮かべながら見送った月。
そんな二人を見比べ、松田は混乱の極みにあった。
女神様の有り難い忠告の意味する所を聞いてみたいのだが、怖くて聞けないのは何故だろう。
「松田さん。とっとと仕事したらどうですか?
何だったらタコなしタコ焼きでも焼いてあげましょうか?」
手にした家庭用タコ焼き機。関東ではほとんど見かけないタコ焼き機。
こんな物も売ってるんだなぁ、東京○ンズって―――
「もしかしたら松田さんの代わりも売ってるかもしれませんね」
「ラ、月君‥‥?」
そんな松田の心の中を読んだかのような女王様のお言葉。
お、恐るべし!18歳!!
「僕、咽が乾いて来ました。何か冷たいもの‥‥」
「ぼ、ぼ、ぼ、僕が持って来るよ、月君っ!」
微笑みと言葉一つで男心を生かすも殺すも自由自在な上司の息子様。
ヘタレな凡人刑事に太刀打ちできるはずがない。
松田刑事の一生はこの時決まった、と言っても過言ではないだろう。
「なぁ、模木‥‥」
「何でしょう、相沢先輩」
「‥‥もし本当に月君がキラだったら、
Lには到底勝ち目はない‥‥と思うのは俺だけだろうか」
「いえ。私もそう思います」
「それとも、あれも計算してやってるんだとうか‥‥」
「もしそうだったら、竜崎は真正Mとしか思えません」
「そうか、そうだよなぁ‥‥」
「そうです」
「油断させてボロを出させる作戦です、とか何とか言って、
月君の様子を窺っていたのは最初の1週間ぐらいだった気がする」
「私もです」
「その後は様子を窺うと言うより、
プライベートを根掘り葉掘り聞いてるだけだったような‥‥」
「まるで、お見合いコンパで女の子を口説いてるモテナイ男にしか見えませんでした」
「模木‥‥お前、お見合いコンパの経験あるのか?」
「一応、私も独身なもので‥‥」
「そうか‥‥」
トイレに駆け込んだカエルと、女王様の如く優雅にソファに座る真性女王様と。
その女王様に下男の如くこき使われている後輩刑事の様子を、
少し離れた場所から呆然と見ている男が二人。
上司を下の部屋まで送ってきた相沢と、下痢止めを買って戻って来た模木だ。
彼らの脳裏にはこの春からの某カエル探偵と上司の息子さんの、
真っ黒な腹の探り合いならぬ恋の駆け引きの数々が走馬灯のように駆け巡っていた。
恋の駆け引きどころか、ムードもへったくれもなくLが迫っていただけなのだが。
そのせいで上司の胃薬を飲む回数が日ごとに増えて行ったのは確かな事で。
息子さんの態度がだんだんデカクなって行ったのもやっぱり確かな事で。
誰がどう見ても、探偵Lは夜神月に夢中だった。
L的に言うなら、キラの正体を暴く目的10%、恋人になりたい90%!
顔だけは全くそうは見えないが、言動の全てがそうだった。
本人は頑として『これは捜査だ』と言い張っているが、
『プライベートでも仕事でも私を満足させられるのは月君だけです』
と口走ってしまった時点でアウトだろう。
それ以前に、幼稚園の時からもてまくっていた(上司談)息子さんにはバレバレだったようだ。
ストーカー被害にあったのも1度や2度じゃない(やはり上司談)息子さんには、
Lの自己中恋愛も見慣れたものだったらしい。
たかが18歳男子に軽くあしらわれてしまう名探偵様の、
素晴らしい肩書がオイオイ泣いている。
「俺、この捜査から降りようかなぁ‥‥」
「降りなくても大丈夫だと思いますよ」
「どうしてだ?」
「そのうち、月君メインで捜査本部の立て直しが図られると思います」
「それは‥‥」
「金も権力もあるのにもてない男の最終手段は、
その金と権力に物を言わせる事と決まってますから」
「あぁ、そういうことか」
「月君は金では動きません。動くとしたら‥‥」
「権力か‥‥」
「それも、竜崎が権力で言う事を聞かせるのではなく‥‥」
「権力譲渡‥‥」
「月君だったら、幾らでも竜崎からもぎ取ってしまえると思います。しかも自分に有利に」
「もしかして竜崎は、月君が初恋なんだろうか」
「だと思います」
「相手が悪かったな‥‥」
「私もそう思います」
せめてキラが、もてないのを僻んで犯罪者裁きに走った引き籠りだったなら、
Lとキラの対決は同じ土俵と言う事でいい線行っただろう。
事件も無事解決できたかもしれない。
だが、相手はLと正反対の人物だった。正反対なくせに思考能力は互角だった。
どうやらLの好みが、
『自分の頭脳に付いて来られるクールな知的美人』
だというのは周囲の誰もが認める事で、
おまけにその知的美人がワタリ並みに気の利く世話焼き女房タイプとなったら、
常に世間を斜めに見ていた、他の人間をバカにしていたっぽいLが、
恋に落ちない筈がないのだ。
「Lは、事件に決着を付けてから、口説き落としに掛るべきだったな」
「腹の探り合いなら経験の差でLに軍配が上がったでしょうに」
「恋愛じゃぁ、どう見ても月君の方がベテランだろ」
「ストーカーの扱いも手慣れたものらしいです」
「ますます、分が悪いじゃないか」
「それ以前に、大きな障害が横たわってますが‥‥」
「局長か‥‥」
二人は、日頃のLと月の遣り取りに資料を調べる振りをして常に聞き耳を立てている、
自分達の尊敬する上司の事を思い出し深い深い溜息をついた。
上司によってグシャグシャ、もしくは引き千切られた資料は、
1枚や2枚、いや、10枚20枚どころではなかった。
こんなんで本当に事件は解決できるのか?と二人が思ったのも1度や2度じゃない。
「俺としては、月君がキラじゃなくて、Lがとっとと月君の尻に敷かれる事を祈るよ」
「この際、局長には我慢してもらいましょう。それが一番の事件解決への近道です」
夜神月がキラだった場合は――― もはや諦めるしかないかもしれないと、
やっぱり深い深い溜息を漏らす、哀れな刑事二人だった。
※チンタラ書いていたら七夕とは程遠い話になってしまった。